扉の向こう

村正のぼや

異界への入り口

 小学三年生の夏。当時住んでいたマンションの駐車場で、僕は光線銃を片手に友達と撃ち合っていた。とはいっても、銃口から飛び出すのはレーザーではなく赤外線だ。頭に装着したバンドの受光部が赤外線を感知したら、大きな震えが伝って頭部を揺さぶる。

 要するに、ただの模擬銃撃戦を行っていた。

 僕は車の陰に隠れながら、友達の頭を狙って発砲する。目に見えない弾道を描いて、友達の身体に吸い込まれる。頭に着弾しないと意味がない。


「うわっ!」


 友達が思い切って飛び出してきたので、僕は姿勢を低く保ちながら逃げ回り、駐車場からマンションの通りに移動した。敷地内であればどこへ行こうとルールには抵触しない。


「……待ち伏せしよう」


 呟きながら、複数分かれている棟の一つに入った。蒸し暑い外とは異なり、急にひんやりとした空気が肌を撫でる。晴れ渡った青空が嘘のような、薄暗い空間。所狭いエントランスの扉は鉄製で、軽く力を込めた程度じゃ開かない。

 僕は、この扉があまり好きではなかった。特に薄暗い夕方などは、あまり開けたくない。昼下がりの今でも薄気味悪く感じる。


「……っ」


 いつ友達が来てもおかしくない。

 僕は扉の取っ手を両手で掴み、ぐっと手前に引いた。すると、グォオオオォ! という人の呻き声にも似た音が響く。扉自体が悲鳴を上げているようなその異音は、どうやら風の音らしいと母さんが言っていた。けれど僕には、それが野太い男性の声にしか聞こえない。

 僕は足音を立てぬよう注意しながら、ゆっくりと階段を昇っていった。六階へと続く階段で立ち止まり、窓から外の様子を見下ろす。僕が今いるH棟の近くに、友達――Oくんがいた。右手の光線銃に力を込める。Oくんは辺りに視線を走らせながら、自転車の駐輪場に向かった。物陰から頭を覗かせて、誰かが通るのを待っているらしかった。


「まだ来ないのかな……」


 それからもOくんは、中々H棟に入ってこなかった。僕はだんだんと、下腹部に重く溜まっていく違和感を覚えていた。


「……っ」


 仕方なく、僕は自分の住戸がある四階に下りた。ルール違反かどうか微妙なところだったけど、黙っていればバレないだろうと思った。

 鍵は持っていないのでインターホンを押す。ピンポーン、と無機質な音が鳴った。


「…………あれ?」


 返事がない。気付いていないのかと思い、もう一度押す。


「……母さん?」


 買い物にでも行ったのかな。膨らむ尿意と、誰も反応しない苛立ちから二、三回と連続でインターホンを押し込んだ。しかし結局、母さんや妹が出ることはなかった。僕は諦めて指を離し、階段に向かおうとした。瞬間――


「うあっ!?」


 不意の衝撃が訪れた。頭が揺れ、そこに取り付けた小型のサイレンが喚き出す。うーうーと騒がしい。僕は自分が撃たれたのだと悟った。しかし辺りには友達の影が見えない。壁に跳ね返った赤外線が、運悪く集光部に命中したのだろう。実際に、そういうことは何度かあった。

 僕はバンドを取り外して、エントランスに下りた。扉のノブに手を掛け、


「……え?」


 もし、誰かがこの扉を開けたら。いくら足音を忍ばせていようと、例のグォオオオォという音が響くはずだ。なのに、あの不快な音はまだ一度しか耳にしていない。


「……どうして」


 答えが出るわけもなく、銃撃戦が終わった後、僕は友達に「一体、誰が僕のことを撃ったのか」と尋ねてみた。しかし友達は一様に首を振るばかりで、誰も僕のことを撃っていないと言い出した。ますます不思議に思った僕は、家へ帰った後、母さんに昼間の出来事を打ち明けてみた。


「……うん?」


 と母さんは、話の途中で首を傾げた。


「ピンポンなんて、鳴ってないよ」


「え? いや、何回も鳴らしたよ。なんで出なかったのさ」


「そんなの聞こえなかったよ? 誰かの家と間違えたんじゃない?」


「……」


 そんなはずはない。僕もあの時、誰かの家と間違えたという可能性に気付いた。だから何度も四階の表記は確かめていたし、エントランスから出た後も、外壁にある「H棟」の文字を認めていた。僕は確かに、H棟の四階にある自分の家のインターホンを押したのだ。

 僕は翌日、その話を友達にもしてみた。Oくんは母さんと同じく「誰かの家と間違えたんだって」と言った。

 どうにも納得できない僕を見て、Oくんは急に真面目な顔を作った。


「でも、もしお前の話が本当だったら、運が良いな」


「……僕を撃ったのが幽霊だとしても、実際に襲われていないから?」


 僕はあの時、一体誰と遊んでいたのだろう。考えられるのは、それこそ幽霊という存在だけだった。


「それもあるけどさ……そうじゃなくて」


 Oくんは真顔のまま続けた。


「母さんの話だよ。たぶんお前は、どこか違うH棟に迷い込んでいたんだ」


「……え?」


 違うH棟。そんな建物は存在しない。つまり僕は、あの時――


「それで、運が良かったって話だけど。もし、あの時のインターホンに誰かが出ていたら……」


 一体、誰が出るというのだろうか。僕は想像してみた。扉の向こうから近づいてくる、母さん。その顔はインクでもぶち撒けたみたいに、真っ黒く塗り潰されていた。

 最後にOくんは、目を伏せると低い声で締めくくった。

「……そして。あの扉が開いていたら、お前、今頃どうなっていたんだろうな」


 僕はまたぞろ、あの頭がズゥゥンと重くなるような鈍い衝撃を感じていた。Oくんの問いかけには、何も答えられなかった。

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扉の向こう 村正のぼや @noboya

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