エリちゃん

 女の子ってどうしてすぐにキャーキャー騒ぐのだろう。

 ぼくはただ廊下ですれ違った時に、ちょっとスカートをめくっただけなのに、エリちゃんは顔を真っ赤にして泣き出してしまった。

 あっという間にみんな集まって来てぼくを取り囲む。

「脩平がエリちゃんのこと泣かした!」

「あやまれよ」

「そうだそうだ、エリちゃんにあやまれ!」

 あやまれコールの激しさにぼくはたじろぎ、一歩、二歩、くるりと後ろを向いて、走って逃げ出した。

「逃げた!」

「待てよ、ずるいぞ」

 非難の声が追いかけてきたが振り返らない。

 廊下の角を曲がってからやっと足を止め息をつく。

ふとエリちゃんの泣き顔を思い出した。あれくらいで泣くなんて思いもしなかった。悪いことをした。

 でも、泣いているエリちゃん、可愛かったな。

 廊下の角からクラスの様子をうかがいながら、頭の隅でそんなことを考えた。


 帰りの会が終わり帰ろうとしていると、教室の後ろの席でエリちゃんがランドセルに教科書を詰めているのが見えた。

「お前、教科書毎日持って帰っているの」

 そばに寄って話しかけるとエリちゃんは驚いたように顔を上げて、小さく頷いた。

「重いだろう。机の中に置いておけばいいのに」

 赤いランドセルの中にはぎっしりと教科書やノートが並び、隙間に四角の筆箱が収められている。エリちゃんはランドセルを押すようにして蓋を閉めながら、当然という顔で、

「だって、家に帰って勉強する時に使うでしょう」

「ええっ、お前、家で勉強なんかしてるの」

 ぼくが驚いている間に、エリちゃんはよいしょっとランドセルを背負って、教室の出口に向かって歩き出す。

 どんな言葉を続ければいいのかわからなくて、ぼくは頭を振った。

 無言のまま、わざと早足でエリちゃんの横をすり抜ける。

 追い抜きざま、さっとスカートをめくった。今日は水色だった。

 小さな悲鳴が背中越しに聞こえる。振り返らずにぼくは駆けた。

 エリちゃん、毎日家で勉強なんかしてるんだ。

 ぼくの軽いランドセルの中で筆箱がカタンと音を立てた。


 翌日も挨拶代りにエリちゃんのスカートをめくったら、またクラスのみんなに囲まれてしまった。

「この前もエリちゃんのスカートめくったよね」

「えー、もしかしてエリちゃんのこと好きなんじゃない?」

 その言葉に、しくしく泣いていたエリちゃんはびっくりした顔で僕を見た。

「どうなんだよ、脩平」

 クラスの男子がはやし立てる。

「別に、そんなんじゃないし」

 ぼくがそっぽを向くと、

「脩平、エリちゃんのこと好きじゃないって! 嫌いだって!」

 エリちゃんの瞳にみるみる涙が溜まっていく。

「かわいそう、また泣いちゃったじゃない」

 エリちゃんの周りにいた女子が強い口調でぼくに詰め寄る。

 なんでこうなるんだ。ぼくの方こそ泣きたいよ。

 ぼくは詰め寄って来た女の子のスカートをさっとめくった。白い布を視界に収めて、ちいさくガッツポーズ。

 人垣をかき分けて逃げ出す後ろで、怒号が響いたがもう知らない。

 ぼくはただ、女の子のスカートをめくるのが好きなだけなんだ。


 あんまり毎日スカートめくりをしていたせいか、誰かが先生に言いつけたらしい。放課後、ぼくは職員室に呼び出された。

 担任の先生は席から立ち上がり中腰になると、ぼくの目をじっとのぞきこんだ。気まずくなって、ぼくはすぐに視線を逸らす。

「今まで何回やったか覚えているか」

 そんなの、いちいち覚えていないやい。

 ぼくが黙っていると、先生は畳みかけるように、

「エリちゃんのスカートばかりめくると聞いたぞ」

「別に、ぼくはただ、挨拶のつもりで」

「そうか」

 先生はニヤッと笑った。

「それで、エリちゃんは君の挨拶にどう返してくれたんだ」

「何も」

「毎回泣いているだろう。それがあの子の返答じゃないか」

「エリちゃんは泣き虫なだけだ」

「たしかにあの子はよく泣くな」

 先生は腕組みをして頷くと、またぼくの目をのぞきこんだ。ぼくはますますいたたまれなくなって、唇を固く噛みしめる。

「君は女の子が反応するのが面白いから、スカートめくりをするのかな?」

 急に僕の肩を掴むと、

「それとも、エリちゃんに反応されたくてやっているのかな?」

 先生の声はざらりとした感触をもって、ぼくの耳に侵入してきた。それはあっという間に耳奥まで到達して、頭を振っても振ってもこびりついて離れない。

 先生は僕の様子をしばらく観察すると、そっと肩から手を離した。

「どっちでもいいけど、人の嫌がることはするな」

 職員室を出た後も、頭の中に先生の声が残響していた。


 女の子なら誰でもいいのか、それともエリちゃんだからいいのか。

 先生の問いはぼくに大きくのしかかった。

 実のところ、ぼくにもどちらなのかよくわからない。

 それでぼくは実験することにした。

 実験、というのは、お兄ちゃんが教えてくれた言葉だ。なにかわからないことがあった時に、いくつかやり方をかえて試してみて、どれが正しいのか見つけるのだ。

 まず、全然知らない女の子で試してみた。さすがに女の先生を相手にするのはちょっと勇気がいるので、上級生の女の子にした。

 すれ違いざまにさっとめくり上げる。成功。キッと睨まれたけど知らんぷりで逃走する。

 うまくいったけどなぜだかあまり面白くない。

 次にクラスの女の子たちのスカートを片っ端からめくってみた。凄まじい非難を浴びたけど、これはなかなか楽しかった。女の子たちは今やぼくが近づくだけで逃げて行く。ズボンしか穿かない子まで出てきて、ぼくは先生にまた怒られた。

 意識してエリちゃんのスカートだけはめくらないようにしていたが、ある日ついに再挑戦することにした。

 エリちゃんは少しのんびりしたところがあるから、ぼくが近づいても、他の女の子たちのようにすぐに逃げたりはしない。

「おはよう」

「おはよう、脩平くん」

 エリちゃんは運動靴から上履きに履き替えながら、こちらを見てにっこり笑った。

 可愛い。

 見慣れた泣き顔よりも、笑顔はずっとずっとエリちゃんに似合っていた。

「今日は体育があるね」

「そうだね。今日もドッジボールやるのかな」

「そうかもね。わたし、ドッジボール好きじゃないな。だってボールが当たると痛いんだもの」

「当たる前に誰かに当てちゃえばいいんだよ」

「そんなことできないよ」

「できるって。今度ぼくが教えてあげるよ」

 他愛もない会話をすることじたい、久しぶりだった。今までずっとスカートをめくることばかり考えていたのが、なんだかばかみたいだ。

「ドッジボール教える代わりに、今度算数教えてよ」

 ぼくの空っぽのランドセルとは対照的に、エリちゃんのランドセルは今日も重い。教科書とノートがぎっしり詰まっている。

「いいよ。じゃあ放課後にね」

 スカートをめくることなどすっかり忘れて、ぼくはエリちゃんとの新しい約束に胸を躍らせていた。



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短編・掌編集 ゆずき @yuzooon

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