大地の緑に掌を添えて

「……ありがとう、宗太くん」


 目を覚ました時、聞こえてきたのは、感謝の声だった。


 視界は、眩く、僕の『眼』の中に吸い込まれていき、視覚を通じて僕の脳に、五感に染み渡った。


 世界が広がったのを感じる。


 目の前にある天井は白く、低いものだが、それでもこの世界は確かに、色づいているように見えた。


「……先生」

「私の顔が見えるかい?」

「―――――男前、ですね」

「ははは。ありがとう。少し反応に困る回答だよ」

「成功、したんですね」

「義眼と中枢神経への接続は完了している。君の遺伝子データから適切な神経細胞を生成し着床させた。体が拒絶反応を起こしていなければ、それは紛れもなく君の『眼』だよ」

「よく、見えます」

 

 そう囁く先生の顔は、確かに見えた。

 

 いいや、それだけじゃない。


 経歴、現役職、身長、体重、心拍音、家族図――――彼自身を構成するありとあらゆるパーソナルデータが、僕の『眼』に映し出され、また検索可能な状態にあった。

 

「試験的な手術に付き合ってくれて本当にありがとう……本当は非常に非人道的であることはわかっているつもりだ。

 ――――だが、科学の進歩のため、私は君を利用することにした」

「はい」

「それがどれだけ、利己的で愚かな行為であるかも、理解している。そのうえで、君にどれだけの非難を浴びることもいとわないし、君が社会にこのことを言い触らすことも私は決して止めない。

 私は、自分で罪になることをわかっていても、止まることのできない狂信者なのだ」

「はい」

「……君は、表情を変えないのだね」

「資格が、ないですから」


 僕はじっと天井を見つめる。


 『眼』にはその物質構造、経年などが浮かび上がり、その向こうにはどれだけの人がいるかが、熱化学反応で感知できた。


 いろんなものが見えるのだろう。


 プライムネットワーク接続機能搭載型の義眼、『ミーミル・デバイス』と先生が名付けた義眼は確かに、伝説の通りすべてを見通すだけのものだった。


「宗太くん、普段は目を閉じていなさい。ネットワークに接続する分だけ脳への負荷が掛かる。速度処理、記憶処理共にミーミル・デバイスが補助するものの、無理をすれば、君の身体機能が大きく低下することだろう」

「……はい」

「普段の義手も同様だ。耐久性を優先しているものの、ミーミル・デバイスの補助を行わせている以上、どうしても体に負担をかける部分がある。

 使用には十分注意してくれたまえよ」

「はい」

 

 息を深く吐き出し、僕は目を閉じて暗闇の中に意識を落とす。


 聞こえてくるのは、波のささめき。


 木漏れ日を揺らす木々のささめ、風の音色。


 雲が風に乗り、白いかもめが空を流れていく。


 そして――――光に溶けていく。


「……先生」

「なんだい?」

「……僕は、なぜ生きているのでしょうか」

「―――――」

「父は死んで、母は毎日悲しんでいます。こんな姿になった僕のために、苦しんでいます。

 僕は、生きる資格があるのでしょうか」


 先生の声は、確かに震えていた。


「……あるさ。そのために、目と腕を与えたんだ」

「はい」

「実験に対する報酬はきちんと用意している。一生賄うほどの額は出せないが、補助金なども含めれば、君を理系大学まで通わせられるだけの額は十二分に用意している」

「はい」

「君たちが苦労しないように、僕は、医者として、科学者として頑張るつもりだ」

「はい」

「だから……宗太くん、生きてくれ」

「……はい」


 瞼の向こうで、先生が悲し気に微笑んでいる気がした。


 ああ。


 先生は、優しいんだ。だから、僕に目を与えたんだ。


 あらゆる願望を悉く叶えたる泉で、偉大なる魔術師は、無限の知識と、未来を見通す力を引き換えに、片目を失ったという。


 僕は、何を失ったのだろう。


 何を願ったのだろう。


 僕は、あの日―――――何を見たのだろう。


 母さん。


 どうして、僕は生きているんですか?




 



 

 

 

「宗太ッ、そろそろ起きなさいッ!」


「……うん」


 長い夢を見ていた。


 いいや。昔の思い出が折り重なって、まるで映画のように繰り返し頭の中で流れては消えていくようだった。


 懐かしい思い出に胸が締め付けられ、気が付けば、いつもより早く僕はベッドから体を起こしていた。


 母はカーテンから朝日の漏れる薄暗い部屋に入るなり、起き上がった僕を見ては、ギョッと目を丸くしていた。


「なんだ。起きているならそう言いなさいよ」


「……ごめん」


「寝ぼけているのかしら。いいから早く顔を洗って準備しなさい。今日は始業式でしょ」

 

