#229 お前を殺すのは私だ
痛みは酷いが耐えられていた。恐らくアドレナリンが出ているのであろう。だが、本能的恐怖が翠を浅上から遠ざけようと手を動かし続けていた。出血は酷く、道に鮮鮮と血の跡を引いていた。混乱の中では翠は何も考えることは出来なかった。何故、彼が自分を撃ったのか。何故、撃って愉悦を感じているのか。何故、自分を殺そうとしているのか。何も理解できなかった。しかも、これまではすぐに治っていた傷も全く治る気配を見せなかった。
「傷が治らない……なん……で」
「そりゃ、銀の弾丸を使ったからな。」
浅上の声色は人を馬鹿にするような、それでも完全に冷めたものだった。アンニュイな表情からは何を考えているのか察することすら出来なかった。一歩づつ愉悦を味わうように翠に近づいて来る。右手に持った自動拳銃は銃口が常に翠に向けられていた。
「なんで、俺を殺そうとするんですか」
「不要になったからな。ゴミを処理するのに理由がいるか?」
「なっ……!」
浅上は本気だった。目に秘めた強い意志が伝わってくるほどに彼は覚悟しているらしかった。
「俺が……ゴミ? はっ、何を意味の分からないことを言っているんですか、インド先輩。俺はチート能力でハーレムを作るためにこの世界に転生して……今まで何も悪いことなんてしてないですよ。だから、その銃を下げて――」
「ほお、聖人気取りか。転生前のことは何も覚えていないのにそんなことが言えるとは異世界転生物の主人公として丁度いいバカさ加減だな」
「……っ! 覚えてないなんてことは無いですよ。先輩は俺と一緒の高校で、先輩は先輩だから俺よりも当然早く卒業して、言語のことをそれまでに色々教えてもらって、それで、そうですよ!失踪したって聞きましたよ。心配したんですよ!」
「それで、お前はそれ以外のことを覚えていないわけだ。」
「……俺は……俺は何者なんですか……知っているんでしょう? 教えてくださいよ」
「まあ、冥土の土産にでも話してやるか」
浅上は銃を向けながら適当な方向を向いてそう言った。
「お前は存在しない人間だ。この異世界でも、現実世界でもだ。いや、人間ですらない」
「人間じゃ……ない?」
「お前は、異世界転生小説を愛読する読者の集合意識を共有している存在だ。俺がお前らを人の形に練り上げて、偽りの記憶を与えた。この異世界ファイクレオネもウェルフィセルは別だが人類の文明を二回ほど滅ぼしてから俺が作り上げたんだよ」
「そんなの信じられるわけないだろ!」
SF小説でもあるまいし――と言おうとしたが、今目の前に浅上が居る事自体が一番の非現実であった。だが、どうしてもその事実を受け入れることは出来なかった。否定されても浅上は顔をしかめたりはしなかった。逆に混乱している翠を見て楽しんでいるような雰囲気であった。
「変な夢を何回も見ただろ。あれはお前を構成するバカ共の記憶が逆流してたんだよ。ま、あいつらの記憶や感情まで弄るのは流石に手間がかかり過ぎるからやってないがな。変に手入れしようとしたら、イェスカさんは狂って変なことを始めて自殺するし、内閣秘書も自殺したから止めたんだがな。ああ、タミル語をあいつらが書いていたのは俺も良く分からないな」
「そんな……全部……仕込まれていたってのか……」
「まあ、そうなるな」
浅上は何も大事はないというような表情で言い切った。翠にとっては衝撃的な真実であった。八ヶ崎翠という人間は元々存在せず、集合意識が元になって具現化したものである。だからこそ、転生以前の記憶はないし、イェスカがいきなり横暴に出たのも彼が弄ったせいであった。そう考えれば全て辻褄が合っていた。受け入れがたい事実にはまだ訊かなければならないことがあった。
「じゃあ、ヒンゲンファールさんが訊いていた八ヶ崎翔太……ってのは何者なんですか」
「ああ、お前と同じ出来損ないだよ。そいつにアレス・シャルっていうヒロインを与えて世界を革新させようとしたらしいが、ヒロインが死んでから発狂したんだと。今も夕張の邪魔をしてるだろうな。」
「アレス・シャル……夕張……?」
