#73 権威のある標準形


"Mi firlexなるほどね......"


 ヒンゲンファールさんはため息をついて、落ち着いてフロアにある椅子に座る。

 機関銃とか弾帯とか物騒なものは取り外して隣の椅子に置かれている。こんなものを持ってきて敵が居たら機関銃をぶっ放すつもりだったのだろうか。


(この人司書だよな……?)


 どうやらヒンゲンファールさんは、翠の驚いた時の叫び声を敵襲かと勘違いしたようで、それで急いで装備を整えでやってきたらしい。フェリーサが色々と説明したようで、とりあえずは納得してくれている様子みたいだ。


"Lirs, cenesti, cene niv coあなたは krante el……まで読めない paskal lyme cunなぜなら tarf virl xiciターフ・ヴィール…… klie fal finibaxli.……で来る"

"Ers……だ korlixtel!"


 ヒンゲンファールさんとフェリーサが本をさして何か言っている。勘違いのばつの悪い空気を断ち切って、話の流れががらっと変わってしまっているので多分この本について話を膨らませているのだろう。まともに話ができないやつが本を読めるわけがないという感じなのだろう。


 昼から出かけて長時間辞書と睨み合いを続けていたので日も暮てきていた。そろそろ、帰らねば夕食の時間に間に合わないかもしれない。


"Malじゃあ, mi tydiest.俺はもう行きますね"

"Arああ, salar cenesti.じゃあね、翠"


 ヒンゲンファールさんもフェリーサも特に引き留める理由はなかったのか、さっと帰してくれた。あのまま二人で図書館の閉館時間まで居座るつもりなのだろう。

 夕焼けが空をオレンジ色に染めているなかで、街の人々はいまだに街の飾りつけのようなことを続けていたらしかった。朝と比べて、建物にモールのようなものが付けられていたり、通りの間に大きく横断幕が張られていた。中には電飾のテストをやっているようなところもあった。戦時中になけなしの電力供給を投げうつほど、ターフ・ヴィール・イェスカの来訪は影響があることなのだろう。

 強い風が横断幕をはためかせる音が聞こえた。


ザラーウア イェスカスティようこそ、イェスカよか。」


 リネパーイネ語の挨拶である"Salarua."は広い範囲で使われるようだ。今のように「ようこそ」にも使われるし、「こんにちは」や「こんばんは」、「おやすみ」にも使える。これだけ知っていれば、この異世界の人間には挨拶に困ることはない。話している相手がリネパーイネ語を理解できるならのことではあるが。


 この世界にはやはり複数言語が存在していると思える。不当嫌疑を掛けられたときの通訳の話した言葉やフェリーサが時おり話し出す言葉はリネパーイネ語とは全く聞こえが異なるし、そもそも理解のりの字も言えないほどに何も分からないものだ。図書館の言語の棚にあった本もそれを証明してくれる。ペーゲー語、タカン語、ペータース語、ヴェフィゼ語などの名前が付いた本も幾らか見つけられた。リネパーイネ語でも勉強していくのが精一杯なのにこれ以上の複数言語の習得は難しい。が、それでもリネパーイネ語を常用する非リネパーイネ語母語話者が居るということを覚えておくのは悪くなさそうだ。もしかしたら、リネパーイネ語の権威ある標準形は別にあってシャリヤやエレーナの喋る言葉は方言と見なされているかもしれない。


(だからといって、どうしようという訳でもないけど。)


 通りを通っていくうちに聞こえてくる飾りつけの喧騒とシャリヤたちが喋る言葉と本に書かれている言葉は今のところ同じだ。ヒンゲンファールさんの図書館には相当数の本が置かれていたし、あれだけの本が作られる需要がある言語ということはここで話される言葉は訛りの少ない言葉なのかもしれない。


"Salarこんばんわ, cenesti!"


 後ろから呼ぶ声がする。振り向くといっぱいになった買い物かごを両手に後ろから小走りで近づいてくるエレーナが目に入った。隣に並んで歩く形になる。


"Salarua, elernasti.こんばんは、エレーナ Fqa es fua harmie?これはどうしたの?"


 片手の買い物かごを指して問いかける。多分イェスカ関連の何かであろうが、食事は基本的にこの街では数か所ある食堂で決まった人間がまとまって食すので違和感があった。エレーナが食堂担当になったとは誰からも聞いていなかったし、もしかしたらごちそうが出て来るのかもしれない。


"Fua finibaxli……のため, ternejafna. Cen es harmie'i翠は……で fal sysnul?何をしていた"

"mi akranti fqaこれを読んでいたんだ fal krantjlvil.図書館で"


 そういってエレーナに"Xol fasel"を見せると眉を上げて驚いていた。


"Edixa cene読め co akranti?たの"


 何をそんなに驚くことがあろうかと思っていたが、やはりどの人でもこういう反応を帰してくる。というか、エレーナは部屋を出る前に本を受け取ったところを見ていたと思うが、なんで読めなさそうならシャリヤを止めなかったのか。

 口で答える代わりに首を振って否定を表す。でも、完全に読めなかったというのもなんだか、本物の異世界で生き抜いているプライドが傷つきそうで後から否定したくなってきた。


"Paでも, edixa mi"xol"だけは firlex <xol>.理解したよ。"

"......"


 エレーナはそれを聞くと、うんともすんとも言わなくなってしまった。「改宗」ということがこの地域でどれだけの重みを持つか良く分からないが、エレーナにとってはあまり聞きたくない言葉だったのかもしれないし、あまり人にオープンに言うべき言葉でもないのだろう。これからは気をつけよう。

 そんなこんなでエレーナとは道の途中で分かれた。結局言っていることが良く分からなくて何の買い物だったのかは分からないが、また明日という感じで肩を叩いてくれた。

 自分はこれから部屋に戻ってまた食堂に向かうのも面倒だし、直接食堂に向かうことに決めた。

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