第26話 ただ一つの自由




「――で、それを信じろと? 王宮近衛騎士隊長様」


 険悪な表情であからさまな敵対心を浮かべているクードの父親――ハルデン・ゼスターに、レイエルは親しみやすい笑みを浮かべたまま対峙していた。

 一連の出来事とシルキの今後について話した後で、彼は予想通りいい顔をしなかった。


「ええ。国王陛下の名代として、近衛の長として、シルキ君の身の安全は保証します。ちなみに、騎士団魔術師団両団長及び、アスタルト公爵家もこのことは了承済みです」

「……」


 花屋を営むゼスター家の店内で、床に正座させられているクードとシルキが、レイエルの言葉に驚いている。

 レイエルの実家の名に、少し不安になる。

 そんな二人を見て、ハルデンは訝しげにレイエルに視線を向ける。

 しかし、レイエルは既に二人の思いに気づいていた。


「最初から、君を保護するつもりだったと言っただろう? 定期的に各地を調べている者たちの一人が公爵家と縁のある者でね。父は真っ先に君を引き取ると言ってきたから、了承の意と取ったんだ」

「……お前がそう言うならそうなんだろうな。公爵の名まで出したからには信じよう。……だが、基本的に貴族は信用できない。あの国王もな。――だいたい、近衛騎士隊長のお前が、何でここにいる?」


 意外にもレイエルの話を受け入れたハルデンに、シルキとクードが顔を見合わせた。

 二人の後ろでは、二人の頭に拳骨をお見舞いしたクードの母親――シャーリーが椅子に座って成り行きを見守っている。

 レイエルはハルデンの問いかけに曖昧に笑みを浮かべたまま答えない。

 ハルデンが、次第に眉間にシワを寄せていく。


「……まさか、来てるのか」

「大丈夫だって、父さん。その人たち王女様のこと本当に大切にしてるし。王様だって、そこらへんの大人より話しやすくて俺もシルキも好感持てたしさ。それに俺たちをただの人間として見てくれるんだ」


 クードが慌てたように口を挟めば、シルキも隣で頷いた。

 レイエルが微笑ましげに二人を見ていると、ハルデンは逆に顔をしかめた。


「これだから嫌なんだ、あの国王ガキは。どこにでもやってきて周囲を振り回したかと思えば、逆に取り込むだけ取り込んでおいて放ったらかしにして帰ってく」

「何も放ったらかしばかりではないですけどね。――ところで、もうひとつ相談が」


 すべてを否定しないにしても、苦笑してそれだけ言ったレイエルが、話を変えた。

 ハルデンは顔をしかめたまま、レイエルを見て溜め息をついた。


「言いたいことはわかる。どうせ、クードも貸してくれ、だろう」

「えっ?」

「さすが、話が早い」

「…………」


 レイエルを睨んでいたハルデンが、驚いて声を上げたクードと隣に正座するシルキを見て眉を寄せる。

 そして、再びレイエルを見るとさらに顔をしかめた。


「最初からそのつもりでお前が来たんだろ。国王の意思か」

「勿論、私の望みでもあります。あのシャナが、姪が初対面にも関わらず少しも気を張ることのない相手が、二人もいるのですから」

「……おい、王女もいるのか?」

「……ええ、まぁ。――ともかく、人見知りの激しいシャナが普通に接していたのを、私は初めて見ました。いつもは周りがどんなに信用できるからと、人を紹介してもガランが、、、、紹介しないと緊張が取れないんですよ」


