突破
駆け寄る兵士たちが、まるで波のように幾重にも重なって私たちからアルリを遠ざける。ふたりに傷ひとつつけてみろと脅してみても、それは私にも突き刺さる言葉。大人しく捕まればふたりが無事にすむというのであれば……
そこまで考えて、ふとユドラウさまの顔が脳裏に過ぎった。
イヨナさまの呪いはどうするのだ。捕まれば本国送りののち、カンカの炎により姫さまは浄化されてしまう。浄化などと耳障りの良い言葉を使っているが、つまり火あぶりだ。本国に送られれば私個人ではどうすることもできない。足掻くならここしかないではないか!
顔を上げた私は、下ろしかけた切っ先を戦意とともに再び持ち上げた。その時だ。
「この碌でなし!」「死ね!」
複数の罵声が聞こえた。何事かと思って声の方を見ると、ボロ布を纏ったみすぼらしい者たちが十名くらい集まっていた。彼らはさらなる罵声とともに腕に抱えた石を兵士たちに投げつける。
「イスリュードさまを返せ!」「俺たちから神殿を返せ!」
そういえばアルリが、神殿を移動させたのは市長だと言っていたか。
貧しいものたちにとって信仰とは救いだ。心の拠り所として以外にも、例えば帝都の神殿では、三日に一度パンの配給が行われているなど、実利ももたらす存在だ。この貧しい街エイズルで、配給があるかは不明だが、発言内容から大巫女イスリュードは、彼らにとって拠り所というべき存在だったことが窺える。
「何をするか! うあやめろ!」「このっ、お前たち!」
いかに肋骨が浮き出ているような貧弱な物乞いの腕力でも、拳ほどの石礫を投げれば、当たりどころによれば人を殺すことができる。あいにく兵士たちは兜を被っているので致命傷には至らない。それでも深層意識に染み付いた恐怖、警戒心が彼らにとっさの防御を強いるのだ。そしてその隙を見逃す私ではなかった。
兵士たちの視線が逸れた一瞬で、私は腰のナイフを抜き、アルリを捕らえている兵士に向けて投擲した。突如想定外の部位から痛みが走り、驚いた兵士は腕に刺さったナイフを目撃した。
「うわあああああああああああ!」
彼の絶叫が、物乞いたちの投石によって乱された場をさらに加速させる。私たちに詰め寄っていた兵士たちの間に隙間ができ、解放されたアルリが私たちの傍に駆け寄ってきた。
「突破します! 姫さま、アルリも、離れぬよう」
「は、はい!」「はい!」
逃げる方向は貧民たちのいるほう。私は渾身の力を込めて剣を掲げた。
「おおおおおおおおおおおおおおおお!」
もしもこの窮地を脱せなければ、イヨナさまには死しか待っていない。火に焼かれて死ぬか、兵士に殺されて死ぬかだ。
「ま、待て! この人数で勝てると思っているのか!」
咆哮を上げる私に狼狽えたオサドが喚き散らす。確かに常人ならば無理だ。しかし私を誰だと思っているのか。
「私はジルバラート・ロンドグラム! 剣聖ユドラウが剣技のすべてを受け継ぎし者なり!」
高らかに名乗りを上げれば、輝かしい師の名が晴空に響き渡る。ユドラウさまを縁として名乗りを上げたのはこれで二度目。北方での戦いでユドラウさまを逃がすために、殿を務めた時以来だ。あの時の絶望に比べれば、今のこの状況など。
背後でブーツの砂を噛む音が聞こえ、私は動き出す。魔法の使えない私でも、リーチ外の相手を剣圧で気圧すことくらいはできる。双眸に飛び込む鋭利な切っ先に恐怖心を覚えてしまえば、もう一歩も動けまい。そこまで持ち込めれば、あとは前に進むだけで道は開ける。
「な、何をしている! お前た――?!」
怯んだ兵士に檄を飛ばす豚。だが奴が怒鳴り終えるよりも私が地を蹴る方が早かった。ひとり斬り、ふたり斬り、三人目は心臓を一突きにして、喀血する敵ごとまるで古代の戦車のように敵兵を薙ぎ倒し道を切り開いた。
敵の包囲を抜けると、すぐに背後のイヨナさまとアルリのふたりを前に出し、追おうとしていた敵の腕を斬り飛ばした。
「振り向かなくていい! 走れ!」
集団を抜け出した私たちは、脇目も振らずに走った。無我夢中で、なんとか貧民たちを駆け抜けた時、背中にもったりと纏わりつくような嫌な違和感を感じた。
奴らの逐いかけてくる気配がしない。振り返ると、親指くらいの大きさになった兵士たちの中心にいる豚、その豚の隣に、さっきまでいなかった人影があった。鎧をつけず、代わりにローブを纏い、フードのような頭部を包み込むような帽子を被っている。極めつけに大きな杖を見せられれば誰だって魔術師だとわかる。
いま、豚がこちらを指し、魔術師がちらりと横目で私たちを見た。口元が動いている。本能的に攻撃魔法が飛んで来るとわかった。
規模は? 属性は? 範囲か単体か、どのような効果だ? ここからでは詠唱が聞こえない。
「障壁をつくります!」
先頭に躍り出たアルリが杖を掲げて呪文を詠唱しはじめた。
「大天使アジルサリアよ、我が呼びかけに応え給え。我求むるは壁。天空を此処へ――」
「アルリさん! それじゃない!」
突然、イヨナさまの透き通る声が背中から響いて、アルリの詠唱は阻まれてしまう。この切羽詰まった状況で何事かと振り向いた先には、大きく目を見開いて敵魔術師を注視しているイヨナさまの姿があった。
「あの魔術師が使おうとしているのは、茶色、土属性の魔法です!」
「え? え?」
イヨナさまの言葉を受けて、アルリは酷く混乱する。しかし私はすぐに理解した。イヨナさまには敵の詠唱が聞こえているのだと。
一般的に対魔道師戦闘において、魔道師が使う魔法の属性は、詠唱される呪文を元に推察する。
今、私には敵魔術師の詠唱は聞こえていない。しかし獣の聴力を持つイヨナさまには、きっと聞こえているのだ。
「アルリ! 土属性に対抗できる属性で最短の詠唱は」
わけが分からず停止していたアルリが、ハッとした様子で祝詞を唱えなおす。
「付与魔法です! 黒鉄の戦天使ムハナビアよ。木より石を、石より鉄を。戦いの一振りに御身が加護を!」
付与魔法という言葉に反応して抜き放たれた私の剣に、ムハナビアという天使の加護が現れる。瞬間、ズシリと剣が重くなるのを感じた。
いい重さだ。これならいける!
私は剣を振りかぶり、すでに放たれ、不気味な風切り音とともに飛来する巨大な石槍を、間一髪で受け流した。虚空に消える石槍。次の攻撃が放たれる前に、私たちは慌ててその場を離れた。
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