第6話

   ***


 結局、交番に行くのは姉に相談してからにすることにした。


 リビングで、ユキは買い置きのせんべいやらチョコレートをつまんでいる。


 こいつ、よく食うな。育ちざかりってやつなのかな。


 母は、この食べっぷりから複雑な事情を想像したらしく、あまり突っ込んだことは聞かなかった。食べている菓子の感想を求めたり、自分の近況や、近所の噂話、それからはた迷惑にも俺の幼いころのこと、そして、これからやってくる姉の基本情報等を話していた。


 ユキは自分に向けられている好意的な視線と、大量の食物にすっかり機嫌を良くしている。母の話も、ふんふんと楽しそうに聞いていた。


 このまま姉ちゃんが来るまで乗り切ろう。


 俺はそう思った。



「――じゃあそろそろいっちゃん迎えに行ってくるわね。お昼過ぎちゃうけど、大丈夫かしら。ユキちゃん、お昼もしっかり食べられそう?」


 コートを羽織りながら母が尋ねる。


「私は、まだまだ食べられる! しかし、『母さん』が戻ってくるまで待てと言うなら、待とう」


 ユキが自分から「待つ」と言うなんて……。よほど母さんのことが気に入ったんだなぁ。


「あらー、嬉しいわー。じゃあ、一緒に食べましょ。何が良いかしらねぇ。冷えたものがいいのよね」


 うーん、とひとしきり考えた後、「冷製パスタにしましょう! 外国人なら、フォークが使えるものね」と笑った。


 フォークなら、使えるよな。……使えるよな?


 ユキは玄関までついて行き、母が扉を閉め終わるまで、その姿をじっと見ていた。


「母さんのこと、えらく気に入ったみたいだな」

「違う、『母さん』の方が私を好いてくれたからだ。それに比べて、レイジはちっとも私のことを好いてくれないのだな」


 ユキは頬を膨らませた。まぁぶっちゃけ可愛いです。


「そんな態度では、私も安心出来ぬ。別に私はレイジを取って食ったりはしないのだぞ」

「いや、別に食われるとは思ってないけどさ……」

「では、何だと思っているのだ。いまなら『母さん』もおらぬ。正直に言え」


 すたすたとリビングに戻り、3人掛けソファの真ん中にどっかと座る。


「じゃ、じゃあ、はっきり言うけどさ。俺は、ユキのこと、家出少女だと思ってる。その態度も話し方もさ、アニメとか漫画とか、そういうのの影響だろ」


 俺はユキのソファから90度の位置に配置された1人用のソファに座った。


「私が雪虫だということを信じていないのか……。どうすれば信じてもらえるのだ」

「どうすれば……って言われてもさ……」

「この姿だからか? また虫の姿になればいいのか?」

「はぁ? 姿ぁ? ……いやいやいやいや、変われるもんなら変わってみろよ」


 売り言葉に買い言葉でそう言ってしまったが、それが本当ならば、絶対に見たくはない。

 まぁ、そんなことはあるわけないけど。


「この姿の方がたくさん食べられて良いのだがな。良いか、一瞬だぞ。あまり長いこと戻ると、また人の姿になるのが大変なんだからな」


 ユキはテーブルの上にある海苔せんべいを一つ取った。


「良いか、この上にとまるからな。絶対に絶対に私に触るなよ」

「何言ってんだ。嘘なら嘘で良いんだから」


 次の瞬間、ユキの姿は消えていた。


「――あ、あれ……ユキ? ユキ! どこ行ったんだ?」


 一瞬でテーブルの下にでももぐりこんだのだろうかと、覗いてみる。しかし、いない。


「どういうことだ。どこに行ったんだ……?」


 そうつぶやきながら、テーブルに手をつき、身体を起こす。


「ん……?」


 テーブルの上に置いてある海苔せんべい。その中央に、親指の爪くらいの大きさの白い虫がとまっていた。


「――う、うわあぁぁぁっ! むっ、虫!」


 そう叫んで、テーブルから離れる。あまりに慌てすぎたせいかバランスを崩し、床に尻餅をついた。


 あれ? ちょっと待て。さっき、ユキなんて言ってた? 


