#232 夕張悠里と選択肢


 青年は翠に近づきながら、通り際にインリニアに手を翳す。すると、金縛りのように動かなかったその体が直ぐに動くようになっていた。インリニアは自分の体に異常がないかきょろきょろと見回していたが、異常がないと気づくと刀を青年に向けた。

 インリニアだけではない。翠も彼に一つの違和感を抱いていた。その顔も、声も、名前も記憶に無いのに初めて会ったとは思えない感触。それに浅上以外の日本人がここに居るという事実が更に状況を混乱させていた。


「お前は……誰だ……?」


 青年はインリニアを無視して、翠の目の前にまで来ると地べたに座っている翠を興味深そうな目で舐めるように見た。


「アレス・レヴィア・ユーリアフィスとか、ユーバリ=ハフルテュとか、服部とか、まあ、名前に意味はないよね。君に一番分かりやすい名前は夕張悠里だね。」

「ゆ、夕張……」


 夕張と言えば浅上が話していた八ヶ崎翔太に邪魔されているという人間だった。それがなんで今になって自分の目の前に現れたのか全くもって謎であった。夕張の背ではインリニアが無視されているのに顔をしかめながら、刀は構えたままこちらの様子を見ていた。


「お前は何なんだ。インド先輩と……八ヶ崎翔太と何の関係があるんだ……?」

「インド先輩。ああ、浅上のことか。彼に能力をあげたのは僕だよ」

「そそのかしたのか……多くの人を殺して、苦しめる結果になるというのに?」


 夕張は責めるような翠の言葉を聞いて笑っていた。まるで漫才か何かを見ているかのような大笑いがしばらく続いて、息を整えた彼は皮肉じみた表情を翠に向けた。


「自己紹介は四回目だけど、本当に君たちは同じことしか訊かないんだね。殺すとか殺さないとか、苦しめるとか苦しめないとか。僕がこういうことをしているのは綺麗な世界を作るためだっていうのに」

「……どういうことだ?」

「間違った世界の結果を変えるにはアフの子孫が必要で、アフの子孫から英雄が生まれる必要があった。一番最初に八ヶ崎和葉を利用して準備をしようとした。一つのこだわりだが、集めたラーデミンのコアを利用して、後の主人公のためにヒロインを作ってやった。八ヶ崎翔太、八ヶ崎燐、そして四人目の主人公が八ヶ崎翠、君だよ。君の元になった素体、八ヶ崎みどりは僕が八ヶ崎翔太の家系から誘拐した。彼の力を継承するものは、あの家柄にしか居ないからね」


 聞いてもよく分からない話に苛立ちは覚えなかった。何故なら、目の前でリパライン語で話されて来た翠にとっては慣れていることであったからであった。良く分からないが、目の前にいる夕張悠里という青年が翠と同じような境遇に突き当たる人間を量産しているらしい。


「それで何がしたいんだ。俺は世界を変えられなかったから、用済みってわけか?」

「そんなことはしないさ、今までの主人公たちも失敗作で用済みになったからって殺してはないよ」

「じゃあ、何なんだ?」


 夕張はズボンのポケットを弄って、何かを翠の方へと投げた。表は銀色、裏は透明のフィルムで包装された飴玉のようなものが二つ連なっていた。それぞれの色は赤と青で何だか健康には悪そうに感じた。毒を飲んで死ねということなのだろうか?


「これは……?」

「君に行くべき場所の選択肢を二つあげよう。青い方を舐めれば、君は僕のところに来れる。そしたら、僕と一緒にこの世界を変えよう。赤い方を舐めれば、君は地球に行ける。そしたら、君は見知った国で人生をやり直すことが出来る」

「シャリヤたちをおいてか?」


 夕張は翠のその言葉を聞いて、鼻で笑ってみせた。


「そういうところは君の望むように出来る。君が誰と居ようが僕には関係ないからね。連れていきたい人を念じれば共に行けるさ」

「……適当だな、ここまでリアルな異世界に居たのにいきなりファンタジー過ぎる。そんなの信じられない」


 飴玉を投げた夕張はことが終わったとばかりに翠から目を逸らした。


「まあ、信じるか信じないかは君の自由だよ。君を殺したいのだったら、この場で一瞬で殺せる。僕の能力は浅上とかとは比にならないんだよ」


 夕張は翠に背を向け、インリニアには目もくれず、ゆっくり歩き始めた。彼が何をやりたかったのか、翠には何も分からなかった。何故、翠に協力を要求しているのか。何故、翠を地球に戻れるようにも選択肢を残すのか。自分には何の力があるのか。明かされていない事実はいくらでもある。だが、彼は止まってくれそうには無かった。

 ただ、一つだけ聞きたいことがあった。


「夕張……悠里……!」


 足が止まる。


「お前は一体何が目的なんだ」


 静寂に包まれる。夕張は立ち止まったまま微動だにしなかった。


「……綺麗クリーンな物語で、綺麗クリーンな英雄を作り、綺麗クリーンな世界を作ることだよ。四人目の主人公くん」


 彼は振り返りはしなかった。だが、彼のその声色で全てが理解できた気がした。自分は浅上の筋書きの上で操られていた。だが、それ以上に浅上でさえ夕張悠里の手のひらで操られていたということを、遅かれ早かれその事実にいずれ向き合わなければならなくなるということを。

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