リスジッダ大神殿の巫女のアルリ
「それで、異邦人がルーテ教の神殿にどういうったご用件ですか?」
私たちの――いや、私の無作法が異端ではなく無知によるものだったと知った彼女の顔からは、すでに咎めるような表情が消えていた。よかった、なんとか話しを聞いてもらえるようだ。
「奇跡の術に詳しい神官か巫女に窺いたいことがあるのだが……」
「詳しい、ですか。そういうことでしたらわたしがお話をうかがいますよ。どうぞこちらへ」
そう言うと、少女はくるりと踵を返して神殿の奥へと歩いていった。
怪しい冒険者風の二人組で、しかもアポなし。お偉方への取次などされるわけもないか。とはいえ流石にこのような見習い巫女に話をするわけにはいかない。門前払いされないだけマシだが、お偉方へ取り次いでもらうには彼女の信用を取り付けないといけない。信用されるだけでは駄目だ。上役に相談しなければならない案件だと思わせなければならない。
少女は礼拝堂を出て、廊下の壁に連なる扉のひとつに手をかけた。部屋の中に窓はなく、テーブルがひとつと椅子がふたつ置いてあるだけだった。
「ごめんなさい、椅子はふたつしかなくて」
「いえ」
私はイヨナさまのために椅子を引いた。
「わたしはリスジッダ大神殿の巫女、アルリ・アウムールカといいます。あなたがたは?」
「私はジルバラート・ロンドグラム。冒険者だ。彼女はイヨナ。姓はない」
属州とはいえ、イヨナさまの家名を明かせるはずもない。私の自己紹介を聞くと、アルリは首を傾げた。
「姓がない? そのようにとても大切にされているのにですか?」
私がイヨナさまのために椅子を引いたことを言っているのだろうか。
「彼女を大切に思うことと、彼女に姓がないことはまったく関係のないことだ」
「……そうですね。たいへん失礼しました」
深い事情があると思わせることが、少しは出来ただろうか。アルリは改めて話を切り出した。
「それで、神の奇跡について詳しく聞きたいということでしたが、どういうことでしょう」
「見ての通り私たちは冒険者だ。先日の戦いで魔法使いを失ってしまい、今は二人組だ。それで魔法使いを補充しようと思うのだが、なにせ見ての通りこの辺りの出身ではないのでね、この街で探そうにもボアンドラの魔法には明るくないのだ。だからこの地域の魔法について、ルーテ教徒が使う奇跡の術について詳しく知りたいのだ」
答えられなければ、大神殿の巫女として私たちの《相談》にのるために上役に相談するに違いないと考えた私は、魔法というおよそ神殿務めの巫女が、知りそうもないことを質問することにした。それに奇跡について知りたいのは嘘ではない。理由は嘘だが、この程度の嘘など後でどうとでもなる。
「それでしたら説明できますよ。神殿へ入る際の作法もご存知なかったようですので、基本的なところからお教えしますね。ルーテ教にはふたつの対極の存在があります。それは侵すことの出来ない白き神ソルディアと、全ての災いの元凶たる魔神オルグです。奇跡にも二種類あって、ソルディアがもたらす神術とオルグがもたらす魔術があります。わかりやすく違いを言うと、神術は外から与えられるもので、魔術は内より作り変えられてしまうものということになりますね。具体的には、付与神術や治癒神術、魔術では変身魔術や、疾病魔術ですね」
アルリの口から滔々と語られる奇跡の詳細に私は思わず瞠目した。いや、ここのような立派な神殿の巫女であれば、見習いであってもこれくらいの知識があって当然なのかもしれない。私はさらに質問を続ける。掘り下げたいワードはもちろん変身魔術だ。
「変身魔術というのは初めて耳にしたな。精霊信仰の魔法には無いものだ」
「変身魔術は疾病魔術と違って、膨大な魔力と生贄が必要になりますので儀式を行う者は滅多にいません。神殿はすべての魔術を禁止していますが……」
アルリは目を伏せる。
