#231 あ~あ、殺しちゃった


 翠はインリニアの刀を取る以外に取れる方法がなかった。シャリヤに会える自分の未来と浅上に殺されることを天秤にかければ、前者のほうが大切だった。だが、だからといって自分が一番の恩人を刃に掛けるのが平気だったという訳ではなかった。立っていられなかったのは痛みのせいでは無く、こうする以外に別の方法が無かったという無念さからだった。涙が止めどなく落ちてゆく、目の前が見えないほどに目が潤んでいた。


「殺したくなかったのに、今まで助けてくれていたと思っていたのに……なんで……!」


 涙に邪魔されて言葉が詰まる上に絞り出すようにしか声が出ない。倒れている浅上はそんな翠を見ながら狂ったように笑みを浮かべていた。それを見ているとどうしても胸が苦しくなった。


「お前は……うっ……筋書き通りに動いてくれた。最初から……最後までな……」

「筋……書き……?」


 浅上は残念そうな、それでも翠が見てきた中で一番穏やかな顔で頷いた。


「俺自身、俺が正しいとは……思っていなかった。だが……力を持ってしまえば……それはせざるを得ない。心の奥底では……誰かにこうやって止めて欲しいと……思っていたんだろうな。こうやって死ぬのが……浅上慧というろくでなしにとって……一番だったんだよ」

「そんなことは……!」

「俺の負けだよ。人は言語に目を向けられない。金を得られるなら、言語を無視し、滅ぼし、侵略し、破壊し、押し付け、なかったことにする。それが人間の本性だった。それに抗おうとした俺の行動は単なるワガママに過ぎなかった。お前らの勝ちだ。後は好きにしろ」


 浅上は体から力を抜いて背後に溜まる血の海に身を置いた。それ以上なにかを言うこと無く静かに居たが、まだ胸が上下しているあたり息はしている。まだ彼は生きているのだろうと感じた。翠には言わずにはいられないことがある。涙を拭いて、浅上と向き合った。浅上はそんな翠を呆れたような顔で見上げていた。


「確かに、俺の記憶は偽りだった。その過去の記憶でインド先輩を尊敬して、教えてもらったことを実用して色々なものを得てきた。それが偽りの植え付けられた記憶だったとしても、今でもインド先輩のことは尊敬しています」

「嘘を……付くな……失望しただろ。……てか、失望しろ」

「むしろ、過去のことが嘘であったと分かったからこそ。純粋に人間としてあなたを愛せるようになったんです。信じて下さい」


 浅上はその言葉を聞いて苦しそうな顔をしていた。そこまでして、悪役として死にたかったのだろうか。翠には分からない。分からないが、恩人にそんな死に方をしてほしくないと強く感じていた。


「俺を作ってくれて、ありがとうございました。俺は……何だかんだ言って幸せ者だったんです。ファイクレオネであれ、地球であれ帰るところが無かったのにシャリヤたちが受け入れてくれたからこそ、帰るべき場所ができたんです。先輩がやってきたことを恨むつもりはありません」

「……殺そうと……しても、か?」

「恨みません。先輩がそうしようとしたのはしょうがなかったから」


 浅上の目が少し開いた。ほんの少しであったが、それは驚きを示していた。辛そうに息を荒くしながら、彼は翠を真っ直ぐと見つめる。何かを言おうと力を振り絞って声を出そうとしていた。翠はそれが最期の言葉になるだろうと覚悟していた。


「お前は……八ヶ崎翠、一人の……人間だ。人間として……言葉を知っている……それだけで……俺は十分……だ……」


 全身から力が抜ける。言い終わると完全に浅上は沈黙してしまった。その瞬間に翠はどうしたら良いのか分からなくなった。これまでで一番の恩人が目の前で死んだ。そして、それを殺したのは自分であるという事実が言葉で言い表せない激情を引き起こした。大波のように押し寄せてくる感情の波を表出できるものは涙以外には無かった。インリニアに見られていたとしても関係なかった。シャリヤが隣りにいたとしても大泣きしているだろう。泣き続けることしか出来なかった。息が上がって泣き疲れると自分がこれからどうすれば良いのか分からなくなってまた泣き始めるのを繰り返していた。

 日が暮れてくると涙腺が枯れたのかもう涙が出なくなってしまっていた。そんなときに背後に誰かが近づいているのに気づいた。近づいてきているのだから、インリニアではない。この場は閉鎖しているとインド先輩は言っていたから、PMCF軍などでも無いだろう。誰だろうと振り向くと全く場違いな表情の青年がそこに立っていた。すらっとした体型で、毛先がぼさっとしたようなミディアムヘア、顔立ちは弱そうだがその表情は見下すように冷笑を浮かべていた。


「あ~あ、殺しちゃった」


 翠は日本語を話す見知らぬ青年の存在に奇妙なものを感じていた。一回もその顔を見たことがなく、一回もその声を聞いたことがないというのに何か懐かしいものを感じていた。本能的な安心感に理性的に恐怖を感じた。何故、会ったこともない人間に安心するのか。答えが分からない問題で青年への恐れが強まっていっていた。

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