激変する世界の色

 いよいよ地面から樹木が消え失せ、赤茶けた岩石砂漠に毛羽立つような背の低い草が広がるのみになった。気温も高く、地平線からはゆらゆらと陽炎が立ち上っている。


「不思議ですね、こんなに暑いのにフードを深く被ったほうが涼しいだなんて」

「空気がカラッとしてますからね。服が木陰の役割を果たしているようです」


 なるほどと、イヨナさまはフードの裾を引っ張ってさらに深く被った。




 と、イヨナさまがフードから手を離そうとした瞬間、甲高い指笛が殺風景な岩石砂漠に響いた。出処は左手の崖上! 指笛の残響は地平線に吸い込まれる。綺麗な音だが、私たちにとっては不吉以外の何物でもなかった。


「上です!」


 イヨナさまのフードがバサバサと動く。中でしきりに耳を動かしているのだ。


「まずいな……」


 少なくとも友好的な者であれば、指笛など鳴らさない。そして合図に指笛を使うということは、広範囲にわたって布陣しているということ。つまり敵がどこかで姿を現したとしても、それが敵の全てではないということだ。


「イヨナさま、走ります!」


 そう告げると、返事もなくイヨナさまはしっかりと蔵に掴まった。


「ヤァ!」


 全速力は出さない。流石に二人乗りでは馬に疲労がかかり過ぎるし、視野が著しく狭くなってしまうからだ。崖から離れるように進路をとると、崖上から数本の矢がこちらに向けて放たれた。まるで負け惜しみのような矢は当然私たちには届かない。遥か後方でカキンカキンと石に弾かれる矢を見て、私がほっと息を吐こうとした瞬間、イヨナさまの警告が飛んだ。


「来ます、後ろ! 馬です!」


 まさか、イヨナさまの鈴の音のような美しい声でこのような勇敢な台詞が聞ける日が来るとは思っても見なかったと、場違いな感心を抱きつつ私は応える。


「馬が四騎。さすがにこの砂漠で歩兵のみというわけにはいかないか。イヨナさま、戦闘になります。出来る限り歩兵が追いつかない距離まで引き離しますが、覚悟していてください」


 覚悟。何の覚悟かはあえて言わなかった。イヨナさまも、勢いで「はい!」と応えたが、本当のところはわかっていなかったのだと思う。








 ジルに覚悟をしろと言われ、わたくしは「はい!」と答えました。

 何の覚悟か。その時は深く考えられませんでした。わかっていたのは、今から激しい戦いが起こるということだけ。鞍に必死にしがみつきながらわたくしは、ソダ村を脱出した夜の、森での戦闘を思い出していました。


 酷い揺れと顔に吹き付ける風が収まったのでわたくしは顔をあげます。すると周囲には四騎の盗賊。わたくしたちは囲まれていたのです。

 盗賊はとにかく利益に敏い生き物だとジルは教えてくれました。商人と違うところは、自ら稼ぐか他人から奪うかです。


「ちっ、手間かけさせやがって」

「何用だ」


 悪態をつく盗賊に対して、ジルは冷静でした。ジルは何用かと言いましたが、これは問ではなく威嚇だとわかります。だって、何の用かなんてわかりきったことですから。盗賊のひとりは答えます。


「全裸になれ。女もだ。そしたら楽に殺してやる」


 どちらにしても殺されてしまうのですね。あまりに理不尽な要求でした。


「そのような話し、のめるわけがなかろう」


 当然ジルは跳ね退けます。そこには怒りも恐怖も呆れも、何の感情も感じられませんでした。次にジルがとった行動に、盗賊たちは驚きます。


 馬を下りたのです。

 盗賊たちの瞳にはよほど奇怪に映ったらしく、四人のうち二人は眉を顰め、二人は嘲るように笑いました。ジルはわたくしに手を差し伸べ、下りるように促します。わたくしを下ろした後、ジルは愛馬を壁にみたてて、わたくしを背中に庇うように陣取りました。すぐ前にジルのマントがある。まるで誕生パーティの夜のような光景でした。あの時と違うのは、わたくしの手には短剣が握られているところです。


「おうおう、カッコイイじゃねぇか」「その女、お貴族さまか何かか?」「だったら高く売れるかもな」「いっぺん、高貴な女っての、抱いてみたかったんだよな」


 わたくしを護ろうとするジルの姿を見て、完全に自分たちの山賊行為の成功を確信した男たちは、次々に好き勝手を並び立てます。最後の言葉を発せられた時、ジルの剣を握る手に力が篭ったように見えました。


 ジルは動きます。わたくしから二歩駆けて届く距離、剣のリーチの外。

 わたくしがもっと強ければ一緒に戦えたのでしょうか。いいえ、きっとジルは許さない。護衛対象を戦力として数えるなんて危険なことは避けるはずです。そうわかっていても、私は下唇を噛まずにはいられなかった。


 動いたジルに、盗賊のひとりが反応します。


「死ね!」


 乱暴に叫んで馬の腹を蹴り、タイミングよく剣を下から切り上げます。しかしその曲刀はジルに届くことはなく、ジルが横薙ぎに振るった剣撃によって馬の足ごと断ち切られてしまったからです。絶叫して前倒れになる馬から放り出される男。頭を強く打ったのか、昏倒して動かなくなってしまいました。


