20 心臓

 ベッドの上にしりもちをつくみたいにして、私は修整所へと戻ってきた。

 堅いマットが、私の体を受け止めて軋む。ベッドの足がずれて、床とこすれあって悲鳴を上げる。

 そこに集まっていた、コフルと、トーチと、それから小雪が、一斉に私の方を見た。


 小雪の、ちょっと驚いたような、それでも微妙に気怠い雰囲気を失わない表情が、もう懐かしく思える。


「やっと戻ってきた……ていうか、ずいぶん大変なことになってるじゃない」


 私の胸にぽっかりと空いた大穴を見て、さすがの小雪も目を見張った。

 傍らに立つコフルとトーチもうろたえた様子でこちらに駆け寄ってくる。


「大丈夫、これ? なんか不自由とか変なとことかない?」


 トーチが興味深げに胸の穴を触る。彼女の手が暖かくて、なでられるとやけにこそばゆい。

 コフルは一方、おそるおそる、という感じでトーチの背中越しに私の胸をじっと凝視する。


「どうしたものでしょう……先生?」

「まあ、穴を埋めるだけなら訳もない。でもハナちゃんに何か不都合があるなら、ちゃんと直さないとね」


 白衣を翻して、私の方に歩み寄ってくる小雪。コフルとトーチはすぐに座を彼女に譲って退く。

 黒髪をかきあげ、小雪は、上半身を傾けて私の胸の穴をのぞきこむ。


「……そもそも、これ、どうしたの? 断面はすごく綺麗だし、の流出もない。まるでこの断面で、時間が止まってるみたい」

「雪の女王。彼女が、私の心臓……っていうか、愛情? を欲しがって。保存しようとして」

「感情と心臓ってそんなに関係なくない?」

「同感だけど、それ言ったら、今度は頭をもがれそうじゃない」


 私の答えに、小雪は苦笑を返しただけだった。


「それにしても……こんなにすぱっと抜かれてると、逆に難しいな。このままでいる方が自然、っていうくらいになっちゃうから」

「うーん……」


 小雪は左手を穴の奥へと伸ばし、何かを探るように動かす。胸の中で、私は、その動作をひどく敏感に察知して、妙な気分になる。何もない場所に触れられるのが、幻肢痛のように、痒いような、くすぐったいような。

 その得も言われぬ感覚は、夕闇でしか味わえない気がして。

 この私も、そのままとっておきたいように思えてくる。


 けれど。


「でも、直してもらいたい。小雪に。小雪の手で」


 私が選ぶのは、それだ。

 小雪が手ずから、私の体を修整してくれること。私の体に、彼女の痕跡を残すこと。

 私は、そうして、新しい私になるのを選ぶ。


 小雪も、私の言葉に目を細めて、うなずいてくれた。両手を何度も握ったり開いたり、仕草にやる気が満ちている。


「分かった。任せといて」


 言って、小雪はひょい、と右手を一振り。

 五本の指が、すぽんといっぺんに抜けて、ベッドのそばに置かれた台の上に転がる。四本の指がまっすぐ並んだ横で、親指だけが明後日の方を向いているのが、なんだかおかしい。


 指のはずれた小雪の手のひらから、五色の煙が立ち上る。

 世界を構成する五つの素が、空中でたなびき、入り交じり、球形を成していく。まるで惑星が生じるときのように、ゆるやかに自転する五色の帯。


 小雪は左手を伸ばして、その球をなぞる。回転する帯の渦に指をつっこみ、あるいは手の付け根で帯を押し、形を整えていく。その様は、まるで陶芸家に似ていた。


「女王に会ったんだよね?」


 その指の動きを止めないまま、小雪は問う。


「どう思った? 彼女のチェンバー」

「……分からなかった。あれをどう捉えていいのか。有意義だし、きっと何かの役に立つんだろうとは思うけれど、でも、そのために霊たちをあんな風に犠牲にしていいのかな、って」

