3章
掠れる声で
だがそれも仕方あるまい。今モアネットの内から湧き上がっているのは、何年もあの古城の中で押し隠していた本音。このまま解消することもなく、きっと
それでもパーシヴァルは聞き返すことも支離滅裂さを
そうして十五分が
それをぼんやりと
次いで震える喉を落ち着かせるために深く息を
「……ま、まったく、パーシヴァルさんのその寝ぼけ
と、いまだ掠れる声で文句を言った。
もちろん照れ隠しである。泣き終わって冷静になってみると、彼の
そんな照れくささを
「そうだな。いい加減この癖をどうにかしないと、
「私にだって問題ですよ……と言いたいところですけど、実際は私に抱き着いたって全身鎧に興奮する人だって思われるぐらいで問題ないですね」
「大問題だ!」
それだけは
鎧に興奮する人と思われるのはそれほど問題なのだろうか?
……いや、確かに大問題か。
そんなことを考えつつモアネットが立ち上がる。
「さ、戻りましょう。そろそろアレクシス様達が心配するかもしれません」
「そうだな。向こうもきっともう
「……向こうも?」
置いてきたアレクシス達に何かあるというのだろうか? そう問うようにモアネットが視線をやるも、パーシヴァルは小さく息を吐いて肩を竦めるだけだ。
それどころかモアネットに続くように立ち上がり、「行こうか」と告げて
「重苦しいだけの話は終わりだ。やっぱ飯時は楽しい話じゃなきゃ」
とは、夕食の用意が整った大広間でのオルドの発言。
ニンマリと
なにせ、テーブルの中央には地図が一枚。その中央に描かれている王宮には赤くバツが描かれ、
使い古された、それもだいぶ
なにせ嫌な予感しかしないのだ。もちろんオルドと地図の両方からだ。おかげでテーブルに並べられた料理達にも今一つ食欲を
だがそれを口にしたところでオルドが
「本当はまったくもって聞きたくないんだけど、その楽しい話ってどんな事かな」
「そりゃもちろん、これからの事に決まってるだろ。具体的に言うなら、俺が玉座に座るための話だ」
「だろうと思った」
「だけどその前に、お前に
先程までの楽し気でいてこちらを
だが不思議と纏う
そうして互いの様子を窺うように視線を
「アレクシス、お前、玉座に
そう
アレクシスの返答によってはその
そんなオルドの問いに対し、アレクシスは応じるように見つめ返し……そして、
「無い」
と、取り
「おいなんだよ、随分とあっさり答えてくれたな」
「父さんから、王っていうのは国民を導くものだって教えられてきた。僕もその
オルドに問われて初めて決意したのではなく、きっと以前から
王宮で家族に見限られると共に見切りをつけたのか、それとも
そのどちらかは分からない。もしかしたらもっと別の事で決意したのかもしれない。
だが今それを確認する必要はないだろう。なにせアレクシスははっきりと王位
そんな彼に対してどう声を
今のアレクシスに悲痛そうな様子は無く、話し終えるやさすが王子と言わんばかりの
「そもそも、僕の王位継承権は既に
「だけど?」
「ローデルに導かれてやる気もない」
そう告げるアレクシスの声色は
オルドの分かりやすい敵意を
こんな声も出せるのか……と、そんなことをモアネットが思うのは、この旅の最中に聞いた彼の声はいつだって穏やかで──時に情けないけれど──常に優しいものだったからだ。
だからこそモアネットはジッと彼を見つめ、そして彼の瞳に以前のような情が映っていないことに己の胸が痛んだのを感じた。今まで彼は己の
だが今の彼の瞳には冷ややかな色しかなく、情の
魔女のせいだ。
魔女の呪いが彼を変えてしまった。
もっと早く自分がエミリアのことに気付いていれば、いや、そもそも自分が古城に
私だって魔女なのに、魔女のくせに。
そんな
モアネットの表情を見て、彼の深い茶色の瞳が僅かに丸くなる。だが己に注がれる視線の意味に気付いたのだろう、
「モアネット、別にモアネットが責任を感じることじゃないよ」
「……ですが、全部アイディラ家のせいです」
「確かに今回は魔女が
そう教わってきたと語るアレクシスの口調は普段通りの穏やかなものに