「……帝国に支配されて以来、魔神信仰者は増え続けています」
「帝国は信仰の自由を認めているはずだが」
「神殿の力不足だと? 信仰の自由を認めているといっても、わたしたちが理不尽な思いをしていないわけじゃない」
私の発言にアルリは敵意を露わにした。
年端もいかない少女が、このように物怖じせず気丈な振る舞いをしているのは、私が身分制度の外側にいる種類の人間、つまり冒険者と名乗っているからだろうか。それでも三倍近く歳の差がある私に臆すことなく接するなんて彼女自身の気概も相当なものだと思う。
「そうだったな。反乱を画策するのもやむなしというところか」
「反乱?」
私が次のカードをきると、アルリの眉がぴくりと動いた。
「神殿が中心となっているらしいが、その様子だと知らされていないようだな」
しっかりした娘だが所詮は子供だ。大人たちは彼女を巻き込むまいとしたのか、それとも取り込んでも利がないと評価したのか、どちらにせよこの重大な企てを知らなかったアルリは顔を青くしてしまった。
「そんな……確かに、帝国はわたしたちから多くのものを奪いましたが……」
ガクリと肩を落とすアルリ。知らされていなかったことよりも、神殿が反乱を画策しているという事自体にショックを受けているように見える。自分は神殿の人間で、もちろん故郷を取り戻したいという思いもある。けれど言い淀むところをみると、彼女自身は争いを好まないようだ。
「ジル、もうやめてあげてください」
「イヨナさま」
すっかり落ち込んでしまったアルリに、イヨナさまはあやすように優しく話しかけた。
「アルリさん、ごめんなさい。ジルはわたくしのためにわざと辛い物言いをしたのです」
アルリはゆっくりと顔を上げ、どういうこと? と言いたげな瞳を見せた。イヨナさまはその瞳に応える。私はとっさにイヨナさまを止めようと声をだしたが、
「イヨナさま」
「良いのです。彼女には魔術の知識がありました。貴方に対しても臆することなく正面からぶつかってきました。これ以上何を求めるというのです。年齢ですか? それとも肩書?」
イヨナさまの呪いを解くのにその二つは必要ない。私が納得したことを良しとしたイヨナさまは、ローブのフードを脱ぎ、アルリの前で帽子を取った。
「そ、それは」
「呪いだ」
目を大きく見開くアルリ。彼女の瞳にイヨナさまの獣の耳が映り込んでいるのが見えた。
「アルリ・アウムールカ。無神経なことを言ってすまなかった。帝国では獣憑きは忌み嫌われる対象なのだ」
「異端……ですか?」
アルリは呟くような小さな声で私に尋ねた。変身魔術は禁止されているということなので、ルーテ教でも獣憑きは異端とされるはずだ。
「そうだ。だから其方が信頼に置ける人物がどうか見極めなければならなかったのだ」
「術者は……術者はどうしたのですか?」
「すでに死んでいる」
「……」
黙り込んでしまうアルリに私は聞き返す。
「術者以外が解く方法は無いのか?」
「……ありますが、わたしでは……。他人のかけた変身魔術を解くのは最高位の神術なのです。たぶんこの神殿にいる誰も無理だと」
「ふむ……」
「アルリさん、貴女は見習いなのですよね? 先生はいないのですか?」
私もイヨナさまと同意見だった。失礼だとは思うが見習いと話していても埒があかない。しかし、アルリの返答は私たちの予想を裏切るものだった。
「わたし、見習いじゃありませんよ」
「え?」
「わたし、巫女としてはもう一人前なんです。神術だって他の巫女さまたち以上に使えます」
「ご、ごめんなさいっ」
イヨナさまは慌てて失礼を謝罪したが、わかれという方が無茶だろう。しかし弟子でダメなら師匠に賭けるしかないのは事実。それはアルリもわかっていることで、彼女は自身の師事した巫女について教えてくれた。
「大巫女イスリュードさまがわたしの先生です。変身魔術もイスリュードさまなら解けると思います。けど、先生は去年、別の街に赴任されて……」
