誘魂翅 参

     参.


 旧知の八百屋と煙草屋を経由して情報収集し、目的の子どもたちを見つけるまでは難しくなかった。

 美鈴から聞いた、翔馬の友人とおぼしき少年たち。彼らは携帯ゲーム機を囲んで、児童公園の鉄棒のまわりにたむろしている。

 燐太郎は彼らに近づこうとして、はたと気づいた。黒いシルエットのイラストを添えた『不審者に注意!』というポスターが、公園の門柱に貼られている。

「……ふむ」

 コットンジャケットにジーンズ、開襟シャツの己の風体はいたって普通だと思うが、印象は見方次第で変化するものだ。物騒な報道が目につく昨今、成人男性が小学生に声をかける図は下手したら通報ものである。

 家業のおかげで燐太郎の顔見知りは多い。しかし、もちろん幸先町の全住人を知るわけもない。

(どうしたもんか)

 注意喚起ポスターの脇で立ち止まって思案していると、通りかかった中年夫婦が彼にちらりと目を向けた。……すでに怪しい、かもしれない。

 我知らず、杏子の一撃を食らった腹をさすった。

「やっぱりつとまらんなぁ……」

 美鈴のつらそうな笑顔が思い出され、ため息がこぼれる。

 ひとまずシャッターの下りた向かいの商店まで後退した。自販機の陰の死角から公園を観察できるが、むしろ怪しさは増した気がする。万一ここでなにをしているのか人に問われたら無難な返答ができない。

「ここでなにをしてるんです?」

「うおあっ!?」

 振り向いてもう一度仰天した。

 大きな目。小柄で華奢、高い位置でふたつに結んだ髪。

 不思議そうな顔でたたずむのは、白黎学苑高校の二年生――新木悠乃であった。一度帰宅したのか、私服姿だ。

「……なんでここにいるんだ、新木」

「はい! 神社にお邪魔しようと思って来たんですが、八百屋さんの前で先生を見かけたので、あとをつけてきました!」

 ストーカーか。思わず額を押さえる。家がバレているのは致命的だ。

 悠乃はさらに一歩踏み出してきた。

「わたし、先生に聞きたいことがたーくさんあるんです! でも学校ではなかなかお話しする機会がなくって……どうか、お時間もらえませんか!」

 燐太郎が逃げ回っているせいなのだが、悠乃は「機会がない」の一言ですませるらしい。小学生に話しかける方法で頭を悩ませていたというのに、対処すべき事態が増えてしまった。

「あのな、新木。悪いが俺はいま別の用事が」

 言いかけて、口をつぐむ。

 悠乃の身長は百五十センチあるかないかであろう。ショートパンツにプリントのTシャツ、レース編みのカーディガン。Tシャツの柄は手描き風の猫のイラストで、ラフなタッチがおしゃれなのだと思うが、悠乃と組み合わさると誠に申し訳ないが高校生には見えない。