「うん……」


 差し込む朝の陽ざし。


 カーテンが勢いよく開かれ、僕は眩さに顔を手で覆いつつ、ふらつく足でベッドから足を下ろした。


 時計を見れば、今日は2050年8月23日7時25分。


 まだまだ秋が来るには程遠い、八月の下旬。


 まったくその通りで、窓の向こうからは真っ白な光が差し込んだ。


 太陽の光源はまさしく夏らしく殺人的で、目を焼くようで、僕は顔をしかめ、目を手で覆う。


「うう……」


「朝ごはんできているわよ」


「うん……」


 視覚の調整がうまくいかない。本当に寝ぼけているのだろうか。


 僕は右目を左手であてがいながら、差し込む日差しを背に、母の背中を見つつクローゼットに手を伸ばした。


 扉を開くのは、武骨なまでに黒い装甲板を被せた金属の腕。


 二の腕から下、僕の右腕は全てその金属の腕に覆われ、肘の代わりになるモーターユニットが腕を動かす度に、静かながらも駆動音を響かせ、吸気音がうなりを上げた。


 試験型の義手。


 今の僕の右手。


 時々雨貝先生に調整をしてもらわないといけないけど、これがないと、今の僕は生きていくことがとても難しいのだろう。


 制服の袖を通したその義手を見つめながら、僕はその手首をさすった。


「グレイプニル起動。自己診断開始。終了後視覚機能以外の全機能を停止」


 ――――補助デバイスユニット。


 先生が名付けた名前がグレイプニル・ユニット。


 ミーミル・デバイスの演算機能、操作機能を補助するために、先生が僕の義手に取り付けたユニット。


 要はリモコンで、これを物理的に触ることで、僕は右目にある義眼ミーミル・デバイスを操作できる。


 もちろん、脳神経と結合しているミーミルデバイスを、思考だけで動かすことも可能だけど、それだと脳に負担がかかるため、このユニットを制作し、僕に備えた、というのは雨貝先生の弁。


 ――――君は多くを失った。これからを生きる君のため、これはその喪失を少しだけ補うものだ。


 というのも雨貝先生の言葉。


 だけど、僕はいまだに何を失ったのか、実感がない。


 父。


 家族。


 右腕。


 右手。


 ほかに何かを失ったのだろうか。


 大切なものを―――――


「宗太ッ。早く降りてきなさい」


「……今行くよ」


 自己診断終了。


 体温、血圧、血糖値、身長、体重、全て正常値。体内エコースキャン完了。異常部位無し。


 右目の視界の中に、自己診断の結果が映し出され、僕は右目を手で押さえた。


「診断データを保存、今から一分後に雨貝先生の個人サーバー宛送信。送信後自己診断機能を停止」


 目の前の数字の羅列が掻き消えていき、僕は、勉強机の上に置いた薄手の手袋を手に取った。


 長袖と手袋で、隠れる黒い義手。


 隠すつもりもない。事実、学校には申告しているし、クラスメイトも自分のことを理解している人は多くいる。


 だけど、個人的な心情で、僕は今もこれを隠す。


 ―――――何かあったの?


 そう聞かれることが多いし、僕自身、あまり覚えていないからだ。


 思い出すことも、なんとなくいやなわけで――――


「はぁ……」


 ため息がこぼれる。


 二学期が始まるというのに、日差しは今日も強く、天気予報では今日も暑くなると出ている。


 いやな季節だ。


 僕は鞄を手に取りながら、陰鬱な気持ちを引きずりつつ、部屋を後にしてリビングへ足を運んだ。


「宗太ッ、早く食べてしまいなさい。学校遅れるわよ」

「母さんは今日どうするの?」

「もう仕事に行くわ。カギ閉めだけよろしくね」

「わかった。僕は学校が終わったら雨貝先生のところに行くから、少し帰るのが遅くなるよ」

「遅くなるなら連絡ちょうだい。迎えに行くわ」

「はい」

「早く帰ってきたら、冷蔵庫に夕食の用意があるから先に食べてくれていいわ。後お弁当はここにあるからちゃんと」

「母さん」


 アタフタとリビングで右往左往する母、僕は玄関に置いていた母のバッグを手に取った。


「行ってらっしゃい」

「……髪、ちゃんと整えていきなさいよね。あんた、ちゃんとしてればイケメンなんだから」

「過保護もいいところだよ。時間、遅れるよ」

「はいはいッ」

 母はそういって、僕の髪を荒っぽくなでると、照れくさそうに笑って、突き出されたバッグを手に取って玄関へとかけていった。

 

そんな母を背に、僕は一人、朝食をとり、片づけ、皿を棚にしまう。


 時間は20分もかからなかった。


「行くか……」


 一人、僕はつぶやき、玄関を潜り、僕は夏の日差しの下に足を一歩踏み出す。


 そうして、誰もいなくなった家の玄関が閉まるのを見届けると、僕は鍵を閉めて、敷地の隅に置いていた自転車にまたがる。


「ミーミル。時間表示」


 目の前に映し出される現在時刻と、現在気温。


 それに現在のタスク――――『髪を整えて登校する』


「……ミーミル。時間表示停止」


 少し跳ねた髪をつまみつつ、僕は自転車のペダルを体重を乗せて踏みつけて、前のめりになろうとした。


「ねぇ。君」


 聞こえてくる、透き通った声。


 いつからいたのだろう。登校時刻もそうない中、後ろから話しかけられ、僕は自転車を降りると、踵を返した。


 それと同時に、視覚認証機能とネットワーク接続機能を同時起動させ、この『眼』に相手の姿を映す。


「はい」

 

