突入

 シンラ洞窟の入り口は、岩石砂漠のど真ん中に唐突に存在した。まるでぱっくりと口を開けて獲物が引っかかるのを待ち構えている巨大なトカゲのようだ。中を覗き込むと、本当に魔獣の巣になっているのかと疑うほど静かで、天井から滴り落ちる水滴の音すら聞こえるほどだ。背中で誰かの、唾を飲み込む音が聞こえた。


「行きましょう」


 陣形は街中とは真逆。私が先頭で、真ん中にイヨナさま、最後尾にアルリの順だ。普通こういった洞窟探索では、パーティの目であり耳である者が哨戒を務めるものだが、まさかイヨナさまを先頭に立たせるわけにはいかない。それに今の陣形はそのまま戦闘時の格好であって、これはこれで合理的なのだ。


 少し進むと砂塵は姿を消し、ゴツゴツした岩肌が姿を現した。中は意外と空間があって、奥に行くほど広くなっていく。あっという間に陽の光は届かなくなり、完全に真っ暗闇になる前に、私たちは松明に火を灯した。鳥肌が立つような肌寒さのなか、地面も天井も歪で、松明の揺れる灯りが薄気味悪い影を作り出す。いよいよ巨大な魔物の腹のなかのように思えてきた。


 なのに不可解なほど魔獣の気配がない。イヨナさまも、それらしい物音を感知していないようだ。


「本当に魔獣なんているのでしょうか」


 実際に洞窟に巣食う魔獣から逃れてきた人がいるのだ。いまさらウル皇子の嘘を疑いやしない。ウル皇子がここの結界を破ってから経って一日。すでに討伐隊が洞窟を掃除したとも思えない。


「潜んでいるのだろう」


 思ったより敵は狡猾らしい。

 私の忠告にアルリはゴクリと唾を飲み込んだ。



 しばらく歩くと別れ道にぶつかった。


「アルリ、この別れ道はどちらに?」


 シンラ洞窟はルーテ教の聖地。天然の洞窟だが未開の地ではない。毎年多くの巡礼者が祈りを捧げに訪れる場所だ。だから地図を入手するのは造作もないことだ。まして、聖地を侵す魔獣を退治しに行くと言えば、たとえそれが異邦人であっても神殿は快く地図を譲ってくれた。巫女であるアルリが隣にいたことも大きいだろう。

 地図を開いたアルリは右の通路を指して、


「この先は従者の控室になっているようです。行き止まりですね」


 と、言った。イスリュードの所在がわからない以上、端から端まで見て回るべきだろう。行き止まりとわかっているなら都合が良い。


「では、まずは右からだ」

「はい」


 まずイヨナさまが聞き耳を立てる。誰もいないことを確認すると、次に私が松明で内部を照らし、目視で確認した。中には何者かの荷物が散乱しているのが見えたが、外と広い部屋らしく、奥までは見渡すことができなかった。仕方なく三人で侵入することに。すると一番奥の壁に、食い散らかされた死体があった。


「ひっ」


 イヨナさまの小さな悲鳴が部屋に反響した。

 死体はところどころ欠損していて、まだ食べかけのようだ。


「何か来ます!」


 突如、イヨナさまの警告が飛んだ。イヨナさまの視線は部屋の入口に向けられている。死体は獲物をおびき寄せるための餌か。私たちが洞窟に入った時から罠を張っていたのだろう。


「数は?」「三、いえ四!」


 どうやら群れで行動するタイプの魔獣らしい。少しするとカチカチと爪が地面に擦れる音が聞こえてきた。


「初戦です。ふたりとも、打ち合わせ通りに。大丈夫、群れるのは一体一体が弱いからです」

「「は、はい」」


 ふたりとも魔獣相手は初めてらしい。励ましの言葉は気休めにもならない。否応なしに緊張感を高めるふたり。しかし、この旅で何度も死線を乗り越えてきただけあって怖気づいてはいないようだ。作戦通り、アルリは私の剣に属性の付与を、イヨナさまは魔法石の入った革袋に手を添えながら、扉の方に目を凝らした。


「来ます! 魔力は……橙色、土属性です!」


 カチカチという音がすぐ近くまで迫り、そして炎の光に照らされて、暗闇から薄っすらと浮かび上がるように四匹の魔獣が姿を現した。


 鼠色の地肌がむき出しの狼のような風体。しかし狼よりも牙は逞しく、額から伸びる角はとても先鋭だ。そして荒い息遣いと、滴り落ちる涎が奴らの獰猛さを如実に物語っていた。


