#25 疑わない


(えぇ……)


 製菓材料の店に入って色々な粉を物色するエレーナを見て、翠は違和感を感じていた。翠にはお菓子作りの心得など何もない。だから、一つ一つを指さして言われてもそれが何かは分からない。


"Fqa es kjitzlesniel.これはキィッツレスニェル"


 なるほど、キィッツレスニェル粉。

 キィッツレスニェル粉って何だろう、なんか戦隊モノで超絶合体して、一瞬で怪物と街を滅ぼすビームを出すロボットみたいな名前の粉だな。というか、違和感を感じていたのはそういうことではなく、「何故エレーナは翠を製菓材料店に連れてきたのか」ということである。懲罰を受けるべき罪人と一緒にお菓子作り?平時の犯罪者更生うんぬんならまだしも、戦時中にそんなことをする奴はまず正気じゃない気がしてならない。

 もしくは、処刑される前に好きなものをなんでも食べさせてやるとかそういうのか。いや、その人権を尊重した心意気は認めてやらんでもないが、残念ながら翠にはその異世界語は全くもって通じていないので食べたいものを指定することは不可能なのだ!ことのはインヴァリッドInvalidなのだ!


"Cenesti翠よ, Selene co knloanあなたは食べる harmie?"


 エレーナは顔を笑顔で輝かせながら、翠に質問を投げかけてくる。うーん、多分「何が食べたいのか?」ということを訊いているのだろうが、罪人に向かって最後の晩餐に食べたいものを答えよと笑顔で訊いてくるのはどう考えても精神病質か何かだろう。ここまでおかしいことが続いてくると、さすがに自分が間違っている気がしてくる。

 ただ、訊かれていることに正確に答えることはできない。"knloanerl"が食べ物であるということは分かるのだが、個別の食べ物の名前は全く分からない。でも、自分の意志は伝えなくてはならない。間違えることを恐れていては意思疎通などできるわけがない。単語も文法も分からなくても、意思疎通しようとする意識があれば言葉を通じさせることができるのだ。


"Elernastiエレーナ, mi firlex俺は食べ niv knloanerl ferlk.物の名前が分からない"


 訊いてくるエレーナにはっきりということが出来た。

 しっかりと今まで分かってきた単語を頭の中で反復して言うことが出来るからこそできる技ではあるが、food nameみたいな感じで「食べ物」の意味の"knloanerl"、「名前」という意味の"ferlk"をそのまま並べてみたことは少し怪しい。確か、格変化を起こすラテン語だったら"nōmen主格 ēscae属格"になるはずだし、日本語だったら「食べ物の名前」という風に「の」という助詞が入るはずだ……ってそういえば「~の」って表現は確か-'dだったっけ。いくら物覚えが良くてもさらっと間違えてしまうことは良くあることだ。不自然な表現をしてしまったかもしれないが、まあ通じるだろう。


"Knloanerl ferl食べ物の名前k......? Co knloan ferlkあなたは名前を食べるの?"


 エレーナは首を傾げて良く分かっていない様子だ。どうやら通じていないようだ。不自然な表現というより、通じない表現だったみたいだ。言い直した方が良さそうである。


"Nivいいえ, Mi niv firlex俺は食べ <knloanerl'd ferl物の名前がわからないk>"


 "Arjar..."とエレーナは得心したように頷く。どうやら通じたことには通じたらしい。


"Selene co firlex君は食べ knloanerle'd ferl物の名前を理解するk?"

"Mer......nivえっと……いいえ."


 食べ物の名前は知らない。それをきっちり伝えるだけでも、何を食べたいのか訊きだそうとすることが単純なやり方では上手く行かないということが分かるだろう。


"Hmmふむむ, firlex, mili fal fgir.わかった、そこで待ってて"


 そういって、エレーナは材料屋の材料が並ぶ脇にある椅子に座って待つことを指示した。素直に指示にしたがって待っているとエレーナはお目当ての粉を見つけたのかサンプルの後ろにある紙袋をいくつか取って、会計の場所に持って行った。しかし、会計の人間はエレーナからお金を貰うでもなくノートに何かを記帳してエレーナと握手して、そのままエレーナは嬉々として翠の元に帰ってきた。

 なんなんだろう、戦時中だから一定量の配給は市民に分配されているとかだろうか。それとも、イスラエルのキブツみたいな感じで、働いたら欲しいものが貨幣を通じずに貰えるとか。

 そんなことを考えていると、お腹がぐぅと悲しい悲鳴を上げた。

 朝からシャリアを起こそうと神経を使ったり、エレーナにここまで連れてこられた結果、朝飯なんて一口も食べてなかった。

 エレーナはそれに気付いたようで、翠に"mili.待ってて"と言ったのちカウンターに向かって何かを頼みにいった。きっと食べ物を頼みに行ってくれたのだろう。カウンターの体格がいいおじさんはささっとマグカップに飲み物、プレートにパンを用意して出してくれた。エレーナは笑顔でそれを翠のいるテーブルまで運んできてくれた。


(もう、疑う必要はないだろうな。)


 エレーナは最初から処刑とか考えてなかったんだ。一緒に製菓材料のお店に行きたくてシャリヤを呼び出そうとしたけど、シャリヤは寝ていて、翠が起きていたから、ついでに連れて行こうとした。部屋にこもりっきりなのも可哀想だと思ったのかは知らないが、きっと悪意で部屋から引っ張り出してきたのではないはずだ。

 翠はそう確信して、目の前のエレーナに微笑み返して見せた。今までの自分に向けての善意をないがしろにするわけにはいかない。翠にはチーレムという一つの絶対的目標がある。しかし、そこにまで到達するにはこの世界では非常に苦労を要することであるはずだ。ここまでどこの馬の骨とも知れず助けてきてくれた異世界人たちは、戦時中でこそ利益なんて考えずに自分を助けてきた。早く言語を習得して、恩を返さなければいけないが、今はこれだけでも善意のお返しにさせて欲しい。

 エレーナは、微笑み掛けてくる翠を見て、満足になってくれたのだと喜んだ様子で顔を明るくして笑顔になってくれた。

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