第25話 予感
「――ところで、クード君の家に一度顔を出しておこう」
呆然とシャナたちの様子を見ていたシルキとクードは、レイエルに話しかけられたことで我に返る。
「ああっ! 忘れてた、……やっべ」
「そういえば街から出る準備をしてましたね」
「え、なんで知ってんの」
「監視してましたからね」
「……うわぁ、それって普通隠しとくもんじゃないの?」
「君たちに隠し事はしなくて良さそうですからね」
ルーデンスがレイエルの言葉に反応してクードを見る。
クードはルーデンスの言葉に怒るでもなく、呆れたように溜め息をついたのだった。
「まぁいいや。 ――シルキ、一回顔出しに行くぞ!」
「そういえば逃げるって」
「前からシルキたち連れて、こんな街出てこうって言ってたんだよ。けど、スクナさんは動けなかったし、シルキはスクナさんから離れるわけないし。そしたら今回の騒ぎだろ? シルキが連れてかれるかもって思ってさ」
「それで逃げる、……どこへ?」
「それは知らん」
シルキの問いかけに答えるクードは、とりあえずシルキを連れていくことしか考えていなかったようで、自分たちの行き先には思考が向かなかったらしい。
シルキはそんな彼に呆れながらも頷いて、レイエルたちを見る。
「あの、ちょっと行ってきます」
「うん、俺も行くよ。クード君の父上とは面識もあるし、シルキ君の今後のことも話して、納得してもらいたいしね。それに、クード君たちがこの街を出るというなら、当てを用意できるだろう」
「私も行きましょう。一応、師長たちも同じ考えだと知っていてもらいたいですしね」
「ふ、副師長! その、それはとても良いお考えだと、お、思うのですが……」
シルキとクードが驚きながらも不思議そうにレイエルたちの話を聞いていると、同じく話を聞いていた魔術師の一人、ミラリアが口を開いた。
訝しげにルーデンスが彼女を振り返る。
「何です?」
「そ、その……、あ、あのお二方を抑えておける自信がありませんっ!!」
意を決して、彼女が告げたのは、国王父娘のことだった。
話を聞いていた全員が、それにはっとして頷いている。
「そ、そうですよ! いくら街の住人たちを避難させて人払いが済んでいても、陛下たちを街に出すのは止めた方がいいんですよね!?」
「絶対、行くって言い出すに決まってます!」
「む、無理ですっ。お二人とも行ってしまわれたら、誰も陛下たちを止められません!」
喚く彼らの願いは切実である。
しかし、そんな彼らにルーデンスは冷ややかな視線を向けて呆れている。
それでもめげない彼らの様子に、見かねて口を開いたのはレイエルだった。
「じゃあ副師長殿には残ってもらって、私が行ってくる。――お前たちは変わらず副師長殿の指揮下に」
「「――は」」
行方を見守っていた近衛騎士の数人に、レイエルが指示を出すと彼らは頷いた。
ルーデンスは、冷ややかに魔術師たちを見つめたまま、溜め息をついた。
近衛騎士たちを見て、レイエルに視線を向けた。
「構いませんよ。陛下たちがあちらに戻るまで、貴方方の指揮権はレイエル殿に戻しましょう。貴方方の本来の仕事は王族を守ることですからね。……考えてみると、常に振り回されているのは貴方方なんですね。ご苦労様です」
「「「…………」」」
本気で労いの言葉を口にしているのだろうルーデンスに、誰もが複雑な気持ちになって、言葉を失ったのだった。
「……なぁ、本当にあの人たちと一緒に行くのか?」
「……うん」
「……あの王女様、か?」
調査隊を離れてゼスター家への帰路を辿っていると、ふと、クードが口を開いた。
躊躇いつつ落胆と期待とを含んだその声音に、離れる友を偲びつつ前を向き始めたことを嬉しく思っているのだとわかる。
後ろではレイエルが先を行く二人を静かに見守っている。
シルキはクードの言葉を正確に読み取って、ぽつぽつと言葉を紡ぐ。
「あの子を見た瞬間、わかったんだ。……ずっと探してた答えが。ずっと考えてた意味が、わかったんだ」
「…………」
「俺とお前の赤の意味。正確にってわけじゃないけど……」
「まぁ、お前の目はともかく、俺のもアザっていうには無理があったしな。……意味と答え、か……」
神妙に話を聞いているクードもまた、シルキと同じだった。
「お前にも俺にも、家族がいた。俺たちを大切にしてくれる家族が」
「……けど、いつもどこかに不安があった。心のどこかに小さな穴が空いてるみたいで、それは埋まらなかった。けど、……だけど、あの子を見た瞬間、それが、埋まった気がした。……お前だって、あの時そう感じたんじゃないのか?」
言葉を濁したクードに、シルキは続けた。そして、クードに問いかける。
しかし、クードは口を閉ざしたまま眉を寄せた。
いつのまにか立ち止まって話している二人に、レイエルは一度目を閉じた。
彼らの話は、シャナとの出逢いが恐らく自分たちが考えているよりも深く、彼らにとって奇跡のようなことなのだとわかってしまう。
