小さな石
赤絨毯の上に黒いシミが広がっていく。ラルグニアンの血だ。
「うわぁああああ!」
血溜まりのなかに転がる皇子の死体を目の当たりにして、兵士たちは脱兎の如く逃げていった。彼らの主人は州長のはず。だが州長の「ま、待て! お前たち!」という声は兵士たちの耳に届きやしなかった。
つまり兵士たちは、今回の反乱は失敗に終わったと判断したのだ。反乱を正当化するために必要だった正統性を失い、今やただの逆賊と化した。今回の企てが皇都に伝われば、他の属州への見せしめとして大軍が派遣されてくるだろう。かといって、計画を台無しにした私に挑むほど、ラルグニアンに対する忠義もない。
もともと州長や皇子が主導していた計画だけに、いかに帝国憎しの彼らでも、頭を失ってまで続けるものではなかったということだ。
「さて、貴様の計画は終わりだ」
これでようやく旅を再開できると思った。
「ぐっ……」
後ずさる州長は、奥の別の部屋へと逃げ込んだ。私の皇族殺しは兵士たちにばっちり見られている。いまさら州長のひとりやふたり逃したところで何も変わりはないし、これ以上やつに何ができるとも思えない。だから逃げるならそれでも良かった。だが、州長が逃げた先の部屋で、何やら物音がして、首を絞めた鶏のような悲鳴が聞こえたので、警戒しながらその部屋を覗き込んだ。
「よう、ジルバラート」
「お前!」
部屋は寝室だった。天蓋付きのベッドの傍にロインが立っていた。主人が大変なことになっていたというのに、今の今までどこに行っていたのか。
ふと、奴の手元に目線を落とす。ロインの手は剣を握っていて、その切っ先は真っ赤に濡れていた。切っ先からドロリと床に滴っているのは血液。床に転がっているのは、州長の首だった。
「ロイン、貴様、州長を殺したのか? 仲間ではなかったのか?!」
私たちはこの街に着いた時に、ロインが州長の軍のなかに入っていったのを見た。確かに合流したように見えた。
「そうだ。それよりもお前、ラルグニアン殿下を殺害したな?」
私は唾を飲み込んだ。
内務調査官のロインに知られてしまった。一番知られたくない相手だ。
「そ、それは、それが必要だったからだ。それに、やはり第一皇子は反乱を画策していた!」
「何を可怪しなことを言っている。そんな証拠はどこにも無い」
「なに?」
一瞬、ロインが何を言ったのか理解できなかった。聞き違いかとも思った。ロインは酷く訝しげだが、証拠云々以前に、反乱の話はロインが私に聞かせたことだ。だというのに、まるで初耳のような態度はなんだ。
「それは、集められた兵士を見ればわかるだろう」
「兵士とはどこにいるのだ」
ロインは不思議そうに辺りを見渡した。
成立するはずの会話が成立しない。まるで私の知っているロインとは別人のようだ。だが、そんなことはありえない。私は事態が最悪の方向に向かって転がっていくのを頭の奥の方で感じた。
兵士たちはさっき逃げ出していった。もうこの屋敷には誰も残っていないだろう。街に飛び出して兵士を捕まえて、反乱について問いただしても、間違いなく奴らは全面的に否定する。そして首謀者の死。ひとりはロインが殺したが、それを告発しても皇族殺しや獣憑き、あるいは異教の巫女の言うことなど誰も信じやしないだろう。
ロインの目はまっすぐにこちらに向いている。私の反応を見極めているようだ。
ロインがとぼけているのは確かだが、目的が不明だ。州長、あるいは第一皇子と繋がっていたのではないのか?
