#369 キャビネット・ゲーム


 尾崎を待っていると、乾いた発砲音が何発も聞こえた。しかも至近距離、どう考えても敷地内での発砲だ。

 瞬間、谷山は焦った素振りで窓際に肩を付けながら、外の様子を確認する。


「尾崎君が倒れてる」


 谷山は冷静にそう言った。しかし、おかしい話だ。一応大使館の敷地内には暴動を起こしている連中は入ってきていない。ともすれば、外で負傷して、中に入ってから倒れたのだろうか?

 いや、それではさっきの発砲音の正体が謎になる。


「八ヶ崎君、裏口は今は使えない。表から出て魔港に向かうんだ」

「谷山さんは?」

「尾崎君を連れて、後から行くよ」

「それなら――」


 さらなる反論を加えようとした瞬間、谷山は胸ポケットから何かを取り出してこちらに向けた。

 拳銃だった。


「谷山さん……?」

「今すぐ行け、さもないと君を撃つ」


 表情は真剣そのものだった。どうやら冗談を言っているわけではないらしい。銃口は真っ直ぐに俺の心臓を指している。

 一体どういうわけなのだろう? 何故、彼は俺に銃を向けている?

 何も分からなくなり、脳内のロジックが混乱を始める。


「勘違いしないで欲しいけれど、この銃に入っている弾は普通のそれじゃないよ。対ケートニアー用の銀の弾丸が入っている」


 普段のような優しい口調で言う言葉は、詰めが甘いという印象を完全に拭い去った。

 銀の弾丸――それは、自己治癒能力の高いケートニアーにも通用する魔法の弾丸。以前のインド先輩が俺を撃った時に用いた弾丸だ。それが再び自分に向けられている。

 つまり、こちらの状況は銃を向けられた一般人と変わらないのだ。


「何故ですか、どうして大使館から人を遠ざけようとするんですか」

「彼らと君たちには日本のために十分頑張ってもらったからね。傷つける理由はない。けれども、には達成しなければならないことがあるんだ」

「谷山さん、俺はここで死ぬ訳にはいかない」

「シャリヤちゃんを取り戻したいんだろう」


 頷く。


「俺はあなたの目的に興味がない。こんなことは無駄で――」


 上手く取り込もうとした瞬間、乾いた音の銃声が鳴る。

 撃たれたかと思ったが、異変は眼の前に居る谷山に起こっていた。ズボンに滲み出る赤、それは彼が発砲を受けたことを客観的に示す証拠だった。


「がはっ……!」


 俺の背後から迫りよる足音に思わず振り向くと、そこには拳銃を片手にした豊雨が居た。


「雪沢さん……!?」

「邪魔です。道を開けて下さい」


 彼女の銃口は再び谷山に向かう。しかし、発砲はしない。いきなりの状況の変化に俺は混乱して何も出来なかった。


* * *


「残念ですが、今回は貴方の負けです。ああ、安心して下さい。急所は外す努力をしたので死にはしません。まあ、大動脈に当たってたり、感染症を併発したら保証できませんが」


 豊雨は谷山を見下げるようにして言う。そんな視線を向けられた谷山は恐怖よりも先に激昂が腹の底から立ち上り、顔を赤くして吠えた。


「貴様、何者だ! 外務省職員じゃないだろ!!」

「ええ」

「大陸か? それともアメリカか! この売国奴め!!」

「だから――」


 豊雨は髪をかきあげて、面倒くさそうにため息を付いた。


「私は内閣情報調査室第14課の橋本七海です。雪沢豊雨は偽名で、これまでの態度も仮面ペルソナです。これでお分かりですね?」


 谷山はぽかんと口を開けて、彼女の自己紹介を聞いていたが、ややあって乾いたような笑いを始めた。


「内調が何故『僕たち』を知っている」

「特定秘密を守るのは我々の仕事の一つですので」

「答えになってないぞ」


 目の前で繰り広げられる話のスケールに、俺はもはやついて行けていなかった。内閣情報調査室といったら日本政府の情報機関を取りまとめる内閣官房の機関であるし、話の流れから言って谷山は特定秘密をこの大使館から奪取しようとしたのだろうか?

 そして、敵を売国奴と罵るということは――


「ともかく、あなたに言うことはこれ以上ありません。尾崎さんと一緒に日本に連れ帰りますから、野垂れ死なないで下さいね」

「……はあ、しょうがないな」


 諦めたような声色で谷山は言う。それを認めた豊雨――もとい橋本は俺に目を向けた。


「八ヶ崎さん、彼の肩を持って車まで運んで下さい。さっきのところに内調の車が止まっているので」

「わ、わかりました……」


 命を救われた立場ながらも威圧感に抑え込まれ、恐怖を感じた。今までの「雪沢豊雨」は何処やら、全ては演技だったのだろう。今は彼女の顔には凍りついたような仕事人の出す独特のそれしか感じられなかった。

 車まで、彼を運ぶと雪沢が助手席に乗り込み、運転席のスーツの男に合図を出して、出発させる。紛争中で混乱状態にあるファルトクノアの町並みは、今だけは変に静かに見えた。


「まあ、本格的な尋問は後にはなりますが、個人的な興味の質問をしましょう。何故こんなことを?」

「国際防衛政策研究会、後は調べてみたら良い」


 谷山はすかした顔でそういうも、橋本は納得していない様子で「ふむ」と息をつく。


「まあ、あとではっきり言ってもらいましょう。今はあまり無駄に体力を消費しないことですね。治療は数時間後なので軍人らしく生き残って下さい。それと――」


 ミラーを通じて、橋本が視線を向けてくる。その威圧感と違和感に、体が反応した。


「八ヶ崎さんは、この件を漏らさないようにお願いします。漏らした場合、まあ何が起こるか私にも保証できないので」


 怖いことを言うな、と思いながらも口答えは出来ない。無言で居るのが最大限の抵抗だった。

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