まったくもって嬉しくない再会だ

 大巫女イスリュードの赴任先であるエイズルは、この街リスジッダより東に位置する。四日間、砂漠をオアシス伝いに横断してたどり着くことが出来るらしい。

 大神殿を訪れた翌日、ひとり同行者が増えたということで揃えなければならない物が増えた私たちは、アルリも連れて市場を訪れていた。


「アルリさんはその格好のままで大丈夫なのですか? 砂漠の砂埃で汚れてしまいそうですが」


 アルリの服は白を基調として青の前垂れが鮮やかな巫女装束だ。砂漠の風に晒されれば一日と絶たずに茶色く汚れてしまうだろう。イヨナさまの懸念はもっともだが、アルリは首を横に振った。


「いいえ、この服は巫女の誇り。とくに遍歴巫女であれば、遠くからでもその身分を示せるようにこの巫女装束を身につけなければならないのです。それにほら」


 アルリは背中に垂れるフードを被ってみせた。


「これがあればローブもいらないでしょう」

「遠くの者に身分を示すことに意味はあるのか?」

「恥ずかしい話ですが、ここいらにも盗賊がでるという話をききます。けれどどんなに無法者であっても神殿には手を出しません」

「なるほど、安全な旅には必要不可欠なものなのだな」

「そういうことです」


 アルリは満足げに頷いた。


 アルリの服は不必要。次に私たちが向かったのは馬屋だ。三人ともなると流石に一頭では無理だ。これを期にひとり一頭とするか、とも考えたが、ここでは馬一頭で家が立つ。それほど馬は重宝されているのだ。だが、我々の懐事情を舐めてはいけない。皇族ともなれば、身につけているものひとつとっても、庶民の想像を絶する値段である。そして彼女の護衛騎士である私の武器防具も最高級品だ。そして私はこれまでの旅でかなりの倹約を心がけてきた。皇族であるイヨナさまが硬い干し肉を噛み切ることができるようになるほどだ。だから馬一頭の購入くらい造作もない。


 馬屋といっても、馬の売買をするわけではなく、行商などが街に滞在している間、馬を預けておくことが出来る場所だ。規模の大きい商隊を探し、その主


人に金貨十枚を握らせる。すると商隊の主人は目を丸めて快く一頭譲ってくれた。


「五枚でも十分だったのですけど」


 大損です、とアルリは言う。


「これでいいのだ。金貨五枚分はそのうち返ってくる」


 そう返すと、アルリは不可解そうに首を傾げた。


 次は食料を調達する。エイズルまでの四日間、そのうちの二晩は野営しなければならない。土地勘もなく、道中何が起こるかわからないから物資にはできる限り余裕をもたせたい。けれど持つことを許される余裕はそう多くない。なぜなら次に買うものはとても重く、そして値段も張るからだ。


 水。それは灼熱の大地ボアンドラで馬とならんで高価なものだ。そのくせ消費も激しいときたものだから、旅が長くなればなるほど馬以上の金食い虫となる。



 二頭の馬の鞍に買った荷物を括り付けて、私たちは昼前にはリスジッダの街を東に向けて出発した。


 太陽が頭上を通り過ぎ、やがて白い光に赤みが帯び始めた頃、地平線上に小さな村が見えた。大きな都市と都市の間にある、渡り鳥が羽を休める止まり木


のような集落のことを駅という。ほとんどが小さなオアシスを利用した農村だが、旅人から得られる貨幣や品物も彼らの重要な収入だ。旅人も駅がなければ、この厳しい熱砂のなかを何日も旅することなどできない。つまり駅と旅人は持ちつ持たれつの関係にある。


「む、様子がおかしいな」


 しかし、遠くに見えた村からは火の手が上がっていた。


「火事ですかね」


 アルリが目を凝らしながら言う。私もじっと村の方を注視するが、まだ遠すぎてわからない。すると、イヨナさまが両手で帽子をすこし持ち上げた。私の位置からでは見えないが、きっと猫の耳を立てているのだろう。


「内容はわかりませんが騒ぎ声が聞こえます。怒鳴ってる。でも、笑い声も聞こえます」

「も、もしかしてその耳は聞こえるのです?」

「ええ」


 イヨナさまの返事を受けて、アルリは嘘だと言ってほしそうに私を見たが、当然私は頷いた。


「い、異端です……」


 だから困っているのだ。


「しかし怒鳴り声と笑い声、ですか」


 火事であればその二つは同時には存在しないはずだ。であれば、襲われている可能性もでてくる。


「迂回しますか」

「けれど、この駅を逃すと、次のオアシスは二日後になります」


 四日間の旅程に駅がふたつ。つまり最初から一晩は野宿しなければならない。駅をひとつ飛ばすということは、この厳しい環境の中でニ夜を過ごさなければならなくなるということだ。水は多めに確保してあるが、ギリギリの旅は避けたい。


「いいえ、迂回しましょう」


 それでも、イヨナさまと幼い巫女を連れて戦闘という危険を犯すよりもましだ。


「そうですね、わかりました――」


 私が手綱を引いて方向転換しようとした時、イヨナさまのフードがバサバサと激しく動いた。


「誰か来ます! 蹄の音がひとつ、ふたつ……うううう……たくさん!」


 慌てて地平線を凝視するが、私の目では人影すら見分けることが出来ない。しかし、やがて黒煙の手前に立ち上る砂煙が見えて、誰かがこちらに向かってきていることがわかった。


