夢の機械

姶良守兎

夢の機械

 タカシは、一言で言うと冴えない男だった。ある製造メーカーで技術者の仕事をしており、独身で、一人暮らしだった。

 これといって趣味も無く、酒も飲まずギャンブルもしなかった。唯一の楽しみといえば、せいぜい、寝ることぐらいだった。実際、寝ていれば楽だし、楽しいことを想像しながら眠ると、必ずというわけでもないが、大抵の場合、楽しい夢を見ることができた。少なくとも、夢の中で、嫌な上司にいじめられたり、悪魔に追いかけられたりしたことは、なかった気がする。


 ある寒い朝、目覚まし時計が控えめに「ピピピピ…………」と鳴った。タカシが夢うつつで目覚ましのボタンを押すと、アラーム音が止まり、彼は再び甘美な眠りの世界へ呼び戻された。

 五分後、今度はもう少し大きな音。

「うう、寒い。もう少し寝ていよう…………」

 彼は再びアラーム音を止め、またもや夢の世界へ。

 更に五分後、更に大きな音。こんなことが数回繰り返され、いよいよタイムリミットが来ると、彼は大慌てで飛び起きて支度をし、食事もとらずに急いで家を飛び出した。そして今日も、始業時刻ギリギリ駆け込みセーフだった。


 タカシは毎朝、だいたいこんな調子なので、午前中はエンジンが掛からず、ようやく調子が出た頃には、もう昼休み、そして昼食後には眠くて仕事にならず、再びエンジンが掛かり出すのは夕方。ここ数年、そんな毎日が続いていた。これでは、思うように仕事が進まないので、出世する訳も無く、また、そんな冴えない男が、女性にモテるはずもなかった。


 タカシは、そんなある日、夢の中で、ふと、素晴しいアイディアを思いついた。彼にしては、奇跡的に素晴らしい思いつきだった。彼はそのアイディアを元に、夢を自由自在に見れる機械を作ってみることにしたのだ。寝るのは大好きだし、それに、彼は冴えないながらも一応、技術者だった。

 仕組みは簡単に言うとこうだ。まずはビデオデッキでもパソコンでもいいので、好きな映像を流して、それを見ながら眠りにつく。すると、映像を見ているときの脳波を、機械がアンテナで拾い、機械がそれを覚えていて、アンテナから再び発信し、映像を見ていたときの脳の状態を再現してくれる。そして一定時間でタイマーが動作し、自動的にテレビ画面が消える。よし、これなら、なんとか作れそうだ。

 そこで、帰宅後や休日の空いた時間を利用し、数ヶ月の間、夢や脳波について、独自に研究を始めた。ここ数年来なかったぐらい熱心に。やがて全体の構想が固まると、設計を始め、そこから更にまた数ヶ月感、実験と試行錯誤を繰り返し、季節もいよいよ初夏になった、ある日の晩のこと、実物が完成したので、早速、試してみた。


 *  *  *


 タカシが眩しさを感じて目を覚ますと、船の甲板に幾つも並べられたリクライニングチェアーの一つに、仰向けに寝そべり、心地よい海風を全身に浴びていた。真っ青な空は快晴で、日差しは強烈だが、この場所はちょうど日陰になっている。気温は高いが、暑過ぎず、また、風通しが良く最高の気分だった。どうやら彼は、豪華クルーズ船に乗っているらしかった。

 ふと左隣を見ると、よく日焼けした肌を、大胆に露出した、ビキニ姿の美女が、トロピカルカクテルをストローでちびちび飲んでいた。カクテルグラスの縁には、大振りにカットされたパイナップルが突き刺さっていた。タカシはその女性に見覚えはなかったが、ここへ一緒に来ているのは疑いようもなかった。何よりとても美しかった。また、右隣を見やると、デッキの上に設けられたプールがあり、南国の眩しい太陽を反射してキラキラと水面が輝いていた。プールでは、西洋人と思しき金髪の子供達がキャッキャと歓声を上げていた。


