第3話

 食後のコーヒーを片手に、俺は自室に向かった。


 11月のこの時期に1週間も何もしなかったのだ。階段を上りきるころには、どうして参考書の1冊でも持っていかなかったのだろう、という後悔が頭をよぎった。そりゃあもうよぎりまくった。


 こういう時は遊びに専念しなさい! なーんて姉ちゃんの言葉をうのみにしちゃったんだよなぁ、とつぶやきながらドアを少し開け、壁にある電気のスイッチを点ける。室内は昼光色の光に包まれた。


 そこには、いつもの自分の部屋――……とは違う点が1つだけあった。


 それは本当にたったの1つだけなのに、手に持ったマグカップを落とすくらいの衝撃を持っていた。


「――ぅあっちぃっ!!?」


 幸いなのは、コーヒーは食卓で少し飲んでいたものだったので、アツアツではなかった点だ。それにしても声をあげるには十分な熱さだったが。


 木目調のクッションフロアにはコーヒーの湖が広がっている。やっべ、早く拭かないと。


 いっ、いやいやいやいや! そんなことより……!


「おっ、おおお前は誰だぁ―――――――――っ!」


 俺は、ベッドの上ですやすやと眠っている少女に向かって叫んだ。


 叫んでから、ちょっと大声出し過ぎたかな、と思った。いまの声で両親が入ってきたらまずい。


 一度部屋から出て、リビングの動向を伺うと、案の定、母の「礼二ー? どうしたのー?」という声が聞こえてくる。


「何でもない!」


 俺は再び大声で叫んだ。

 何でもないわけはない、

 何ひとつ、ことなんてありはしない。でもそう言うしかないのだ。


 物事をあまり深く考えない質の母は、「なら良いけどー」とのん気な声を返して来た。良いわけないだろ、部屋に戻るなり息子が「お前は誰だー!」って叫んでんだぞ? ちょっとした事件だろ。とはいえ、その性格に助けられたわけだけれども。


 ほっと胸を撫で下ろし、部屋に戻る。せっかく撫で下ろしたというのに、彼女が視界に入ると心拍数がぐんと跳ね上がる。

 あれだけの大声のやり取りがあったにも関わらず、ベッドの上の少女はまだすやすやと寝息を立てていた。


 ここまで来たら無理やり起こすのも何だか悪い気がして、そぅっと机まで歩き、その上に置いてあったティッシュを箱ごと持つ。また同じように、抜き足差し足、そぅっとドアまで戻った。


 床にかがんで、ティッシュをシュッと数枚引き出す。


 こういう時ってなんでこんな音まで大きく感じるんだろう。

 そんなことを思いながら、コーヒーを拭き取った。


「さて……と」


 床が綺麗になったところで、改めてベッドの上の少女を見る。


 浪人生の分際で女の子を連れ込むなんて……。


 ――い、いや、俺は連れ込んでなんていないけどな?! てことは、不法侵入……? 

 しかも、この子、外国人か?


 さすがに近くでまじまじと見つめるのは気が引けたが、そんな近くで見なくても、日本人ではなさそうだった。


 その少女は何もかもが真っ白だったのだ。


 長い髪の毛も、肌も、身に着けている毛皮のような衣服も。頬と唇だけがわずかに桜色だった。


 外国人となると、不法侵入のみならず、不法入国の線もあるかもしれない。


 とりあえず、警察か? いや、その前にやっぱり親に……?


