イヨナ姫、奮起する。
「本当に一緒に行かないのか?」
「ああ、まだこの街で調べなければならないことが残っているのでな。なあに、同じ南方に行くのだ、また会えるさ。というか一人旅の俺の方が、存外二人を追い抜いて、どこかの街で今日のように声をかけるかもしれないぞ」
「ははは、その時はお互い無事で」
「ああ」
酒場を出て、私たちとロインは互いに背を向け合って歩きだす。暗い夜道に、ほとんどの店の扉には鍵がかけられ、開いているのは飲食店か娼館くらい。私は酒場や食堂が並ぶ、できるだけ明るい通りを選んで宿屋まで戻った。
宿屋の部屋に入り、ランプに火を灯す。イヨナさまのローブを脱がせたあと壁掛けに吊るして、私は剣帯から剣を外した。
「……ジル」
イヨナさまの声がいつになく真剣だったので、私は思わず目を丸くした。
「どうかしましたか?」
仄明るいオレンジ色の光に照らされたイヨナさまは、声だけでなく表情も真剣そのものだ。いつものおちゃめなイヨナさまはどこにもいない。こういう時はたいてい皇族然とした雰囲気を纏っているのだが、今はそういうわけでもなく、話しているのはいつものイヨナさまだ。
「わたくしも剣を扱えるようになるでしょうか……って、なんて顔をするのですか」
青天の霹靂だった。丸くした目をさらに大きく見開いている自分に気がついたのはイヨナさまが拗ねるように頬を膨らませてからだった。
「失礼しました。あまりに唐突だったもので」
「唐突じゃありません。森の泉からずっと考えていたことです」
「そうだったのですね。しかし剣とは、どうしてまた?」
何気なく問うと、イヨナさまは訴えかけるように答えた。
「ジルはわたくしの護衛騎士で、わたくしを護ってくださいますが、そのジルは誰が護るのです。いいえ、もちろんわたくしがジルを護るだなんてだいそれた事は言いません。自分の身くらいは、とも言いません。ジルの仕事がそれほど楽なものだとは思っておりませんから。ですが、それでもせめて、わたくしに武術の心得があれば、ジルのお仕事が少し、ほんのわずかでも楽になるのではと思うのです」
恥ずかしそうに視線を伏せるイヨナさま。長い付き合いだからわかる。乙女が剣を習いたいと告げたことを恥じているのではない。ほとんど役に立たないとわかっていても、私に手間を取らせてまで教えを請おうとしている自分を恥じているのだ。
「そうですね、何事もやってみなければわかりませんからね」
励まし半分でそう答えると、イヨナさまは弾むように顔を上げた。
「はいっ」
「ふふ、ではひとまず剣を持ってみましょうか。訓練はこの街を出てからしましょう」
「はいっ」
私は手に持っていた剣を差し出す。それを両手で受け取ろうとしたイヨナさま、私が手を離すと、ズシッと音が聞こえるくらい手が沈み込んだ。
「い……お、重いですね」
「鉄ですからね。大丈夫ですか?」
「ええ」
「抜けますか?」
「やってみます」
慎重に、柄に手をかけて、イヨナさまは剣を引いた。
切れ味の鋭い両刃の直剣。私がイヨナさまの護衛騎士に叙任した時に賜った業物だ。普段はローブのなかに隠しているから問題はないが、早いうちに売ったほうが良い。皇都周辺では流石に足がつくだろうから売れずにいたが、南方の属州であれば問題ないだろう。
イヨナさまはまだ十四になったばかりの乙女。だから大人の私に合わせて作られた剣は彼女には長すぎたようで、引き抜こうとした白刃の先端が鞘に収まったままイヨナさまの腕はピンと伸びきってしまった。
「んっ、んっ、んんんんんん!」
「危ないですよ」
イヨナさまから剣を受け取り、私は自分で剣を抜く。そして今度は抜き身の剣を差し出した。
受け取ったイヨナさまを見て、私は即座に作戦を変更する。
「……短剣にしましょう。護身用としてはそちらのほうが取り回しが効いて良いですよ」
両手で剣を構えてみても、重さに負けて切っ先が地面に向くようでは戦えない。イヨナさまは剣を扱うには筋力不足だったようだ。