『いいか、この上にとまるからな。絶対に絶対に私に触るなよ』


 それじゃあ、もしかして……。


「ユキ……? ユキなのか?」


 近付いてよく見てみたい気持ちもあったが、さすがに気持ちが悪い。

 でもたしかに白い虫だった。遠目で見れば雪の塊にも見えるが。


「ユキ、良いよ、わかったよ。信じる! 信じるからさ! さっきの姿に戻ってくれ!」


「……これで本当に信じたな」


 気付くと、目の前にユキがいた。さっきと同じ、どこもかしこも真っ白な少女の姿で。


 とりあえず、その姿で現れてくれたことにほっと胸をなで下ろす。


「最初からこの姿を見せれば良かったな」


 そう言うユキは得意げだ。


「良くはないけど……まぁ……そうだな……。はぁ……」

「しかし、私も疲れた……。レイジ、もうこれはないのか?」


 ユキはすっかり柔らかくなってしまった保冷剤を振ってみせる。


「ああ、あると思う……。持ってくるよ」


 床に手をついて立とうとしたが、うまく力が入らない。くそっ、情けねぇな、俺。


「――よいしょお!」


 気合を入れてなんとか立ち上がった。ユキから柔らかくなった保冷剤を受け取る。


 冷凍庫を開けて、保冷剤を交換する。母がなんでも取っておく性格で良かった。

 ストックはまだたくさんある。


「ほら、2個」


 だいぶエネルギーを使ったのだろうか、頬に赤みが差している。

 ユキはその2個の保冷剤で、両側の頬を冷やした。


「レイジ、ちょっと私は眠る。『母さん』が戻ってきたら起こしてくれ」


 そう言うとユキはソファの上に仰向けに寝転がった。


 保冷剤は1つをおでこに、もう1つを首の上に置いた。

 そんなに疲れたのか……。


 ユキはあっという間に寝入ったようだ。


 でも、ユキが本当に雪む……だとすると……。

 使命を果たしたら死ぬっていうのも、本当ってことか?


 すやすやと眠るユキの姿を見る。


 あんなに元気なのに、どこか病気なんだろうか。

 使命って何なんだ?


 そこまで考えて、これはユキに聞かなきゃわかんないよな、そう思い直した。とりあえず、母が姉を連れて帰って来るまで参考書でも読むかと、部屋に向かう。

 しかし、ユキを1人きりにするわけにはいかないと思い、適当な参考書を1冊もってリビングへと戻った。


 早速ページをめくるも、何となくユキが気になって参考書どころではない。

 『その時』がいつかはわからないが、もうすぐ死んでしまうというこの少女。

 そして、その『死』すらも『定め』だと言っていた。


 そりゃあ、俺だっていつかは死んじゃうけどさ、使命を果たしたら死ぬってわかってたら、そんなの投げ出して、きっと逃げる。


 あんな風に、晴れやかになんて、言えねぇよ。



 母と姉はそれから30分程で帰って来た。

 道中でユキの話を聞いてきたのだろう、姉はすでに『からかう』モードになっている。


「れーいーちゃーん」


 と、ニヤニヤしながらリビングへ入って来たが、ソファの上ですやすやと眠るユキの姿を見て、声のヴォリュームを落とした。

 大げさな忍び足で近づいてくる。


「この子が例のかわいこちゃんねー。わー、本当に真っ白ーい。雪虫みたーい」


 『雪虫』という単語にどきりとする。

 やっぱり、姉ちゃんくらいになると、見た目ですぐわかるもんなのか? 

