第23話◆幼なじみと大雨の中で

 空に灰色のカーテンが引かれたのはあっという間だった。

 午後3時。街並は数分のうちにグレーアウトし、遠くの方で光り始めた稲光に照らされる。

「これは、ゲリラ豪雨になりそうだね」

 そのミウのつぶやきを合図に、雨粒が降ってきて、道路を点描のように叩き黒く塗りつぶしていった。

「公園の樹の下で雨宿りしよう、ゲリラだろうから、ちょっと休んでれば!」

 ミウは雨音に負けないくらいの大声で叫び、近くの公園に入った。舗装されてない地面には水がたまり、足を踏み出すと泥水がはねた。ミウも僕も足元が汚れるのを無視して、大木の傘の中に走りこんだ。

「せっかく買った服がびしょびしょ。これ一回洗わないといけないよね?」

「雨に含まれる成分は、その土地の環境で変わるから場所によっては洗う必要はないけど、洗ったほうが無難だよね」

「がっかり」

 ミウは、肩を落としてうなだれると、服の裾の水を絞り出した。

 雨に晒されたのは、わずか2~3分程度だと思うが、僕もミウも水が滴り落ちるほど濡れていた。帰ってからシャワーを浴びる手間が省けたと思えればマシだけど、街の上に溜まった雲から落ちてきた雨なら、排ガスを吸って衛生的ではないだろう。新品の服同様に体を洗わなければいけないと思うと、ミウのがっかりした気持ちに同意できた。

 ふと気づくと、ミウのTシャツが雨に濡れ、下着が透けて見えた。白いTシャツだからなおさら甘いグリーンの下着がくっきりと浮かび上がっていた。思いの外スポーティなデザインをつけていることに脈拍が早くなる。

「あ、っ!」

 僕の視線に気づき、ミウは胸元を隠して、眉を釣り上げた。

「エッチ! 見ちゃダメだよ!」

「誤解、ご誤解だって、寒そうだなって思っただけ」

「それはエッチな気持ちで見たわけじゃないけど、見たってことじゃない。ダメ、ノーモアエッチです!」

 気圧されるほどの剣幕で僕を弾劾した後、ミウはクルっと後ろを振り返って、僕に透けた胸元を見えないようにガードし始めた。後ろのホックの部分が見えているだけでも充分エロチックなのだが、それを言うとますます誤解が生まれそうで僕は口をつぐんだ。



 稲光が走り、雷鳴がほぼ同じタイミングで轟いた。

 地震が起こったのかと思うほどの衝撃で、足元から揺さぶられる。

「雷近づいてきてるよ」

 ミウが不安そうに言った。彼女の視線の先には、幾つもの稲光が地上と天上の架け橋を作っていた。道路工事の数百倍の轟音は、その建設にかかるエネルギーの大きさを表しているようだ。宇宙エレベータの建設をしたければ、雷くらいのエネルギーを掛けなければいけないとでも言っているようだ。

「いや、そんな冗談考えてる場合じゃない……か」

 僕は自分自身にツッコミを入れた。

「木に落雷が落ちやすいから、平たい建物の中に逃げよう。公園のトイレ――あそこなら雷が落ちてきてもなんとかやり過ごせられるはず!」

「走ろう!」

 僕とミウは、滝のように降りしきる雨の中に飛び出す。

 その数秒後、背後でカメラのフラッシュが焚かれるような強烈な閃光が発した。

 耳鳴りと、衝撃に僕とミウは身を硬直させる。そしてすぐさま背後を振り返った。

 不協和音のような嫌な音が地鳴りのように響き、公園の木が根本から傾いていく。僕は愕然と迫り来る緑の枝葉を見上げていた。あまりのことに、雨音や体が濡れていくことすら意識から飛んでしまっていた。

「あっちゃん、逃げて!」

 ミウが叫ぶ。

 僕はのろのろとミウの方に顔を向けると、彼女の目をひん剥いて鬼のように歪んだ顔が間近に迫っているところだった。ミウの体が僕を押し倒す。そしてそのまま地面に転倒し、水たまりの中を泥まみれになりながら転がった。地面を打った雨粒の跳ね返りが、僕とミウをさらに水浸しにする。