 俺がティッシュの箱を片手にまごまごしていると、少女が目を覚ました。

 ゆっくりと身体を起こして、その桜色の唇をゆっくりと開く。


「おい、そこの者、ここはどこだ」


 やけに居丈高な態度である。

 少なくとも、人んちに勝手に上がり込んで部屋の主に断りも無くベッドを占領し爆睡キメた後で放って良い台詞ではないはずだ。


「どこだじゃねぇよ! 俺ん家だよ! 俺の部屋だよ! ていうか、お前は誰なんだよ!」


 ある程度の声量が無いと少女の威圧感に負けてしまいそうで、俺は(一応)年長者として、そしてこの部屋の主として、精一杯の虚勢を張ってみた。


「無礼者め。尋ねる側から名乗るのが礼儀ではないのか」


 ほとんど表情を変えずに、少女は言った。


「お、俺? 俺は礼二だけど……」


 結局、あっさりと負けてしまう俺である。まぁこの少女がとんでもない美少女だったから、というのもあるかもしれないけど。


「よろしい。私は、雪虫だ」

「――は?」

「雪虫だ。お前が連れて来たのだな」

「つ、連れてきたって……。俺、何もしてねぇぞ。人攫いみたいに言うなよ」

「連れて来たではないか。ほら、この毛に包んで」


 そう言って、丸まったコートのフードを指差す。


「それじゃ、さっきの……雪む……いや、駄目だ。これ以上は言いたくない!」


 これ以上『虫』という言葉を言いたくも、聞きたくもなかった。

 それに、頭では理解している。そんなわけはないのだ。雪虫が人間になるなんてことはあり得ない。


 きっとこの子はコスプレが趣味の外国人の女の子で、何のキャラかはわからないが、それになりきっているのだろう。


「えーとさ、その……雪む……ちゃん」


 『虫』の『し』の部分はさりげなくごまかしてみた。それなのに……、


「――雪虫だ」


 台無しである。


「いや、まぁそこは良いんだけど。あのさ、出て行ってくれないかな。お兄さん、勉強しなきゃだし。いま出てってくれたら警察は呼ばないからさ」

「何を言っている。お前が連れて来たのだぞ。私には時間がないのだ。早く食物を持ってこい」

「いや、だからさ……!」


 そう言って、少女に近付く。

 近付いて見ると、肌の色も、髪の色も、化粧やかつらのようには見えなかった。よく見るとまゆ毛や睫毛まで白い。


 どこかで見たことがある……。

 そうだ、アルビノってやつだ。ネットで見たことがある。すっげー、超珍しいやつじゃん。

 そうかそうか。きっとこの子はアルビノなんだ。


 でも、だからと言ってどうこうというわけではない。この子は不法侵入だし、何とかして出て行ってもらわないと……。


「とりあえず、ベッドから降りて……」


 そう言って、雪虫という名の少女の腕に手を伸ばした。


「――止めろ! 私に触れるな!」


 彼女は身体を捻って避ける。


「人間に触れられるとすぐに弱ってしまうのだぞ。この無礼者め!」


 一貫した態度に、あきれを通り越してあっぱれと感じてしまった。


「それは……ごめんよ。でもさ、こっちの身にもなってくれよ。俺は浪人生でさ。俺だって時間がないんだよ。勉強しなくちゃ」

「何だ、お前も時間がないのか。仲間だな、私と」


 そう言って、雪虫と名乗った少女は笑った。笑うとこれまた相当可愛いな、なんて思った。


 ――そうだ。

 こんな感じで会話をしていけば、少しずつでも状況が好転するのではないだろうか。


 たとえ不法侵入だとしても、この子がもし一言「この人に攫われた」とでも言えば、自分は誘拐犯だ。こんなに可愛い少女と、浪人生の自分。果たして、世間はどっちに味方をするか……。

 こんなわけのわからん状況で自分の人生が終わるのは避けたい。何とか、友好的に出て行ってもらわないと……。


「とりあえずさ、さっき食いもんって言ってたよな。なんか適当に持って来るよ。すぐに戻って来るから、この部屋からは絶対出るなよ!」


 そう言い残して部屋を出る。

 何かこの台詞も、まんま誘拐犯じゃねぇか。


 

「礼二、夜食? さっき食べたばかりじゃない」


 キッチンでおにぎりを握る俺に、母が後ろから声をかけてきた。


「――うぉっ!? びっくりしたぁ……。いや、ちょっと小腹空いちゃってさ」

「言ってくれたら母さん持ってくのに……。小腹の割には結構あるのね。中途半端に残すくらいなら、全部食べちゃって良いからね」


 じゃあお休み、頑張ってねと言って母は寝室へと向かっていった。


 大きめのおにぎりを4つ、それと温かいお茶をお盆に載せて、俺は自室に戻った。


 部屋では相変わらず真っ白い少女がベッドの上にどっかと鎮座している。お前はこの部屋の主かよ。


 ずっとドアを見ていたらしく、俺が入ってきた瞬間に目が合って、どきりとした。


 しかし、少女はすぐに視線を俺の目からお盆へと移した。


「遅かったな。それは何だ」

「おにぎりだよ。それとお茶。雪む……ちゃんは外国の人っぽいけど、日本語がだいぶ上手だからイケるかと思ったんだけど」

「良い加減覚えろ。私は雪虫だと何度も言っているだろう」

「出来れば俺の思いを汲み取って欲しいんだけどな――……。あのさぁ、もっと、こうさ、仲良くなるためにってことでさ、『ユキ』とかって呼びたいなぁ~、俺ぇ~。どう、かな――……なんて……」

「仲良くなるためか。良いだろう。では、私はユキだ。それで? そしたらお前のことは何と呼べば良いのだ」


 よっしゃあ! 乗ってくれた!