「他の者は? これだけの規模の神殿なのだ、ただひとりに師事していたわけではあるまい」
大巫女がどのような階級かは不明だが、アルリの言い方では相当上位ということが窺える。そのような者がつきっきりでひとりの巫女を指導するとは思えない。イスリュードという大巫女に話を聞けるのが一番良かったが、いないのであれば他の者を当たってみようと思う。
しかしアルリは視線を伏せて黙り込んでしまった。そんな彼女にイヨナさまが優しく問いかける。
「何かあったのですか?」
他に先生はいるかと聞いて黙るということは、いるということだ。そのうえで話せない事情がアルリにはあるのだろう。イヨナさまに尋ねられたアルリは、まるで懺悔でもするような調子で話しはじめた。
「わたし、十二歳なのですが、わたしの歳だと、まだ孤児院にいなければおかしいのです。でもイスリュードさまに目をかけていただいて、修道会に入ることが出来たのです。けれどそれをよく思わない方も少なくなくて……それにほら、わたしこんな見た目だから」
良くある話だと思った。ボアンドラ地方は皇都フェイエラントに比べずっと暑い。だからか、肌も茶色の者がほとんどだ。帝国の支配下に置かれてからは、帝国人も盛んに出入りするようになって、街に色白の者も見られるようになったが、彼女の肌の白さはそれとはまったくの異質だ。
色の抜けたような老人のような真っ白な髪に、病的なまでに白い肌。そして業火を宿したような真紅の瞳。そういう特徴を持った赤子がときおり生まれるという噂は聞いていたが、実際見るのは初めてだ。皇都であればカンカの御使いと敬畏の視線を集めるだろうがが、ここでは真逆に働くらしい。
「わたしの後だと、だれも話を聞いてくれないと思います……ごめんなさい」
アルリは目に涙を浮かべて謝る。そして俯き加減で下唇をきつく噛んだ。それでも彼女のもたらした情報は私たちにとっては朗報以外のなにものでもなかった。
「いいえ、ありがとうアルリさん」
「イスリュードという大巫女の赴任先の街はなんという名前だ?」
「エイズルという街です。でもずっと東で……」
「かまわない。旅が辛いというのは、足を止める理由にはならぬ」
「ええ、ジルの言うとおりです」
イヨナさまは立ち上がる。憐れむような瞳でイヨナさまを見つめるアルリに、帽子を被ったイヨナさまは慰めるように笑いかけた。
「――――――――わ、わたし、神術と説教を修め遍歴の修行にでられるようになったんです。けれどなかなか良い日がなくて……」
突然話しはじめたアルリ。私とイヨナさまの視線を受けて彼女は首を横に振った。
「……ちがう、本当は外に出るのが怖くて、神殿でも上手くやっていけていないのに、外で上手くいくはずなくて。みなさんも外の世界は恐ろしいところだとおっしゃられて……ち、ちがう! こんなことどうでもよくて。ほんとうは、イスリュードさまのような啓示を受けられる大巫女になりたくて、遍歴の旅にでたいのです。だから……」
アルリの話。頭の中がごちゃごちゃで、言いたいことがまとまっていない支離滅裂な内容だが、着地点は察することができる。まるでおねだりするような視線を私に向けるイヨナさまに頷くと、イヨナさまはアルリに向き直り、ぽんと手を合わせたのだった。
「アルリさん、それでしたらわたくしたちにエイズルまでの道案内をお願いできないかしら」
私も、イヨナさまも、アルリには《きっかけ》が必要だと思ったのだ。
イヨナさまの提案を受けたアルリは目を大きく見開いた後、大きく、とても大きく頷いた。目の端に溜まっていた涙が、勢いで飛んでいってしまうくらいに。
「はい! よろしくお願いします!」
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