 やはり駅は襲われていたか。


 こちらに向かってきているのは盗賊だった。


「ひとり増えてるが覚えているぞ。お前たちだ」


 十数騎の盗賊たちの中心にいる首領と思われる男が、私たちを指差す。


「悪いが人違いだ。私たちは貴様らなど知らぬ」

「吐かせ。昨日、貴様らがしでかしたこと、忘れたとは言わせねぇぞ!」


 私はげんなりと溜め息を吐いた。


「はあ……まったくもって嬉しくない再会だ」


 近づいてきた盗賊は、リスジッダへ向かう私たちを襲った者たちだったのだ。

 首領の男は素早く合図をだして、部下に私たちを包囲させた。退路を絶たれた現状に、一番焦っていたのはアルリだった。驚愕というべきか。


「いっ、異端です! この姿を見てわたしの身分がわからないのですか?!」


 リスジッダを出る前、アルリは言っていた。この巫女装束を着ることで遠くからでも自分の身分を知らせることができる、と。そしてどんな無法者でも神殿に楯突く者はいないと。その摂理が崩されたことへの焦りだ。首領はクククと笑って、蓄えた顎髭を撫でながら言ってのけた。


「そうさぁ。盗賊は巫女を襲わねぇよ。だったらお前は誰に殺されたんだろうなぁ」


 青筋を立てて絶句するアルリ。しかし、そう簡単に殺されるわけにはいかないと、一度伏せた顔を上げた時には、マシな目つきになっていた。

 アルリはソルディア神術の使い手である。旅のなかで聞いたことだが、治癒神術、付与神術、障壁神術など、いくつか種類があって、アルリは特に付与神術が得意らしい。付与魔法では多勢に無勢は変えられないが、ないよりはましだ。アルリには、何かあった場合、素早く私の剣に風属性の効果を付与するように言ってある。この状況では詠唱中に邪魔が入りそうなので、私は時間稼ぎをすることにした。


「あの駅は貴様らが襲ったのか?」


 アルリに目配せをする。


「ああ、その様子だとあそこに行きたかったみたいだな。だが安心しろよ、あそこの住人にはすぐに会える」

「殺したのか。お前たちにとっても駅は必要だろうに」


 水と食料の補給ができる場所は、盗賊にとっても貴重な場所のはずだ。もっとも、取引ではなく略奪という形での利用だろうが。


「皆殺しにはしてねぇよ。誰かさんに仲間を殺された憂さ晴らしさぁ」

「襲ってきたのは貴様らだろうが!」


 私が剣を抜き、天を穿くように掲げる。砂漠地帯の赤い風が砂塵を巻き上げて剣に纏わりついた。剣を中心に吹き荒れる黒風に敵の視線が集められた。それがあまりにも唖然とした顔つきだったので、私も掲げた剣を見上げた。


 視線の先にあったものは、あまりにも大きな竜巻だった。アルリが得意だと言うだけあって、私の知る付与魔法とは比較にならないくらい強力だ。


「ひっ、非常識だぞ!」


 思わず非難の声を上げる盗賊。


「非常識なのはどちらですか! この異端者!」


 不毛な言い争いをしているふたりを横目にして、私は剣を横薙ぎにした。


「うわあああぁぁぁぁあ!」


 右側を封鎖していた盗賊たちの悲鳴が、捲りあげられる砂塵のなかから聞こえた。


「て、てめぇ!」


 ぐだぐだとお喋りをしていた首領の男が慌てて他の連中をけしかける。号令に応えて十騎以上の盗賊が、怒号をあげて一斉に襲い掛かってきた。

 しかし、彼らの曲刀は私たちの手前で見えない壁に弾かれてしまう。心当たりはただひとつ。アルリを見ると、彼女が両腕を前に突き出していた。


「よく間に合ったな」

「早口も得意なのです」


 自慢げにアルリは言った。しかし防御障壁の維持はかなりの魔力を必要とすると聞く。それは治癒や攻撃魔法のように一瞬で効果が現れ切れるものではないからだ。時間をかければかけるほどアルリの負担が大きくなる。それは危うさを生むだろう。

 私は馬から飛び降り、障壁の外へ飛び出した。






 後方の憂いがなくなれば、盗賊など取るに足らない存在である。アルリの支援を受けた私の剣が、奴らを殲滅するのにさほど時間はかからなかった。攻撃の要である私には手がつけられず、防御の要であるアルリには近づくことすらできない。そんな絶望的な状況のなかで、盗賊たちは逃げるという選択肢を選び取るまえに倒れていったのだった。



 すべてが終わり、イヨナさまが待つ馬に飛び乗った私は、前に座る主人に尋ねる。


「お怪我はありませんでしたか」


 するとイヨナさまは、落ち着いた口調で「ええ」と頷いた。姫さまも逞しくなられたと感心していると「はぁ」と、深い溜め息がイヨナさまの口から漏れるを聞いた。精神的にまいってしまわれたのかと、この時の私は思った。後にわかることなのだが、本当は自分の無力を嘆く溜め息だったようだ。

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