異端ですよ!
血で染まったイヨナさまのローブや服の代わりになるものは盗賊の死体から奪い取って、私たちはすぐにその場から離れた。まもなく最大で四人の歩兵が崖から追いついてくるだろうからだ。
「イヨナさま、大丈夫ですか?」
馬に揺られながらぼーっと遠くを見ているイヨナさま。先程の戦い、イヨナさまには刺激が強すぎたのか、しかし心ここにあらずでは困るので、私は水筒と布を持ってイヨナさまの前に手を回した。流石にそれには反応するイヨナさま。
「喉は渇いていませんよ?」
不思議そうに私を見上げた。
「髪が血で汚れています。お顔もまだ拭った跡があります」
「けれど、飲水は大切にしないと」
「服はローブで隠せますが、そのなりでは街には入れませんよ。それに、もう間もなく街が見えてくるはずです」
「そうですか……そうですね、顔でも拭いて、頭を冷やしたほうが良いかもしれません」
イヨナさまはそう言うと、私の手から布と水筒を取った。
見上げるほど巨大な岩が日陰を作っていたので、一度休憩をはさむ。適当な岩に腰掛け、布を湿らせて顔や髪を拭きはじめたイヨナさま。私はぐるりと巨大な岩の周囲を周り、危険がないかを確認する。
戻ってくると、イヨナさまの顔からは血の跡がすっかり消えていた。しかし、
「頭にまだついてますよ」
毛先はともかく、頭頂部は自分では確認できない。私は余分に奪っておいた盗賊のローブを適当に破り、湿らせてイヨナさまの頭に振れた。
「失礼します」
「いいえ、ありがとうございます」
旋毛から耳、後ろに伸びる髪も丁寧に拭いていく。私の手がイヨナさまの髪を撫でる度に、彼女の頭がグラグラと反対方向に押されて動いた。力なんて入れていないのに。けれど、うなじから伸びる彼女の白くて細い首すじを見て、これでは仕方ないと思い、髪を持ち上げて拭くように心がけた。
「何もできませんでしたね」
微風が鼓膜を揺らすなか、イヨナさまは力なく言った。
「幼少から厳しい訓練を受けた男子でさえ、初陣となれば逃げ出す者もいるのです。それを思えば姫さまはよく頑張ったと思いますよ。というか……」
イヨナさまが私を見上げ、私は髪を拭く手を止める。
「ひと月にも満たない訓練で活躍できるほど、簡単なものではありませんから」
この言葉にはイヨナさまも納得できたようで、再び前に視線を戻した彼女は「そうですね」と、少し悔しそうに言ったのだった。
前の町で得ていた情報通り、岩場から一刻ほどで私たちは大きな街に辿り着いた。噂に聞いた大都市なだけあって外壁も高い。例によって冒険者として入場を果たした私たちは、異国情緒溢れる街並みを歩き、今晩の宿を探した。
都市の名前はリスジッダ。周囲を岩石砂漠に囲まれた巨大なオアシスに人々が集まり築いた都市。壁や建物は味気ない砂の色をしているのに、露天やマーケットに張り巡らされた天幕、それに道行く人々の服装に至るまでとても色彩豊かだ。大通りに散見される小さな広場には絨毯が敷かれ、大きな日傘や天幕の下で寛いでいる人たちがいた。
「とても、豊かな街なのですね」
イヨナさまは嬉しそうに言った。
資金に余裕を持たせるために普段は安宿を選んでいた私だったけれど、慣れない土地での長旅でイヨナさまも私もとても疲れていたので、この街ではそこそこ寛げる部屋を借りることにした。客室には二つの部屋があった。どちらの部屋も窓を開ければ気持ちのいい風が入り込み、外には木々が揺れているのが見えた。宮廷から差し向けられた追手も、流石にここまでは追ってこれないだろう。皇都から離れれば離れるほど、捜索範囲は広くなる。私たちを見失ったのは皇都の西のソダ村だから、宮廷は私たちが西の国境を越えたと考えるはずだ。反乱の噂もあるし油断はできないが、緊張の糸を少し緩めるくらいは構わないだろう。今日だけはゆっくりと休息できる時間をとろうと思った。
