神は全知全能?

 無神論者の人がいます。その人が想像する神様は全知全能の存在。何でも知っていて何でも出来る。神様をそう定義すると確かにそんな存在はいません。その点において無神論者は正しいと言えます。


 しかしそもそも神とは何か。神様の存在を信じる人は私達を生かしてくださっている存在を信じているんですね。物理的存在で言えばお日様、お月様、そしてこの地球。特に地球がなければ私達は生きていけません。ガイア思想ですな。

 絶対的存在と言うよりは、私達すべての生物を育んでくださっている親のような存在に親しみを覚えているのです。


 勿論教義上によっては絶対者としての神を信じる人もいるでしょう。ユダヤ教系の教義を信じる人とか。その教義が生まれた時代とその環境が、そう言う捉え方でしか人々の支持を得られなかったのではないかと思われます。どちらにせよ古い時代のものです。


 闇の向こうと言うスピ系サイトによると、神は全知であるが全能ではないと主張しています。全知と言うのも人の知らない事までも知っていると言うのではなく、人が知っているものなら全て知ってると言う意味なのだとか。って言うか、これは厳密には神ではなく神のような存在についての解釈なのですけど。

 人の存在理由を語るテーマ上においての神の解釈ですね。


 大体、神様が何でも出来るなら世界は退屈でしかないし、人もまた決められた役を演じる役者でしかない訳です。意外な事も起こるから面白いし、神の想定を超えるような事もある。成長とは可能性でもある訳です。だから時に口出しをしたりもします。より良い方向に進んで欲しいからです。だからって物事がその想定通りに進むとは限らないのですけど。


 神様を地球と仮定すれば、命を育む循環の完璧とも言えるシステムを身に着けていますが、少しバランスが崩れるだけで異常が発生してしまう脆いものです。それはバランスを戻すための動きとも言えますが、何をやったって大丈夫、と言う事ではないと言う事でもあります。


 この世界をこの世界にしている法則こそが神と言う事も言えるでしょう。絶対的な一点のみが神ではありません。その定義で言えば、私達を含めた世界をひとまとめにしたものがそうである事になります。誰もが神の現れのひとつなのですから。


 神様が形を変えたものが世界です。子が親の一部であるように。信じなくても信じても神様は働きとして働き続けます。やがて人が物理的にその証拠を見つけた時、それは別の名前で呼ばれるのかも知れません。

 その頃には神と言う言葉は、もっと捉えどころのないところに行っているのかも知れませんね。

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