最初の町で
馬を夜通し走らせた。
皇都フェイエラントから西方へは穏やかな草原が広がっている。森もあるが、近づかなければ狼に襲われることはないだろう。朝方になるとときおり羊飼いが遠くに見えて、私たちを見つけては、杖を掲げて挨拶してくれた。
ひとまず私が目指したのはソダという皇都と西方各地を結ぶ宿場町だ。徹夜の行軍だったおかげもあって昼前にはソダに到着することができた。
宿屋の馬留に愛馬をあずけ、借りた二階の部屋でこれからの予定を話す。殺風景な部屋の中を、丸い目をきょろきょろさせて見回している姫に声をかけた。
「姫、体調はいかがですか?」
「え? ええ、ジルがゆっくり走らせてくれたおかげで、少しだけ寝れましたから。貴方こそ、寝てないのでしょう?」
「私はまだ平気ですよ。それよりも旅の準備を本格的にしてしまいましょう。皇都ではろくな準備ができませんでしたから」
必要なのは万が一の時のための保存食と、野営の道具。それから服も欲しい。できるだけ目立たない外套を選んだつもりだったが甘かったようで、町に入る前からすでに私たちは衆目の的だった。姫だけではなく、私までもだ。早急に服を見繕わなければ。
「――ということで、今から買い物へ出ます」
「はいっ」
「買い物の経験は…………私がします」
「はいっ」
「あの、あまりきょろきょろしないようにお願いします」
「わ、わかってますよ!」
顔を真赤にして恥ずかしそうに取り乱す姫。しかし宿屋を出る頃には、見たことのない光景にあっという間に目を奪われてしまっていた。ただの庶民の市場も、彼女にとっては吟遊詩人が謳う極彩色の物語のワンシーンに見えるだろう。私はフードがずり落ちないように姫の頭を押さえ、なかで耳がごそごそ動く感触を手に感じながらひとまず服屋を目指した。
「彼女にあう服を適当に見繕ってくれないか。私の外套もここで買うから、安く頼む」
「そうだね……じゃあ、これなんかはどうだい。ウチで一番の上物さ!」
恰幅のいい服屋はそこそこ上等なビロードのドレスを見立ててきた。
「もっと地味なものでいい。この町の娘が着るような」
「なんだい、そんなのでいいのかい。それじゃあ……」
私たちの身なりを見て高い商売ができると思ったのだろう、皮算用が外れて途端につまらなさそうな態度を見せる店主。
「……そうだな、では二人分の動きやすい服も追加で頼む」
「あいよ!」
外套はふたりとも灰色のローブ。中は簡単な上下に、私は革鎧を一式、姫にも胸当てを見繕った。姫には今までの使っていたものと比べればかなり安物だがドレスも購入した。
「これでは冒険者のようですね」
「冒険者、ですか?」
一通り買い物を終えた私たちは、宿屋で一息ついていた。皇城から出たことのない姫は、当然冒険者も知らないようで、
「ええ、未知の探求に命をかける者たちのことです。有名なパーティだと貴族のパトロンがつくこともありますが、多くは酒場を根城にして小さな依頼をこなしながら資金を稼いでいるようです」
「パーティを開くのですか?」
「チームのことをパーティと呼ぶのですよ」
「へぇ……傭兵とは違うのですか?」
「傭兵家業を請け負うこともありますが、本分ではないので、傭兵のように戦場に出てくるようなことはないでしょうね。受けるとしても商隊の用心棒とか、それくらいの規模のものかと。そういえば、若き日のユドラウさまも、冒険者だったことがあるのですよ」
「お祖父さまが?」
「冒険者……」と、しみじみ呟くイヨナさま。姫さまが八歳の頃、我が師でもあるユドラウ殿下は亡くなられた。病死だった。息を引き取られるまで、ずっとイヨナさまを気にかけていらっしゃったのを覚えている。イヨナさまもユドラウさまにはとても懐いていたので、祖父の死にふさぎ込んでしまったイヨナさまを元気づけるのには苦労させられた。