それだけに、彼らが危惧しているのはシャナと、お互いの別れなのだろう。
「……昨日、あの子に初めて会ったとき、髪の色にまでは気付かなかった。それでも、あの子を見た瞬間、涙が出た。それでやっと、この“赤”の理由がわかった。俺は――俺たちは、あの子に会うために生まれてきたんだって」
わずかな変化であれ、小さく笑ったシルキに、クードは沈黙している。
シルキは構わずに話を続ける。
「安心、したんだと思う。お前だってそうだろう?」
「……確かに、気分が晴れたような気はした、かな」
そこでやっとクードは諦めたように溜め息をついて、肩をすくめた。
「俺たちの心は“赤”ってのに引きずられてて、そのせいで、ええと、不安みたいなのを感じてて、ずっともやもやしてた」
「けど、違った」
「ああ。俺たちは、災いなんかじゃない。言い伝えはあるけど、少なくとも俺とお前は災いなんかじゃない。それがやっとわかった。――あいつを、見た瞬間」
「……それに、他にもわかったことがある」
「……ああ」
クードは晴れやかに笑うと、その後でシルキの言葉に顔をしかめた。
「けど言うなよな。俺は父さんたちと行く。お前と一緒には行けない。一生会えないってことはないと思うけど、俺は俺で、お前はお前だ。……俺は、
ガランたちの話を聞いて、クードはシルキとの別れを悟った。
何よりもシルキ自身がそれを望んでいるのだとわかってしまったから、クードは何も言えなかった。
「だからさ、俺の分まで、お前があの王女様を守ってくれよ。もちろん、自分も含めてだぞ。お前は俺にとっても大事な親友だし、父さんたちだって心配してんだからな」
「……」
「スクナさんだって、お前にも守るものができたんだって喜んでるさ。……おい?」
シルキの性格を考えて心配そうに言うクードに、シルキは何も答えなかった。
クードが訝しげにシルキを見ていると、彼はやがてぽつりと呟いた。
「……今朝、夢を見たんだ。今考えると、あれは俺たちだ。――少し成長したあの子と、俺とお前がいた」
静かに語るシルキの視線はクードに固定されている。
シルキの瞳は、それがただの夢ではないと信じているのだと語っていた。
「……だ、けど、俺はお前とは行けないって言っただろ……」
「……」
クードが戸惑いながらも答えると、二人はそのまま沈黙してしまう。
クードは自分の気持ちが揺らいでいるのがわかった。
押し込めていた気持ちが、どうしても主張してしまう。
それはクードもまた、シルキと同じようにシャナの存在の特殊さに気付いていたからだった。
赤い髪に、夜空のような、朝焼けのそらのような色が移ろいでいるかのような青い瞳を持った少女に、彼らは驚き、安堵した。
そして同時に、危惧していた。
―――この子は危ないことに巻き込まれる。
漠然と、彼らの頭に浮かんだのは、その思い。
何故なのかはわからない。
だが、彼女は恐らく自分たちを救ってくれたように、自分たちのような存在に引き寄せられ、引き寄せるのだろうと思ったのだ。
そして、その危うさに直感的に戦慄した。
わけもわからない恐怖に、シルキだけでなく、クードも守りたいと思った。
その上、その少女が親友にとっての希望であることは間違いない。
そんな存在を親友が失ってしまったらと、酷く心配になった。
できることなら、大切な親友と、自分たちに安心をくれた少女の傍にいたかった。
けれどそれは無理だと、クードは自分に言い聞かせるように首を振ったのだった。
クードとシルキがお互いの心情を思案していたその時、不意に近くでパンッっと音が響いた。
「はい、そこまで」
びっくりして声の主を見ると、一緒に歩いていたレイエルが苦笑していた。
音の正体は、手を打ち合わせただけらしい。
彼は気遣わしげに二人を見てから、微笑んだ。
「今生の別れみたいな空気になっているけど、あまり心配することはないと思うよ?
それはまた後で、ということにして今やるべきことをしようか。あちらも待てなかったようだしね。……酷く険悪だ」
安心させるような慰めるような声音でそう言ったレイエルに、シルキとクードは顔を見合わせた。
しかし、その後に続いた言葉にレイエルの視線の先を見た。
「やっべ……」
ぼそっと呟いたクードに、シルキもまた体を固まらせた。
そして、そんな彼らに向かって歩いてくる女性を見つめたまま動かずにいる。
遠くでは男性が一人、こちらを見ていた。
レイエルが会釈するとその男性は溜め息をついたようで、腕を組んだまま待つ体勢へと移っていた。
そして、女性がシルキとクードのもとまでたどり着く。
「――人が心配してるってのに、あんたたちは一体、何をやってたの!!」
彼らしかいない街の一角で、容赦ない叱責と拳がその脅威をふるったのだった。
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