「まずひとりだ」

「て、てめぇ!」


 旅の最中、ジルは教えてくれました。何かに《長ける》というのはつまり、どれだけそのことを考えたか、であると。ジルは騎士です。戦うことが役目であり、わたくしの護衛騎士となってからもそれは変わりません。対して彼らはどうでしょうか。盗賊の仕事は奪うこと、陵辱し、蹂躙すること。《戦う》という表現が当てはまる状況に身をおくことなどほとんど無い。そんな彼らとジル、どちらが戦いに《長けて》いるかなど決まりきったことです。危険に身を晒すことがないため仲間同士での連携も頭に無い。まさに烏合の衆といえるでしょう。


「どうする、今退けば見逃してやる」


 目を見開いている盗賊たちに対し、今度はジルが嘲り笑いました。そんな挑発をして、またひとりで突っ込んでくるのではと思いましたが、さすがに頭が冷えたのか、残された三人は下馬し、剣を抜いてジルを取り囲みました。

 盗賊に囲まれたジルですが、わずかに口元がつり上がった気がしました。


「いっきに行くぞ」


 などと敵を前にして今更打ち合わせをする三人。ジリジリと間合いを詰め、彼らが彼らの間合いのギリギリまで近づいたところで合図が叫ばれました。しかし、


「い――」


 ――まだ、とは続かず、途絶えてしまいます。ジルが先の先をとったからです。彼らの間合いのギリギリ外でも、それはジルの間合いの中でした。ジルの剣は、号令を出した――いや、出そうと声を出した男の喉を貫きます。ほんの瞬きをする間のことでした。剣を引き抜くと、男の呼吸に合わせて傷口からピュッピュッと血が吹き出して赤褐色の岩を黒く濡らしました。動きを止めた男は膝から崩れ落ちるように地面に倒れました。


 思わず目を覆ってしまいたくなる壮絶な光景でしたが、わたくしは目を見開いてジルの戦う姿を見続けました。目を逸してしまうことは、わたくしを護ってくれているジルにとても失礼なことだから。そして戦うと言い出したのはわたくしなのです。目を背けることなどできるはずがありません。


「こいつ!」


 威勢のいい言葉とは裏腹に慌てて後ろに飛びのける二人の男。ジルはさらなる追撃を試みます。

 一歩、大きく踏み出して剣を薙ぐ。本来なら当たらないはずの攻撃を盗賊はとっさに剣で受け止めようとするものですから、ガラスが割れるような音を出して剣が真っ二つになってしまいます。その衝撃に耐えきれず、迂闊にも攻撃を受け止めた男は体勢を崩してよろけてしまいました。


 その大きな隙をジフは見逃しませんでした。もう一歩、大きく踏み出して今度は上から十字の縦を斬るように剣を振り下ろしました。傭兵や冒険者であれば盾で防ぐような単純な太刀筋でも、防具というものをほとんど身につけていない男にとって、避けなければ致命傷となる攻撃。それは男もわかっていたようで、男はとっさに腕を伸ばしました。腕の一本よりも命の方が大切だから。


 剣は差し出された手のひらから男の肘に至るまでを斬り裂きます。


「ぐあああああああああ!」


 そして、彼はもう戦闘不能でした。赤い砂漠の只中で、恐ろしい悲鳴が響き渡ります。その悲鳴に圧倒されて、わたくしは今度は目を閉じることができなくなってしまいました。あれほど目を逸したいと思っていたのに! それだけではなく、息も、呼吸すらも忘れてしまっていたのです。


 だから気づいた時には、いとも容易く盗賊に接近される。わたくしに詰め寄ったのは残りのふたりですが、ひとりはジルが振り向き際の一撃で仕留めました。しかし、もうひとりは――


「!!!!」


 わたくしを捕らえられることができれば、あるいはまだ勝機があるかもしれない。圧倒的な武力を前に、たったひとつの希望に縋り付くような目で睨みつけられたわたくしは叫ぶことすらできませんでした。思わず吸い込んだ息を吐く時間など無いほどに刹那の出来事でしたから。

 男はきつく握りしめた剣を大きく振り上げます。わたくしは手に持った短剣を頭上へ、剣を防ごうとしました。しかし振り下ろされる剣に、わたくしはとっさに目を瞑ってしまいます。


 暗闇のなか、わたくしの獣の耳が空気の裂ける音を察知しました。その不明瞭な音と、いつまでも振り下ろされない盗賊の剣を不思議に思ったわたくしはゆっくりと瞼をあけます。


 見上げると、目の前に首なしの男の身体があって、切り株のようになってしまった男の首から飛び出した血液が、わたくしに雨のように降り注ぎました。

 真上を見上げたために、ぱさりとフードがずり落ちてしまって、わたくしの薄金色の髪も、城のメイドたちが綺麗だと言ってくれた肌も、ジルが買ってくれた帽子も、少し窮屈な革の胸当ても、薄汚れた服も、すべてが赤く染まってしまいました。


 ああジル、これが戦いの色というものなのですね。これが戦いの臭いというものなのですね。


 それは異常なほど鮮やかで、惨たらしくて、再び目を閉じられなくなってしまったわたくしは、ようやく理解することができたのです。

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