とても困ったことになった
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「わからないのです! ジルのことを考えると動悸がするのです。きっと新しい呪いにかかってしまったのだわ」
まずいことになった。様子が可怪しいとは思っていたが、まさか姫さまが私に懸想しているなんて。どうしよう、どうしたらいい。どうすべきだろうか。はいもいいえも言えないなか、私が選んだ答えは、
「イヨナさま、明日は頼りにしていますよ。なにせ、イヨナさまは私の愛弟子ですから」
だった。幸いだったのは、本人が呪いの正体に気づいていないことだ。
「はい!」
アルリと出会う前、旅の最初のころからイヨナさまは自分の無力を嘆いておられた。だから私は、そこに話を逃したのだ。
翌朝、恐る恐るイヨナさまと顔を合わせる。
「ジル、おはようございますっ」
「お、おはようございます、イヨナさま」
昨晩は遅くまで起きていたのに、血色はよく気分も良さそうだ。私はほっと安心した。しかし問題を先延ばしにしただけで、解決に至ったわけではないことを忘れてはいけない。イヨナさまが自身の感情の名前を知った時、今度こそはぐらかしはきかなくなる。
「ジル?」
急に顔を覗き込まれてぎょっと身体を反らした。
「ど、どうかされましたか?」
私が尋ねると、
「もう、今日は大変な一日になるのですから、ぼうっとしていてはだめですよ?」
イヨナさまは花のような笑顔で私を咎めた。
鼻歌を歌いながら顔を洗いに沐浴場へ向かうイヨナさまの背中を眺めていると、後からアルリがやってきて、
「昨日はイヨナさんが変でしたが、今日はジルさんが変です」
と、訝しげに言い残してイヨナさまを追いかけていった。その言い方では、今のイヨナさまが普段通りのようじゃないか。
「いや、あれはあれで変だろう」
まったく、ままならないものである。
聖地には馬で一刻ほどかかる。州長邸では奪われたラクダの所在がわからなかったので、代わりに馬を拝借しておいた。昼前にはムナランヤを出発する。
朝、買い出しと同時進行でシンラ洞窟についての聞き込みをしてみたところ、やはり聖地は魔獣の巣窟に成り果てていることがわかった。洞窟へ向かった巡礼者が、次々と引き返してきているらしい。知らずに奥に進みすぎて、無残にも犠牲になった巫女もいるそうだ。話を聞く度にアルリの顔がどんどんと悪くなっていったので、情報収集は早めに切り上げることにした。
確かなことは、大巫女イスリュードの行方がわかっていないことだ。引き返してきた者曰く、まだなかに取り残されているか、あるいはもう……だそうだ。その話を聞いてアルリは、イスリュードは神術の使い手としても超一流で、そんじょそこらの魔獣ならば相手にならない、だから絶対に生きているはずだと主張した。
洞窟が近づいてくると、砂漠にのさばる魔物どもの数が増えていった。本格的な戦闘になる前に、休憩がてら戦力と作戦の確認を行うことにした。
「わたしはどのような属性を付与すれば良いですか?」
「どのような魔獣にも対応できるように、純粋に斬撃の重さが上がるものが良いな。集まった魔獣の傾向がわかってきたら、その都度属性を変えよう」
「わかりました」
「わっ、わたくしは、どうすれば良いですか?」
アルリと付与神術についての打ち合わせをしていると、イヨナさまが身を乗り出して話に入ってきた。いつにもまして真剣な眼差しだ。
「イヨナさまにお渡しした魔法石ですが」
「はいっ」
「あれはいざという時以外は使わないようにしてください。確か、もう十個もなかったでしょう?」
「は、はい」
よろしく頼むと言われて渡された魔法石を使うなと言われ、少し混乱している様子のイヨナさま。その表情が混乱からがっかりに変わる前にきちんと言葉を付け加える。
「イヨナさまにお願いしたいことは別のことなのです」
「別のこと?」
「ええ、私は魔獣との戦闘経験は幾度となくありますが、この地域の魔獣のことは詳しくありません。魔獣は魔石を体内に持っています、魔石の属性が魔獣自身の属性となるということは覚えていますか?」
「ええ、それによって弱点や耐性も決まってくる、と」
「そうです」
ぽんと手を合わせるイヨナさま。そして聡明な彼女は私の言わんとしていることを先回りした。
「つまり、わたくしはこのパーティの目になれば良いのですね?」
「その通りです。魔力だけではなく、暗くて狭い洞窟では音も重要になってきます。さまざまな方向からの情報収集をお願いします」
「了解であります!」
獣耳をぴこぴこと動かして、イヨナさまは活き活きと返事をした。
アルリも、拳を握って自分を奮い立たせている。ふたりの士気は上々だ。
それなのに私は、力強く頷く裏でどうしようもない悩みに苛まれていた。
端的に言えば、イヨナさまの呪いが解けた後のことだ。
大巫女イスリュードと会って、イヨナさまの身体から獣が落ちれば、彼女は大手を振って宮廷に戻ることができる。一度穢れを持ってしまったがゆえに、事実上皇位継承権は失ってしまうが、イヨナさまにとってそんなのはどちらでも良いことだ。むしろ、皇位継承争いに加わらないことが、彼女にとっての盾になるだろう。それにウル皇子もいない今となっては、目のことでイヨナさまに危険を及ぼす者も存在しない。きっと姫さまには安寧の日々が戻ってくるだろう。
対して私はどうだ。どのような理由があれ、ふたりもの皇族を手にかけてしまったのだ。その罪は決して許されるものではない。この話を聞けば不条理だと思う者もいるだろう。しかし、これが騎士と姫という身分の決定的な差なのだ。
できれば私もイヨナさまをお護りし続けたいが、イヨナさまには戦いとは無縁に生きてほしい。血なまぐさい戦場で、死に物狂いになって戦う人生は送ってほしくない。
ただイヨナさまは、隣に私がいないと知ると、きっと皇都へ帰ることを拒むだろう。
私は、彼女の想いを踏みにじって説得しなければならない。それを考えると、今から気が重いのだ。
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