第24話◆幼なじみと謎の少女

「ひったくりですー!」

 女の声に、僕とミウはとっさに自転車のブレーキを握りしめて振り返った。

 それと同時に吹き抜けるように、中年の男が走り去っていく。グレーのハッチングを目深に被り、カーキ色のスタジャンを着て走るたびにカサカサと音を立てていた。

 叫び声を上げたのは僕と同じくらいの少女で、顔を真赤にして追ってきている。

「あっちゃん、ひったくりを追いかけよう!」

 ミウがペダルに足をかけた時だった。後ろから追ってきた少女が、ミウを突き飛ばして自転車に飛び乗った。

「ちょっ、あなたもひったくり!?」

「少しのあいだ借りますわよ!」

 その少女は、ミウが立ち上がるよりも早くペダルを踏み、目にも留まらぬ速さで漕ぎ始めた。後ろのタイヤが擦れ、摩擦熱で煙が立つ。前のブレーキを緩めると、後ろのタイヤが地面をギュッと捉えてロケットスタートのようにミウの自転車は飛び出した。

「あの子も強盗じゃん!」

 ミウが悪態をつく頃には、姿が小さくなってしまっていた。

 僕もミウも、突然のことにあっけにとられて呆然としていたが、いち早く我に返ったミウは、馬の尻を叩くように、僕の背中に平手を打って「あっちゃん早く追って! 私の自転車取り返してきて!!」と大声を張り上げる。

 僕はミウにどやされ、立ち漕ぎで少女の後を追いかけた。



 太腿の筋肉が張り裂ける勢いで、僕は自転車を漕いだ。

 車道を走る車の運転手が、ぎょっとハンドルを離すほどのスピードを出したと思う。実際脇道から車が飛び出していたら、ちょっとやそっとではよけきれないほどの危険運転をしていた。

 しかしそのかいがあって、少女の姿が徐々に大きくなってきた。

 その少女は、印象的なほどつややかな黒髪を腰まで伸ばしていた。後ろから見ると黒いマントがはためいているように見える。それに加えて赤いTシャツと言う出で立ちのおかげで、見失わずに済んだ。

 少女はブレーキを掛けて、急停止し横道を見上げた。その先には細い階段を登っていく男の姿がある。階段は崖沿いの急な傾斜に作られていて、自転車ではそれ以上進むことができないようだった。

「なんということでしょう!」

 少女は毒づいて地面を蹴った。

「自転車ドロボウ! 追いついた」

「貸してと言いましたでしょう! それよりも犯人のところに先回りできないのですか!?」

「崖の上に行くには、この先の坂道を登っていくしかないけど、距離があるから先回りできるかどうかはわからない」

「可能性があるなら行きますわよ!」

 少女は目を輝かせた。鋭い視線からは意志の強さが感じられた。別についていく義理はないのだが、その少女が号令を上げると、それに従わざるをえない不思議な魅力があって、少しどぎまぎしてしまう。

「立ち漕ぎで坂をねじ伏せますわよ!」

 坂道の前で少女は雄叫びを上げると、そのまま傾斜40度を駆け上った。

「パンツ見えてるよ!」

「男の子にとっては人参みたいなものでしょう!? いいからついていらっしゃい!」

 立ち漕ぎで坂を登っているせいで、少女の白い下着がスカートの奥で目のやり場のないほどはっきりと見えていた。いくら男の子でも、見え過ぎたら人参にはならないだろう。

「いました!」

 少女は獲物を見つけて、さらにスピードを上げた。

 坂道だというのに、どんな脚力をしているのか。僕はぐんぐん引き離されていった。

 階段を登り終えたひったくりが、路上で息を切らしているところに、少女は猛突進をかける。昨今の自転車が歩行者を轢く事件が問題になっているところに、どうかと思うのだが、遠慮無く少女は自転車ごと追突していった。

「むぐあああああ」

 ひったくり犯が、地面に転がった。

 少女は追撃とばかりに自転車から飛び降りた。そして、地面に突っ伏しているひったくり犯の肛門めがけて、つま先をめり込ませるように蹴りを繰り出した。悲鳴にもならない苦悶のうめき声がひったくり犯の口から漏れた。

「ご愁傷様。財布は返してもらいますわよ」

 少女は、悶絶する中年のスタジャンを剥ぎ取り、ポケットをまさぐった。そして内ポケットから可愛らしいオレンジ色の財布を取り出すと、スタジャンをひったくり犯に投げつけ、勝利に酔いしれるように鼻を鳴らして嘲笑する。気の強い女の子だ。

 その少女は、僕に向き直り「あとは、おまかせしますわね」と、いたずらっぽい笑みを浮かべると、そのままきびすを返して坂道を下って行ってしまった。

 その少女の背中では、黒髪が弾むように揺れていた。



「何あの子、帰っちゃったの?」

 階段を登ってきたミウが、小さくなってしまった少女の影を見て不満気に呟いた。

「警察に引き渡すとき、ひったくられた本人がいなかったら、結構説明が面倒な気がするんだけど、どうしようね……」

 ミウは地面に横たわっている中年を見下ろした。

 肛門を蹴られて気絶しているらしい。

「警察には僕が行くから、ミウは先帰ってもいいよ」

「いいよ。一緒にいく、事情調書とる時ヒマでしょ?」

 実際、警察に話をしている時間は退屈で、その日1日潰れてしまった。



 翌日、僕とミウは朝のホームルームで唖然とした。

 担任の後ろに続いて教室に入ってきた黒髪の少女は、前日ひったくりの肛門を強襲した女の子その人であったのだ。

「えー、今日からこのクラスで一緒に勉強することになった、日樫レイ君だ。仲良くしてやってくれ」

 担任の紹介にあわせて、日樫レイはツリ目を不敵に笑わせ、ペコリと頭を下げた。

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