逃走

 町を飛び出し、また西へ向かう。やはり追手は素人ではなかったようで、すぐに背後から馬の蹄の音が聞こえてきた。音の数は四頭分!

 どうする、前方には森が見える。普段なら当然迂回するが今は……。


「姫! 姿勢を低く! 森を突っ切ります!」


 上体をかがめることで返事をする姫。ここの森は広い割に平坦だから、全速力でも駆け抜けられる。ヤツらが飛び道具を持っていたとしても、それを封じることができる!


「森に入る前に仕留めろ! 行け!」


 振り返ると四頭の馬がこちらを囲む形で陣形をとろうとしていた。いくら我が愛馬が帝国きっての名馬とはいえ、二人を乗せた状態で軽装の刺客を振り払うことはできない。このペースだと森に入る前に追いつかれるだろう。ただ、この先こいつらを引き連れて逃げ回るわけにもいかない。排除するために戦闘が避けられないなら……。


「姫、少し揺れます。しっかりとつかまっていてください」

「は、はう"」

「くくっ、舌を噛むので返事は結構ですよ」


 耳まで真っ赤にした姫に和まされたところで、私は気を引き締めなおして背後の敵に向き直った。

 陣形を確認する。互いに等間隔に距離を保ち、こちらに均等に近づいてくる。私が位置をずらせば、その都度修正して私たちがちょうど真ん中に来るように陣形を整えた。圧倒的有利に勇み立つ様子もなく、淡々と仕事をこなす職人のようだ。


 悔しいがかなり熟練したチームだ。


 そしてついに左右に敵が並んだ!


「かかれ!」


 その合図とともに私は思い切り手綱を引いた。抜剣し、背後から襲い来るひと薙ぎを受け止める。そして私と前後入れ替わった敵を、ひと薙ぎに斬り捨てた。まずひとり。


 私は急旋回する。なぜなら最後尾で支持を出していたヤツが、弓を構えているのが見えたからだ。


「ちぃ!」


 射損ねたリーダーが舌打ちをする頃には、私たちは森に到達していた。




 木々の隙間から差し込む月明かりと土地勘を頼りに森を駆ける。追手も同時に攻撃するチャンスを失って、攻めあぐねているようだ。ちらりちらりと見切れては様子を窺っている。追手の正体は不明だ。騎士か、兵士か、傭兵を雇ったか、それとも冒険者か、あるいは暗殺者かもしれない。だが騎馬での一対一であれば誰であっても負けはしない!


 相手はこちらを捕捉しているか。この状況に手を打たれる前に先手を打つ!


 月明かりが途切れる一瞬を狙って私は手綱を強く引いた。減速する音は聞こえただろうが。闇夜で疾走していれば、その後私がどうしたかなどとても目で追いきれるものではない。かといって速度を緩めて目を暗闇に目を凝らしていては、背後から徒歩で近づく私には気づけない。二人目。


「おい! どうなってる!?」


 先ほどとは打って変わって、蹄が地面を踏み鳴らす音も、耳をかすめる風の音も聞こえなくなった静かな森に、三人目の怒号が飛んだ。



「ああ、無事だったか。ヤツはどうした。見失ったのか?」


 馬の装備とシルエットで仲間だと判断したのだろう。戦場で安堵するなど、なんて馬鹿なヤツだ。そんなことだから死体を抱えるように騎乗している私に気が付かない。三人目。


 最後はできれば生け捕りにしたいところだ。ただ私とて、この悪状況のなか三人同時に捕捉し続けることはできなかった。こうなってしまえば護るもののあるこちらが不利になる。今度はできるだけ早く森を抜けなければならない。

 私はすぐ近くの茂みに下ろした姫のもとへ戻った。


「お待たせしました、すぐに移動しましょう。はやく森を抜けなければ」

「は、はいっ」


 緊張しているのか興奮しているのか、目が光るくらい見開いている姫を馬に乗せ、不意打ちに注意しながら森を進んだ。

 森は恐ろしいほど静かで、風の音も、虫の鳴く音も聞こえない。最後の追手の気配もなく、逃げたのかと思ってしまう。そんなわけがないことはわかっている。


 しばらく進むと暗闇のなかに小さな薄明るい点が見えた。点に近づくと、木々の間から月光に照らされた草原が見えていたのだとわかった。こういう時、経験浅い若者であればほっと安堵の息を吐くところだが、私はそんな隙などみせてやらない。一層気を引き締めて剣を握り締めた。

