第6話 平穏な日々
昨日の出来事は自分にとって衝撃的であったが、一日はまた変わらず訪れる。ピピピと目覚ましが私を揺さぶる。
「おはようございます、朝のニュースです。太陽系内に防衛ラインを後退させた統和軍ですが、現状戦線は安定しているとのことです。ヴォイドの攻勢も、昨日の大攻勢を防ぎ切ったことにより小康状態へ移行している模様です。しかし、損害の大きさと今後の戦況を鑑み、統和軍連合艦隊の総指揮官ビスマルク提督が辞任を表明、後任として、イザベラ提督が着任となりました。イザベラ提督の今までの戦歴は・・・」
状況が変われば、人の考えは変わる。戦況が変われば、人の心も変わる。瑠奈は大丈夫だろうか、教授は私を利用したいのだろうか。悶々とした考えが浮かぶ朝だった。
一日の活力として、朝食は欠かせない。プロメテウスは市民の義務とまで発意している。
「いただきます。」
母は古い人間だったから、この習慣をよく躾けられた。料理を得意としており、調理する人間が少ない現代では珍しい存在だった。簡易朝食と母の料理、断然後者が旨かったが、一週間用の7種の簡易朝食は、旨くはないが、飽きない工夫がしてある。朝に弱い自分には、これが適していた。調理に時間を取られないから、今は簡易朝食の手軽さがありがたい。昨日見てしまったメールがつい気になってしまうし、頭の整理をする時間が取れた。
父はあれ以降帰宅していないようだった。物を取りに戻っただけと言っていた。今考えると、教授のメールの一件を話さないまでも、それとなく父に共感派のことについて探りを入れたい気もする。しかし、父が帰宅していないのだから、仕方ない。
教授に、今日にでも会えればいいが、問い詰めて教授は素直に告白してくれるだろうか。そもそも教授に直接話して、何か予測不能の事態に陥らないかなど、考えが考えを呼ぶ。
連日と同様に、公園に向かう。木や葉が、初夏の日光を受け、地面に映す影でできた幾何模様を作り出す。自然は美しい、意味のないように見える葉の配置は、極めて合理的な理由によって作られている。その影の模様の上を、私の影が乱していく。
八巻瑠奈が、またいつものように、アイス屋の脇のベンチに座っていた。私を見つけるなり、立ち上がり、笑顔で私を迎えてくれる。
「修司君、今日は何味のアイスにする?」
この時間が愛おしかった。
研究室に到着しても、教授はいなかった。在籍状況を確認しても相変わらず不在を示している。通話を試みても昨日同様繋がらなかった。だが、私が昨日見た固定端末は電源がオフになっていた。この部屋の鍵は、大学事務室に保管されるマスターキー以外は、私と教授しか持っていない。あの後に、教授が一度は固定端末に触れたということは間違いないだろう。しかしながら、私はこの状況下で、特に打てる手が思いつかなかった。一応、何が起こるのかと緊張しながら大学に来たにも関わらず、この結果では拍子抜けだった。
教授の状況がどうであろうと、私には現状後ろめたいことがあるわけでもなく、当局に監視をされようと、それ自体で私が何か罪を犯したということでもない。そう考え出すと、気が楽になり、いつもと変わらぬ日常を送れる気がした。
私は、研究に対する自分の決心が鈍らぬよう、論文の完成を目指し、今日も実験や推敲を怠らず、一日を過ごした。
この日から、約二週間、自分に関与することで大事も起こらず、平穏無事な日々を過ごしたと思う。
父は4日に一度ぐらいの頻度で帰宅し、短い時間家にいたかと思うとすぐに出かけていた。
戦況の悪化から父の忙しさはますます増していたのだろう。無精ひげは伸び、髪も櫛を通していない様子で、身なりにもあまり気を使わなくなっているようだった。父は身なりや礼儀にうるさく、堅い気質の人間だっただけに、その疲労感を一層感じた。
教授とは、一度も会うことはなかった。あれからずっと不在のままだ。例えば、どこかの学会に参加するとか、そういったことは聞いていない。以前もたびたび突然かつ長期に大学に姿を見せなかったこともあったが、今回は、時と場合を考えると少し不安を感じる。既に、教授は過激派としての烙印を押されており、当局に逮捕されたのだろうか。
いやしかし、教え子である自分に必ず事情聴取の手は回るだろう。それがないということは、当局に教授が拘束されているとは考えにくい。もしくは、私を共感派へと引き入れる為に、何かよからぬ計画を企ててでもいるのだろうか。
