使命
視界の中心には巨大な穴が空いている。さっきの光で目を焼いてしまったようだ。戦いの最中、視覚を失ってもまったく動じずにいられるのは、すでに捕らえられているからだ。だが、この窮地から脱出するのに、目が見えないというのは具合が悪い。私を押さえつけているロインの手に油断はなく、闇雲に暴れても徒に奴の警戒を煽るだけだ。私は瞼を閉じたり開いたりを繰り返して、視覚の回復を図った。
「さて、頼みの騎士もこの有様だ。女ふたりでいつまで抵抗を続けるつもりだ? さっさと諦めなさい」
覚束ない視界の向こう側で、ウル皇子の声が聞こえる。
「ジ、ジル!」「ジルさん!」
姫さまとアルリの声も。
「聞いては駄目です、イヨナさま。アルリも、その障壁を解いてはいけない……」
目は見えなくとも、口はきける。腹を殴られた痛みで多少ぎこちなくあるが。
「ふむ、やはりこの男を殺すほかあるまい。おい、ハーロード」
「はい」
私を押さえ込んでいるロインが、頭の上で剣を構えたのを感じた。
「やめなさい! さもなくばわたくし、喉を掻っ切ります!」
イヨナさまの、あまりに物騒な物言いに、私はまだはっきりしない目を凝らして姫さまを見上げた。徐々に光の残像が小さく薄くなっていく視界に、護身用の短剣を首に押し当てているイヨナさまが映った。
「ひ、姫さまッ!」
私は姫さまをお護りし、お助けするために存在しているというのに、その姫さまが私のために命を犠牲にするなど、あってなるものか。
「姫さま……い、いけません!」
ウル皇子は姫さまの目を欲している。少なくとも姫さまが火あぶりになることはないはず。あとは解呪の話が真実かどうかだけだ。生きながらえても穢れとして塔に幽閉されては意味がない。
「……お、皇子。姫の呪いを解くことができるというのは、本当なのですね」
「当然だ」
ウル皇子は這いつくばる私を見下ろして言った。そして、さも当然のことのようにとんでもないことを言ってのけた。
「そもそもあの魔術師は私が仕向けたのだから、当然解呪の方法も我が手中にある」
そこには愉悦も侮蔑もなく、ただ己が使命を確信している瞳があった。目的のためには手段を選ばない外道がそこにいた。
目を見開いて愕然とした姫さまに、皇子は言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「まあ、驚いたろうな。けれど我が使命を貫くために、手に入れなければならないものはすべて手に入れる。排除しなければならないものはすべて排除する」
排除……。
「ラ、ラルグニアン皇子のように……?」
「そうだ。あの脳筋が帝位を継げば、帝国はきっとあと二十年ももたぬ。あいつが謀反を企てていたのは、本当に幸運だったよ」
「大巫女イスリュードも?」
「ああ。イヨナルシアが我もとに来る理由を失っては元も子もないからな」
姫さまがうっと、短く息を詰まらせた。
イヨナさまにとっては思わず顔を背けたくなるような話だ。自分のせいでアルリの大切な師匠を巻き込んでしまった。アルリは後悔するだろうか。怪しげな帝国人となど関わらなければよかったと。いや、アルリはしない。嗚咽を漏らしながらも、イヨナさまを守るために必死に神術を維持し続けている。しかしイヨナさまはわたくしのせいだと自分を責めるだろう。
「わ、わたくしは……」
風の壁のなかで、イヨナさまは立ち上がった。
「お兄さま、もう誰も殺さないで」
そして短剣を絨毯の上に置いて、一歩、ウル皇子へと歩みを進めた。
「イヨナさん!」
「アルリさん、壁を解いてください」
「駄目です!」
頑ななアルリを見て、イヨナさまは吹き荒れる風の壁に細指を伸ばした。敵の攻撃を弾き返す風の壁。矢くらいならバキバキに折れてしまう。人の指など……。
思わず目を見張ったアルリ。イヨナさまの指はあまりにも躊躇なく風の壁に近づいていく。間一髪で風の壁を解いたアルリは、
「だめ!」
同時にイヨナさまの足にしがみついた。私も拘束を解こうと力を入れるが、うつ伏せで、さらに後ろ手に拘束されていてはろくに力など入らない。
「手間取らせたな」
アルリの手から奪い取るようにしてイヨナさまを引き寄せたウル皇子は、何の感情も感じられない冷たい声色でロインに命じた。
「殺せ」
「御意」
短く答えたロインは、再度折れた剣を振り上げる。
「お兄さま!」
「邪魔者はすべて排除する。そう言ったはずだ」
いよいよ窮地に立たされるが、ロインの拘束が固くびくともしない。イヨナさまを見上げると、ウル皇子の身体に身を預け、私から視線を逸していた。
私の為にイヨナさまが自傷するなんて本末転倒だが、誓った忠誠を果たせずに命を落とすのも騎士の名折れだ。
ユドラウさま、結局私は、ユドラウさまのような立派な騎士にはなれませんでした。
「イヨナルシア!?」
ウル皇子の驚きに満ちた声がして、私は伏せていた視線を再びイヨナさまに向けた。
「姫……さま?」
イヨナさまは小さな革袋を握っていた。あれはさっきウル皇子が魔法石を取り出した袋だ。膨らみから考えて、まだ石の在庫はありそうだ。
突然、袋から赤い光が溢れ出した。赤は炎の大精霊カンカの色。イヨナさまが流し込んだ魔力に炎の魔法石が反応したのだろう。
「や、やめろ!」
ウル皇子が慌てて手を伸ばすが遅い。手を焦がすような熱さに耐えきれなくなったイヨナさまは、とっさに袋から手を離してしまう。絨毯の上に散らばるたくさんの魔法石のなかで、やはりひとつだけ真っ赤に輝いている石があった。イヨナさまの手を離れたことで魔力供給は絶たれたはず。だが、起動に必要なのはわずかな魔力だけというウル皇子の言葉通り、すでに石は魔法を発動させていた。
炎の魔法はもっぱら攻撃魔法に使われると聞く。こんな屋内で炎の魔法を発動させたら!