皆の前で己の意志を語ることにより、更に決意を固くしたのだろうか。それを聞いたオルドが再び楽し気な笑みを
「アレクシスの言う通り、国なんてもんはいつ何時どうなるか分かったもんじゃない。
「……そうだね。まぁ、ローデルよりは
「言ってくれるな」
「叔父さんになら、導かれてあげてもいいかもしれない」
「アレクシス、俺は今お前のことを初めて
ご
完全無視である。
むしろパンをオルドに見立てて引き千切っている可能性すら考えられる。それほどまでなのだ。パンがギチギチと悲鳴をあげている。
そうして
新たに戦略を立てるのではなく、元々立てられていたオルドの計画に魔女二人と魔女殺しを戦力として加える……というのが、オルドが出した提案であった。そして提案とは言いつつ彼の口調は断定的で、
指揮を
オルドからしてみれば、今回の一件はあくまで王族ラウドル家の王位争い。己が玉座に座るための争い。そこに魔女と魔女殺しが割り込んできたに過ぎない。
それは分かるし、魔女絡みだろうが己をメインに
かといって、
なにせ現王のそばにはローデルがおり、彼の
それに
一国の玉座だけありそこを守る警備は国中で最も厚く、何かあればすぐさま
そうオルドが地図と王宮内の見取り図を見比べながら話せば、パーシヴァルが落ち着き払った声で話しだした。
「騎士の動きなら
「どこまでだ?」
「全てです。
パーシヴァルは元々国を守る騎士だった。
ゆえに緊急時の、それこそたとえば『国を乗っ取ろうとする反逆者』が
だが今のパーシヴァルは国を揺るがす側にいる。そして彼は全てをオルドに話す決意をした。
それはつまり、国に対しての、そしてかつての仲間である騎士達への裏切りだ。
だがパーシヴァルに罪悪感を
「モアネット
「……別に、なんでもありません。話を続けてください」
「そうか、それなら良いんだが……。心配してくれてありがとう、俺は
「だから別になんでもありません。パーシヴァルさんの袖に虫がついてたから取ってあげただけです」
「そうか。それなら
「彼は自ら
「
この場の空気に似合わぬ会話に、パーシヴァルが一度小さく笑う。それを見てモアネットが
彼もまた決意をしたのだ。いや、アレクシスを王宮から連れ出したとき
そこまで考えモアネットがはたと顔を上げた。ジーナが考えこむように見取り図に視線をやり、そしてオルドに彼が
「エミリアの魔術は私とモアネットが
どこか
事情を知らぬ第三者が居れば、国を乗っ取るための話し合いとは
だがジーナの言う通り、大人数で攻め込んでも魔術を弾けなければ意味がない。それどころか、連れて行った騎士達がエミリアの魔術に
エミリアの魔術は知らぬうちにモアネットの意思さえも
だからこそ魔術を弾くために魔女の近くにいる必要がある。となれば、当然だが取れる行動は制限される。
「だがあまり固まってるといざって時に
「逃げ道なら僕も父さんから教わってる。少なくとも十はある。……いや、たぶんその倍はあるはずだ」
王宮に設けられた逃げ道はいざという時の
もっとも現王が
「有事の際に備えて身内すら疑えってことだ。たぶん、ローデルもアレクシスとは
「うん。だから、何かあればローデルは僕の知らない道から逃げるはず」
どこにあるかさえ分からない逃げ道、となればこちらは王宮を囲むしかない。むしろ王宮を囲むだけで事足りるのかも
だがそこまで囲むとなれば必然的にモアネットやジーナと
それを
王宮内には把握しきれぬほど
「厄介ついでに言えば、出来るなら生きたまま全員を捕らえたい」
「
「言っておくが、もちろん情なんて甘ったるいものじゃないからな。だが出来ることなら殺さずに捕らえたい。そっちの方が俺には都合が良いんだ。……ただ」
言いかけ、チラとオルドが見取り図から視線を上げた。
次いで彼の深い茶色の瞳が向かうのは、モアネットとアレクシス。
「ローデルもエミリアも生かしておくつもりだ。そうなった場合、お前達はどうする?」
あまりに直球すぎるオルドらしい問いかけに、モアネットが兜の中で小さく息を
