日本海軍、最後の戦闘

國永航

第1話 訓練航海

 波浪が激しい。天候は曇天であり、清次郎が一年前までいた南洋の海とは正反対に海の色は藍色であった。波は激しくうねりをもって船の脇腹にぶち当たっている。船べりにしっかりと捕まっていなければ、強風と船の波浪による振動のために海に投げ出されてしまうだろう。ここ日本海で冬の航海は特に危険である。事実、去年の演習航海では一人の訓練生が極寒の海に投げ出されているときく。

 そうなってしまえばお釈迦である。荒れる冬の海での救出作業は困難極まるし、冷たい海にどっぷり浸かってしまえば心臓発作を起こしてしまう。

 いくらこれが訓練とはいえ、戦闘さながらの大変さであった。

 しかし、艦長たるもの自己の保身ばかりを考えてはいられない。

それよりも船員を統率し、艦の戦闘能力を少しでも鍛え、高くしなければならない。そのための訓練航海なのだ。

 艦長。こりゃあきついですな。

 清次郎にそう言ったのは、副長の田中であった。

 田中副長は、ドラム缶――通称ゲロ樽の中に吐瀉物を盛大にまき散らしている。清次郎にとって士官以上のものがそこにへばりつくのは、新品少尉以外はあり得なかったし、そのような光景を見るのは、この船に配属されるまでなかった。

 清次郎は半ば呆れ顔で、

 「副長またやっとるんか」

 清次郎が呆れるのも無理はなかった。副長は船で九年慣らしてる

たたき上げの士官であるのにもかかわらず、新米乗組員の時からずっと船酔いに襲われており、今のような荒れ狂う海の上の船上でなくとも、日頃から、ちょっとした船の振動で催してしまうのである。

 「もう海軍辞めたらどうだ」

 清次郎はにやけながらそう言った。

 「バカ言っちゃあいけません。あっしは海が好きなんでさあ」

 と副長がそういったところで、ひときわ大きな波が船を襲った。

ざばあっと甲板にいたものの体を波が包み込んで、艦長から甲板作業員はみなびしょ濡れ、濡れ鼠となってしまった。

 新米船員はひっと声にならない悲鳴を上げた。あまりの冷たさに心臓が凍ってしまうように思ったのだ。

 「しっかし、こんなシケた船がお国の命運を握ってるとは笑っちまいますわあ。何せ戦時急増型のガタガタの駆逐艦。排水量はたったの千五百トン。主要兵装は十二センチ高角砲がたったの三門なんだから。名前だけは、春菊だなんて洒落た名前をもらっちゃあいるが。どうせお国の命運を握るんなら戦艦大和ぐれえの艦にしてくれってもんでさあ。まあもっとも、大和ならこんな時化でもへっちゃらなんでしょう。私たちもに濡れずに済みましたわい……へっきし!」

 副長は、そう叫んだ。

 「おいおい。それは言わんと約束したろう。これは俺と大西さんとの約束なんだからな」

 清次郎がそういうと、副長はバツが悪そうに、

 「へい、そうでした。こりゃあいけません」

 と頭を掻いて言った。

 清次郎は震える自身の身体を両手で抱きしめながら、遠く大西中将のいる、東京の方向へと目を向けた。全ては清次郎と大西瀧二郎中将が会った、昭和十九年の十月に始まったことである。

 大西さん。あんたの言ったこと、絶対忘れない。

 清次郎は剣呑な表情を浮かべ、心の中でそうつぶやくのだった。

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日本海軍、最後の戦闘 國永航 @tokuniwataru

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