終わりゆく街で
ボアンドラ地方の都市は、ほとんどがオアシスを中心に築かれる。人が生きるためには水が必要だからだ。数少ない例外は河川沿いの街くらいだ。だからエイズルも例によってオアシスを囲っているのだが、どうにもリスジッダや、今まで立ち寄ってきた他の街と比べて、いささか、いや非常に寂れた様子だった。
アルリの話では、エイズルはかつてリスジッダよりも大きな街だったらしい。オアシスの周囲を余すところなく囲う壁によって街はひょうたんのような形をとっていて、大神殿は、くびれ部分を挟んで大きい方のエリアの中心にあったそうだ。しかしオアシスが枯れはじめた影響で、年々活気は失われ、今では神殿のあった大きいエリアの、ほとんどが貧民街化しているらしい。
神殿は最後まで貧しき者たちと共にあろうとしたらしいが、市長の要請により、とうとう昨年、小さいオアシスが現存するくびれの向こう側に移転してしまった。
エイズルに到着した私たちは、まっさきに神殿へ向かった。移転先の神殿は、もともと神殿ではない建物を神殿風に改装したもので、ところどころ気になるところが鼻につくのか、アルリは「異端です……」と愚痴を溢していた。例えばソルディア神の足元に控える十二の天使たちの数が足りないとか、神殿の入り口が本来西側になくてはならないところが南側だったり、礼拝前の手洗いに使う水場の様式が違っていたりとか、そういうのだ。新しく建て直すだけの資金は、もはやこの街にはなかったのだろう。私とイヨナさまにとっては、そのような神殿の様式などどうでも良いことで、アルリの愚痴を話半分に聞きながしながら宥めた。
礼拝所の前で私たちはアルリを見送る。大巫女イスリュードからすれば、私たちは面会希望の手紙も寄越さぬ不躾な来訪者だ。それが解呪という奇跡を求めてくる。せめて愛弟子と引き合わせることで機嫌をとっておきたい。
「いよいよですねっ」
「ええ、そうですね」
喜び勇む、というよりかは緊張している様子のイヨナさま。しかし、落ち込んだ様子で神殿からでてきたアルリの口からは、大巫女イスリュードの不在という答えが返ってきた。
「え、いない?」
話を聞くに、ちょっと買い物に市場へ、というわけではなさそうだ。
「次はいったいどこへ行ったんだ」
思わず私は呆れ口調になる。
「シンラ洞窟だそうです」
「シンラ洞窟?」
首を傾げるイヨナさま。
「ソルディアより神託を授かる聖地です」
「ふむ」
次の行き先がわかったのだから、ここまで来たことを無駄足だとは思わないが、長旅だっただけに流石に疲れがどっと押し寄せてくる。イヨナさまも小さく溜め息を吐いた。
「あの、ごめんなさい」
私たちの様子を窺うように覗き込みながらアルリは、申し訳なさそうにしおらしい態度をとった。このような気遣いはお門違いである。
「そんな。アルリさんがいなければここまで辿り着くことすら出来なかったかもしれないのです」
イヨナさまの言うとおり。特に先日の盗賊との戦いにおいて、アルリの貢献は計り知れない。
「感謝こそすれ、責めるはずがないだろう」
「でも……」
涙目になるアルリ。自分が薦めた人物に引き合わせることができなかった、期待を裏切ってしまったと、自分を責めてしまう気持ちはわかるが、ここで謝られては困る。まだ裏切ってしまったと結論付けられては困るのだ。
「では、そのシンラ洞窟までの道案内も頼んでいいか?」
私たちには皓々と広がる砂海の水先案内人が必要なのだ。だから善意を要求することくらい厭わない。それに、その方がアルリの心持ちも楽だろうし。案の定、私の依頼にアルリは元気よく頷いた。
「はい!」
次の目的地が決まったところで、私とイヨナさまはアルリを神殿に残して宿の確保や出発に向けての準備をすることにした。アルリは遍歴巫女だ。このエイズルの大神殿も、数多ある目的地のひとつ。アルリには祈りを捧げるための時間が必要なのだ。
そしてもう一人、時間を必要としておられる方が、くたびれた市場で私の前を歩いている。
「イヨナさま」
私はいつもイヨナさまの後ろを歩いた。いまだ汚れなき姫さまの命を狙う輩は、往々にして背後から襲ってくるからだ。暗殺のセオリーに反して正面から堂々と仕掛けてくるようであれば、普通に対処すれば良い。だから今もイヨナさまは私の前を歩いている。
「イヨナさま」