 信じられないとばかりにレイエルたちを非難するような目をしたハルデンに、レイエルは溜め息をつく。

 しかし、すぐに話を続けるとシルキとクードを見た。

 意外そうにレイエルの言葉を聞いていた彼らは顔を見合わせている。そして、揃ってハルデンに視線を移した。

 それを受けた彼は数拍置いて、溜め息をついた。


「――シルキ。お前は行くつもりなんだな?」


 シルキが、真っ直ぐハルデンを見返して頷く。

 彼は次いでクードに目を向ける。


「クード、お前は?」

「……お、れは、シルキたちといたいけど、一緒には行けないって、わかってるから……」

「行けないけど一緒にはいたいか。……もし、そうなったらお前たちは国に仕えることになるんだぞ。それも、一番苦労するだろう立場で。本当に、それでもいいのか?」


 シルキはもう決めたのだとハルデンから視線を外さなかった。

 クードも、もし、と前提した上で、頷いたのだった。

 そうしてしばらくの間、沈黙し続けていた両者だったが、そんな彼らのもとに楽しそうな笑い声と慌てるような悲鳴が聞こえてきた。


「――きゃはははは――……」

「ちょ、ひ――じゃなかった。ええと、ともかく駄目ですってば!」

「わー! そっちじゃないですっ!」


 直後、ゼスター家の前を通りすぎて行った大小の人影に、レイエルが溜め息をついた。


「……やっぱり無理だったか」


 その人影は、間違えようもなく、シャナと魔術師たち、そして、自分の部下も入っていた。

 予想通り、街に出てきてしまったシャナたちに呆れていると、さらに暢気な声が聞こえてくる。


「シャナ、人がいる方には行くんじゃないぞ」


 聞こえているのか聞こえていないのか、シャナが走り去った方へと声をかけているのは、紛れもなく国王ガランだった。

 彼の横では王宮魔術師団副団長ルーデンスがこちらに向かって会釈している。

 正面のガラス窓からはっきりとその姿が窺え、ハルデンもまた顔をしかめて溜め息をついた。

 ガランはそれにニヤリと笑い、躊躇いなく中に入ってきた。


「よう、ハルデン・ゼスター。久しぶりだな、元黒騎士六番隊隊長殿」

「……五番隊だ。相変わらず黒騎士たちよりも自由だな、お前は。――言っとくが、俺はシルキをお前の下にやるのを了承しない。国に見放されてるも同然の人間を、誰が国に仕えさせると思ってる」


 赤を纏う者を殊更忌避する人間たちがいるこの国では、彼らに人権などないかのように扱われる。

 赤を纏う者への恐怖や不信感など、それらはすべて、赤を纏う王女が生まれて来たことで、急激に人々の間に広まった。

 そんな人間たちが多すぎるこの国に――それを容認しているこの国に、息子同然のシルキを渡すわけにはいかなかった。

 いわば、この国が息子たちに苦痛を強いているも同然で、その上何も対策せずにいるのだから。


「――別に、国に仕える必要はない。シルキとクードがシャナの味方であるならそれでいい。もとより、シャナを国に従属させる気はないからな」


 しかし、そんなハルデンの思考をガランは呆気なく否定した。

 ハルデンはその言葉に眉を寄せた。


「国王の娘――王女を国に従属させない? 王女というだけで、国というものが付き纏うはずだ。それを信じられると思うのか」

「信じる信じないはお前に任すが、どちらにしても俺はシャナを国のために利用しないと決めている。他国にも貴族にも嫁がせるつもりはない。シャナが望めば考えるが、俺はシャナには自由にさせることにした」

「……少々、自由が過ぎますけどね」


 後ろでルーデンスが溜め息をつくが、反対はしていないのだとわかる。レイエルもまた、苦笑はすれど、ガランの言葉に頷いていた。


「……何故、上層部の人間が王女の、それも厄介な問題を背負う第二王女の自由を許す。何故、あの王女を特別扱いする?」


 訝しげなハルデンのその疑問に、ガランは笑った。


「外から見れば特別扱いしているように見えるのか。だが、俺からしてみれば、シャナが一番縛られていると思うが。あいつは簡単に叶えられるようなわがまましか言わないからな」

「お菓子が欲しい、剣術を習いたい、魔法を使いたい……身近にある願い、成長したらいくらでも叶えられる願いしか口にしないんです」

「その上、シャナは強く駄目だと言われたことや言われるようなことはしない。ある程度の無茶はするが、まだ周りが許容できる範囲でだ。近寄る人間も、行動範囲も、シャナは俺の言葉通りに守ってる。そんなシャナに、俺たちはこれからもっと制限をかけなければならない。普通の子供たちが行くように学校にも通えず、友も満足に得られることもないだろう。その上、この先の未来、シャナの身に何が起こるのかもわからない」 


 “赤”に関する言い伝えが残る以上、シャナの人生はそれに左右されることになる。そして、それはシャナだけでなく、シルキとクードにも言えることで、彼ら“赤を纏う者”たちの未来にどんなことが待っているかもわからない。


「唯一の救いは、シャナたちが人ならざるものたちに愛されていることか。――シャナのもとには、救いを求めて何かが声を届けてくる。神獣白虎も、シルキたちもそうだった」


 視線を受けたシルキとクードが顔を見合わせ、戸惑いながらガランへと視線を戻す。


「シャナはここ数日、泣いていた。たくさん誰かが泣いてるのだと、泣いていた。精霊か、妖精か、それ以外の何かか。何がシャナを呼んでいたのかはわからん。お前たちの周りにいたそいつらかもしれん。お前の母親の想いなのかもしれん。もしくは、お前たち自身が、無意識に強く救いを求めたのかもわからない。ただ一つだけわかるのは、シャナが救いを求める声に気づいたという事実。そうやって、シャナには何かの声が届く」