 それともどこかに虫的な要素が……? と、まじまじとユキを見つめる。

 いや、落ち着け。

 姉ちゃんはいっつも虫のことばっかり考えてるからこういう発想になっただけで、決してばれたわけでは……。


 ――ん? いや、待てよ。

 姉ちゃんにならむしろばれた方がいいよな。俺よりそっち系の知識があるわけだから……。


「ちょっとー、彼女にみとれてないでさぁ、ちょっとは姉ちゃんにもその熱い視線向けてくれないかしら?」

「か、彼女なわけないだろ。ちょっとした知り合いだよ! 知り合い!」


 いくらヴォリュームを落としても、この距離ではうるさかったのだろう。ユキは目を覚ました。


「おお、『母さん』が帰ってきたのか。……いや、違うな。レイジ、この者は誰だ」


 目をこすりながら、ユキが尋ねてくる。


「これが『姉ちゃん』という生き物だ」

「姉に向かって『これ』ですってぇ?」


 姉が口元に笑みを浮かべたまま俺を睨む。基樹なら「たまらん!」と叫んでいるはずだ。


「初めまして、ユキちゃん。あたしは一華よ。姉ちゃんでも、一華でも呼びたい方で呼んでね」

「ほう。……では、『イチカ』と呼ばせていただこうか。レイジ、お前以外は最初から好いてくれるな。なぜだ」

「知らねぇよ。特殊なんだよ、ウチは」


 車を車庫に入れてきたのだろう。やや遅れてリビングに母が入ってきた。


「『母さん』だ!」


 ユキがソファから降りて母に駆け寄る。

 何でこんなにも態度が違うんだよ。


「あらー、ユキちゃん。お腹空いたでしょ。いま作るから、もう少し待っててね」

「待つとも!」


 姉はそんな二人のやり取りを見て――、


「そうだね、彼女ではなかったみたいだね」


 と言った。


「だから言ったろ。まぁ、それは良いんだけどさ、ちょっと姉ちゃんに話があるんだ」


 姿勢を正して真剣なまなざしを向けてきた俺に少々気圧されたらしい、姉はその場で正座をし、神妙な顔付きになった。まぁ、それが形ばかりだとしても。


「まず、俺がこれから言うことは全部本当だから。嘘だろ? って思っても、とりあえず最後まで聞いてほしい」

「何よ、随分もったいぶった言い方ね」

「ユキのことなんだ」

「ユキちゃん? その雰囲気からすると、結婚相手ですとか、そういう類ではないみたいね」

「うん、そう。とてもそんな冗談を言える状況じゃないんだ。あのな、まず、さっきユキのこと『雪虫みたい』って言ったよな。それは正解だ」

「――は?」

「俺もよくわかんないし、いまいち信じきれない部分ではあるんだけど、こないだ北海道で雪虫見ただろ? 何かくっついて来たらしいんだ。で、あの姿に……」


 我ながらおかしなこと言ってるとは思う。でも、そうとしか言いようがない。


「あたしに……信じろって?」

「俺だって、最初は全ッ然信じられなかったけどさ。さっき、見ちゃったんだよな。ユキがこれくらいの大きさの雪虫になるところ」


 そう言って、自分の親指の爪を指差す。


「この大きさのぉ? 雪虫ってアンタも見たでしょ。もっと小さいやつだよ? こんなに大きいなんて……」


 そこで姉は、ふっ、と遠い目をした。何かを思い出す時、彼女はそういう目になる。


「じゃ、じゃあ、あたしにもその姿みせてもーらおーっと」

「いや、それは難しいかもしれない」

「何でよ」

「何かすっげー体力使うんだとよ。さっきもそれで横になってたんだ」

「でもなぁ、やっぱり実際に見ないと信憑性がなぁ」

「困ったなぁ。あ――……たとえばさ、ユキはすっげー熱に弱い。こっちが平気な温度でも過剰に熱がって、炊飯器の湯気にも怯えてた」

「ほう。たしかに雪虫は熱に弱いね」

「あと、触れられるのも駄目みたいだ」

「はぁあ? こんの馬鹿者ぉっ! 雪虫を触ろうとしたのか? 死活問題だぞ! 奴らにとっては!」


 変なとこでスイッチが入ってヒートアップしてきた。しかしこれは単純に虫への愛のためであろう。


「だから触ってねぇよ!」

「ていうかそもそもなんでユキちゃんを触ろうとしてんのよ、アンタ!」

「……俺のベッドから降りねぇから」

「ベッドぉー? 母さんの話では玄関とキッチンとリビングにしか行ってないと思ったけど……?」

「そこから話さなくちゃ、だったよなぁー……」


 俺はがっくりと肩を落とし、昨夜の出会いの部分から事細かに説明した。

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