国境都市
国境都市グリーデンの都市門には、すでに何組かの行商人や冒険者がいて、検問の順番を待っているところだった。
「無事に通れるでしょうか」
不安げにイヨナさまが言う。
「ええ。ふたりとももう目立つ格好はしていませんし、身分は冒険者ということにしましょう。都市門では概ね金さえ渡せば兵士は気前よく通行証をだしてくれます」
「でも、私たちの顔や背格好は連絡されているのでは?」
「四六時中騎士が門を監視しているわけではありません。それに一般の兵士たちは、皇族のいざこざにさほど興味はもっていないものです」
「そうですか……」
どれだけ大丈夫の理由を並べられても不安なものは不安なようで、イヨナさまは眉をハの字にして都市門で行われている検問の様子を窺っていた。そして列は順調に消化され、
「つ、次ですね。いよいよです」
私たちの順番が回ってきた。
「冒険者だ。フェイエラントから来た」
「二人組の冒険者とは珍しいな。そっちの女はえらくべっぴんじゃないか」
「え、え?」
なんでもない会話なのに疑われたと勘違いした姫は、挙動不審に私と門兵を交互に見た。その反応のせいでバレそうなのだが……。私は溜め息を吐いてイヨナさまの頭に手を置いた。
「落ち着け、二人じゃない。この街に俺の仲間が待ってるから」
それから兵士に向けて、
「こいつ、皇都でくすぶってたところを俺のパーティに入れてやるって言って連れてきたんだ」
と肩をすくませていうと、兵士は、
「まあ、ちゃんとしたところなら五、六人はいるわな。安心しな嬢ちゃん、これから仲間に合流するってよ」
と、イヨナさまに言った。イヨナさまは慌ててコクコクと何度も首を縦に振った。そんなイヨナさまを見て呆れ笑いを浮かべる兵士に通行料を払うと、無事検問通過である。
西はイニピア王国との国境で、東に進むと皇都フェイエラントがあるこの街の門は四つ。その東西南北の門のうち、東西の門は外から来て外へ出ていく者たちのための門で、門前広場には定期的に市が立っている。もちろん地元の者も利用するが、日常使いは南北の門だ。以前南門を見たが、門前広場もなく殺風景だったのを覚えている。
東門から入った私が、門前広場を横切りながら最初に口にした言葉は謝罪だった。
「あの場を切り抜けるためとはいえ、無礼な言葉遣い、大変申し訳ありませんでした」
「いいえ、わたくしの方こそ。よく機転をきかせてくれました。でも――」
言葉の途中で、くすくすと笑うイヨナさま。
「どうかされましたか?」
「いいえ、ジルが俺だなんて言ってるところ、初めて見ました」
「姫の前でお聞き苦しい言葉遣いを……」
「あっ、また姫って」
「む……申し訳ありません」
ままならないものである。
さて、宿をとった私たちはまず夕食をとることにした。何度も言うがここグリーデンはイニピア王国との国境都市である。イニピア王国は魔法大国だ。いかに我が帝国が《騎士国》などという異名を持つほどに剣に傾倒していたとしても、そろそろ魔法に詳しい者がいても良いはずだ。内務調査官のロイン曰く「情報が欲しければ酒場に行け」だそうだ。なんでも各地を旅する冒険者がそこを根城にしているからで。彼らの持つ情報は商人や傭兵たちにも有用なものが多く、冒険者が多く集う酒場には多種多様な人間が集まってくる。だからそこに集まる情報も多岐にわたる、という寸法らしい。
「そうだ、まだ時間があるので先に買い物をしましょう」
「買い物、ですか?」
ソダの町のときからずっと思っていたことだが、イヨナさまに帽子があれば良いのではないだろうか。食事時でもローブのフードを深く被っておかなければならないというのは、ことのほか不便だ。
「次の旅の準備を今するのですか?」
これから夕食だのに? と言いたげだ。
「違いますよ。イヨナさまがより夕餉を美味しく召し上がれるために必要なものです」
首を傾げるイヨナさまを横目に私は大通りを見渡す。店の扉の上には、その店の取扱商品がモチーフになった飾り看板が掲げられていて、言葉のわからぬ異邦人にもわかりやすくなっている。私はその看板を滑るように手前から奥に見て、いちブロックさきの服屋の隣に帽子屋を見つけた。
「帽子ですか?」
「ええ、フードを被ったまま食事をするのは些か埃っぽいでしょう」
店内に入ると、イヨナさまは感嘆の声を漏らしながら商品を物色し始めた。私はそんなイヨナさまの動向を見つめる。私にファッションセンスというものはないので、イヨナさまがどの帽子を手に取られるかを見逃さないようにするためだ。
「あまりかさばるものはご遠慮ください」
「わかっています」
私の注意に答えるも、顔はこちらを向いていない。
イヨナさまが商品に目を輝かせるのも無理はない。なにせこの街には、西方の国々の影響を受けた商品が多数ならんでいる。質実剛健な我が国の文化しか知らないイヨナさまの目には、彫金や宝石といった装飾が施されたものは、たとえ庶民のものだとしてもとても絢爛豪華に映るだろう。
