陽の橙は遠く揺らめいて

「あ、おはようッ、柊くん」

「はぁ……おはよう」

 

 登校時間ギリギリ。


 滲む汗をぬぐうのもそこそこに僕は、クラスメイトの待つ2-B教室に入ると、自分の席について、鞄を机の脇に引っ掛けた。


 と、前の席のクラスメイト、田上廉治がこちらに振り返ってきて、その日焼けした顔をニヤニヤと歪ませる。


「なぁ柊。アレ誰だよ」

「アレ?」


 汗をタオルでぬぐいながら、僕が怪訝そうに眉をひそめていると、ニタニタと田上は僕の顔を覗き込む。


「校門、今日一緒に登校してきた女の子いたろ、白い髪の。あれ外人だろ誰だよ」

「……さぁ。本人が言うには転入生って言ってたけど」

「まじかッ。じゃああの子ここに通うの?」

「真実かどうかは、知らないけどね」


 潮風に乱れた髪を少しだけ整えつつ、僕は暑苦しい顔にうんざりしつつ答え、田上は更に興奮気味に尋ねた。


「じゃあさ、じゃあさあの子の名前とか聞いたの」

「後でいやでも聞こえてくるだろ。なんならその時に本人に話しかければいい。幸い日本語はとても堪能だよ」

「どういう意味?」

「外国人なんて、珍しがってみんな騒ぐにきまってるさ。後でその輪にでも入ればわかることだ」


 彼女――――アイリとは、校舎の入り口で別れた。

 

 校長に挨拶しないといけないとかなんとかで、そそくさと僕の自転車から降りて校舎へと入っていった。

 

 本当に足代わりにされたようだった。

 

 だけどその程度の扱いで十分だ。隣の家に住み始めたからと言って、変な気を使わなくていいのは楽だと思う。

 

 しかし、これからどれくらい彼女はあの場所に滞在するのだろうか。

 

 憂鬱さに、ため息がこぼれる。

 

 母さん、前もって言ってくれたらよかったのに。


「何ため息ついてんだよ」

「――――なんでもないよ」

「相変わらずの陰キャだよなお前も」

「だったら僕に絡むなよ。その陰キャがうつるよ」

「はいはい。後で宿題回収するって委員長言ってたぞ。デバイスちゃんと起動しててログインしておけよ」

「ん」


 田上に言われて、僕は鞄の中をまさぐる。

 

 取り出すのは、小さな棒状の機械端末。

 

 首掛けの紐がついたソレを机の隅の挿入口に差し込むと、机の表面がスライドしてわずかに光を放った。

 

 青白い光は、机一杯に広がり、仮想入力デバイスを展開し、目の前には出力モニターが浮かび上がる。


『網膜認証を開始します。机にあるカメラを五秒間見つめてください』


 小さな声でアナウンスが聞こえてきて、スライドした机の中から定点カメラが顔を出して、その単眼がこちらを覗き込む。


 五秒。


 カメラと向き合い、僕は顔を上げると、机の表面に広がる青白い光の膜に指を這わせ、文字を入力した。


 生徒毎のID、パスワード―――――モニターに文字が浮かび上がった次の瞬間には、僕の顔写真と今日の登校時間と授業の日程が浮かび上がった。

 

 と言っても、今日は始業式なので午前中で終わりなのだが。


『おはようございます、柊くん。本日は4件のメッセージが届いています』


 メッセージを古いメッセージから処理していくことにしよう。


 開いてみると、そこには担任教諭である濤崎先生のメッセージがクラスメイト全体宛に出されていた。


 時間は、今日の7時5分。


 ここのネットワークは基本外部通信できない体系なので、ここに来てメッセージを造ったのだろう。


 他と比べて若い先生なので、元気があるのだなと思いつつ、僕はメッセージを目で追いかける。


『おはようございます、皆さん。夏休みはいかがでしたでしょうか。部活を頑張った方、勉強に勤しんだ方、目一杯遊んだ方、いろいろだと思います。夏休みの思い出もたくさんできたと思いますが、それを契機に将来のこともそろそろ考える時期かと思います。高校2年生の夏も終わり、いよいよ受験、就職といった転機がやってくるでしょう。それらに向けてきちんと準備をして、悔いのない未来に向かっていってもらえたらなと、私の経験から申し上げたいと思います』


 夏休み、か。


 僕はというと、ずっと雨貝先生の下に通っていた。


 機材の調整もあったけど、自分で学びたい部分もいくつかあった。医者として部分、技術士としての部分、大いに勉強できる部分はあった。


 自分を救ってくれた人と同じようになりたい。憧れを以て将来を見据えるのは、人として自然なことだと思う。


 だから、いつか、雨貝先生のように、医者として、技工士として社会に出たい、そう思ってはいる。


 なのに――――なんだろう。どこか空虚で、実感がわかない。


 僕は本当に将来を見据えているのだろうか。


 僕はあの場所に行くことで―――――

 

