お坊さんは文化財の管理人?

 昔、お寺は人々の集まる場所であり、学校でもあり、娯楽を楽しむ場でもあり、カウンセラーでもあり、行き場のない人が最後に辿り着くセーフティネットでもありました。今よりずっと身近で、その地域になくてはならない場所だったのですね。


 しかし近代になるに連れてその役割が徐々に専門の職業に置き換わっていきます。寺子屋は学校になり、娯楽の場は劇場となり、カウンセラーは専門の勉強をした人が専門の場所を作ります。行き場のない人はそれ専門の場所で保護され、お寺に集まるのは宗教的教義を求める人達ばかりとなりました。

 それは宗教的な意味で言えば教義の探求が出来る環境になったと言えるのかも知れません。

 けれど、逆に人々からお寺が遠くなった事も意味するようにもなったのです。


 今、お寺と言えば、お祭りか、観光か、お葬式・お墓関連か……とにかく、お寺でしか果たせない役割で訪れる人くらいしか訪れなくなっています。座禅とかの精神修養の人もいるのかな。私も全然行きませんからね、お寺。


 そんな現在のお寺の存在意義を現職のお坊さんはどう思っているのか。その意識を知る貴重な資料がカクヨムで公開されていました。現職のお坊さんの書くエッセイです。お坊さんはいわゆる話術のプロでもあるので、本気で文章を書いたら面白いに決まっています。私も文章に魅了されて一気に読んでしまいました。


 入唐見聞録 中島龍太郎(龍範)著

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054881152173


 その中に現在のお寺の存在意義を端的にこう表現していました。


 何故かといえば、お坊さんは「お寺」という名の重要文化財を預かる管理人だからです。お寺と仏像の保存こそが、最重要の使命です。


 入唐見聞録 エピローグより抜粋。


 そう、もはやお寺の一番の価値はお寺と言う建物自体の保全であると言うのです。これには私、唸ってしまいました。確かにこればっかりはお寺にしか出来ません。


 これからも仏教は日本と共にあり続けていく事でしょう。そうしてその存在意義として何を見出していくのか。時代と共に何もかもが移り変わっていきます。お寺もまたこの時代の移り変わりの中で、新しい役割を模索し続けていくのでしょうね。

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