私がロインと睨み合っていると、イヨナさまとアルリがいる部屋の方で動きがあった。
「お兄さま?」
「やあ、イヨナルシア。大変な目にあっているようだね」
この声は、イヨナさまの実兄、ウル第二皇子だ。
私は慌ててイヨナさまのもとへ駆け戻る。
「ジルバラートも一緒だね」
「ウル皇子、どうしてこちらに……」
私が尋ねると、ウル皇子は物腰柔らかに答えた。
「イヨナルシアと、君に話を持ってきたのだ」
「話しですか」
「ああ」
私が第二皇子と話していると、奥の部屋から現れたロインが皇子の半歩後ろに控えて立った。もう何がどうなっているのかわけがわからない。
「それでお兄さま。話というのは……」
「ああ、イヨナルシア、その呪いのことだよ」
頭を指され、イヨナさまは慌てて両手で獣耳を覆う。その様子にウル皇子はにこりと微笑んだ。
「よい、もう知っている。実はね、解呪の方法を見つけたのだよ。私と一緒にフェイエラントへ戻ろう。浄化などさせやしない」
「本当ですか!」
瞠目して声を上げるイヨナさま。しかし、この部屋の状況を思い出してすぐに表情を暗くした。
「ですが……」
「この部屋であったことは私から父上に話して、護衛騎士のしでかしたことも不問になるようにかけあってみよう」
「お兄さま!」
兄の取り計らいに感激するイヨナさま。しかし私は素直に喜ぶことができなかった。
「殿下、発言をお許し下さい」
ウル皇子は微笑を保ったまま私を見た。「どうした?」
「私のしでかしたこととは何でしょうか」
私の問に、皇子は後ろに控えているロインに目を遣る。ロインが頷くのを確認すると、
「当然、兄上を殺害したことだ」
と、答えた。ロインは頷いただけだ。なのに、現場を目撃していないウル皇子が的確な答えを返してきたということは、私の皇族殺しは彼らにとって予定された出来事だったということになる。
私をハメたのですねと目で訴えると、それを肯定するように笑みを深め、それでどうするのかねと言いたげに首を傾げてみせた。
「いったい何が目的ですか」
「ふむ、お前たちは私が魔法の研究に力を入れていることを知っているね」
ウル第二皇子がこの騎士国で魔法に傾倒していることは有名な話だ。
「多くのものは傾倒などと揶揄するが、私はこれからの帝国には魔法が必要だと確信している。帝国は強力な騎士団でもって周辺国を侵略し、属国としてきたが、それは魔法が遠距離では弓矢に、近距離では騎士に対して優位性を得られていないからだ。しかし、その状況は長くは続かない。なぜなら弓も、剣も、数百年間で形状の変化は多少あったが、大きな進化は遂げられていないからだ」
「それは魔法も同じでは?」
魔法大国であるシフォニ王国とイニピア王国の間に起こったセリクシア戦争。数百年前の出来事だが、その時は、両国が競い合うように新魔法を開発したそうだ。しかしそれでも種類が増えたり規模が大きくなったりしただけで、進化というほどの変化は起こっていないと聞く。
私の考えとは裏腹に、ウル皇子は黙って首を振った。そして外套のなかから革の小袋を取り出し、その中身をつまんで私たちに見せた。
「これが何かわかるか」
「……」
淡い翡翠色のガラス片のようだ。
「魔力の結晶を魔石というが、これは違う。この中には魔法が込められている。シフォニ王国で開発されたものだが、魔法石というものだ」
魔道師との戦闘に対応するために詠唱学は学んだことがある。しかし魔法そのものについては私は明るくない。アルリはともかく、イヨナさまも同じだろう。そんな二人のためにウル皇子は言葉を続けた。
「魔法石を使うと込められた魔法が発動するが、使用に詠唱は必要ないし魔力もわずかで良い。それこそ魔力操作を学び始めた幼子ですら扱える代物だ」
「にわかには信じられません……」
魔法に明るくはないが、殿下の言うことが今までの常識を覆すことだということはわかる。私の同意を得て、ウル皇子は深く頷いた。そして使命感に満ちた瞳で言った。
「そうであろう。しかし事実なのだ。これが戦に投入されるようになれば、魔法に劣る我が帝国は圧倒的不利に立たされるだろう。そうなる前に、魔法技術の改善を急がねばならないのだ。そのためにイヨナルシア、其方のその目が必要なのだ」
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