事前に「情なんて甘ったるいものじゃない」と己の意思表示をするあたり、彼はモアネットとアレクシスが
モアネットは魔女だ、いざとなればオルドを押しのけてエミリアを
仮にどちらかが情に負け、
『やっぱり家族に
なんてことを言い出したが最後、オルドは手も足も出せなくなるのだ。
それを危惧しているからこそ、オルドは警戒を
「私は……私の手で、エミリアを裁きます」
そう、彼の瞳を見つめて返した。
モアネットの返答を聞き、アレクシスがゆっくりと瞳を閉じて続く。
「僕は彼等を裁けない。……もしも父さんやローデルを生きて捕らえたら、その時は
片や己の手でけりをつけ、片や全てを叔父の手に
これもまた両極端な反応ではないか。ただパーシヴァルだけは複雑な表情を浮かべ、物言いたげにモアネットとアレクシスの様子を
「良かった、モアネットはもう大丈夫ね。ちゃんと決心出来たみたい」
「アレクシスは
とは、モアネットとアレクシスが部屋を出ていった直後、話し終えて一段落といった空気でワインに口をつけたジーナとオルドの言葉である。──ちなみにモアネットはロバートソンの
もちろん二人の言葉が
モアネットは自らエミリアを裁くと告げ、対してアレクシスはそれが出来ないからオルドに託すと告げた。決意の度合いはモアネットの方が高く、アレクシスはまだ家族への情を捨てきれずにいる……と、そう考えてのことである。
誰だって、あの時の二人の返答を聞けばそう判断するだろう。
だがこれに対し、パーシヴァルだけが考えを
「俺は、逆だと思います」
と告げた。
ジーナとオルドが不思議そうにパーシヴァルに視線をやる。
「逆って……アレクシスは自分で裁けないから俺に任せるって言ったんだぞ」
「はい」
「兄貴やローデルに対して情が残ってるんだろ。だから」
「……いえ、きっと、もう情も残っていないからこそ、オルド様に託すのかと思います」
王位
だからこそオルドに全てを託すと決めたのだ。
なにせオルドは己が玉座に座るためならば
それを
「なるほど。確かに俺に押し付けた方が
パーシヴァルの話を聞き、オルドが
なんとも
それに対して、先程まで安堵を浮かべていたジーナが表情を
モアネットはエミリアやアイディラ家への未練を
「……モアネット
「絵?」
「はい。……エミリア嬢と幼い
子供が描いた『キラキラしたお
そんな絵を、モアネットはわざわざアイディラ家から古城に持ち込んだのだ。
当時の彼女は王宮からも家族からも
最低限の必要なものと、魔女と魔術に関する書物、それだけでいっぱいだったはずだ。だというのにその中に必要のない絵を入れ、
見るたびに絵を描いた当時を思い出し、妹と共に
それでもモアネットは妹との思い出を手元に置き続けた。たった一枚の紙ならば破いて捨てることなど
これを未練と言わずに何と言う。
そしてなにより、全てがエミリアの魔術のせいだと分かった今もなおモアネットは鎧を纏い、姿を
全てを断ち切り身内の処分さえもオルドに託すと決めたアレクシスと違い、モアネットはまだ
「……だからモアネット嬢は、自ら負うようにエミリア嬢を裁くと決めたのではないかと思います。同じアイディラ家の魔女として、そして姉として、彼女はまだ情を断てていない」
「なるほどな。吹っ切る必要があるのはモアネットの方だったか」
「そうね、ここで全て断ち切らせないと、あの子はずっと鎧の中から出られないわ」
深刻な表情で話し終えるパーシヴァルに、オルドとジーナが顔を見合わせる。
そうしてオルドが小さく「一度話をさせるか」と
「……何がどうなってるのか分からない」
とは、ノックの後に部屋に戻ってきたアレクシス。
さすがと言えるほど広い浴室で
そのうえ、この
「叔父さん、何がしたいの」
「いやぁ、お前は俺が思ってる以上に
「……そりゃよかったね」
「なんだそっけない。昔みたいに『オルド叔父様』って呼んでくれても良いんだぞ。まぁお前が俺を呼んだ翌日に俺は王宮から追放されたけどな」
「やめろ、おっさん、放せ」
だがそんな暴言もオルドにとっては「良い子ちゃんで優等生だったアレクシスが!」と好意に