「皇子!」
すでに臨界状態の魔法石を見て、ロインが皇子に飛びかかる。
「姫!」
身体の自由を取り戻した私もイヨナさまに飛びかかり、頭を胸に抱きしめて絨毯に身を投げた。
瞬間、熱風が顔の直ぐ傍を駆け抜けた。視界が紅蓮に染まり、背中にとてつもない熱量を感じた。まるで火山に住まう炎龍の巣に迷い込んだような緊張感だ。
視界がもとの色を取り戻すと私は即座に立ち上がり、剣を拾ってロインを探した。
ロインもまた剣を拾おうと手を伸ばしていた。ほんのわずかな差だった。手の長さ、いいや指の長さほど剣との距離が近ければ、ロインは間に合っていただろう。しかし現実は違った。
「ジルバラアアアアアアアアトオオオオオオオオオ!!!」
ロインは叫ぶ。何の躊躇もなく突きを繰り出した親友の名を。そして私は、親友の血で濡れた剣を、今度はウル皇子に突きつけた。
「お前たちは稀代の愚者として歴史に名を連ねることになるだろう」
死に際、皇子は毅然と言い放った。そこに一切の揺らぎは無かった。
「構いません。貴方の使命が帝国に魔法をもたらすことだったように、私の使命は姫さまをお護りすることですから」
そして私は剣を振り下ろし、ふたり目の皇子を殺害した。
「姫!」
いまだここは戦場である。警戒心を保ったまま私がイヨナさまに視線を向けると、姫は茫然自失として死んだふたりの姿を見つめていた。
「姫」
私は姫のもとへ駆け寄る。
「姫、大丈夫ですか? お怪我は」
三度呼ぶと、イヨナさまはぎこちなく私を見た。
「……イヨナさま」
「ジル、ごめんなさい」
思わぬ言葉だった。
「どうして謝るのです」
「貴方に、親友を殺させて、しまいました」
「それは――」「それに、ふたりも、皇族を手にかけさせてしまいました……」
私の言葉を遮り、イヨナさまは続けた。
「アルリさんのこともそうです。わたくしと関わらなければ、大切な人を失うことも無かった」
「それはまだ決まったわけでは――」「ジ、ジルも! こんなぼろぼろになって、顔も、煤だらけで……」
まるで私の言葉を恐れているようだ。
「わたくしの騎士になったばかりに………………。わたくしなんて……」
「イヨナさま、それはいけません」
「わたくしなんて、生まれなければ――――――」
パシンッ!
私はイヨナさまの頬を打った。イヨナさまは口を閉ざしてくれたが、私の右手もじんじんと傷んだ。
じんわりと赤くなっていく頬に手を当てて彼女は口を開いた。
「ジル、熱いです」
「そうでしょう。それが痛みです」
思えば、この長い旅でイヨナさまは怪我のひとつもしていない。宮廷ではもちろん。イヨナさまは今、生まれて初めて痛みと呼べるほどの刺激を他者から与えられたのだ。
イヨナさまは堰を切ったようにぼろぼろと大粒の涙を溢し始める。初めての痛みに動揺したのだろうか。
「ジル、じるっ」「はい」「息がっ、できなくて」
嗚咽を漏らして泣きじゃくるイヨナさま。私はイヨナさまの頭に手を載せた。
「胸が、ひっく、苦しくてっ、うわああああああああん」
誰かに触れられることで安心したのか、イヨナさまはますます大きな声で泣いた。私はそんな姫さまを、なだめるように、慰めるようにそっと抱き寄せる。そして自己嫌悪に苛まれているであろう姫さまに、言い聞かせるようにゆっくりと話しかけた。
「さっきは助けてくれてありがとうございました」
驚きの表情で顔を上げたイヨナさま。
「姫さまが機転を利かせなければ、私はきっとロインに殺されていたでしょう。姫さまは、親友を殺させてしまったとおっしゃいましたが、その御蔭でこれからもユドラウさまとの約束を守り続けることができるのです」
イヨナさまの表情はまだ曇ったままだ。何かを得るために何かを失うということはよくあることで、確かにそんな現実は、できれば承伏したくないけれど、それでも、
「イヨナさま、私は幸せですよ」
そう思うのだ。
「あ、あの……もういいですか?」
突然投げかけられる声。とっさに振り向くと、そこには大きめの執務机があった。天板からひょこっと手が生える。否、机の向こうに隠れていた者が手を上げたのだ。
声の主はアルリ。立ち上がって無事な姿を見せてくれた彼女は、ことさら気まずそうに視線を彷徨わせていた。
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