「霊なんてたくさんいるのに?」

「でも、ひとつひとつに情が移っちゃうもの」


 愛される、ということは、一対一の関係を作るのと同じことだ。

 愛された方が、好きとか嫌いとか、どう答えるにしても関係ない。

 みんな、誰かを愛することで、集団の中から抜け出して特定のひとりになる。


 そういう相手を、標本の一部のように遇することは、今の私には難しい。


 いつか冷たく割り切って、複製もあるのだから、と思いこんで、ヴェロニィカのやり方に賛同できるのかもしれない。そう言う風に私の気持ちが変わる可能性はある。夕闇で暮らす時間は長いから、そういう日も訪れるかもしれない。

 逆に、女王と決定的に離反して、彼女を結界から永久に出さないように封じ込めるのかもしれないし。


「そういえば小雪、結界の罅、あれどうなったの?」

「どうもなってないよ。そのへんあちこち割れっぱなし。たぶん女王は、私に直してもらいたがってるんだけどねえ」

「やればいいじゃない」

「簡単に言うけど、罅割れを探すのも大変だよ。旧街ふるまちの中とか……やるんなら、ハナちゃんも手伝ってよね」

「うん」


 こくり、と素直にうなずいた。

 小雪の頼みと、女王の頼み。受けるにしても、拒むにしても、この夕闇で私がやることが、少しずつ増えている実感だけは、はっきりしている。


「なんだか、すごく疲れた。ついさっき、街に来たばっかりなのに、いろんなヒトにあったし、いろいろ巻き込まれて」

「いいことだよ。夕闇に馴染んでる、ってこと」

「そうだね……まあ、楽しかったし。この疲れは、割と心地いい」


 私は、ちょっと腰を動かして、座り直す。

 小雪の真剣な顔つきを、じっと見つめて、つぶやく。


「最初に会えたのが、小雪でよかったよ」


「そう?」


 彼女は、最初に会ったときからほとんど変わらない、落ち着いた仕草で、うなずくだけ。

 そんな小雪を、もっと慌てさせたい、なんて思うのは、子供っぽい願望だろうか?


 そう。たとえば、私がニーナにさらわれそうになった瞬間、必死な顔になったあのときのように。


「ありがとね、小雪」


 腰を上げて。

 私は、ぎゅっと、小雪の体を抱きしめた。

 白衣ににじんだ、彼女のにおいが、かすかに鼻を突く。彼女の腰は思いのほか細くて、少し力を入れたら折れてしまいそう。


 そんなすべてが、私を、安心させてくれる。


「どうしたのハナちゃん。やめてよ、手元狂っちゃうから」

「いいよ、それならそれで」


 宙に浮かぶ、これから私の体になる煙は、小雪の手で端正に作り上げられている。それは隙のない、機械で削りだした工業製品のような風情。

 だけど、それじゃあ、つまらない。

 私の中に、小雪の手の痕跡が残るなら、その方がいい。


「……ひっつかないで、ってば」


 くい、と、小雪が腰をひねって、器用に私を振り払った。

 すこし悔しくて、私は、ふくれっ面で小雪をにらむ。小雪は顔ごと視線を逸らして、両手を宙に漂わせる。

 ちょっとだけ勝った気がした。


 ふう、と息をついて、小雪が向き直る。


「……これでいいか。さあ、ハナちゃん、胸見せて」

「なんか恥ずかしいな」


 私は、両手をおろして、ぽっかりと空いた胸を小雪の方に晒す。その奥底をのぞき込まれるのは、今更ながら、なんだか落ち着かない。


 そして、小雪は手を一振り。

 小雪の作り出した、私を修整する私の一部が、ゆらりと漂って、私の胸の中へとたどりつく。

 私の新しい心臓は、音もなく、衝撃もなく、自然に私の中に収まる。


 ただ、すこし、ひんやりとしていた。

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目覚めれば夕闇の街 ~転生した私の(霊に)愛され生活~ 扇智史 @ohgi_

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