そんなアレクシスに対して、ほぼ時を同じくして部屋に
「モアネット嬢、俺は何があろうと
と、いつの間にか
「ちょっと、私がモアネットを抱きしめて
と、パーシヴァルを押しのけようとするジーナに
少人数で王宮に向かうならば、部隊を組み直す必要がある。
そう話すオルドに
モアネットはジーナを師に魔術の教えを受け、パーシヴァルとアレクシスはオルドと彼の
決断の日を前にしているとはいえ、この旅が始まって以来ようやくの落ち着いた時間と言えるかもしれない。
そんな僅かながらの
モアネットは鎧を纏い、自室のソファーに
見えにくい……そうモアネットが
視界に映りこむ銀色は普段の色とは違い、手足を動かすたびに鳴る音に
それを思えば
対して今モアネットが動かしているのは見慣れぬ手っ
普段とは違う不自由さの中でも意識を集中させれば、目の前の見慣れた全身鎧がギシリと動き出した。
「良いわモアネット、その調子。
「
「物を
ジーナの説明を聞きつつ、モアネットが目の前の全身鎧に視線をやった。
着慣れぬ鎧の中で命じれば、見慣れた鎧がギシギシと動く。
「指を動かせるなんて、
「ジーナさんのおかげです。ジーナさんが教えてくれなければ、こんなこと出来るなんて思いもしなかった」
モアネットが兜の中で感謝の言葉を口にすれば、ジーナもまた
そんな中、コンコンと軽いノックの音が室内に響いた。
モアネットが声を掛ければ、ゆっくりと
姿を現したのはパーシヴァル。彼は部屋の中を見るやキョトンと
「……モアネット
二領の鎧を
それが
……二領の鎧から。
それでも彼は
「こっちだ!」
と、勢いよく一領を指差した。
だがその鎧はパーシヴァルに指差されたことで一度ギシリと動き「よく分かりましたね」とカシャンカシャンと鉄の手で
もちろん、こちらの鎧にモアネットが入っているからである。
「
「同じように動いても、
「なるほど」
「それに、これはきっと愛のちか」
「さすがねパーシヴァル、やっぱり魔女殺しの力は
割って入るようにジーナが声をあげ、モアネットに抱き着く。
その
「ねぇモアネット、さすが魔女殺しの力だと思わない?」
「魔女殺しの力というか、どちらかと言えば動体視力と観察眼じゃないですかね」
「確かにそうね。動体視力と観察眼、
ジーナの断言に、モアネットがそこまで言い切るものかと兜を傾げる。
次いでパーシヴァルに視線をやれば、彼は一瞬だけ碧色の瞳を細めていたが、それでもこちらに近付くと空の鎧の
「この鎧は通路に並んでいたものか」
「並んでいたものの中でも一番
次いで彼は考えを
「成長に
と
「ヤドカリと同じ生態で考えないでください」
「分かってる、冗談だ。それでこの抜け
「
モアネットが
そうして改めるように「それで」と告げてくる表情は、十分に
普段
「魔術で鎧を動かしてるんです。短い時間ですが、操っている鎧の視界や聞こえてくる音も私に伝わってきます」
「驚いたな、
「兜の中にロバートソンが入ってるんです。それでようやくってところですね。長い時間の操作は私の体力がもたないし、強い
まだ未熟だとモアネットが訴える。だがパーシヴァルは感心どころか感動したと言いたげな表情を
それに対してモアネットが二領の鎧から「うるさい」と文句を発する。モアネットの耳には今鎧の中で聞いている音と、目の前の鎧の中にいるロバートソンを通じての音が二重に届いてくるのだ。
「鎧以外でも、ロバートソンが居れば他の物も動かせるのか?」
「いえ、この鎧だけ。むしろこの鎧だから動かせるんです」
ねぇ、とモアネットがもう一領の全身鎧に話しかければ、ギシリと兜を頷かせて返してきた。一見すると鎧同士で意思の
そもそも、この魔術はモアネットが長年鎧を纏い、そして今ロバートソンが中に入ってくれているからこそ使えている魔術だ。長年纏い続けていたことで鎧が魔術の
そしてジーナから
それらが無ければ目の前の鎧はピクリともしなかっただろう。物を操るというのはそれほどまでに難しい魔術なのだ。
もっとも、魔術を使えているからといって得意気になる