 肩口にミウが目をぎゅっとつぶって抱きついていた。

 僕が立っていたところには、倒れこんできた大木が寝そべっている。

 顔を上げたミウが、ほっと息をついて顔の表情をゆるめた。

「あ~、危なかった……。ほんとに木に落ちるんだね。雷って」

「ああ、助かった。ありがとう」

「お礼は、今度でいいからね」

 ミウはニヤリと笑みを作り、起き上がった。

「早くトイレに避難しよう」

「OK」



「服買いに行っててよかったよ~」

 女子トイレの中からのんきなミウの声が聞こえた。地面に転がって汚れてしまった服を脱いで、買ったばかりの服に着替えているのだ。

雷は直上からは移動したようだったが、まだ目の前で光の狂乱を演じている。

 トイレから出てきたミウは、雷の光を遠くに見ながら「あれは当たったらヤバイわぁ……、教訓だね樹の下には避難しない、は」とメモをとるように呟いた。

「もうすぐ晴れるよ」

「ゲリラだしね」

 ミウは、そう言ってしゃがみこんでしまう。

「どうした?」

「ん……」

 気のない返事に、僕はかがんで彼女の顔をのぞき見た。

 血の気が薄い、と言うか白い顔をしている。そっと手を伸ばしてほっぺたに触ると、人肌とは思えないほど冷えてこわばっていた。

「体ひえちゃった、はは」

「笑ってる場合じゃないよ。なんか温めないと。俺の服は濡れてるし……、ちょっとコンビニ走ってタオルか何か買ってくるよ! それで晴れたら病院行こう」

「いいよ。まだそこまでひどくなってないし」

 ミウは弱々しく首を振った。体が冷えきってるせいか、動作がぎこちない。唇も青く変色していた。

「寂しいから、ひとりにしないで――って、別に変な意味じゃないよ」

「すぐ行ってくるよ。体拭いて、乾いた服を着ればまだましになるだろうから」

 立ち上がった僕の服の裾を、ミウがつかんだ。

「もうすぐ晴れるんだし、そしたら一緒に行こう」

「わがまま言うなよ……。万が一何かあったら」

「その時は一緒に病院行ってくれるでしょ」

 ミウはのろりとウィンクをして、口の端を上げてニヤリとした。

 何故か、かたくなに僕が行くのを拒んだミウの態度に根負けして、僕はミウの隣にかがみ直した。

「でも体冷えてるじゃん」

 彼女の肩に手を回すと、彼女の体は僕の手のひらよりも冷たくなっていて、体温を吸い取られるようだった。

「……」

 僕は、生唾を飲んだ。

「ちょっとのあいだ、温めようか……?」

「え?」

 ミウの顔がほんのり赤くなったような気がした。

「だ、だめ」

「そ、そうだよね」

 僕はミウの肩においた手をそっと離した。

 雨足はまだ強いままだが、雷鳴は遠くに行ってしまって、カラスの鳴き声程度の侘びしい音が鳴っているだけだった。

 ふと、肩に手を置かれ僕はビクついた。

「こっち見ないでね」

 ミウの両手が僕の体に巻き付いていると気づいたのは、しばらく経ってからだった。心臓の鼓動の音がうるさすぎて、状況が把握できなかったのだ。

「さっき抱きついたから、私が抱きつくのは問題ないよね」

「……うん」

「じゃあ、雨が上がるまで」

 ある意味ミウが僕の体に触れたせいで体温が上がって、人間ホットプレート――いや、ホットヒューマンか――になって、彼女を暖められるようだ。

 冷たい雨が降りしきる中、僕は時間が止まってくれれば嬉しいなと、心のなかで小さく願った。



「さー! 新しい服を買いに行くよ!! さっき買ってくれるって言ったよね? 言ったよね!??」

 雨がやみ、平温を取り戻したミウは、高まったテンションのまま公園のベンチに飛び乗った。靴を履いているのもお構いなしに、片足をベンチの背もたれに乗っけて雨が降る前よりも元気に手を振り回している。

「ゲリラ豪雨に感謝だね。あっちゃんが、まさか乾いた服を買ってくれるために、普段硬い財布の紐を解いてくれるとは……これも天の思し召し! 雨は豊作の象徴! なんてね!」

「あの~」

「かわいい服いっぱい買ってもらうぞー!」

 ミウは大きく伸びをすると、ベンチから飛び降りると、雨上がりの青空に負けない笑顔で僕を買い物に促した。

 なんだろう。

 僕の中に、少し損した気持ちがあるのは、なんだろう。

 トイレの屋根から落ちたしずくが、僕の背中を濡らした。

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