「あ、タカシ、やっと起きたぁー」

 その美女は、目を覚ましたタカシに気付き、こちらへ向き直った。明るいブラウンのロングヘアーが風を受けてサラサラと揺れた。

「なんだか海風が気持ち良くて、居眠りしてたみたいだ」

 タカシは、その美女の名前を知らなかったが、それを悟られぬよう、自然な感じを装っていた。

「ねえねえ、今夜のパーティー、どうするの? 楽しそうだから出てみようよ」

 その美女は、白いフレームの大きなサングラスを外して額にちょこんと乗せ、彼に微笑みかけた。その姿は、まるで女優かファッションモデルのようだった。

「パーティーとか、オレ、全然出たことないから、どうしていいか分からないよ」

 彼は不安そうに言う。

「じゃ、アタシが上手く喋ってあげるから、適当に相づち打って、ニコニコしといて。当たり障りのない世間話とかそういうのは、アタシ得意だから」

「いやーそれは助かるよ」

「ううん、いいのいいの。それよりも、タカシと一緒に、こんな凄い船に乗って世界一周が出来るなんて、とても嬉しい…………」

 そう言うと彼女はカクテルグラスをサイドテーブルに置くと、タカシの目を見つめて微笑んだ。太陽に負けないぐらいキラキラした笑顔だった。そして目をつむり、そっと唇を寄せて来た。


 *  *  *


「…………なんだ、夢か」

 タカシは自宅の布団の上で目を覚ました。初夏のすがすがしい、ニッポンの朝だった。

「くっそー、いい所で目が覚めちゃったなあ…………しかし、あの子可愛かったなあ…………めちゃめちゃオレ好みのタイプだった…………」

 タカシは悔しがったが、気を取り直してこう呟いた。

「でも世界一周旅行の夢を、一部だけでも見ることが出来たわけだ。ということは、実験は成功したようだな。まあ、これで良しとするか」

 彼は、夢見が良かったせいか、目覚ましが鳴るよりもずっと前に、ぱっちりと目が覚めていた。しかも、今まで感じたことの無い、さわやかな朝を感じていた。

 改めて時計を見ると、まだ、始業時刻まで、かなりの時間があることが分かった。いつもより一時間以上、余裕がある。

「よし、今日は久々に、ちゃんと朝食をとろう」


 といっても、普段は朝食をとらなかったので、家には、これと言って食材もなかった。そこで早速、仕事の支度をして出かけ、会社の近くの喫茶店でモーニングセットを注文した。食べ終わってから会社へ着くと、始業時刻より小一時間も前だったので、まだ、人もまばらだった。既に出社していた人も、あとから来た人も、皆が驚き、口々に、珍しいねと言った。


 その日は、朝から脳みそがフル回転し、仕事が効率よく進んだ。


 タカシがふと時計を見ると終業時刻になっていた。その日やるべきことは全て片付け終えたので、これまた珍しく、残業もせずに定時で退社。自宅の近くで夕食を済ませて帰宅し、風呂に入ると、なんだか眠くなって来た。普段は、むしろ目が冴えて来る時間なのに。心地よい疲労感と言うのはこういうことなのか。改めて彼は自覚した。その晩、夢の機械に、また違う映像をセットして寝ると、彼は超人となって驚異的な身体能力で壁を駆け登ったり、猛烈な勢いで撃ち出された弾丸をひらりとかわし、マッハのスピードで空を飛び、悪党どもをバッタバッタと倒していった。どうだ参ったか!