翌日、私たちは旅支度を整えた後、武器屋に立ち寄った。イヨナさま用の短剣を買うためだ。店内に入って驚いたのはその豊富な品揃えだ。ダガーやスティレットなど、皇都でも見慣れた直剣の他に、ジャンビーヤやハルパーなど、異国情緒溢れる曲刀が並べられていたのだ。
「たくさんあってどれを選べば良いのか……」
種類だけではなく品質も、安物のナマクラから業物まで取り揃えられているうえに、一部の剣では店が提携している彫金師に柄を特注で作ってもらえるそうだ。昨晩、生まれて初めて剣を触ったイヨナさまは、多すぎる刃物に少し当てられたみたいで、酔ったように目をチカチカさせていた。
であれば、ここはまさしく私の出番である。
「最初に使うものですし。遠慮なく使い潰せるシンプルなもので良いと思います」
「そうですね。あまり高価なものだと、緊張してしまいそうですし」
「いざという時に使えなければ意味がないですしね」
ということで、イヨナさまには直刃の簡素なダガーを見繕ってあげた。シンプルだが造りがしっかりしている、業物とはいえなくとも、実用的なものだ。店主に代金を支払い、さっそく鞘をベルトの腰に付け、短剣を収めた。
「今度は抜けますか?」
店を出る前にひとつ確認する。手を背中に回して素早く短剣を抜いて見せてくれたイヨナさまは、
「大丈夫っ」
と、嬉しそうに表情を崩した。
歴史都市サリアを出発した私たちはさらに南へと街道を行った。太陽がすでに頂点を過ぎていたため、今日は早々に野営地を確保することにした。丁度いい場所を見つけると、馬から降りて四方にロープを張る。イヨナさまももうすっかり慣れた手つきで、陣を張るのを手伝ってくれる。
一通り準備が終わり一息ついた後は、いよいよイヨナさまの訓練だ。
私はイヨナさまに訓練をつける上でまず方針を考えた。初めて剣を握ったといっても、五歳の男子と同じように、遮二無二鍛えるわけにはいかない。伸びしろも、飲み込みも、成果が求められるまでの時間も、全てにおいて違うのだから。
だから私のイヨナさまへの鍛錬は、半分近くが戦略についての座学となった。
敵が一人の場合、複数の場合、高所をとられている場合、馬に乗っている場合、弓使いがいる場合、魔道師がいる場合、剣士のみの場合、傭兵集団の場合、盗賊の場合、町のゴロツキの場合、獣の場合、魔物の場合。そしてその時々の私たちの位置関係、天候、地形等を考えてどう動くべきかを一緒になって考えた。
イヨナさまはかなり聡明な御方だ。おっちょこちょいに見えるのは、皇城を出てからやることなすことすべてが初めてのことだからだ。そりゃあ、ままならないのも仕方がない。だが、打てばちゃんと響いてくれる。ある程度、判断材料を提示すると自ずと答えに辿り着いてくれた。
ただ、それだけ戦略性に長けていて私との息がぴったりでも、連携を取れなければ意味はない。だから当然鍛錬の半分は実技に費やすことになる。実際に短剣を握ると途端に今までの旅で見せたような危なっかしいイヨナさまに逆戻りだ。
柄の握り方から構え方、振り方に突き方、敵の動きに合わせた受け方。色々教えたかったが、付け焼き刃は実戦には通用しない。だから二つ三つの動作を繰り返し、繰り返し反復してもらった。疲れが見えたら休憩がてらに座学を挟む。実際の戦いに関すること以外にも、武器そのものの特性や、傭兵や盗賊、野生動物などの考え方や習性、生き方を教えた。
そして、最初はぎこちなかった抜剣の仕草も様になる。
「では、今ここで盗賊に襲われた場合、イヨナさまはどう動きますか? 敵は前方六名、弓が三名、剣が三名です」
「隣の、林のなかに引き込みます。その後、退却という姿勢を維持しながら追ってくるようであればひとりずつ相手取ります」
ふいにした質問にも間髪いれずに答えられるようになる。
そうやって少しずつ、少しずつ自信をつけていったイヨナさまだったが、状況は彼女の成長を悠長に待ってはくれなかった。
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