第26話◆幼なじみと忘れていた思い出

 日樫レイに手渡されたおみくじを見て、ミウが何かに気づいた。

「あっちゃん、おみくじの下に名前書いてあるよ」

 言われて視線を落とすと余白に、下手くそな字で”マツイアキラ”と書きなぐられていた。

「どういうこと? あっちゃんおみくじ引いたことあるっけ。私の覚えてるかぎりほとんど引いたことないと思うけど……私といないときに引いたってことかな」

 ミウの言うとおり、彼女の一緒にいるときにおみくじを引くことはない。僕のポリシィというよりも、彼女がお金を払ってまでおみくじを引くという習慣がないからだ。だからほとん行動をともにしている僕もおみくじとは縁遠くなってしまっていた。

「僕の記憶には引いた記憶なんてないんだけど。忘れてるのかな」

「大吉だよ。名前を書いたってことは、落としたりなくしたりした時に自分のものだってわかるように書いたってことじゃないかな。同姓同名の可能性もゼロではないけど――どうして日樫さんがこんなもの持ってたんだろう?」

 ミウは首を傾げて考えこんだが、推理が行き詰まったのかすぐに頭を振って考えるのをやめた。

「放課後デートしようって言ってきたのも、そのおみくじがあったからなのかな。答えてほしかったら、デートしろって言いそうだけど」

 気に入らなそうに渋い顔でつぶやく彼女の予想はあたっていた。


 放課後、部活に所属してない日樫レイは6限目の授業が終わると同時に席を立って教室から出て行ってしまった。デートの誘いに来るのかと身構えていた僕とミウは、意表を突かれて顔を見合わせた。そして、カバンに荷物を詰め込むと、ガヤガヤと喋っているクラスメイトの間をすり抜けて、日樫の後を追った。

 下足箱の前で靴を履き替えている日樫を見つけ、僕たちは近づいた。

 顔を上げた日樫は、余裕のある笑みを浮かべた。

「それでは松井くん、靴を履き替えて行きましょうか。放課後デート楽しみましょうね」

 ミウがずいっと僕の前に出る。

「私たちが何を聞きたいか知ってて、あっちゃんをデートに誘っているってことであってる?」

「むろんです」

「じゃあ、今日一日あなたに貸してあげる」

 ミウは、上から目線でそう告げた。ただしこれは彼女の演技であって、僕を囲っていると本心から思っているわけではない。僕とミウにとっては、あくまで想定内の範囲であった。

 僕が靴を履いているあいだ、ふたりは僕を左右から挟みこむように見下ろして、一部始終観察していた。見られている本人としては、監視されているようであまり気持ちの良いものではない。ふたりで世間話デモしていてくれれば良いのだが、なかなか素直に打ち解けられないものもあるらしい。

 靴を履き終えた僕は、立ち上がる隙を見てミウと視線を交わした。

 ミウは声に出さなかったが、目で後ろから見ていると告げたようだった。



「お連れの方は、もう少し頑固な方かと思ってましたけれども、意外と素直なのですね」

 校門の前の坂道を下りながら、日樫は後ろを振り返って微笑んだ。

「一緒についてくるかと思ってましたが、距離だけは取ってくれているみたいですね。わたくしとしては、松井さんのとなりで金魚の糞のように一緒にいらっしゃる想定でおりましたので、想定よりもゆるいですね」

「別に付き合っているわけじゃないからね。妥当なところじゃないかな」

「男女の関係は付き合っている言葉で定義できない絆があるものです。それよりも、放課後デートですが、あまり時間をかけていると日が暮れてしまいますので、いくつか私が指定するところを案内していただけますでしょうか?」

 僕は歩きながらうなずいた。

 インドア派な僕としては、特別案内したいスポットなどなかったのだ。本人がいきたいところをしてしてくれるなら、それに越したことはない。

「では、河原とドラックストア、病院にデパートの順番でご案内をお願いいたします。よろしくて?」

「ええ、よろしくてよ」

 僕は、執事のように丁寧に腰を折り曲げてご要望を承った。



 河原は、夕日に焼けていた。

「まだ子どもたちが遊んでるね」

 土手から僕と日樫は並んで、サッカーボールを追いかける小学生たちを見下ろした。

 彼女は道案内の要望を告げてから、極端に口数が減っていた。話しかけてもニコニコと笑みを浮かべて聞き流すだけである。

「県外にいたって今朝言ってたけど、ここ来たことあるの?」

 僕の問いかけも、耳に入っていないのか、こちらに視線すらくれない。ため息を付きたくなるが、流石にあからさまな批判をする気にもなれず、彼女に見えないように肩をすくめるだけでやめておいた。

「次、いこうか日樫さん」

 僕はそう言って歩き始めた。

 日樫は子どもたちから僕に視線を移し、特に感想も言わずに後ろについてきた。

「レイと呼んでいただいて構いませんよ」

「……覚えておく」

 僕は振り返りもせずにそう答えた。気取ったわけではなく、彼女と視線を合わせるのが少し面倒になり始めていたのである。


 ドラッグストア、病院、デパートと案内を続けたが、彼女の反応は一向に変わらなかった。むしろどんどんと心が遠くに行くようである。不用意に話しかけると、消えてしまいそうなほど儚い影がついて回ってきていた。