私はひとつ息を吐く。
「さて、これからですが、一晩泊まって明日の早朝には出発しようと思います」
「また西に?」
「ええ、イニピア王国へ行こうと思います」
「イニピアは敵国ではありませんか。大丈夫でしょうか」
物憂げに目を伏せる姫。
「紋章付きのものをすべて手放せば大丈夫ですよ。それに敵国だからこそ、首謀者もやすやすと追ってはこれないはずです」
「紋章……貴方の剣や、盾もですか?」
「そうです。姫さまの……ペンダントも、です」
「そうですか」
「……申し訳ございません」
「いいえ、ペンダントなど。それより貴方の剣と盾の方が、とても名誉なものなのに」
「姫さまを護れなかったという不名誉とはくらぶべくもありません。授けてくださったユドラウ殿下もお許しになるはずです」
申し訳無さそうな顔をする姫。重い空気が漂うなか、小型犬の情けない鳴き声のような音が部屋に響いた。訝しげに眉を潜めたが、姫が顔を真赤にして俯いていたので、音の出処はすぐにわかった。
もう日も陰ってきているし、早めに夕食にしよう。そういえばさっき冒険者に興味がありそうだったな。
「さて、そろそろ夕食にしましょう。小さい町ですが、酒場へ行けば冒険者を見られるかもしれませんよ」
「そうですね」
なんとか取り繕って柔らかな笑みを見せる姫さまだったが、瞳はギラギラに輝いていた。
「わぁあ」
私たちが近くの酒場を訪れたときには、すでに多くの人で賑わっていた。皇城もパーティや式典で賑わうこともあるけれど、それとは違った混雑が食堂にはあった。喧騒飛び交う店内を見て、姫さまは口をあんぐりと空けた。
「さあ、こちらへ」
適当なテーブルへ腰掛ける。給仕を呼んで、適当にオススメを頼んだ。
「わぁ、見たことないお料理です」
出てきたのは『マッシュポテトを小麦の皮で包んだ団子、二種類のソースで』『きざみオニオンソースのかかった腸詰めのグリル』『旬の野菜のスープ』のみっつ。甘い香りや香ばしい香りが湯気とともに立ち昇り鼻孔をくすぐる。
「良い匂い。でもスプーンしかありませんが、これはどうやって?」
団子と腸詰めを指して姫は首を傾げた。
「手で食べるのです。見ていてください」
団子にはすでにソースがかかっている。口に放り込みもちもちの生地を噛み切ると、なかからはほくほくのポテトが溢れてきてソースと絡まって口の中に旨味が広がった。生地の弾力が咀嚼を促し、そのおかげでマッシュポテトの甘さを余すことなく味わうことが出来る。腸詰めは意外と薄味で、微細な塩加減がオニオンソースの甘さをより引き立てていた。歯を立てるとパキンッと小気味良い音を立てて腸詰めが割れる。じわりとしみ出る肉汁を溢さないようにいっぺんに口にいれると、どばどばと分泌する唾液と混ざりあって驚くほどのジューシーさを演出した。
私の食べる姿を見た姫は、目を大きく見開いたまま固まってしまった。
「まあ、すぐには無理でしょうが……」
私は肩を竦め、給仕にナイフとフォークを一組注文するのだった。
庶民流の食べ方はともかく味の方はとても気に入ったようで、酒場からの帰路、宿屋まで姫はずっと上機嫌だった。
「とても美味しかったです」
そう言ってにこりと笑う姫。
「それは良かった。明日は早いですから、帰ったらすぐに寝ましょう」
「はいっ」
よほど疲れていたのだろう、姫はベッドに横たわると、数を数える間もなくすぅすぅと寝息を立てた。私も、昼間に買った文具でロイン宛の書簡をしたため、宿屋の店主に頼んだ後、すぐに瞼を閉じた。
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