 と、目の前で姫のフードがぴくりと動いた。


「な、何かいます」


 その発言に私は驚いて姫を見た。そしてすぐに彼女の視線を追った。しかし姫が何を見て、いや聞いて言ったのかがわからなかった。我が双眸に映るのは、草原から差し込む月光が仄明るい森だけだ。


「わかるのですか?」

「かすかですが、さっきそこの樹に着地する音が聞こえました」


 再び姫の目線を追うが、追手はすでに息を殺して潜んでいるようで、やはり私にはわからなかった。ただ、おおよその場所はわかった。それだけでもかなりの有利を手に入れたと言える。さて、あとはヤツがどのタイミングで仕掛けてくるかだ。

 私は気づいていないふりをして、ヤツの――おそらく――真下を通り過ぎた。いつでも来いと、しかしそれと気づかれないように。


 そして、わざと油断した振りをして息を漏らした瞬間、頭上で空気が動く気配を感じた。無音。知らなければ気づけなかった。だが、


 ギィン!


 私の剣はヤツの剣を弾く。


「なっ?!」


 空中で不意な力をかけられた男は大きく体勢を崩す。私は力任せに薙ぎ払うように男を草原に向けて押し飛ばした。そしてすぐに下馬し、倒れた男に駆け寄る。そして喉元を剣の腹で押さえつけた。刃が薄皮に食い込んで首筋に赤い線が滲む。


「長くは待たない。誰に雇われた?」

「……」


 私は剣を持つ手をゆっくりと横に引いた。








「終わりました」


 姫のもとへ戻り、馬に跨る。すぐに屍肉漁りが来る。ダイアウルフならばまだ良いが、魔獣の類ならば少々厄介だ。早くここを去らなければ。

 手綱を緩め、まだ月明かりが濃い夜の草原を私は走り出した。



 休める場所を探して馬を走らせている途中、私は追手から得られた情報を整理していた。

 追手は問答無用で剣を抜いた。そのことからヤツらは私たちを殺すことを目的として差し向けられたことがわかる。

 次は正体について。兵士にしては騎馬の練度が高かった。傭兵ならばあの状況なら撤退するはずだ。暗殺者にしてはお粗末な危機管理だった。冒険者にしては……このような汚れ仕事を請け負う程度の低い者たちにしては連携がとれすぎていた。であれば相手は騎士ということになるが、となれば皇族に黒幕がいる可能性がぐんと上がる。

 姫さまよりも低位の継承権保持者の企てか。どうせならより皇位の皇族を狙うべきだ。いまさら姫の命を狙う意味がわからない。そもそも姫さまを狙う理由はなんだ? それがわかればあるいは首謀者もわかるかもしれないが……。


 最後のひとりを拷問せずにあっさり殺したのは、もちろん屍肉漁りを警戒してのことだが、追手の増援が来ないともかぎらない。そして何より、姫さまに野蛮は見せられない。この静かな夜、さきほど見せた驚異的な聴力では、拷問の一部始終を聞かれてしまうだろう。あるいは兄弟姉妹に対して酷く悲しませることになるかもしれない。それはとても哀れなことだと思う。


 ふと、私の懐で小さくなっている姫さまが気になった。思えば最後の追手の居場所を教えてくれてから一言も口を開いていない。


「姫さま?」


 私の声に反応して、姫さまはビクリと肩を震わせた。


「姫さま、大丈夫ですか?」

「は、はい、その……大丈夫です」


 背を向けたまま声だけで返事をする姫。うーむ、これは……


「怖がらせてしまいましたか?」

「ち、ちがっ…………その、乱暴を見るのが初めてで、少し驚いただけです」


 姫はそう言うがよく見ると肩が震えている。皇城から出たことがないであれば、確かに荒事を目撃することもないだろう。人が人を傷つけ殺す。それは恐ろしいことだ。

 こういう時、私はどうすれば良いのだろう。心細い時、姫はどうしてもらっていただろうか。

 単身者の私が考えつくことは、姫の小さな頭を撫でることくらいだ。


「ジ、ジル?!」


 姫はビクリとして驚いた後、耳まで赤くして今度は石のように固くなってしまった。しばらく撫でていると、いい加減に観念したようで、はうと息を吐いて私の胸にもたれかかってきた。


「落ち着きましたか?」


 そう問うと、私を見上げた姫は、


「いいえ、ちっとも」


 と口を尖らせて言うのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る