第25話◆幼なじみと転校生の巫女

「日樫レイでございます。よろしくお願いいたしますね」

 腰まで伸びたストレートヘアがふわりと広がった。

 先生がうなずき、一番前に作られた席に彼女を促す。

「日樫は、皆もお正月とかに行ったことがある日樫神社の代々宮守をしている一族で、平たく言うと巫女だな」

 先生の言葉に、男子生徒の歓声が起こった。

「みなさんもお暇な時におみくじを引きに来てくださいね。不幸があったらお祓いも同級生割引で実施いたしますのでお気軽に」

 日樫のその言葉に、クラスにどっと笑いがあふれた。朗らかな口調には嫌味な響きがなく、クラス全員がジョークと素直に認識できたのだ。クラスの緊張の糸も解け、彼女がすんなりと教室に受け入れられた。その証拠に周りの席の連中が、授業が始まっても楽しげに話し続け、休み時間もひっきりなしに話しに行く人の列が続いた。

「人垣ができるなんて、恐るべき転校生ね」

 その人の輪を遠巻きにミウは関心したように何度もうなずいた。

「見た目も綺麗だし、軽いジョークも言えるみたいだから、やっぱり惹きつけるものがあるんだね」

「ミウも、黙ってたらかわいいよ」

「お世辞ありがと」

 ミウは気のない返事をすると、肩をすくめて席を立った。



 昼休みになっても、日樫レイを囲む輪が小さくなることはなかった。逆にその求心力からクラスの中で重力場が生じ、人がそこに吸い寄せられているようであった。

 僕とミウは後ろの窓ぎわの自席で弁当を広げて、遠巻きにそれを観察していた。

「昨日の話をしないといけないのに……」

 ミウはじれったそうに貧乏揺すりをしていた。

「僕らの顔覚えてないんじゃないのかな?」

「だとしたら問題だよ。私の自転車を使って人を引いてるんだよ――ひったくり犯だけど――仁義じゃないけど一言言ってほしいよね」

 ミウは、いつもよりもムキになっているように見えた。普段の彼女なら、根に持つほどのことではないと思うのだが。

 日樫を囲んでいた賑やかな人垣が静かになって、日樫の声が聞こえてきた。

「皆さんと話して助かりましたわ。初日で緊張していたんですけど、打ち解けられて光栄です。では御用がございますので、少し席を外しますね」

 人垣が割れて、日樫の姿が見えた。

 日樫はぐるっと教室を見渡し、僕を見つけて口元をほころばせた。そして、すっと流れるように机の脇を通り過ぎ、僕とミウのところにまでやってきた。

「昨日はありがとうございます。少し話せますか?」

「いいわよ」

 ミウが立ち上がると、日樫はそれを制した。

「申し訳ございませんが、私が話したいのは松本くんだけです。よろしいですか?」

 日樫の真っ直ぐな視線が僕を見下ろしてきた。その視線はあまりに澄んでいて、ミウに反論すら許さないほどである。クラスの誰もがミウが何も言わずにただあっけにとられているさまに、驚いている様子だった。

 僕は日樫に手をとられると、机の上に広げていた弁当も片付ける隙もなく、教室の外へ連れて行かれた。まるで夢遊病のように、自分の意志が全くなかったが、恐ろしいほど手足が従順に動いてしまっていた。



 屋上は雲ひとつない空模様の下、穏やかな風が吹いていた。

 日樫のスカートのプリーツがはためく。長い髪を耳元で抑え、煩わしさをごまかすように微笑んだ。

 昼休みだったが、屋上に人影はない。僕と日樫のふたりだけだった。

「昨日は助かりましたわ。一緒に追いかけてきてくれたおかげで、ある意味おじけずに犯人を取り押さえることができました。とても感謝してます。もちろん、深波……ミウさんですか? 自転車を借りたことも、しっかり覚えてますよ」

「だったらここに連れて来ても良かったんじゃ?」

 日樫は、おかしそうに笑うと僕に背を向けて屋上の端に進んだ。

「ふたりっきりで話したかったんです。ダメでした?」

「……いや、そんなことはないけど。理由がわからない」

 通り過ぎる風が僕の背中を押して、日樫の後を追わせる。

 日樫は、金網に指を絡ませ、一瞬ギュッと握りしめたかと思ったが、すぐに手を話して腰の後ろで両手を組み直した。一つひとつの動作に品があり、パンツを大ぴらに見せて坂道を自転車で駆け上った姿がウソのようである。

「今日の午後、お暇あります?」

 日樫はゆっくりと僕の方に向き直った。

「もしよければ、街を案内してもらいたいのです。引っ越してきたばかりで道が不案内で」

「突然だね」

「こういったことは突然訪れるものですよ」

 彼女の言葉に、僕はすこしばかりドギマギしてしまった。心拍数が数泊上がったと思う。

 特別な用事はない。だけど、頭の中でミウの姿がよぎり、OKともNOとも答えることができなかった。

「ちょっと待ちなさい!」

 突然屋上の入口から声がかけられた。

 振り返るとミウが仁王立ちしている。日樫と対象的な短い髪が風に煽られ、まるで怒りを表すように立ち上った。その目もどことなく鋭い。

「あっちゃんをデートに誘う前に、何か私に言うことあるんじゃない?」

「松本くんとデートしていいですか、と?」

 日樫は小馬鹿にしたような調子で言った。明らかに挑発的な様相にミウがさらに噛み付いた。

「許可がほしいなら、不許可に決まってるじゃない。まず私の自転車をどろぼうしたことに仁義を切るのが先。当たり前でしょ? それもなしにあっちゃんと放課後デートなんて言語道断!」

 ミウは、ずんずんと前に出て僕と日樫のあいだに割って入った。

 まだ日樫のほうに余裕があるらしく、彼女は髪をかきあげながら、不敵に微笑んだ。お上品というか、悪女に見えるというか、なんとも言えない妖艶さがある。

「それは別の機会にセッティングさせていただきましょう」

「別の機会にぃ?」

 ミウは歯ぎしりするような勢いで歯をむき出した。しかし、日樫はそれを柳のようにするりと受け流し、スタスタとミウの脇を通り過ぎて僕の前にやってきた。

 そして、僕の手を取ると「では後ほど」と言ってさっさと行ってしまった。

 ふと手を見ると、一枚のおみくじを握らされている。

「なに渡されたの?」

「大吉のおみくじ……」

「何なの、日樫レイって……」

 僕は日樫の背中を見送りながら、吹き付ける強い風にひと波乱の予感を感じ、ぶるっと震えてしまった。

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