瑠奈とは、会える日もあれば、休憩時間が取れなかったとかで会えない日もあった。また、度々包帯姿で登場し、私を相変わらず狼狽させた。これも本人曰く、実験によるケガらしいが、見ていて痛ましく、その見た目からも保護欲を掻き立てられ、過度に心配してしまう。だが、瑠奈は「大丈夫です!」を繰り返し、私に心配をかけまいとする。男女関係という意味では、特別な間柄ではないが、友人としてお互いを思い遣る程度には私に気を遣っていたのだと思う。
瑠奈との交流では、私が自分の研究について話すことが主であり、瑠奈は自分のことをあまり話したがらなかった。それでも私は、瑠奈のことを少しでも知りたいという気持ちから、つい折に色々と触れて聞いてしまう。瑠奈からは仕事のことはあまり聞くことができなかったが、今までの暮らしや彼女の妹の話などを聞いた。
瑠奈の両親は軍人であったが、瑠奈が幼いころに他界してしまい、軍属者の遺族として軍部が瑠奈の生活の面倒を見てきたこと。成人するまでは、一般教育を軍関連施設で受けていた為、寄宿舎と軍学校の往復の生活が主だったこと。
妹は身体が弱く、病院暮らしの為、瑠奈の持ち帰るアイスクリームや外での話を楽しみにしていること。
私も母を幼くして亡くしているものの、私は大いに恵まれた環境で育ち、特に何不自由のない暮らしをしてきた。私は、瑠奈の生い立ちを聞くにつれ、表情を暗くしていたのか、瑠奈がそれも私に気を遣う。瑠奈は、自分が世間一般と比して、不幸とされる立場であっても、今が幸福なのだから、それでいいと語った。
この頃に瑠奈の非番の日が一日だけあり、私は、そのような境遇の瑠奈に、少しでも普通の若者の楽しみを体験してほしいと考えて、少し強引に外へ連れ出すこともあった。戦時下の為、遊ぶ場所は多くないが、動物園に連れて行くと瑠奈はとても喜んでいた。その中でも、瑠奈はカピバラを特に好んでいた。温泉に浸かるカピバラを見て、目を輝かせていた姿が印象的だった。
また、動物園に併設されたスポーツゲーム施設で、瑠奈と卓球の対戦もしたが、勝負ごとには真剣そのものだった。私は卓球が得意であったため、最初は勝ちを重ねていたものの、彼女はとても運動神経がよく動体視力にも優れているようだった。数回対戦するうちに、すぐに慣れ、私の変化球に対してもすぐさま対応する技術を見せた。負けると本気で悔しがり、勝てばとても喜んでいた。私は彼女に負けても、腹が立つということはなく、彼女の喜び様を見ていると自分の悔しさすら忘れてしまうようだった。
帰り際には、妹の為にと一緒にお土産を選んだ。妹は気が強く、かわいい動物が似合うタイプではないと言っていたが、犬が好きらしく、犬のぬいぐるみを私からプレゼントした。そして、今日自分の強引な誘いに付き合ってくれたお礼と言って、カピバラのぬいぐるみを手渡した。女性に渡すプレゼントなど、私にはなかなかの難題だったが、彼女の様子からすると喜んでもらえたように思う。正直言って、安価なぬいぐるみで喜んでもらえると少し心苦しい気もした。
お互いの考えや今までの人生を話すこと、共有する時間を増やしたことで、お互いの距離がまた縮まった気がした。貴彦からは、瑠奈が得体の知れない存在であるから、気を付けるよう忠告されたが、幼少期から軍属なのであれば、その素性もはっきりしているだろう。妹を心配し、大切にする姿もとても悪い人間には見えなかった。そう、何も心配することはなかったのだ。
私は、自室に戻り、この2週間の経過を振り返る。人類の戦況は確実に悪くなっている。ヴォイドは地球にどんどんと近づいているのだ。世間は、戦時に向けて、戒厳令一歩手前の状態になっているし、既に食糧配給制も開始された。明るく平和なムードは消失し、もはや対岸の火事でなくなった地球では緊張感が高まっていた。
だが、そんな状況でありながら、私は研究を続けることに自分の人生の意味を見出していたし、瑠奈との毎日の会合が楽しくてしかたなかった。人類の斜陽に瀕しながらも、今、初めて私は人生に対して強い幸福感を見出していたのだ。
明日も楽しみだ。そう考えて、床に就く。
月に告ぐ 晴 @harezou
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