グリーデンの呪い師

「うう……恥ずかしいところを見られてしまいました」


 帽子を買ったのにその上から深くフードを被って顔を隠してしまったイヨナさま。森の泉で、羞恥心の欠片もない姿をさんざん見せたというのに、何をいまさら。


「もっとあられもない姿を見ていますから平気ですよ」


 励ましたつもりなのだが、


「ジルには良いのです。あの冒険者の方々に変な娘だと思われなかったでしょうか」


 心配して損をした気分になった。

 私はため息を吐く。


「まったく。彼らに会う機会はもうないでしょうし、無用な心配ですよ」


 しかし結局、また励ます私だった。




 冒険者たちが私たちにもたらした情報は、この街の凄腕まじない師についてのものだった。なんでも、これから旅にでる者たちの装備品に、無事旅を終え帰ってこれるようにまじないを掛けたり、どこへ行けば良い稼ぎになるかを占ったりしているらしい。凄腕と呼ばれる所以は、まじないを頼んで帰ってこれなかった者はおらず、占いを頼んで儲けられなかった者がいないからだとか。この国が《騎士国》でなければ、それなりの地位に収まっていたはずだと冒険者は言った。眉唾ものだがまじない師の顧客本人が言うのだからまったくの法螺話でもないと思った。


「確かあの冒険者の話だとこの辺りに……」


 私はイヨナさまを連れて大通りの角を曲がる。教わった一本奥の道に入り、また何度か角を曲がった。小さな橋を渡り、目印の物見塔を目指す。そして塔の横のひときわ狭い路地に入ると、向こうの方にぼんやりとランプの灯りが見えた。

 不思議だったのは――不可解と言い直すべきか――ここまで来るのに誰一人ともすれ違わなかったことだ。それこそ人気のない路地裏を好みそうなならず者にすら。

 灯りに近づくと、路地の一番奥、突き当りを背にして老婆が座っていた。呪い〈まじない〉や呪い〈のろい〉の類に嫌な記憶の新しい私は、イヨナさまを背に、机越しに老婆と向き合った。


「待っていたぞ」


 老婆の第一声である。真実なのかデマカセなのか、私には判断できなかった。ただ、ランプの灯りを浴びて闇夜に浮かび上がる老婆の皺くちゃな顔があまりに不気味で、虚言ではないと思わせる何かを感じた。


「私たちが訪ねてくると?」


 内心、私は警戒を強めたが、気取られぬようにさも当然かのように自然に振る舞った。老婆は鷹揚にコクリと頷く。


「そうとも。珍客で、賓客じゃからな」

「……まあいい。今日は尋ねたいことがあって来たのだ」


 正直、私はいまさらながら迷っていた。この見知らぬ怪しげな老婆にイヨナさまの姿を晒して大丈夫だろうかと。だから遠回しな質問をして、必要な情報だけを聞き出せないかと企んだ。


「魔神オルグという存在に聞き覚えはないか」


 しかしその思惑はたった次のひとことの返答で水疱に帰した。


「主ら、そのような無駄話をしにきたのかえ?」


 見抜かれはしたが、この一言は私に真相を語る決断をさせた。


「む、確かにその通りだ」


 私は覚悟を決めて私の後ろに控えていたイヨナさまを老婆の前に出した。私が決めた覚悟とは、当然、老婆が疑わしい行動を取った際、躊躇なく彼女を殺す覚悟のことだ。

 老婆を前にしたイヨナさまは私を見上げ、私はその不安げな顔に大丈夫だと言い聞かせるように頷いた。そしてイヨナさまはフードをとり、帽子を脱ぐ。


「これは……」


 ぺたんと寝たイヨナさまの猫耳に老婆は目を見張った。そして顔を伏せ、難しい顔をして云々と唸りだした。


「旅先で怪しげな連中と対峙することがあって、その時に不覚をとってしまったのだ。さっきの《魔神オルグ》というのは、この呪いの呪文の一部だ」

「ふむ……」

「聞きたいことはふたつ。この呪いがもたらす彼女への影響と、解く方法だ」


 老婆はわずかに沈黙する。この沈黙が意味するところはわからない。差し出す情報を選んでいるのか、情報を伝えるための言葉を探しているのか、あるいは――。とにかく老婆は少しの逡巡の後、首を横に振りながら静かに口を開いた。


「残念じゃが儂にはわからぬ。ただ、おそらく南方の呪術じゃろう。魔神オルグというのは、ルーテ教の神と敵対する者の名じゃったはずじゃ」

「ルーテ教……ボアンドラ地方か」


 老婆は頷く。

 ボアンドラ。緑も水も少ない、岩と砂でできた暑い土地。熱砂の大地に点在するオアシスに人々は寄り集まって生活している。かつて大きな国があったが、今はその半分以上が帝国領となっている。


「しかし、その神とやらの敵の名を盛り込んだ呪文ということは、この呪術の使い手はルーテ教でも異端の者ということか」

「……かもしれぬが」


 私の推測に、老婆は曖昧な返事を返した。気になるのは老婆の視線だ。最初にイヨナさまの耳を見てから今までずっと顔を伏せている。畏れているようにも見えるが、いったい何に? その疑念はすぐに解けた。


「そうか、世話になったな。私たちはこれで失礼することにする。お代はいくらだ」


 これ以上何の情報も得られそうになかったので、私はイヨナさまを連れてさっさと立ち去ろうと思った。少々迂闊なイヨナさまをこれ以上晒しておくのは危ういと判断したためだ。すると老婆はすがるような声でイヨナさまの名を口にしたのだった。