知らない人名が幾つも出てくる。浅上の裏には他にも人間が居るということらしい。アレス・シャルと八ヶ崎翔太に至っては、アレス・シャリヤと八ヶ崎翠という自分たちと同じような名前で不気味であった。シャリヤのことが心配になったが、この状況では彼女を見つけ出すことすら叶わない。出血する足を引きずりながら、彼と話して時間稼ぎをする以外に方法はなかった。
「先輩、どうしてこんなことをしたんですか」
「どうして? 馬鹿を改心させるためだよ。舞台と主人公を作って、お前が真面目に言葉と向き合う姿を見せれば、そうすれば異世界転生ものや転移ものが、いや世界が言語を大切にしてくれると思ってた。でも、そんなことは起きなかった。奴らは引き続き言葉を無視し続けた」
「そんなの……そんなのはただの自分勝手だ! 細かいことを考えて楽しめない自己満足作品なんかより、面白くてワクワクするエンタテインメントが売れているのは当然だろ! そんなことのために――」
「そんなこと言える状況か、お前?」
鼻で笑う声が聞こえた瞬間、一蹴りが頭を打つ。一瞬意識が飛んで、貧血のような苦しさと共に意識が戻ってきた。苦しみに喘ぎながらも本能的恐怖がひたすら浅上から逃げようと腕を動かしていた。
「俺がタミル語を理解できることを誰も評価してくれなかったよな。唯一英語だけがこの世の中で学ぶべき言語なんだよな。西洋の言葉以外お前らには要らないんだろ。なら、なんで自分の母語を捨てないんだよ。なあ?なあぁ!?」
呪詛、呪詛の連なりだった。痛みと苦しみ以上に、その非人間的な呪詛の連なりが恐怖を煽り立てていた。すぐに何かしなければ殺されるという焦りが更に強まる。這いつくばりながらも周りになにか無いか探していると倒れていた死体のポケットに拳銃があるのが見えた。
浅上を殺したくはない。だが、行動不能にすれば生き延びることは出来るはずだった。彼の死角になるように死体に被さる。腐臭がしたが気にしていられなかった。拳銃を取った瞬間、反転して浅上の太腿を狙って引き金を引いた。
「……ほう、神に逆らうとは」
「な、なんで……!?」
銃弾は浅上に当たることもなく、その直前で見えない壁のようなものに弾かれて落ちていった。引き金を何度引こうとも全弾浅上に当たることはなかった。そして、いつの間にか、引き金を引いても何も出なくなっていた。
浅上はそんな翠の姿を見ながら、至福の時とばかりに笑みを浮かべた。
「ところで、お前を殺すと集合意識がこの世界で霧散して、元の世界に戻れなくなるらしいな。まあつまり、お前のもとになった異世界転生物の愛読者の基底意識が削られて植物人間状態になる。死も同然だな。」
「や、やめ……」
浅上は逸していた拳銃の銃口をゆっくりと翠の体を舐めるように向け、引き金を引こうとしていた。
「最高の復讐だと思わないか」
そう言って引き金を引いた瞬間、乾いた銃声とともに翠の目の前に細かい金属片が降り注いだ。それも勢いは削がれていて、痛みも何もなかった。何が起きているのか良く分からなかったが、次の瞬間浅上は仰け反るようにして何かを避けていた。高速で動く影のようなものが接近していくのが翠にははっきり確認できた。
「な、何故ここに居る!? ここら一帯の人間は全員、別の場所に送って閉鎖したはず……!」
浅上がある程度、翠から離れると高速で動く影は遂に静止した。その姿は久しぶりに見たものであった。手には刀、つり目気味のオブシディアンブラックの瞳に茶色がかった黒髪ショートのさっぱりとしたシルエット、インファーニア・ド・ア・スキュリオーティエ・インリニアであった。翠を殺すことを目的に接近してきたはずの彼女が今は浅上を阻むように立っている。翠には何が起こっているのか理解できなかった。
"
そういってから、インリニアは翠の方を向いた。その顔は挑むような笑みが溢れていた。絶望的な状況の中で彼女の「八ヶ崎翠は私が殺す」という信念が強く伝わってきた。
"
"......
背を向けられていた浅上は少し苛ついたように嘆息していた。
「被造物が生意気な……少しは遊んでやるか」
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