「うーん、クラスの女子からは夏木って呼ばれてたなぁ」

「――夏だと! 馬鹿者! 夏は駄目だ!」

「えっと、じゃあ、レイジ、とか?」

「承知した、レイジ。では、その食物を寄越せ」


 だいぶ態度が軟化した気がする。あだ名作戦はひとまず成功かな。何よりも『虫』という言葉を消せたことが何よりの収穫である。


 ベッドの上にお盆を載せる。

 ユキはほかほかと湯気を立てているお茶とおにぎりを不思議そうに見つめている。やがて、右手をゆっくりと伸ばし、そぅっと湯呑の湯気にかざした。


「――あああ熱ぅっ! 熱いぞ! 何だこれは!」


 湯気しか触っていなかったように見えたのだが、ユキは左手で右手をさすっている。


「大丈夫か? お茶か? 熱すぎたかなぁ」


 慌てて湯呑に触れてみる。たしかに少々熱いが、そんな叫ぶほどではないと思うんだけど……。


「気を付けろ! 私は熱に弱いのだぞ!」


 どうやらユキはよほど暑さに弱いらしい。北欧辺りの出身、とか? そう思ってみれば、確かどこかの国は普通に妖精とかの存在を信じているんだとか。そういうところから来たのだとすれば、多少の人間離れ感は納得かもしれない。


「じゃあそのおにぎりは? だいぶ冷めてると思うんだけど」


 そう言うと、ユキは恐る恐るおにぎりに手を近付ける。そもそも炊き立てを握ったわけでもないのだから、とっくの昔に冷めているはずだ。しかし、部屋が冷えているせいか、まだかすかに湯気が立っている。先の経験から『湯気=熱い』を学んでしまったユキはなかなか勇気が出ないようだった。


 そうだ、そういえばこの状況ですっかり忘れていたけれども、エアコンをつけていなかった。でも、この子だいぶ暑さに弱いみたいだしな……どうしようか。


 ユキはまだおにぎりに触れるのをためらっている。さっきのがよほどショックだったのだろう。


「なぁ、この部屋、寒くない? 俺ちょっと寒いんだけど、エアコンつけていいかな?」


 集中していたためか、俺の声に驚いたらしい。触れるか触れないかのギリギリで止まっていた手がおにぎりに触れた。


「ふぁあぁっ! ぅあっつ……くない! これなら食べられる!」


 残念なことにエアコンについての回答は得られなかった。


 とりあえず、両手でおにぎりをつかんで一心不乱に食べているユキを横目に、ベッドの上のコートを取り、羽織る。

 お茶もおそらく熱いのだろう、そう思って、早く冷めるように窓際に移動させた。


 気付くとおにぎりは最後の1つである。足りるだろうか。っていうか、結構な大きさあったぞ? それを3つぺろりと食ってんだぞ? フツーだったらもうご馳走様だろ! そもそもお前、ちょっとは遠慮しろよ!


 結局、ユキはおにぎり4つで満足出来たようだった。温いを通り越してやや冷たくなったお茶をごくごくとおいしそうに飲んでいる。


「――それでさ」


 探るように切り出す。


「ユキの今後の予定を聞きたいんだけど……。その……いつ、帰るとか……」

「帰る? 私はしばらくここにいさせてもらうが」


 腹が膨れて満足したのだろう。口調は変わらないが、声と表情が明るい。


「はぁ? しばらくって、どれくらいだよ」

「わからん」

「わからんってどういうことだよ!」

「私には大事な使命があるからな。その時がいつになるのかはわからん。使命を果たせば私は死ぬから心配するな」


 さらりと吐き出された『死』という言葉に、俺は驚いた。当の本人はというと実に晴れやかな表情である。「さぁて次はデザートでももらおうか」などと言い出しそうな、そんなテンションだった。


「死ぬって……何言ってんだよ」

「それが女王の定めなのでな」


 ユキは曇りのない笑顔でそう言った。当たり前のことを当たり前に口にしているだけ。本当にもう、そんな感じで。

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