 ふ、と笑みを浮かべたガランの表情はすぐに真剣なものに変わる。


「救いを求めて、救われた者たちはシャナを想い、守ってくれるかもしれない。神獣白虎のように。シルキが決心してくれたように。クードがシャナやシルキを気にかけてくれるように。――だが、そうでない者たちはどうする。シャナを利用するだけ利用して、去っていく者もいるだろう。中には、嫌な気持ちを与えたまま去っていく者もいるだろう。……そう考えると、シャナの未来が必ず明るいものになるとは思えない」


 ガランはそこで一度溜め息をついた。顔を歪めることさえなかったが、その声音で、苦々しげな気持ちが伝わってくる。


「よくわからんものが寄ってくるシャナに、俺はさらに様々なことを制限しなければならない。シャナに自由にさせるというのは、俺ができる唯一の償いだ。――まぁ、国のために利用しないとは言っても、シャナは面白がって自分から首を突っ込んでくるだろうがな」


 最後にニヤリと笑ったガランに、レイエルがそれを想像したのか苦笑した。隣には逆に悩ましげに額を押さえているルーデンスがいた。

 彼が何かを言う前に、ガランは話を続ける。


「まぁ、そういうことだ。だから、シルキもクードも国に縛り付けたりしない。二人には、シャナの味方でいてもらう。俺たちは、国も何もかもを捨ててシャナの味方でいることはできない。時には、シャナよりも国を取らざるを得ない状況に陥ることもあるだろう。その点、シルキとクードには国に縛られる理由もない。二人には、絶対的な味方でいられない俺たちの代わりに、シャナの絶対的な味方でいてほしい。ただ、傍にいるだけでもいいんだ。それだけでも、俺たちは安心できる。お前の言う通り、俺はお前の息子たちを利用するようなものだ。だが、それは、お前の息子たちにとってもいいことだと思ってる」

「…………」


 ハルデンは、ガランの言葉にいまだ眉を寄せたままだ。

 シルキとクードが、様子を窺うように見つめている。ガランもまた、彼の言葉を待つように口を閉じている。

 しかし、そこで意外にも口を開いたのはクードの母、シャーリーだった。


「――もうっ、いい加減にして!」


 彼女はそう叫ぶと、立ち上がり、ハルデンの隣に立った。

 面白そうに彼女を見たガランとは違い、ハルデンはさらに苦々しげに眉を寄せて妻を見た。


「あなたも、そっちの王様も、さっきから黙って聞いてれば、なんだって子供たちの未来を重く考えるの!? だいたい、子供たちが見放されてるとか、思ってなくても言わないで! それに国に仕えるとか仕えないとか、どうだっていいのよ! クードとシルキが、王女様を受け入れたっていうなら、それでいいでしょう!? 息子たちが大丈夫だって言ってるんだから、あたしはそれを信じるわ。――だいたい、王様もひどいわね」

「お?」

「未来なんてね、この子たちが諦めない限り無限に広がってるものなのよ。たくさん、たくさんある未来をこの子たちはこれから自分たちで歩いて作るのよ。あたしたちがそれをとやかく言う必要なんて一つもないわ! 利用するとかしないとか、この子たちが選んだことならどうだっていいのよ! 王女様のことだって、文句を言わないんじゃなくて、文句がないと思えばいいのよ。楽しそうなんでしょ? 幸せそうなんでしょ? さっきちらっと見ただけだけど、とても、不幸そうには見えなかったわ。もし、嫌なこととか、悩んでることがあったら、その時に手を差し伸べてあげればいいのよ。誰にだって未来なんてわからないんだから! それに、味方はいっぱいいるのでしょう!? たとえ時にはぶつかっても、味方であることには代わりないんだから、それはとても幸せなことでしょう!? あんまり後ろ向きなことばっかり言ってると二人とも殴るわよ!」


 仁王立ちしてして夫と国王の間に立ち塞がったシャーリーに、シルキとクードが自分たちに矛先が向かないかと半ば怯えていると、ガランが笑いだした。


「あっはっは! 違いないな! それにしてもお前も相変わらずだな、シャーリー・フレスト!」

「今のあたしはシャーリー・ゼスターよ!」

「……もしかして、今までの会話はわざとか?」

「……やけに重く話してると思ったら、こういうことか」

「……めんどくさい人たちですね」

「え、何、母さんも知り合いだったの?」


 心底面白そうに母親を見たガランに顔をしかめるハルデンをよそに、レイエルは納得したように溜め息をついている。ルーデンスは同じく溜め息をつきながらも他人事である。

 クードが、目を瞬いている横で、シルキは同じように驚きながらも口を挟めずにいるのだった。

 

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赤と黒の軌跡 @shikiiro

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