「ジル、これにします」
興奮気味に頬を紅潮させたイヨナさまが振り向いた。手にはひとつの帽子。イヨナさまが選ばれたのは飾り羽のついた濃紺のベレー帽だった。
店をでたイヨナさまはさっそくフードのなかに帽子をつっこんだ。フードを被ったままもぞもぞと手を動かし、ちょうど良い位置が決まったのか、バサリとフードを脱いだ。
「なんだか視界が広くなりましたっ」
「ご不便をおかけしました。よくお似合いですよ」
「そう? うふふふ」
イヨナさまは嬉しそうに帽子を押さえて私の前でクルリと回った。
今夜は《飴色の鶏亭》という酒場で夕食をとる。名前の通り飴色のソースがかかった鶏肉料理が自慢の店。私たちが扉を開けた時には、まだ二、三人しかいなかった店内だが、注文した料理が運ばれてくるまでのわずかな時間にあっという間に満席になった。
頼んだのは三品。『ジャガイモのスープ』『カボチャとブロッコリーとにんじんの蒸しサラダ』そしてメインが『赤ワインソースの鶏肉ソテー』だ。テーブルの真ん中には籠にはいったライ麦パンが置かれた。
「て、手で、ですねっ」
自分を奮いたたせるように手をわきわき動かすイヨナさま。私はテーブルを見る。ナイフもフォークも、スプーンすら置かれていない。
「いや、流石に……」
スープがあるのにスプーンなしというのはあり得ない。苦笑いを浮かべていると給仕係が慌ててカトラリーを運んできた。その様子を唖然として見ていたイヨナさまは、給仕係が去った後、ほっと深くため息を吐いた。
「今度はフォークがあるのですね」
ジャガイモのスープを口に運ぶ。とろみが強く、まったりと舌の上で留まる。じょじょに口の中全体に広がる甘みが直接頬を刺激しているようで、痛いくらいに頬が落ちそうになった。
「んんんん~、甘いです!」
ここのところ騎士が野営時に食べるような食事しか口にしていなかったイヨナさまは、感動に目を輝かせた。うつわに少し残ったスープをライ麦パンで拭って口に放り込む私に、イヨナさまは眉をひそめたが、私が美味いと頷くと周囲の目を気にしつつもパンに手を伸ばした。
次は三種類の蒸し野菜。暖かくてしっとりとしている野菜は、意外に歯ごたえがあって噛み口から湯気が立ち上った。噛みしめるごとに野菜の甘味がじんわりと染み出してきて、ソースを付けなくても十分に味わうことができた。最後はメインの鶏肉料理だ。周囲の客曰く、ここの店は本当にメニューが少なく、メイン料理に至ってはこれだけなのだとか。確かに、壁に掛けてあるメニュー表には、メイン料理らしい名前はこれしか見当たらない。今晩も同じかとわかっていつつも、日が暮れだすと、つい足を運ばせてしまうのだとか。期待に胸を膨らませて飴色に焼かれた鶏肉を一切れ口にいれた。
瞬間、思わず対面の席に座るイヨナさまを見た。なぜだろうか。感動を伝えたかったからかもしれない。そして私と同じように頬を膨らませたイヨナさまと目があった。私はゆっくりと咀嚼する。口のなかで細かくなっていく肉片を舌でちょいちょいと弄びながら少しずつ呑み込んでいく。パリパリに焼けた皮の食感がアクセントとなって複雑な歯ごたえを楽しめた。ソースは赤ワインがベースとなっているのだが、ワインの酸味が上手く消されていて非常にコク深い味わいとなっていた。上品だが複雑な味でないところが、なるほど人気のもとなのだろう。
料理に舌鼓を打っていると、隣の席からこんな話し声が聞こえてきた。
「で、今度はあのババァなんだって?」
「ああ聞いてきたぞ。まじないババアは俺に、北に行けと言った。なんでも北の森の奥で魔力が濃くなっているらしい」
隣の席の冒険者風の男たちの会話だった。
「北だぁ? 北ってーと、川を登るってことか。十日ほど行けば確かに深い森があるな」
「深い森には魔力が溜まる。魔力溜まりには魔獣がいる」
「「「魔獣を殺せば魔石が出る」」」
三人の男たちは示し合わせたように声を重ねた。
「なるほど、魔力が濃くなるってことはそれなりに大きな魔石が採れそうだ。確かに良い稼ぎになりそうだな」
彼らがどこに向かって、何をしようとしているのかはどうでもよかった。ただ聞き逃せなかったのは最初の部分。手練風の冒険者たちに情報を流した者がいる。そして彼らは何度もその《まじないババア》とやらに情報を求めているようだ。
私は頬を膨らませてもぐもぐ動かしているイヨナさまに、ここで待っているよう合図を送り席を立った。
「むぐ?! むぐぐぐ」
どうやら合図の意図が伝わっていなかったようで、慌てて立ち上がったイヨナさま。
「おっ、嬢ちゃん食い意地張ってんねぇ!」
立ち上がる時ガタリと椅子を鳴らしたものだから、話をしていた冒険者たちが気づいて頬を膨らませたイヨナさまを誂い笑った。そのおかげでイヨナさまは、赤くなって椅子に戻りしゅんと大人しくなったのだが、なんともまあ、ままならないものである。
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