翌日、朝食をとった私たちは、ボロボロになった服を新調した。街に溶け込むには民族衣装に身を包むのが好ましいが、冒険者という身分は――もちろん偽りなのだが――それを考慮しなくても良いというのが大きな利点である。一応、店主の薦めで試着しては見たが、結局イヨナさまの美しさを再確認しただけだった。
装備を整えた私たちは都市の中心部へ向かっていた。宗教的施設が街の中心にあるのは、精霊信仰も、ここいらで信仰されているルーテ教も同じ。つまり私たちの目的地はルーテ教の神殿とうことだ。イヨナさまにかけられた呪いは、ルーテ教の魔神の力を借りて行われたものだ。ならばこの呪いを解けるのはルーテ教の聖職者しかいないと考えたからだ。
神殿の周りは、小さな街なら収まってしまうのではないかと思えるくらい大きな広場だった。集会や祭で用いられるのだろうか。広場を横切って神殿へと向かう人たちが何人かいて、私たちもそれに倣って広場を渡った。
神殿は四本の高い塔に囲まれ、荘厳な聖堂の屋根は半球状になっている。帝国とはぜんぜん違う信仰が根付いていることを実感できた。帝国は版図を拡大する上で、各地域の信仰を信仰税を払わせることで認めてきた。本国から派遣された州長たちが統治しやすくするためだ。
「あの女性の真似をしてみましょう」
神殿での作法も何も知らない私たちは、イヨナさまの提案通り前を歩く女性と同じように、指をお腹の前で組んで神殿の中へ入った。
神殿の中は天井まで吹き抜けで、まるで自分が小さくなったような錯覚を覚えた。巫女か神官を探してうろうろしていると、礼拝にきていた周囲の人々の好奇な目が私たちに向けられているのを感じた。訝しげに眉をひそめる者、クスクスと口を隠して笑うもの、反応は様々だが私たちが目立っているのは確かだった。何か無作法を働いているのだろうか。
頭を悩ましていると、背後から焦りを帯びる声色で話しかけられた。
「ちょっとあなたたち!」
振り向くと、不思議な事に誰もおらず――
「ちょっと、こっちです!」
真下から声がしたので首を倒して見下ろすと、そこには青と白の巫女服を身にまとった少女が、眉間に皺を寄せ、人差し指をピンと立てていた。低い身長の倍ほどもある長い祭杖が印象的だが、驚いたのは彼女の身体的特徴である。老人のような色素のない真っ白な髪に赤い瞳、そして血の色が透けて見えているような赤味がかった白い肌。この地域の人間はみんな褐色の肌をしているのに、この少女だけが異常なほど白い肌を持っていた。
少女は咎める。
「異端ですよ!」
まさか異国で、それもこのような小さな子供に異端認定されるとは思わなかった。
「違う、異教だ」
というか、帝国基準で見ればこの者たちの方こそ異教なのだが。私たちの顔つき、あるいは肌の色を見て小さな巫女は私たちのことを異邦人だと悟った。
「あなた方、ボアンドラの人じゃないですね。もしかしてレギニアの?」
「ああ、この神殿を訪れるのに作法を真似たのだが、間違っていたようだな」
私が弁明すると巫女は、
「……手を握って歩くだけでいいのですよ」
と教えてくれた。
「すみません、知らなくて」
とっさにイヨナさまが組んだ指を解き、両手で拳を作って身体の横においた。
「ちっ、違います。あなたは良いのです。違っていたのはこの人!」
巫女の指は真っ直ぐ私を指す。少女に指摘され、周囲を見渡すと、男女で違う所作を取っているのがわかった。
「男女で違うようだ」
「そうです」
小さい巫女は満足げに頷いた。
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