「お、おいッ。柊ッ」

「……うん?」

「宿題。早く提出ボックスにアップロードしろッ、今めちゃくちゃ委員長お前睨んでるぞッ」


 そう言われて、半透明のディスプレイの向こうを覗き込むと、そこには教卓に立ってこちらを見つめる女生徒がいた。


 長い黒髪に、きりっとした容姿。綺麗に着こなした制服に、極めつけのメガネとくれば、見た目は立派な優等生。


 当然中身も優秀で、教卓に立つ彼女、東雲梓は、窓際に座る僕ら見つめて声を荒げた。


「柊くん。提出期限になっても、君の分だけ宿題が提出されていないんだけど、どうしたのかしら」

「……。ごめん、今出すね」

「早くして。私みんなのデータが提出されたら暗号化キーを復号して復元後のデータ全部見直して、先生に提出できるように整えないといけないの。もっと提出に時間が掛かるんだから」

「大変だね――――今提出したよ」

「ウィルスチェックだってしないといけないのに。わかってる?」

「うん。ごめんね。先生にはよろしく伝えて」

「……ふんっ」

 

 彼女は顔をそむけると、教卓の上のデバイスを操作し始める。


 そんな彼女を横目に、メッセージの残りを読もうとすると、田上は半透明のモニター越しに、ほっとした表情で振り返ってきた。


「どうしたの?」

「お前ら、相変わらずひやひやする会話するよな」

「彼女から嫌われているのは理解しているよ。それに併せて他の女子からもあまり高評価じゃないところもね」

「まぁ、女は群れる習性があるからな」

「その女の子の群れで一人か二人、田上はアタックしないといけないんだから大変だね」

「お、お前も大概だろ」

「どうだろう」

 

 焦る彼を横目に、僕は頬杖を突きつつ、メッセージの残りを読む。

 

 一つは、東雲委員長からのメッセージ。早く宿題を所定のフォルダに格納しろとの命令だ。


 これはもう済んだので、近日中に削除しておこう。


 もう一つは先生からの追加のメッセージ。


『今日の始業式は9時半から体育館で行われますので、五分前に着席をお願いします。あ、あと終わったらすごいサプライズがありますので楽しみに待っていてくださいね。

 では今日も一日頑張りましょう』

 

 ―――――ああ。なんとなく嫌な予感。


 メッセージを読み解いた瞬間、朝であった銀髪の少女のことが脳裏をよぎってしまい、僕は右目を閉じた。


 始業式まで時間もないし、残りのメッセージも読んでしまおう。


『午後一時。正門前で待つ』


 残ったメッセージはその一文だけ。


 送り主の名前は『一年Aクラス、雨貝奈々』


 ―――――雨貝先生の娘で、僕の後輩。


 いつも通りの内容なら、今日午後一時に正門前に集まって、一緒に先生の自宅兼研究技工所に向かおう、という内容だろう。


 それにしても凝縮しすぎて、普通の人ならなんのことかわからないほどだ。


 照れ屋、というわけでもないし、照れることでもないのだが、あの子はいつも喧嘩を売っているかのような文章を書く。


 音声メッセージでもないので、ともすれば、嫌われているかのような印象を受けかねない。


 まぁ、実際は嫌われているのかもしれないが。


「……ん?」


 ――――新しいメッセージ。


 今届いたものだ。


 送信元は―――――濤崎先生から。しかも送り先は僕のIDのみで、しかも網膜認証によるロックがついている。


 何かあったのだろうか。モニターに指を這わせ、メッセージをアクティブにすると、僕は眉を顰めつつも、机から迫り出したカメラを覗き込んだ。


 カメラが僕の顔を捉え、メッセージが開封されモニターに表示される。


「……」

「ん? どした柊?」

「―――――お腹痛くなってきた」

「おいおい。始業式なんてそんな大層なもんじゃないだろ。適当に待ってようぜ」

「いや、朝ごはんの食べすぎ」

「あっそ……」

「――――委員長」


 僕は呆れる田上を横目に立ち上がって、教卓でせわしなくする東雲を見据えて手を挙げた。


 東雲は、やはりというか、ムスッとした表情でこちらを睨むと、低い声でうめいた。


「何かしら……」

「トイレ行きたいんだけど」

「……なるべく早く。始業式の時間まで教室待機なんだから」

「遅くなったら直接行くよ」

「そんなに気分悪いなら保健室一緒に行く?」

「ありがとう。優しいね」

「だ、誰が貴方みたいな根暗なんかにッ」

「手厳しい」


 東雲は、やはりというか若干とぼけたところがあるようで、教室に響く笑い声をよそに、顔を真っ赤にして叫ぶ。


 僕はそんな彼女を横目に、教室を後にした。


 そうして、教室を出てすぐそばのトイレを通り過ぎて、職員室の扉を開いて、中を見渡す。


 職員室内は、入学式の準備の朝礼をしているようで、教師が一か所に集まっているのが見えた。


 と、入口のドアが開いた音に、一人の女性教諭がこちらに振り返り、小走り近づいてくるのが見える。


「ごめんね柊君ッ。始業式前なのに」

 