 学校でもそれほど仲のいいクラスメイトはいない。何よりこの辺りに学校の生徒も関係者もいないことは高校に入学して2か月で把握しているし、母は遅くまで仕事をする関係で、幸か不幸か近所付き合いというのも薄い。


 誰かが僕、或いは僕らに話しかける可能性は低い。


 疑いをもって、相手を見ると、そこには全く知らない少女がいた。


「ねぇ、第三北瑛高校ってこの辺りかしら?」


 服装は見知らぬ制服。


 肩まで伸びた、白銀色の髪。両目は蒼く、顔立ちからしてまるで外国人のようだった。


 背丈は僕よりも少し低く、少女は軽くステップを踏みながら近づいてきて、目を丸くする僕を上目遣い覗き込む。


「ね、君は北瑛高校の生徒かな?」

「……うん」


 ―――――プライムネットワークに接続。


 画像および音声データ保存。この少女の制服、および声紋より少女の出自を検索。検索時間五秒。


「? どうしたのかな?」


 ―――――該当、なし?


 いや。一部検索結果に、検索拒否の痕跡がある。


「いや、なんでもない」


 制服についてはどこのものか結果が出ない。


 一般人なら、声紋からたいていのデータは抽出できるはずなのに、この少女には一切のデータが検索から除外されている。


 そう言う人物は、国にとって重要人物で、大統領や国会議員などがそれらに類するものと、前に聞いたことがあるが。


 じゃあ、この女の子は一体。


「ねぇ、送ってよ」

「え……?」

「私も今日からそこに通うの。そろそろ登校時間よね、一緒に行こう」

  

 彼女はそう言って、自転車の後ろに座ると、僕の瞳を何一つためらうことなく覗き込んできた。


「早くいこっ」

「えっと……」

「早くッ、入学初日から遅れちゃうよ」

「わ、わかったよ」


 彼女に急かされるままに、僕はサドルに腰掛けると、ペダルに足をかけ前のめりに踏み込んだ。


 いつもと変わらないペダルの踏み心地。


 彼女の体重がとても軽いことを感じる。


 ギュッと腰にしがみつく小さな両手。


 小さな体が背中に吸い付き、落ちないように彼女がしがみついて密着するのを感じる。


 僕は自転車を走り出させながら、戸惑いが地に後ろを横目に見つめる。


 少女は、銀の髪を朝の陽ざしになびかせながら、遠くに広がる海の景色を見つめていた。


 日差しにきらめく淡い宝石のような瞳。

 

 じっと浜辺を見つめる横顔は幼く、どこか嬉しそうにほほ笑んでいた。


「……海は、楽しい?」


 僕の問いかけに、彼女はきょとんとした顔で、僕を見上げると、ややあって楽しそうに双眸を細めて頷いた。


「うん。海は大好き」

「そっか」

「君は?」

「苦手かな」

「嫌いじゃないの?」

「泳げないからね」

「――――じゃあ、いつか一緒に行ってあげる」

「いいよ。君、すぐに友達作りそうだし」

「遠慮しないの。この町に来て最初の友達なんだから」

「あはは、僕も名前も知らないでしょ」


 腰を掴む彼女の手が強くなる。


 ギュッと体が密着するのを感じる。


「――――知ってるよ」

「え……」

「柊宗太くん、だっけ?」

「……知ってるんだ」

「うん。周りのおばちゃんが言ってた。お隣にすごく格好いい男の子がいるって」

「……隣なんだ」

 

 そう言えば、先週あたりだろうか、空き家に誰かが入ってきたのを聞いたが、まさか親子連れとは思わなかった。


「私」

「ん?」

「私の名前は聞かないの?」

「……なんて名前?」

「―――――愛梨。愛梨・グリーンウォーターだよ」

「外人さん?」

「ううん。ハーフ」

「名字は?」

「秘密」

「なんだいそれは」

「宗太」


 彼女は僕の横顔を見上げる。

 僕はその視線に、振り返る。


「これから、よろしくね」

「―――――うん」

「それより、このままだと遅れるよッ」

「君が乗らなきゃもっと早くついたんだけどね」

「何それ、私そんなに重くないよッ」

「そういう意味じゃないよ」

「いいから早くッ」

「イタタッ、背中叩かないでくれ」


 坂道を駆け下りていく自転車。


 風が心地よく、僕の小さな悲鳴が海の潮騒の中に掻き消えていく。


 それでも彼女の笑う声は、確かに耳にこびりついた。



 まるで昔から聞いていたかのようだった

  



 

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