「……新木」

 燐太郎は片頬で笑った。わりと生徒に見せてはいけない種類の顔だが、当人は気づいていない。

「頼みがある」




「ショーマ、今日もこないな」

 鉄棒によりかかった眼鏡の少年が、ゲーム機を操作しながら言う。大柄な少年が答えた。

「だな。まだ起きねーのかな」

「や……や、やっぱり、入っちゃだめな場所に、入ったからじゃ……?」

 一番小柄な少年が言った。小学校低学年に見えるが、これでもほか二名と同じ四年生である。

「調子が悪いだけだろ。一緒だったオレたちは元気なんだぞ」

「で、でも……あの場所、ぜったいおかしかったし……」

「なーんか変だったよな。暗かったし」

 大柄な少年が頭の後ろで手を組んで言う。

「……ぼ、ぼく、思うんだけど……前に、テレビで、みたんだ……の、の、のろわれた場所とか……」

「そんなわけない。ヒゲンジツテキだ」

「でもよー、五日も起きないなんておかしいぜ。普通じゃねーよ」

 大柄な少年が眉をしかめ、眼鏡の少年が黙り込む。小柄な少年は不安そうにふたりの友人を見比べた。

 彼らの前に見慣れない少女がひょっこり現れたのは、そのときだった。

「こ、こんにちは。ちょっと質問、してもいいかなー?」

 緊張しているのか、少し硬い笑顔を浮かべている。Tシャツの胸で落書きのような猫が踊っていた。体格からすると、彼らより少し歳上のようだが。

 少年たちは顔を見合わせる。

「ねーちゃん、誰? 六年?」

「なっ!?」

 少女の頬にさっと血の色がさす。

「わたしは高校生! 高二! 十六歳!」

 彼女は自分の胸を手のひらで叩いて主張した。

 三人の四年生はふたたび顔を見合わせ、それから笑いだした。

「えー!? ぜんっぜん見えねー! 中一のねーちゃんよりちーせぇし!」

「さすがにウソだろ。せのびしたい年ごろなのか? チューニ病ってやつか?」

「え、え……ま、まさかぁ!」

 少女は真っ赤な顔をして身体の前で両拳を握りしめ、「ぐぬぬぬぬ」と唸った。

「……先生、恨みます……」

 絞り出すようにつぶやいたあと、彼女は勢いよく顔を上げた。ふたつに結んだ髪が跳ねる。

「ええい、わたしのことはいいの! キミたちに、訊きたいことがあるんだけどっ!」




 悠乃は一心不乱にいちごパフェをかきこんでいた。

「――ほれでですね、なかなか教えてくれなかったんでふけど、その日はちかみひをしたらしふて」

「報告は食い終わってからでいいぞ」

「あい」

 グラスにてんこ盛りになったいちご、バニラアイス、生クリーム。シンプルな構成だがコーンフレークで嵩増しなどせず、下までちゃんとアイスが入っている。

 高速で長いスプーンを動かす悠乃を、燐太郎は呆れ半分で眺めた。

(この身体のどこに収まってるんだ?)

 悠乃のパフェの消費速度は尋常ではなかった。燐太郎の珈琲が半分も減らないうちに、深いグラスはきれいに空になる。

「はああー、ごちそうさまでした! おいしかったです!」

「そりゃあよかったな」

 スプーンを置いた悠乃は、幸せそうにため息をついた。

 幸先通り商店街にはいくつかの喫茶店がある。ここは地蔵寺にほど近い歴史ある店で、名を『カノン』という。つねに薄暗く、合皮のソファもくたびれた古めかしい店だが、ハンドドリップの珈琲が抜群にうまい。

 小学生への聞き込みを終えた悠乃はなぜか殺し屋のごとき剣気を発していたのだが、パフェのおかげですっかり忘れてしまったようである。

「えーと、どこまで話しましたっけ?」

 悠乃はサービスの緑茶をひと口飲み、首をかしげた。燐太郎が扇子の先をひょいと持ち上げる。

「彼らが六日前の帰りに近道をした、というところまでだ」

「そうでした! ええと、幸先小四年のみなさんは、その日もさっきの公園で遊んでいたそうなんですが、いつもより遅くなってしまったそうで。なお原因はゲームで入手したモンスターの処遇について意見がわかれ、話し合いの必要があったためだそうです。このモンスターというのがですね」

「その詳細はいい」燐太郎は扇子をぱちんと鳴らす。「それで?」

「近道を使うのは、病欠中の辻翔馬くんの発案だったらしいです。公園の並びの民家と酒屋さんのあいだに細い路地があって、そこを通れば家の近くに出るのではと考えたようですね。それで、みんなでその道を通ったと」

「四人全員が通ったのかね?」

「そうみたいですよ。なんだか気持ちの悪い道だったと言ってました。暗くて、変に静かだったとか」

「――なるほど」

 無意識に指がシャツの胸ポケットを探っているのに気づき、燐太郎は手をとめた。生徒の前だ、煙草はまずい。

「あとですね、これは相田ユーキくんの情報なのですが」「誰だね」「眼鏡の子です」

 悠乃はお茶の湯呑みを両手で包み込み、心なしか声をひそめる。

「毎晩、変な夢を見るそうです――近道を通った日から」

 燐太郎は眉根を寄せた。

「どんな?」

「真っ暗な場所で、なにかに追われながら綱渡りをする夢らしいです。綱から落ちるところで目が醒めるとか」

「そいつは悪夢だな」

 だいたいわかった。ひとり頷く燐太郎を、悠乃が上目遣いで見る。

「……あの。ちゃんと先生のお使いをしました。ですから、そのかわりにわたしの」

「ありがとう。おかげさまで大変助かったよ」

 燐太郎は笑みをつくりつつ傍らのジャケットを取り上げた。扇子を懐にしまうのと入れ替わりに財布から千円札を三枚取り出し、悠乃がなにか言う前に彼女の手に握らせて席を立つ。

「じゃ、俺は行くから。ゆっくりしていくといい、おかわりしてもいいぞ?」

「え!? そうじゃなくてわたしは訊きたいことがまだ、あー!」

 あとを追って立ち上がりかけ、悠乃は手の中のお札とレジを交互に見る。彼女がおたおたと卓上の伝票を探すのを尻目に、燐太郎は喫茶『カノン』を出た。

 そうして、全速力で駆け出した。

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