「貴女さまはもしや、ユドラウさまの御令孫さま、イヨナルシア皇女ではございませぬか」


 思わず私は剣の柄に手をかける。老婆も私の警戒に気づいただろうが、なんの反応も示さなかった。ただただ畏れ、顔を伏せるばかりだ。


「お祖父さまをご存知なのですか?」


 ゆっくりと振り返ったイヨナさま。


「顔を上げてください」


 その声色はすでに皇女のそれだった。イヨナさまの言葉を受けて老婆はゆっくりと顔を上げる。そしてイヨナさまのお顔を見て感動に打ち震えた。


「おお、その美しい金髪、菫色の瞳も、ユドラウさまの面影を残しておいでじゃ」

「ユドラウ殿下のお知り合いか?」


 イヨナさまのかわりに私が問い直す。


「これは失礼いたしました。ユドラウさまとは、まだ私が乙女であったころに幾度かパーティを組んだことがあるのです。ご結婚なされてからは、時折書簡を頂くくらいでしたが、イヨナルシア姫さまの名は何度も登場いたしました。当時、仲間とともに、ユドラウさまの孫自慢を楽しみにしておりました」


 老婆は当時を懐かしむように瞳を宙に彷徨わせ続けた。


「それはそれは、今となってもよく覚えております。立ち上がった時は剣を持たせようとして乳母を困らせたとか、初めて《じじたま》と呼んでくれたとか、抱こうとしたらイヤだとフラれてしまったと落ち込んでおられた時もありました。四つになってもオムツが取れないので心配されていたり、八つの時に大きなおねしょをなさったときは、帝国の未来の版図であると大真面目に語っておられました」


 最初は良い話だったが、だんだん雲行きが怪しくなってきた。頬を引きつらせるイヨナさまを前に老婆はさらに続ける。


「十の誕生パーティでは、舞踏のお相手をしたユドラウさまは姫さまに足を踏まれて、あまりに軽すぎるので心配なさっておいででした。姫さまが自作された歌を自室のバルコニーで歌っておられる姿を見て、まるで清純で可憐な水の精霊のようだともおっしゃっておりました」

「ほう、自作の歌ですか。私は聴いたことがありません」

「も、もう止めてください!」


 我慢の限界が来たらしく、イヨナさまは真っ赤な顔を両手で覆ってブンブンと振った。イヨナさまを御するいい材料が手に入ったとほくそ笑んでいると、今度は老婆の口から私の名前が飛び出してきた。


「そういえば、貴方は騎士ジルバラートさまで?」

「え、あ、ああ」

「貴方のことも書かれておりましたよ。遠征時には毎回一番の功績を上げる勇者だとか」

「ほう、ユドラウさまがそのようなことを」

「ええ、けれど騎士は重い鎧を身に着けているでしょう? それで川で溺れそうになったことがあって、危ないところを皆で助けたのだとか。いずれは孫娘の騎士にするのだからと、それはもう必死だったそうです」

「……」


 顔を覆った指の間からちらりと私を窺うイヨナさま。御する弱みどころか、逆に失敗談を知られる羽目になろうとは。


「も、もう良い! 昔話はまた今度会った時にでも聞かせてもらおう。そうだ、お主の言った通り、私たちは無駄話をしにきたわけではないのだからな」

「おお、そうでした。これは引き止めてしまい申し訳ございませんでした」

「ん、ゴホン! いや、いい。それで、情報料は」

「とんでもございません。イヨナルシア姫さまからお代をいただくなど」

「何を仰るのですか。お祖父さまの古いご友人にそのようなお気を使わせてはお祖父さまに叱られてしまいます」


 ここまで我々の身内話に詳しいのだ。老婆の言っていることに偽りはないだろう。さきほどした覚悟が無駄になってしまったが、喜ばしい誤算だ。というか、昔のこととはいえユドラウさまとパーティを組むほどの実力者なのであれば、あるいは私のほうが返り討ちにあっていたかもしれない。ただ気になることもある。代金の銀貨三枚をテーブルに置いた私は背を向ける前にひとつ質問を投げかけた。


「最後にひとつ聞きたいことがある。私たちを見て、待っていたと言ったな。賓客とも。なぜだ?」

「私は毎夜、明日のことを占うのですが、昨晩は懐かしい面影が訪ねてくるとでたのです。最初、貴方を見て死んでいった仲間の息子かとも思いましたが、イヨナルシア姫さまを見て確信いたしました」

「なるほど、だから誰かまではわからなかったわけか」

「ええ。私も最後によろしいでしょうか」

「なんだ?」

「お二人の旅の無事を祈らせていただけないでしょうか」


 老婆が申し出ると、イヨナさまは一歩前へでて快く「ぜひお願いします」と手を合わせて頷いた。

 にこりと嬉しそうに微笑んだ老婆は唱える。


「気高く誇り高い風の精霊フィーロよ、旅と奔放を愛する精霊フィーロよ。ふたりが淀みなく歩み続けられるよう、どうか清浄なる天空より見守り給え。待ち受ける苦難も、襲い来る災いも、すべてを飛び越えまた退ける大風の加護を授け給え」


 老婆の祈りに呼応してランプの火が揺れる。炎の大精霊カンカの守護ではないのは、獣憑きとなってしまったイヨナさまへの配慮だろう。身体の芯を吹き抜けるような一瞬の寂寥感に、風の精霊フィーロの加護が付与されたことを知った。

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