Mechanizedーアイー

@hand-to-hand

空に浮かぶ雲の白を眺めて

 時がたつのはとても速い。 


 気が付けば、僕は五年生になった。


 通うのは、いつもの学校。


 隣にいるのは、気の置けない友達ばかり。


 いつもバカをやって、やらされて、やりあって――――毎日、なんとなく楽しく、なんとなく、めんどくさく暮らしていた。


 朝、学校に行き、勉強をして、サボって先生に怒られて、体育で目いっぱいボールを蹴って、授業が終わると、友達と一緒に夕焼けを背にして帰る。


 帰れば、母が待っていた。


 すぐに父も帰ってきてくれた。


 一緒にご飯を食べて、一緒にテレビを見て、一緒に笑いあった。


 毎日が――――そんな生活だった。




 そんな生活だと、思っていた。


「――――宗くん……宗君ッ!!」


 そんな生活がいつまでも続くんだと、僕はずっと思っていた。


「あああ……先生……先生ッ、宗が……宗太が!」


 


 気が付けば、ベッドの上だった。


 見える景色が薄暗く、夜だと思った。


 ―――――違った、目が、あまり見えなかったんだ。 


「宗太君、憶えているかい。私は君の主治医で、雨貝卯月というものだ。大変だったね、本当に」


「宗太……宗太ぁ……」


「――――覚えて、いるかな?」


 気が付けば、僕の右目は、見えなくなっていた。


 気が付けば、僕の右腕はなくなっていた。

 

「今日は、2045年の7月でね……君は」




 ――――――気が付けば僕は、五年生になっていた。





 何があったのか、今でもよく覚えていない。


 たくさんの人がお見舞いに来て、たくさんの人が、僕に謝りに来る。


 その誰の顔も、僕はあまり覚えていない、そして、よく見えなかった。


 なのに、父は会いに来ることはなかった。


 退院して、家に戻って―――――遺影が部屋の隅に飾られているのを見るまで、僕は父が、今もそばにいるものだと勘違いしていた。


「ごめんね……ごめんね宗くん……私が、私ががんばるから」


 崩れて泣きじゃくる母を見て、母を思い出して、僕は今でも罪悪感に駆られることがある。


 こんなに母を苦しませるのなら、こんなに泣かせるのなら、いっそ死んでしまっていた方がよかったのではないか。


 こんな人生、最初から、なかった方がよかったのではないか。


 生まれたことを、生きていることを、本当に後悔した。


 この家から――――この場所から、すぐに出ていきたいと、僕は胸を掻きむしろうと、腕を上げようとした。


 そして、その権利すら、僕にはないのだと、すぐにわかった。


 何も、なくなった。


 いいや。


 最初から何もなかったんだ。


「宗くん……宗くん……!」

「母さん」

「……何、どうしたの。どこか痛いところでもある、苦しいところでもある?」

「――――引っ越し」

「え……?」

「引っ越ししたいな。新しい学校に行きたい」


 僕は母を悲しませないために、努めて笑ってそう伝えた。


 だけど、左頬を伝う涙があふれて止まらなかった。


 あふれた涙で、目の前の景色がさらに見えなくなった。




 次の日。引っ越し業者がやってきて、荷物をすべてまとめてトラックに詰め込んでいき、昼には古い家には何もなくなってしまった。

 

 日焼けした壁紙。


 何かで傷をつけたドアの表面。


 何度も踏みつけていて、少し木の板がたわんでいて、少し歩きづらい床。


 この景色に残った、古い思い出。


「……さよなら」


 僕はすべてを捨てて、部屋を後にした。


「宗太ッ。雨貝先生からメールが届いているわ」

「うん……」

「どうやら重要なメールみたいだから宗太に開けてほしいって。読める?」

「がんばるよ。認識コード送信開始」


 僕の声で、デバイスの声紋認識受理され、ロックが一つ解除される。


「――――『空に浮かぶ雲の白を眺めて』」


 文字認識受理。


「送信完了」


 メールのロックが解除され、僕は受信された先生のメールの文章を覗き込もうと、片目を細めようとした。 


「……うん」


 車のサイドミラーにふと映る女の子の人影。


 それはすぐに遠のいていき、ぼやけた僕の目には、霞の中に消えていくようだった。


 ただぼやけた視界の中で、わかったのは、


「……綺麗」


 まるで雪のように白い後ろ髪だけだった。


 やがて、その景色すら、動き出す車のバックミラーの向こうへと遠のいていく。


「……」

「宗太。何が書いてあったの?」

「……今読む」


 そう言いながら僕は、メッセージの内容を覗き込む。


 そこには、いろいろ書かれていた。


 プライマルネットワーク接続型義眼の試験に関する被験者の募集。


 デバイス連動型新型義手の開発に関する論文。


 様々書かれていて、それらに関して興味はないかという文章が、雨貝先生から送られてきていて、僕はそれらを読みながらも、不意に窓の向こうを見上げた。


 窓辺には海岸線の景色が流れ、海風が頬を掠めた。



 ―――――必ず、会いに行くから。



 不意に、空に浮かぶ雲の白が僕の瞳に映り、声が頭の中で響いた。


 僕は、何もわからずに空を見つめていた。


「……母さん」

「どうしたの?」

「後で、また雨貝先生に会いに行こう」

「そうね。検査も何回かしないといけないしね」

「うん」


 その雲の白は、とてもきれいで、まるで雪のようだった。


「母さん」

「何?」

「新しい街って、どんな感じかな」

「……きっと、宗太にとっていい街になるわ」

「……うん」


 不意に涙が頬を伝った。



 もう―――――五年も前の話だった。


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