 翌朝も、タカシはすっきりと目覚めた。肉体と頭脳にパワーがみなぎり、まさにスーパーマンのように働ける気がした。実際、その日も彼はバッタバッタと仕事を片付けていった。どうだ参ったか! そして夜は疲れてぐっすりと寝た。今度は宇宙旅行の夢を見ながら。当然、翌朝もバッチリ目覚め、元気に仕事。そんな日々が続いた。


 タカシの劇的な変化は、瞬く間に、会社で噂となった。

「なんだあいつは、やれば出来るくせに、今までサボってたのか?」

「何かさー、飲むとハイになる、ヤバいクスリでもやってんじゃねーの?」

「いやいや、きっと凄く優秀な、双子の弟がいて、そいつと入れ替わったんだよ」

「双子って、普通、そう言うところも似ると思うよ」

「ていうか人間そっくりのロボットなんじゃないの?」

「オイオイ、それじゃオレらの立場が無いよ」

 そんな噂話はさておき、タカシの仕事ぶりは目覚ましかった。


 夢の機械が出来てから三年が経った頃、タカシは、会社にその実力を認められ、管理職となった。それまでは、実際に設計をする立場だったが、今度は、部下の図面のチェックをしたり、指導をしたりするようになった。さすがにここまで来ると、心ない悪口を言う人もいなくなった。しかし、趣味もなく、これと言って遊びも知らない彼は、相変わらず女性にモテなかったが。

 とは言え、運命の神はタカシを見捨てなかった。彼は同じ職場に異動して来たユミと仲良くなり、やがて付き合うようになった。ユミは決して目立つほうではなく、どちらかというと地味な存在だったが、似た者同士の二人は、お互い気楽な関係でいられることに、ある種の居心地の良さを感じていた。二人とも、もうそこそこの年齢だったし、付き合いを深めるにつれ、次第に結婚を意識するようになった。


「ねえねえ、タカシ、これ、何の機械なの?」

 ある週末の晩、タカシの家に泊まりに来たユミが、寝室にあった不思議な装置を見つけて、こう尋ねた。

「え? ああ、これか。これは好きな夢を見られる機械だよ。オレが作ったんだ」

 タカシは鼻高々だった。長いこと使っておらず、その存在すら忘れていたのは秘密だ。

「へぇー、どこがどうなってるの?」

 彼女は興味津々だった。

「ここがアンテナになっていて、脳波を拾って・・・」

 彼は得意げに説明する。

「ええっ!? そうなんだ、すごーい! 私にも使わせてよ」

「いいよ、もちろん」

「で、どうやって使うの?」


 タカシはユミに夢の機械の使え方を教えた。ユミは「イケメンと恋をして胸がキュンキュンする恋愛ドラマ」を流し、いそいそと眠りについた。タカシは少しだけイケメン役の俳優に嫉妬した。


 そして翌朝。

「もう、タカシの嘘つき。イケメンどころか、何も見れなかったわ」

 ユミは残念そうだった。

「あれ、壊れたのかな? 最近あまり使ってなかったからな…………よし、確かめてみよう」

 タカシは、夢の機械の中を開けてみた。今や、他人の仕事ぶりを評価する立場となったので、改めて自分の作品を見て、色々と気付くことがあった。今のオレだったら、ここはこういう設計をするはずだ。それから、この部品は、使い方が間違っている。それぞれの特性に合った使い方をしないと、安定して動いてくれないんだ。それと、ああこれは大変だ、ここは安全上の配慮が足りない。今は良いが、長年使っていると危険なことになるかも知れない。会社でこんなものを売り出したら、リコール騒ぎになるぞ。危ない危ない。


「あっ、これは…………」

 タカシは、その機械を眺めていて、ふと、あるものを発見した。それは、あろうことか致命的なミスだった。思わず冷や汗が出た。

 本来、つながっていなければならない、内部の大事な配線が、一本、つながっていなかったのだ。使っているうちに切れたのではなく、初めからつなぎ忘れていたとしか、考えられない。そう、その機械はどう転んでも、最初から、まともに動くはずがない代物だった。なんてこった。


「ねえ、どうしたの? 何か分かった?」

 ユミは、しばしの沈黙を破った。唖然とするタカシの顔を不思議そうに覗き込み、そしてにっこり微笑んだ。それを見たタカシは、それまで落胆していたことも忘れ、とても幸せな気持ちに包まれた。なぜなら、その笑顔は太陽に負けないぐらいキラキラしていたからだ。

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夢の機械 姶良守兎 @cozy-plasoto

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