だけど、この中により強い魔術を込めればもう少し……。
そう考え、モアネットが小さく息を
だが次の瞬間パーシヴァルに名を呼ばれ、はたと
「……モアネット嬢、どうした?」
どうした、とはどういう意味か。パーシヴァルの瞳には茶化すような色はなく、それどころか心配しているかのようにさえ見える。
そんな彼の瞳を見つめ、モアネットが「何か?」と尋ねた。
「どうしたって、何がですか?」
「いや、なんだか
だから心配になったとパーシヴァルが
辛そうとは自分の事か。だが変な話ではないか。辛そうも何も、纏っているのは物こそ変わったが全身鎧。当然だが顔も
「
「いや、そうなんだが……それでも何だか辛そうに見えたんだ」
自分のことながら不思議に思っているのか、パーシヴァルの返答は
それでも碧色の瞳は真っすぐにモアネットを見つめてくる。兜を
しまった、と己の
こちらからは見えるが向こうからは見えない。この鎧にも同じように魔術を掛けていた。
だから安心しきっていた。
この鎧でも誰にも目元は見られない、そう魔術を過信し油断しきっていたのだ。
だがパーシヴァルは魔女殺し、魔女の魔術が効かない
つまり彼にとって今モアネットが纏っている鎧は
兜を覗き込めば、当然だが
「すまない……!」
慌てて身を引き謝罪を口にするパーシヴァルの姿は、「見てしまった」と言っているようなものだ。
それに対してモアネットは兜の中で視線を
「……申し訳ない。少し、少しだけ見てしまった」
「そ、そうですか……。あの、出来れば何も言わずに……」
「あぁ、分かっている。でも、許されるなら一言だけ……。モアネット
パーシヴァルが何かを言いかける。だが
彼女はパーシヴァルの言葉を搔き消すように笑い、次いでモアネットへと手を
「モアネット、こんな覗き魔の近くに居ちゃ
「の、覗き魔!? ジーナ嬢、覗き魔とは俺のことですか!?」
「そうよ、決まってるじゃない。魔女殺しの覗き魔よ。魔女の覗き見防止ですらも防げない、覗き魔の中の覗き魔よ」
ジーナが
……だというのに、モアネットはしばらく落ち着きを取り
人に見られるのは苦手だった。
視線を注がれていると思うだけで心臓が
だけど不思議と、今胸を占める感覚はそういった不快感とは
そんなことを考えつつ、覗き魔の
休息の時間が
そうして
屋敷の明かりがほどよく届き、それでいて屋敷内からも外からもどこか
夜間でも人の行き来が絶えないこの屋敷において、これほどまで静かに一人でいられる場所は
そうオルドが教えてくれた。その時の彼の「考え事には最適な場所だ」という落ち着き
そんな場所で一人夜風に
「モアネット嬢?」
と名を呼ばれた。はたと我に返り、聞こえてきた声を追うように周囲を見回す。
声の主は、二階のテラスから身を乗り出してこちらを見下ろすパーシヴァル。彼はモアネットが自分を見つけたことに気付き、軽く手を
「……待てよ、もしかしたら鎧が勝手に動いてるだけかもしれない。中にはちゃんとモアネット嬢が入ってるのか?」
「入ってますよ。失礼ですね」
その反応もまた
「モアネット嬢、そっちに行っても?」
「どうぞご自由に。でも結構入り組んだ場所だから、
大変ですよ、と言いかけてモアネットが言葉を飲み込んだ。
ザァと吹き
パーシヴァルの体が夜空を横切り、こちらに向かってくる。その身軽さは『降りる』というより『飛ぶ』に近い。
そうして彼はモアネットの近くに降り立つと、軽く一息
その様子に
「あ……危ないですよ!」
と彼を
「そうか? これぐらいの高さならどうってことないだろ」
「
そうモアネットが
次いで分かりやすく「ところで」と話を変えてくる。喚くモアネットを
「ところで、その……モアネット嬢はこんなところで何をしてたんだ?」
「私は安全に月光浴です。安全に、怪我する要素無く、もちろん高いところから飛び降りるなんて無茶はせず」
「そ、そうか。安全が一番だな」
モアネットの言葉から圧力でも感じたのだろう、パーシヴァルが
そうして彼はゆっくりと息を
明日だ。
明日、オルドの指揮のもと王宮へと向かう。
