#359 形式と本質
「シェルケンとの関係がある?」
谷山は俺の言葉に驚いたように目を見張った。ここは、第三応接室の外。ドアの横だ。
イプラジットリーヤの話は非常に情報に富むものだった。彼女の組織MLFFはファルトクノア共和国に住むアグリェフ――獣人種族たちの窮状を支援している。しかし、MLFFは一筋縄のグループではなく、複数の派閥のようなものが重なり合ったものらしく、その中の過激派はシェルケンと繋がってファルトクノアやその隣国などでテロ攻撃を繰り返しているようだった。
政府からアグリェフへの社会的な支援が受けられないのも、テロ組織への横流しの可能性があるからだ。本来福祉国家であるユエスレオネも理不尽なほどにアグリェフを無視してきた。この現状をイプラジットリーヤ率いる主流の穏健派は変えるため、外交的な圧力を掛けようとしているらしい。
「話は分かった。日本は平和協調の外交姿勢を第一としている。後は、外務省に任せる形になるだろうね」
「しかし、日本がそれを支援するのは無理があるんじゃないでしょうか」
もう一人の警備官――尾崎が声をあげる。
「我が国はシェルケンの被害を地球上で最も受けた国家です。東京襲撃で一体何人の自衛官が死傷したか、谷山陸佐、お忘れではないでしょうね」
「俺は情報分析官だ。自衛官がどれだけ傷つこうが、集めた情報から最適解を出すだけだ。そして、それが亡くなった同僚への最高の餞になる」
睨み合う二人の男を前に、俺はため息をついた。
確かに東京では自衛官だけでなく、市民にまで大きな被害が出た。尾崎の同僚や友人に傷ついた人が居てもおかしくはない。しかし、MLFFへの対応を決めるのは、本国だ。ここにいる三人でも、豊雨でも、大使でもない。
「ここで警備官同士で言い合いをしていても、状況が変わるなんてことはありません。そもそも、イプラジットリーヤ氏率いる穏健派は反シェルケンです。俺たちの敵じゃない」
「お前に何が分かる。言葉が分かるだけの高校生の癖して」
「その言葉も分からなければ、この大使館は機能しませんが」
尾崎は舌打ちをして、俺から視線を外す。
共有事項を共有した俺は、応接室のドアを開けて一足先に部屋に戻ることにした。
* * *
「あれ、遅かったですね、八ヶ崎さん!」
さっきまでの緊迫した雰囲気はいずこへ行ったのだろう。豊雨は笑顔で俺を迎えた。その向かいに居るイプラジットリーヤは、やわらかな微笑みを湛えていた。
"
「リパライン語がさっぱり通じないので、身振り手振りで教えてました! いやあ、言葉を教えるのって大変ですね!」
あはは、と笑う豊雨。平和すぎる二人の様子を見て、俺たちは拍子抜けしてしまっていた。
まあ、これくらいの空気感の方が良いのかもしれない。現実の問題は複雑だが、実際にユエスレオネの治安が悪くなっているわけでもない。微笑ましい一時、しかし俺たちには言うべきことがまだ残っている。
俺は元いた席に戻って、ペンを取った。
"
イプラジットリーヤは悲しそうに眉を下げた。
"
そう言うと、イプラジットリーヤは席を発って、部屋から出ていってしまった。
「え、あ、ちょ、ちょっと待って……!」
その後を案内しようと追いかける豊雨の背中を俺と警備官二人は見送る。
彼女はまたデモ隊を引き連れて、戻ってくることだろう。豊雨と彼女は再度顔を合わせるはずだ。しかし、俺たちは何だかバツの悪い感情が湧いてくるのを無言のまま感じていた。
* * *
仕事を終えた俺は、今日の語学研修の授業も終了していたこともあって現地解散が言い渡された。寂しそうな雰囲気の豊雨には何と声を掛ければ良かったのか、ついぞ分からなかった。別れ際に「大丈夫ですか?」と問いかけたが、彼女は「なんだか残念です」と一言残しただけだった。
「さて、暇になっちまったな」
例によって、アパートまで戻されたわけだが、やることもないわけで、完全にだらけていた。
(……ニェーチたちのお陰で図書館の位置は分かったことだし、少しでも情報を集めておくべきか)
イプラジットリーヤ派は関係ないとして、MLFFは少なくともシェルケンと関係している。俺がこの世界にいるのは、デュインに居るはずのシャリヤを助け出すためだ。シェルケンとの繋がりは、シャリヤに近づく方法の一つのはずだ。
「はあ、行くか」
立ち上がって、洗面台で顔を洗う。
文字で得られる情報は限られている。だが、確実な基礎を作り上げ、正しい議論を形成するのはいつも文字だ。
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