普段ならば「何かしら」と、無邪気な瞳で私を見上げてくるのだが、今度に限ってイヨナさまは、まるで私の声が聞こえていないかのようにぼーっとして歩いている。エイズルの市場は、フェイエラントやリスジッダの市場とは違ってとても平穏で、だから本当に私の声が聞こえていないというわけではないだろう。意図的に無視するとも考えられない。つまり、聞こえていないのではなく、頭に入っていないのだ。それほどまでに、イスリュードの不在はショックだったのだ。皇城から出たこともなかった箱入り娘の、初めての遠出が逃亡で、空の色、土の色、人の肌の色すら大きく変わるほどの距離を旅した。血と汗と、泥と砂埃にまみれてここまで来て、ようやく自分を皇都から追放せしめた忌まわしき呪いが解けると思ったら、それが空振りだったと告げられたのだ。まだ続きが示されているとはいえ、誰であっても肩を落としてしまうだろう。
そして悲観的な考えに陥れば疑念も生まれてくる。イヨナさまもアルリも清純な娘だ。だから姫さまが呪うとすれば、疑うとすれば、己の運命に他ならない。どうして私がこのような目にあうのか。このまま呪いは解けず、生涯獣憑きとして生きなければならないのではないか。あるいはイスリュードの能力にも疑念が及ぶかもしれない。本当に解呪などできるのだろうかと。
結局、私はイヨナさまに何も声をかけることができずに、ただ黙々と用事を済ませ、気づいたときには神殿の前に戻ってきていた。
開放された門前からなかを覗き込むと、私たちを見つけたアルリがいそいそと小走りでこちらに向かってきているところだった。そのアルリの走る姿――いや、正確には彼女の周囲に感じるそこはかとない違和感だ――を見て、私は酷く狼狽し、同時にイヨナさまに釣られて考えに耽っていた自分を叱責した。
主人がこのような状態だからこそ、護衛の私がしっかりしなくてはいけないといのに、私はその本分を蔑ろにしていたの。とんでもない失態!
待ち伏せされていると気づいた時にはすでに遅く、何者かによる包囲網は完成されていたのだった。
「きゃああ!」
突如、物陰から現れた兵士風の男にアルリが捕らえられた。私たちのところまでそう遠くない距離だが、あいにく間合いの外。イヨナさまの護衛を投げ出して助けに動いたとしても、アルリの胸に剣が突き立てられるほうが先だ。
私に動きがないことを悟ると、四方からぞろぞろと兵士風の男たちが二十名ほど姿を現した。武器も防具も統一されていて、寄せ集めの盗賊とはとても思えない。さきほど撃滅した盗賊がらみではなさそうだ。ではいったい誰が? 心当たりはある。あるにはあるが、もしも第一皇子の伯父の手のものだとすれば、情報が早すぎやしないだろうか。
牽制しながら敵の意図をはかろうとしていると、兵士たちの間を縫って、ひとりの豚のような男が姿を表した。
「み、みつけたぞ」
豚は酷く怯えた様子で、姿は見せても兵士たちの先頭に立とうとはしなかった。
「貴様、誰だ」
「ぶ、無礼な! 儂はこの街の市長のオサドだ!」
奴が臆病者で幸いなのは、豚の唾がイヨナさまに飛ばないことだ。
「その市長が私たちに何用だ」
「お前たち、皇女イヨナルシアとその護衛であるジルバラートだな」
「……」
こんな田舎町の市長まで使って、宮廷は、いったいどれだけイヨナさまの捕縛を強く望んでいるというのか。確かに皇族から獣憑きが出たことは帝国の汚点だが、それでも生まれついてのものではないし、何よりこのような汚らわしい豚に知らせて、そこから悪評が広まるリスクを考えなかったのか。あるいは、利用した後、私たちごと葬り去るつもりなのだろうか。
ジリジリと距離を詰めてくる兵士たち。
まずい。ここで捕まればイヨナさまとは引き剥がされてしまう。それにアルリと離れ離れになってしまうのも良くない。なにせ、彼女はイスリュードへの唯一の手がかりであり、手土産なのだから。
「イヨナさまはもちろん、そこの巫女に傷ひとつつけてみろ。ラグルニアン第一皇子は、貴様らの親兄弟、友人知人に至るまで、皆殺しになさるだろう」
こんなのは口からでまかせ。ハッタリだ。だが、宮廷が出した命令が討伐ではなく捕縛なのは間違いないはずだ。オサドがいつ私たちのことを知ったのかは不明だが、私たちがこの街に入ってから、仕掛けるタイミングはいくらでもあったのだ。今だってそうだ。だが兵士たちは私の揺れる切っ先に怯んで攻めあぐねている。私の反撃を恐れているのではなく、下手に事を荒立て、大立ち回りになってしまっては都合が悪いからだ。だからこのハッタリは効果を発揮する。
しかし、状況の打開にはまだ遠い。何かひとつ、もうひとつだけ味方となるものがあれば!
どれだけ祈ろうとも、時間は止まりやしない。
「と、捕らえよ!」
ついにしびれを切らした市長オサドの命令により、二十名の兵士たちが一斉に動き出した。
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