第二章
#360 怪しげなテクスト
翌日、俺はまた公用車の中で揺られていた。
「……さん、八ヶ崎さん? 大丈夫ですか?」
「ふぁあ……眠くないですよ」
助手席に座る豊雨が俺の強がりに呆れたように笑う。
昨日の図書館での情報収集は思いの外、淡々と進んでいき、アグリェフたちに関して、いくらかの情報が得られた。アグリェフは別名を "
興味深い背景を知れた代償は睡眠不足だった。借りてきた本を辞書とノートを横に解読していく作業、一人でやっているとのめり込むばかりで止まらなかった。日本で翻訳をやっていたときは、シャリヤが居たからこそ程々の進度で休憩などが出来ていたのだと痛感する。やはり、俺には彼女が必要なのだ。
「八ヶ崎さん、着きましたよ? って、うわっ!?」
ドアに寄っかかっていたために、開けられた瞬間姿勢を崩して、地面に転びかけた。豊雨のニヤニヤとした視線が嫌でもかというほどに注がれていた。
「もう十分目が冷めましたよ」
「それは良かったです! 今日も頑張ってきてくださいね!!」
元気に言い放つ豊雨。それを睨む俺。眠気のせいで睨んでも怖くない顔になってることだろうが、そこはご愛嬌だ。
「そっちは今日は何やるんです?」
「ああ、私は今度来られる新しい大使館員さんの手配をするんです。医務官さんが来られるらしくて!」
何だか上機嫌な豊雨を後目に、俺はインド先輩の話を思い出していた。家族が領事館員だった彼は、職員の家族として医務官の健康診断を受けることが出来た。彼が邂逅した医務官は、良い人ではあったのだが変人だったようで、自分で研究開発した歯垢の可視化ツールを見せつけ、数十分間説明し続けたという。「健康診断は?」と彼が聞いたところ、「あ、忘れてた」と漏らしたらしい。いや、そっちが本題だろ。
「変人じゃないと良いですね」
「変人……?」
きょとんとする豊雨を後目に俺は、語学研修所の中へと入っていくのであった。
* * *
部屋に入ると、ニェーチが何やら難しそうな顔で辞書を見ているのが見えた。どうやらまだヴェアンは来ていないらしい。
彼女は俺が入ってくるとすぐに顔を上げて、こちらを見る。
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"
"
なるほど、と納得がいく。普通辞書は言葉を調べる道具だが、適当に開いて眺めているのもまた面白い。興味深い意味範疇の単語や文化欄などを見かけるとまさに「言語を観光」している気分になる。
ふと視線を投げると、彼女の座っているテーブルの奥の方にはアルテリスが座っていた。彼もまた何かに熱中しているようで、机に向き合っていた。その手元には何かしらマスが書かれた紙がある。どうやら数独のようなパズルのようだ。
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"
どうやら、「パズル」のことはリパライン語で "
そんなことを考えていると、教室に一足遅れてヴェアンが入ってきた。今日も何やらどんよりとした雰囲気をまとった彼を見て、ニェーチも俺も居直った。しかし、アルテリスだけはまだパズルと睨み合っていた。集中力が高すぎるのも玉に瑕ということなのかもしれない。
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"
悪びれる様子もなく、アルテリスはパズルをバッグにしまった。何と言うか、ブレないというか、天然というべきか、不思議な性格だ。
ヴェアンは三人が自分に注目しているのを確認すると、頷いて先を続けた。
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そういって、ヴェアンが配り始めたのは、昨日と似たような分量の文章だった。もちろん、引用のようなものは書かれていない。
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"
ニェーチは手前の紙に目を落とす。その瞬間、彼女はその紙を手早く自分のポシェットの中に突っ込んだ。
何やら焦った様子の彼女の向こうに座るアルテリスは紙を裏向きにして机に叩きつけ、いきなり立ち上がってヴェアンを睨みつける。
"
二人共明らかに挙動がおかしい。
何かに焦った様子で、紙の内容を隠そうとしている。ヴェアンはそんな二人の様子を見ながらも、無表情……というか何か疲れた様子で佇んでいた。
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