ふたりの皇子

 騎士ジルバラートと皇女イヨナルシアが、大巫女イスリュードを訪ねて都市エイズルへ向かっている時、首都フェイエラントの皇城では皇位継承争いが激化していた。イヨナルシアが失脚したこと自体、たいした影響はなかった。ただ、今まで水面下で動いていた暗部が表に出てきたことが、皆の心に衝撃を与えたのだ。


 皇位継承権第三位は姫君だ。だから皇位継承争いの主人公はふたり。第一皇子ラグルニアンと、第二皇子であるウル。ウル第二皇子はイヨナルシアの実兄だった。

 今、そのふたりの主人公が、ひとつのテーブルを挟んで座っている。兄弟だというのに酷く緊迫した雰囲気がふたりからは発せられて、一度不要な物音を立ててしまえば、辛うじて保たれている均衡が崩れ去り、自分のような使用人は、一息に握りつぶされてしまうだろうと、この部屋の誰もが思っていた。

 だというのにふたりの当事者だけは、その緊張感を腹の中にしまいこんで、優雅にティーカップに手を伸ばしている。ここは謁見の間の控室。ふたりの皇子は奇しくも同日に謁見の予約をいれていたようだ。


「イヨナルシアのことは残念だった」


 ラグルニアン第一皇子が言った。


「ええ」

「なんだ。実の兄妹だというのに味気ないじゃないか。護衛騎士と逃亡していると聞いたが」


 ティーカップを置いたウル皇子は静かに答えた。


「心配していますよ。イヨナルシアの騎士は優秀ですので、つまらない者に殺されることはないでしょうが」

「つまらない者というのは、宮廷が差し向けた追手のことかな?」

「イヨナルシアが異端を犯してなければ、そう言ったでしょうね。しかし呪いの実際を調べなければ解けるものも解けないというのに……」


 ウルは遠くを見て溜め息を吐いた。


「解けるのか?」

「わかりませんよ」

「しかし、解けたとて皇帝陛下がお許しになるかどうか。一度ついた汚れはそう落ちるものではない。結局はカンカによって浄化されるだろう」

「だとしても、汚名を背負ったまま見知らぬ土地で朽ち果てることはないでしょうに」


 ウル皇子は似合いの丸眼鏡を正して兄皇子に尋ねた。


「そういえば、兄上はどのようなご用件で陛下に?」

「なに、瑣末なことだ。しばらく皇城を留守にするのでな」

「ご実家に?」

「まあ、そのようなものだ」


 ウル第二皇子はラグルニアン第一皇子を見下していた。同様に、兄も弟のことを蔑んでいた。騎士国の皇帝たろうと剣を磨き、武勲によって自らの権威を築いてきたラグルニアンと、周辺諸国に目を向け、魔法という強大な技術を取り込み、帝国の強化を図らんとするウル。あるいは、ふたりが手を取り合えば帝国は、数百年の安寧を得ていただろう。しかし、かけられるコストにも限りがある。これまで通り騎士団に注力するか、新しく魔法を取り込むか、互いに是とする力が違えば、それは対立を生む。

 互いの心境も、宮廷内の勢力図も、ふたりは熟知していた。だからこそ、ウル第二皇子は先手を取らざるをえず、兄皇子に言葉の上で噛み付いた。


「ところで話は戻りますが」


 突然雰囲気が変わった弟の様子に、ピクリと眉を動かしたラルグニアン。


「なんだ?」

「我が妹、イヨナルシアを襲った魔術師はボアンドラ地方の者だったとか」


 この一言でウル皇子の発言の意図を理解したラルグニアンは、不機嫌そうな顔をした。


「それは、我が叔父ハルデグラム候の仕業だと言いたいのか?」


 ラルグニアンの発言に、ウルはニヤリとわずかに口元を緩めた。やはりこいつは筋肉馬鹿だという、侮蔑の笑みだ。


「そのようなことはありません。むしろ逆です」

「なに?」

「ボアンドラ地方アルブンム州を治める候であれば、ボアンドラ地方の魔法に詳しい者を知っているのではないかと思ったのです」

「……ふむ。貴様こそ、今日は陛下になんの要件なのだ」


 いらぬ恥をかいてしまったと、ラグルニアンは強引に話題を変えた。


「いつもの研究報告ですよ」

「はんっ、いくら小賢しい真似をしたところですべて水泡に帰すというのに、よくやる」


 皇帝陛下の魔法への感心を引き出し、自分の立場を有利に押し上げようとしても無駄だと、ラルグニアンは嘲笑った。彼の根拠には皇帝も自分と同じ騎士団派だからというものがある。しかしウルも知っていた。今まで手を出していなかっただけで、関心がなかったわけではないということを。なぜなら、魔法に対抗できる騎士団を育てるには、魔法の研究もまた必須だからだ。


「その物言いはいささか不敬では? 陛下に退位される予定はまだありませんよ」


 しかしウルはあえて誤解を演じた。ラルグニアンに、自分が即位すれば貴様の魔法研究など粉微塵にしてやるという意味の発言だと受け取ったと思わせたのだ。ラルグニアンは、とっさに手を上げて否定した。


「何を馬鹿な」


 余裕ぶっているが内心焦っているのが声色でわかった。


「はは、冗談ですよ」


 狼狽する兄の様子を見てすっかり満足してしまったウルに、ラルグニアンはことさら不機嫌そうに尋ねた。その声色からは、言葉では勝てないと認めているように思えた。


「……貴様、何を考えている」

「ただ気分が良いだけですよ。最近陛下の食いつきが良いので」

「ほう」


 皇位継承権第一位は、第一皇子であるラルグニアンだ。しかしラルグニアンがその順位に安心できない理由があった。


「兄上、父上の治世はまだまだ続きますよ。帝国も安泰です」

「うむ」


 うむ、などと鷹揚に頷いてみても、その言葉の裏にどうしようもない焦りが含まれているのはウルにはお見通しだった。というのも、現皇帝はまだ齢五十。怪我も病もなく、家臣からの信頼も厚い。対して自分はもう三十二歳。皇帝の治世がどれだけ続くかは不明だが、長引けば長引くほど、次代には若者が望まれるようになるだろう。弟のウル第二皇子はまだ二十六。加えて知恵者である。剣しか能のないラルグニアンは、自分が父親と同じ古いタイプの人間だと自覚していた。だからこそ自分が皇帝として即位するには、現皇帝である父親が邪魔だったのだ。しかしそれを悟られるわけにはいかない。決して、謀反を企てていると、悟られるわけにはいかないのだ。


 一方、ウル第二皇子には野望があった。それは武力といえば騎士団一辺倒だった帝国に、魔法という新しい風を取り入れたいというものだった。それがなせなければ帝国には未来がない。彼はそう確信していた。だから魔法を軽んじる兄に皇位を譲るわけにはいかなかった。



 ふたりが無言で牽制しあい、鳥の歌声だけが部屋にこだまする。しばらく後、扉が開かれウル皇子の名前が呼ばれた。


「それでは兄上、お先に失礼します」

「ああ」


 部屋を出て行く弟の背中を見て、ラルグニアンはほっと胸を撫で下ろした。当然、弟が不敵な笑みを浮かべていることなど、彼には知る由もなかった。

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