「仕掛ける!」


 奴らがじっくりと私たちを包囲しようとしていたので、私は先んじて攻撃に打って出た。虚を突かれたやつらは反射的に散開する。しかし真ん中の一匹は間に合わずに私の剣に顔面を差し出した。


「グギャアアア!」


 私は背中の短剣を抜いて、おぞましい断末魔を上げる魔獣の胸元深くに突き立てた。蝋燭の火が消えたようにピタリと動きを止めた魔獣。そして剣を抜き取り、背後から飛びかかってきたもう一匹の胸元を横薙ぎに両断した。こちらは一撃だった。


 これで確定だ。魔石は心臓にある。


 魔獣は体内のどこかに魔石を持っている。魔石を壊す以外にも魔獣を殺す方法はあるが、どのような魔獣でも魔石を壊せば即座に絶命するのでこちらの方が手っ取り早い。魔石を狙うかそれ以外を狙うか、戦略は時と場合によるが、敵の種類が限定されていて、魔石の位置も把握済み、という今の状況では魔石を狙うのが好手だろう。


 一瞬で半数を失った魔獣は、さっきまでの威勢を失ってしまう。入り口のほうへ退却しようとしたので、私は即座に追撃した。


 やはり人間を相手取るよりも楽だ。こいつらには戦略というものが欠けているから。これが人間であれば残りのふたりは、最初のふたりを囮にしてイヨナさまとアルリに矛先を向けただろう。ぱっと見て明らかに神術の使い手とわかるアルリに無防備に背中を見せるような馬鹿はいない。詰められる距離ならば詰めてしまって人質にできれば、まだ生きて帰れる可能性が残るからだ。


 すっかり私しか見えなくなった残りの一匹も処理して、私たちはシンラ洞窟での初戦を終えた。




 奥に進むにつれて魔獣の数は多くなり、強さも増していった。けれど恐れるほどではない。洞窟は存外広いけれど、先程のような群れで行動するタイプの魔獣が猛威を振るえるほどではない。むしろ大所帯は足かせとなる。一方、孤高を気取る力自慢の魔獣も、生半可では三対一の不利は覆せない。つまり、私たちの攻略は順調だということだ。


 そんなことだから口から溢れる話もあるわけで。


「イヨナさま、イスリュードに会って呪いが解けたら、本国に、城に戻りたいですか?」


 唐突な例え話にイヨナさまは目を丸くした。


「え、そ、そうですね……」


 言葉の続きはない。肯定を意味しているのか、答えを考えているのか、曖昧だ。


「流石に廃嫡は避けられないでしょうが、皇族として生きていくことはできると思います」

「……」

「皇位継承権一位と二位がいなくなっても争いが無くなるわけではありません。順位が繰り下がり、また新たな勢力図が宮廷に描かれることでしょう。そんななか、変化した情勢を良く思わない方がいて、あるいはイヨナさまはその方に敵視されるかもしれませんが、第一皇子の陛下毒殺未遂の件を詳らかにすれば、陛下の庇護を請うことも容易いかと思います」

「ちょ、ちょっと待って下さい」


 慌てた様子で話の腰を折ったイヨナさま。


「その話にジルはいるのですよね? お父さまに庇護を請う、というのは?」


 わたくしを守るのは貴方でしょう? とイヨナさまの瞳は尋ねた。


「どのような理由であれ、皇族殺しはお尋ね者です。反乱を阻止したということで指名手配は免れるかもしれませんが、良くて追放でしょう」

「そんな……それで、ジルはどうするのですか?」

「そうですね、南はやはり暑いので、西に逃れることにしましょう。イニピアか、シフォニで冒険者にでもなりますよ」


 他国ならば、皇族殺しの悪名も轟かないだろう。


「ひとりで、ですか?」


 愕然とした表情でイヨナさまは尋ねた。


「向こうでパーティを探してみても良いですね。両国とも魔法大国ですから、腕の立つ前衛職は引く手数多でしょうし」


 自分でも意地が悪いと思う。わざと楽しげに話して見せて諦めてもらおうという腹積もり。優しい姫さまなら、きっと身を引いてくれるはずだ。

 そう思ったのに、現実は真逆だった。


「……どうして……そんな……う……そ……のですか」


 俯いて苦しげに、イヨナさまは途切れ途切れの言葉を溢した。それは大人げない私への糾弾だった。


「どうして貴方がそんなこと言うのですか!」


 この非難を期に、すっかり落ち込んでしまったイヨナさまの口が開かれることはしばらくなかった。




 主君を傷つけることに後ろ暗さは感じるが、必要なことなのだから悪役にもなろう。イヨナさまの私への想いなど、一種の錯覚か、それでなければ若気の至りなのだ。宮廷に戻りさえすれば、きっとすぐに忘れられるだろう。

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