早朝の日も
幼い
温かで
だがそんな思い出に胸を痛めるのも今夜で最後だ。
明日
そう考えてモアネットが深く息を吐き、次いで
「パーシヴァルさんは、全て終わったらどうします?」
「レンガに似たもので
「……そうでしたね」
相変わらずな彼の返答に、モアネットが鎧の中で
この場においても『レンガに似たもの』なんて話をしてくるのだ、なんて緊張感の無い人だろうか、そうモアネットが
パーシヴァルの
それでも視線は
だというのに、どうしてか今夜は寒気も恐怖も湧かず、それどころか不思議と胸の奥が熱くなっていく……。
「……パーシヴァルさん」
「毎日、レンガに似たもので殴られるんだ」
「そ、そうですね……」
「それなら、毎日モアネット
そう告げてくるパーシヴァルは
「ま、毎日なんて……
「確かにあの魔術なら出来そうだ。それでだな、モアネット嬢……」
これを……と何やら
彼の片手に収まってしまう
それを差し出され、モアネットが小箱とパーシヴァルを
「これは?」
「……レンガに似たものだ」
「レンガに似たもの!? まさか本当にあるんですか!」
モアネットが慌てて小箱に視線をやる。
まさか本当に『レンガに似たもの』を用意するなんて思わなかった、むしろ存在していたなんて……。そんなモアネットの反応に、対してパーシヴァルはどこか落ち着きがない。「あの」だの「その」だのとしどろもどろに呟き、ついには片手で雑に頭を
モアネットが中を
自分で開けて
赤いリボンがふわりと揺れる。片手に収まる小ささで手にすると意外に軽く『レンガに似たもの』が入っているとは到底思えない。
もちろん、レンガそのものが入っているとも思えない。──もしも『レンガに似たもの』どころかレンガそのものが入っていたら、その場ですぐに殴ってやる……そうモアネットが
だが小箱を
「これって……」
と、小さく呟いた。
箱の中にちょこんと収まるのは一輪の花。生花ではない、だがその細かな細工は生花にも負けぬ美しさと気高さを
銀色の花びらには
見惚れてしまいそうな細かな細工。まるで本物の花のように軽く、髪に飾っても
この花を覚えている。
国境の街で見かけ、そして自分には似合わないと
「パーシヴァルさん、これ……」
「……レンガに似てるだろ」
ふいとパーシヴァルがそっぽを向く。
それに対してモアネットは兜の中で目を丸くさせ、
もちろんレンガになど似ていない。だというのに彼は念を押すように「レンガに似ている」と言い張ってくる。半ば
思わずモアネットがどうしたものかと
「それが『レンガに似たもの』だ。だから……」
「だから?」
「……だから、全てが終わったら俺を殴るためにそれを受け取ってくれ」
そう告げてくるパーシヴァルの声は
だが
自分の余裕も
頰が熱く、
気を
今まで一人古城で暮らしていたモアネットは胸に湧くこの感情の名を知らず、それでも手の中の花へと視線を落とした。
自分には似合わないと諦めた髪飾り。
銀一色の兜に着けたところで
だけど、とモアネットの中で今まで考えもしなかった
兜を
そんな事を考えモアネットが手の中の花を見つめ、次いではたと視線に気付いて顔を上げた。パーシヴァルが様子を窺うようにこちらを見つめている。
照れくさそうに、それでいてどこか不安げな表情が「受け取ってくれるだろうか?」と返事を求めているように見えてならない。普段の表情とも、先程のはにかんだ
思わずモアネットが兜の中で小さく笑みを
「そうですね、言われてみれば確かにレンガに似てるかもしれません」
「そうか……あぁ、そうだよな。似てるだろ」
「仕方ないから、全てが終わったらこれで毎日パーシヴァルさんを
そうモアネットが答えれば、パーシヴァルが嬉しそうに笑って
※カクヨム連載版はここまでです。お読みいただきありがとうございました。
続きは本編でお楽しみください。
重装令嬢モアネット 鎧から抜け出した花嫁/さき 角川ビーンズ文庫 @beans
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