卌九日目

#257 ユエスレオネ生まれと雨


 誰かが外ではしゃいでいるような音で目を覚ました。ここでの生活も四日目になって、やっとゆったりと起きられた気がする。昨日の遠出の疲れもすっかり無くなっていた。

 包まっていた薄い布に手を掛けながら、上体を起こす。視界に入ってきた窓外の草木には雫が滴っていた。時間的に朝露ではない。部屋から軒先へと出るとホワイトノイズのような音が大きくなっていった。土砂降りと言うほどでもない雨だった。

 寝ぼけた頭で雨降る空を見上げていると、誰かが近づいてくる気配を感じた。その黒髪のショートヘアは曇天に鈍く光を返していた。オブシディアンブラックの瞳がこちらを静かに見つめている。


"Salarおはよう, cenesti."

"Salaruaおはよう, inlini'astiインリニア. Sysnul io今日は dyrilerl es天気が niv vynut ja悪いよな?"


 当たり障りのない会話、いわゆる天気デッキは有効なのだろうか――そんな考えからの会話のふりであった。残念なのは「好きな温度はありますか?」は流石にリパライン語で言えなかったことだ。会話の引き出しも、異世界語の語彙力も粗末なレベルなのは残念過ぎる。

 相手も当たり障りのない回答をするのだろうと思っていたが、インリニアは思った以上に怪訝そうな表情でこちらを見てきた。


"Dyrilerl es天気が niv vynut悪いって. La lexどういう qante harmie意味なの?"


 数回のまばたき、その後に沈黙が訪れた。

 "dyrilerl"が"niv vynut悪い"と言ったのはあまりに抽象的過ぎたのだろうか?


"Merえっと, zuつまり, dyrilerl es niv空が青空じゃ estvarn dyrilerlないから mal......"

"Malそれで, harmie?"


 悪びれることもない疑問に満ちた表情で「だから何?」と言われてしまった。この世界の住人には天気デッキはあまり通じないようだ。ロシア人は天気のような分かりきった話をしたがらないという話もあることだし、彼女らもきっとそういった類いなのかもしれない。

 異世界ともなれば、他愛もない話の話題を出すのにも一苦労というわけだ。


"Merえっと"


 インリニアは咳払いをして軒先の雨が当たるぎりぎりのところに座った。雨を間近で眺めながら、彼女は涼し気な表情になる。


"Sysnul io今日は desniex duxieno仕事は休み knloanerl ly……. Edixa例の estyvertzerphestan小太りの料理人が lkurf la lex言ってたよ."

"Hmmふむ, firlexなるほどな. Paでも, liaxa harmieなんで今日 sysnul lapだけ休みに io desniexなるんだ? Fhasfa'd alve何か祭り ol etでも mol jaあるのか?"

"Nivいや, cun, rielied mol……があるからでしょ."


 "rieliedリェリェド?"とオウム返しに訊いたところ、インリニアは空を指した。今の天気は雨だが、リパライン語の空への考え方が独特なだけあってそのまま飲み込んで良いのかどうかは分からない。

 世界の言語でも天候の表し方には様々な種類がある。日本語のように「雨が降る」のような対応する一般動詞があるタイプ、タミル語の"மழை雨が பெய்雨る"のように天候動詞の主語に同じ天候を当てはめて表すタイプ、ドイツ語のように"Esそれが regnet雨る"のように天候動詞の主語が形式主語になるタイプなど挙げればキリがないほどに多様性に富んでいる。

 もし"rielied"が天候を表す名詞なのであれば、"molある"という一般動詞と対応するタイプということになる。


"Cenesti! Salaruaおはよう!!"


 自分を起こしたはしゃぎ声が聞こえてハッとして振り返った。見えたのは降り続ける雨の中を飛び跳ねたり、走ったりしているシャリヤの姿だった。泥土を跳ねながら来たのか、シャリヤの服の裾は泥だらけになっていた。いつもは静かなシャリヤがはしゃいでいるのを見るとそのギャップに驚きを感じてしまう。


"Edixa xel本物の雨を cirla'd rielied見たよ, cenesti! Set凄い!"

"Arあぁ, jaそうか......"


 返答が雑になってしまったのは"cirla'd本物の rielied"という表現が引っかかったからであった。これまで、自然に雨が降る様子を見たことが無いかのような言い方だ。

 シャリヤは不思議そうにこちらを見る。雨に打たれながらもきょとんと首を傾げている姿はとても可愛らしい。ついでにと言わんばかりに両手をこちらに差し延べてきた。抱きしめようと無意識に足が動き出すが、軒先から零れ落ちた水滴が顔にあたって正気に戻ってしまった。


"Edixu co xel本物の雨を niv cirla'd見たことが rielied無かったのか? Edixa sietiv雨が降らない fal niv molalところに住んで rieliede's居たってこと?"

"La lex esそうじゃ niv julesnないさ. La lex isそうなった cunのは miss niejod私達が fal yuesleoneユエスレオネで生きてた jaからさ."


 口から漏れた疑問に横に座り込んでいたインリニアが答える。だが、まだ、理解が追いついていなかった。ユエスレオネは雨が珍しい乾燥地帯というわけではなかったからだ。

 謎に頭を支配されているうちに白磁のような白い手に腕を引かれた。シャリヤが降り続ける雨の中に引き出したのだった。彼女は空に手を掲げながら、雨が降っている様子を楽しんでいるようだった。

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