 街を案内するにしては、色気のない場所を見て回ってきた。

 最後のデパートの3階の衣料品コーナーを見終えると、日樫はうなだれるように意気消沈していた。その様子は、白い肌がくすんで見えるほどで、美人さんが台無しだった。

「最後に日樫神社まで送ってくれますか?」

 僕はその提案に同意した。

 彼女が提案したルートは、おそらく僕に何かを気づかせようとして選ばれたものなのだろう。ただ残念なことに僕の記憶の引き出しから、探したいものを見つけることはできなかった。明らかに街を案内するには不適切な――ドラッグストアや病院など――病気になった時であればそれも大切なスポットだが……。

「……病気」

 僕がつぶやくと、日樫レイは跳ねるように顔を上げ振り返った。目を大きく見開き、僕の頭を透視するかのように凝視する。しかし、彼女の期待には答えられない。

 僕は肩をすくめて首を振った。

 明確に何かを形どった記憶が現れたわけではない。病気という単語の廻りにようやく霧がかったような、そんなもやもやした状況だった。



 日樫神社は、街を見下ろす丘の上に立っていた。

 すでに日は地平線に沈み、群青の夜空が広がり、ちらほらと星がまたたき始めている。

 僕と日樫は、並んで階段を登った。途中一言も会話を交わすこともなく、気まずい雰囲気が漂う。ミウとなら会話しなくても何も気にせずにいられるのに、他の女の子と一緒にいると緊張しかしなかった。

 階段を登り終えると、目の前に小さな社が建っていた。右手側の垣根に木戸が設けられていることにその時初めて意識した。お正月のお参りに着た時には全く気にしなかったが、垣根の向こうに日樫の家があるのだ。

「少し待っててくれる?」

 そう言って日樫は、木戸の中に入っていった。垣根の上からは平屋建ての瓦葺きの屋根が見える。2階建てじゃないのは、社より目立つ建物を作れないからだろうか、などと考えていると、ミウが階段を駆け登って来る気配に気づく。

 振り返ると、やはりミウだった。駆け上がる足音で僕の記憶中枢が直感を働かせたのだ。

 ミウは手を降って、笑顔で到着した。

「どう。放課後デートは楽しめた?」

「ずっと気まずい空気。無駄に緊張したかな」

「へぇ~、普段から私と一緒にいるから、女子に免疫あると思ったけどそうじゃないんだ」

 普段から一緒にいるから慣れちゃっただけのようにも思うが、ミウが少し嬉しそうに頬を赤らめたので僕は黙ったまま、視線を外した。

「あのおみくじ……ここの神社のおみくじ何じゃない?」

 ミウは右手に建てられた小屋を指差した。神社の受付のようだが、中に誰もいない。鎖に繋がれたおみくじの箱だけがぽつんと置かれていた。

 ミウが気前よく出してくれた100円で、おみくじの箱をじゃらじゃら振った。

「また大吉だったりして」

「まさか」

 ミウの冗談を笑い飛ばしたが、淡い期待は生まれた。

飛び出た棒に書かれた数字に従い、小屋の横あった14番の引き出しから、おみくじの紙を取り出す。

 ミウはそれを見て口笛を吹いた。

「今度は持って帰らないとね」

「えっ?」


――大吉は持って帰っていいんだよ。


 耳鳴りのような高音とともに、僕の頭の中で幼い声が広がった。そしてびっくり箱が開かれるように、記憶の引き出しから幾つもの記憶の断片が飛び出してくる。

赤い袴の女の子。河原で泣いているところを見かけて、一緒に街を見て回った。その時ミウが風邪を引いて寝込んでいるときで、僕は病院に寄ってナースのお姉さんに話を聞いて、ドラッグストアで風邪薬を見て――お金がなかったから購入できなかった――それから、ミウが暖かい格好でいられるようにデパートでセーターを見て回ったんだ。

ミウが風邪を引いて大変だった記憶だけが残っていて、女の子に会ったことなど今の今まで忘れていたのだ。

「何か思い出したみたいですわね」

 振り返ると、赤い袴姿の日樫レイがいた。腰の位置が高く、手足も長いため袴をスタイリッシュに着こなしている。

「昼間お渡したおみくじをいただけますか?」

 僕の名前付きのおみくじを彼女に手渡すと、彼女は感慨深そう話した。

「あの時、大吉を引いたあなたはこれを持ち帰らずに行ってしまわれました。幼なじみの風邪が治るように、神様にお祈りしておいてとわたくしにおみくじを託して」

「だから僕の名前が」

「どうやら幼なじみの風邪も治られているようなので――」彼女はミウに意味深な一瞥をした後「これはお返しいたします」と僕におみくじを差し出した。

 改めて僕はおみくじを受け取った。

 そして日樫は、僕とミウに交互に微笑んだ。

「これで、わたくしも素直に松井さんをお慕いできますわ」

『――お、お慕いって!?』

 僕とミウは、度肝を抜かれたように慌てたが、彼女は涼し気な表情のままきびすを返して行ってしまった。

 引き際があまりにも手際よく、それは僕の忘れられない思い出のひとつになった。

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幼なじみは★深波ミウ! オーロラ・ブレインバレー @JK_er

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