 小柄な女性。丸顔と背の低さで、高校生か大学生かのような雰囲気がにじむこの女性が、僕の担任である濤崎千景先生。


「いえ。それで、メッセージにあった所用とは?」

「それがね、柊君。今日グリーンウォーターさんと一緒に登校したわよね」

「……。彼女が何か?」

「いえ。校長との話の中であなたのことが話題に出たみたいで、是非あなたと一緒に校内の案内を受けたいとのことで」

「―――――色々、言いたいこともあるんですけども」

「察するわ。でも校長先生も始業式には出ないといけないし、学校のことも詳しいあなたに案内してもらえれば、よりいいなと思うのよ」

「……委員長、先生に頼りにされなかったと、また拗ねますよ」

「あはは。耳が痛いわね」

「―――――先生も校長先生も忙しいのは存じているつもりです。僕でよければ、ですけども」

「ごめんね。こっちよ」

 

 予感が現実になろうとしているのを感じる。


 不安に零れるため息を噛み殺し、僕は先を歩く濤崎先生の後ろを追い、職員室の扉を閉めて、廊下に足を踏み入れた


「先生。一つ聞きます」

「柊君。察しがいいわよね。頭もいいし、現に成績はとても優秀。私ならどこの国立大学だって合格すると思うの」

「……」

「だから、その想像で正解だよ」

「……席は?」

「アレ? 柊君の隣の席開けてなかったっけ」


 確認したくなかったし、見向きもするつもりはなかった。


 だけど、目視しようと、目を背けようと、現実はやはり容赦なくやってくるものなのだろう。


 ため息は零れるけど、受け入れるほかの手段は思い浮かばず、僕は右目を手で押さえた。


「失礼します。校長先生」

「入ってください」


 といつの間にか、校長室についていたようで、がらりとドアを開く濤崎先生の後ろをついて入り口を跨いだ。


 入り口付近の応接間にいたのは、季節の節目にだけ見る校長先生。穏やかで丸みを帯びた顔に禿頭。額のほくろ、細長い目と蓄えた口髭のおかげでふくよかでなければ、どこか徳の高い僧侶にすら思える風貌だ。


「失礼します。校長先生」

「よく来てくれましたね、柊君」

「はい。先生の頼みであれば」

「宗太ッ」


 僕の話を遮る、甲高い声。


 と、応接机を挟んで校長先生の向かいに座っていた少女がスクッと立ち上がるなり、駆け足で近づいてくる。


 じっと僕を見つめる青い瞳は変わらず、長い銀髪をなびかせ、アイリは後ずさる僕に抱き着いた。


「やったぁッ。また宗太に会えたッ」

「暑い……校長先生もいるから静かに。後離れて」

「うんッ」


 最後の話は聞いていなかったのか、僕の腕にしがみつくと、アイリは僕の後ろに身を隠した。


 校長先生は、依然変わらず、まるで仏のような笑みを浮かべて茶を啜る。


「ははは。元気でいいね。それにやはりとても仲が良い」

「やはり?」


 ぼくが首をかしげるのを、意に介さず、校長先生は話を始める。

 

「ああ。君も知っていたんだろう。聞くところによると、君たちは昔からの友達だそうじゃないか」

「……。そうですね」

「細かい経歴は、後でまた思い出すといいさ」

「はい」

「アイリ君も、久しぶりの日本だ。まずは彼にしっかりこの学校を案内してもらいなさい」


 アイリに視線を向ける校長先生に、彼女は満面の笑顔を浮かべた。


 そうして強く、僕の右腕にしがみつくと、彼女は嬉しそう返事をする。

 

「はいっ。校長先生。五年ぶりの日本だもの。高校生活を精一杯宗太と頑張りますッ」


 ―――――五年?


「ははは。そうだね、ほかの生徒とも仲良く頑張ってくれたまえ」

「はいッ」

「じゃあ、私はこれで。始業式が始まるからね。その間、学校の周りを見て回るといい」

「―――――校長先生」

「どうしたんだい柊君」

「……いえ。なんでも、ないです」

 

 僕はきょとんとする校長先生から目を背けると、軽く一礼し、校長室を後にした。


 当然アイリは僕の腕にしっかりしがみついたまま、僕の後ろをついてくる。


 その彼女の瞳はじっと僕を見ていた。


 『ぼく』を知っている目だった。


「では失礼します」

 

 後から濤崎先生が校長先生に一礼し、部屋を後にすると、僕らに振り返って苦笑いを見せる。


「ふぅ。じゃあ、適当に校内案内して時間つぶして。そうだね。11時ごろになったらまた二人で教室に戻ってきて。グリーンウォーターさんのこと紹介するから」

「アイリ」

「ん?」

「先生、私のことはアイリで結構です。ファミリーネーム、日本だといいづらいですよね?」

「――――どっかの誰かに似て、とても気の利く性格ね」

「……どうも」


 先生は僕の返事は気にも留めず、踵を返すと、体育館に向かって廊下を歩き始めた。


「じゃあ、案内よろしくね柊君。後あまり粗相のないように」

「なんですか、粗相って」

「よくないことはしないでってこと。じゃあね」


 肩越しに手を振りながら、先生の背中が廊下の向こうへと消えていく。

 

 と、それと同時に、グッと後ろに腕が引っ張られて、僕は引き寄せられるままに踵を返した。


「ね、宗太ッ。あっち行こうッ」


 制服を掴む小さな手。


 少女は先ほどと変わらず満面の笑みを浮かべて、ぼくを別の場所へと連れて行こうとしていた。


「ど、どこに。というより校舎の案内がまだ」

「ダイジョブッ。構造は全部ダウンロードしておいたからさ」

「にしたってどこにッ」

「屋上、潮風が気持ちいいよッ」

「で、でも」

「アイリ」

「?」

「前みたいにアイリって呼んでよ宗太」


 頬を膨らませ、少女は眉を顰めて、引っ張るぼくの顔を恨めし気に覗き込む。


「……アイリ。君は僕を知っているの?」

「うん」

「僕は」

「忘れてるんだね、やっぱり」

「……」

「いいの」


 そう言って、彼女、アイリは僕から離れると校舎の階段を軽やかな足取りで上っていく。

 

「私は、憶えている。ずっと忘れない」

「僕は……忘れた」

「ひどいことばかりだったからね。でも、楽しいこともいっぱいだった」


 階段の踊り場に足をかけると、アイリはスカートを翻して、僕を見下ろし、照れくさそうに笑う。


「だからね、私ね、宗太のことが大好きッ」

「……。それはきっと、君の知っている僕だ。今の僕じゃ、ないと思う」

「ふふっ、ホントかな?」

「ホントだよ」

「昔の宗太も、少しエッチだったよ」

「――――見てない」

 

 階段の下から見えそうで、僕は顔を顔を背けようとした。


 

 ―――――視界をよぎる影。


 

 ハッと顔を上げると、アイリは勢いをつけ大きくジャンプし、階段を飛び降りていていた。

 

 ふわりと舞い上がったスカートを押さえながら、銀の髪をなびかせながら、彼女は手を伸ばす。


「なッ」


 僕は階段に足をかけ、落下するアイリに右腕を伸ばす。


 ミーミル起動。


 高速演算処理。

 彼女の身長体重、走り出しの速度、空気抵抗、重力計算からの起動算出、落下予測地点の割り出し完了。


 予測地点が『眼』の中に表示され、僕は落ちてくる彼女に手を伸ばす。


 僕は彼女を見上げる―――――


「宗太っ」



 ―――――アイリは、駆け寄る僕に両手を伸ばして笑っていた。

 

 僕は彼女に手を伸ばす。

 



「……はぁ」


 ギュッと両腕に抱き留めた時に感じる、柔らかく、軽い感触。


 抱き着くようにしがみつくアイリを抱きかかえながら、僕は壁に背中をくっつけると、その場に崩れ落ちた。


 そんなぼくを覗き込みながら、アイリは楽しそうに口元を釣り上げる。


「また助けてくれた」

「む、無茶しないでくれ……」

「えへへ、ありがとう宗太」

「……アイリ」

「ん?」

「君は……何者なんだい?」

 

 彼女はその青い瞳を僅かに細めて、僕の『眼』を覗き込んだ。


 そして、耳元で囁く。


「その『眼』で、私は視える?」

「……」

「なら、まだ教えない」

「なんなんだよ……」

「行こうッ、宗太」


 けだるさと崩れ落ちる僕をよそにアイリは立ち上がると、また僕を引っ張り屋上への階段を上るのだった。


「宗太」

「何さ……?」

「何色だった」

「……薄ピンク」

「うんッ。宗太の好きな色だったよね」

「――――」


 まさかこんなことになるとは。


 二学期早々から憂鬱な気持ちに頭が痛くなりそうだった。


 



 

 

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