3章



 掠れる声でうらみやこうかいうつたえ、パーシヴァルにしがみついて泣き続ける。だが感情も涙も一度せきを切るとおさえられるものではなく、つむぐ言葉はずいぶんめつれつだ。

 だがそれも仕方あるまい。今モアネットの内から湧き上がっているのは、何年もあの古城の中で押し隠していた本音。このまま解消することもなく、きっとしようがいだれにも打ち明けることなく終わるのだろうと思っていたのだ。今更上手うまく言葉で言い表せるわけがない。

 それでもパーシヴァルは聞き返すことも支離滅裂さをてきすることも無く、ただ強く抱きしめ、時には「そうだな」と深くやさしい声であいづちを打ってくれた。

 そうして十五分がつ頃にはモアネットも落ち着きを取りもどし、しゃっくりを上げるたびに兜と鎧をらしながらもそっとパーシヴァルの体から身を引いた。背中や手っ甲を擦っていた彼の手がゆっくりと、再びくずれ落ちても抱きとめられるようにうかがいつつはなれていく。

 それをぼんやりとながめ、モアネットが兜の中でスンスンとはなをすすった。鼻の奥が痛い。

 次いで震える喉を落ち着かせるために深く息をき、ギシッと兜を鳴らしてそっぽを向くと、

「……ま、まったく、パーシヴァルさんのその寝ぼけぐせは、本当に迷惑ですね」

 と、いまだ掠れる声で文句を言った。

 もちろん照れ隠しである。泣き終わって冷静になってみると、彼のうでの中で泣きじゃくったことがずかしく思えてきたのだ。きっと今兜の中のほおは赤らんでいるだろう。全身鎧の己を憐れんで泣いたが、今は兜をかぶっていてよかったと思う。

 そんな照れくささをすように「どうにかしたほうが良いですよ」と素っ気なく告げれば、モアネットの胸の内が分かってかパーシヴァルがしようかべてかたすくめた。

「そうだな。いい加減この癖をどうにかしないと、ほかの魔女にき着いたら大問題だ」

「私にだって問題ですよ……と言いたいところですけど、実際は私に抱き着いたって全身鎧に興奮する人だって思われるぐらいで問題ないですね」

「大問題だ!」

 それだけはけなければ! ととつぜん声をあららげるパーシヴァルに、モアネットが兜の中でいまだうるひとみまばたかせた。さきほどまでおだやかに笑っていた彼の表情が、今はせまるものに変わっている。

 鎧に興奮する人と思われるのはそれほど問題なのだろうか?

 ……いや、確かに大問題か。

 そんなことを考えつつモアネットが立ち上がる。

「さ、戻りましょう。そろそろアレクシス様達が心配するかもしれません」

「そうだな。向こうもきっともうだいじようだろう」

「……向こうも?」

 置いてきたアレクシス達に何かあるというのだろうか? そう問うようにモアネットが視線をやるも、パーシヴァルは小さく息を吐いて肩を竦めるだけだ。

 それどころかモアネットに続くように立ち上がり、「行こうか」と告げてとびらへと向かってしまう。どうやらくわしく話す気はないようで、モアネットが兜をかしげながらも彼の後を追った。





「重苦しいだけの話は終わりだ。やっぱ飯時は楽しい話じゃなきゃ」

 とは、夕食の用意が整った大広間でのオルドの発言。

 ニンマリとを描いた目元と口元がなんとも楽しそうで、対して聞いているモアネット達はうんざりとした表情を浮かべるしかない。

 なにせ、テーブルの中央には地図が一枚。その中央に描かれている王宮には赤くバツが描かれ、さらにナイフか何かで何度かしたあとまであるのだ。

 使い古された、それもだいぶいやな方向に使い古された地図を前に、さすがに「わぁい楽しい話!」なんてはしゃげるわけがない。

 なにせ嫌な予感しかしないのだ。もちろんオルドと地図の両方からだ。おかげでテーブルに並べられた料理達にも今一つ食欲をさそわれない。むしろごうであればあるほどこちらを動かすためのえさにしか思えず、美味おいしいのに今一つたんのうしきれずにいる。

 だがそれを口にしたところでオルドがみを隠すわけがなく、誰もがうんざりとした表情で銀食器をあやつっていた。そんな豪華さと白々しさが半々といった空気の中、まるでみなを代表するかのようにアレクシスが口火を切った。……じやつかんためいき交じりで。

「本当はまったくもって聞きたくないんだけど、その楽しい話ってどんな事かな」

「そりゃもちろん、これからの事に決まってるだろ。具体的に言うなら、俺が玉座に座るための話だ」

「だろうと思った」

「だけどその前に、お前にかくにんしておくことがある」

 先程までの楽し気でいてこちらをちやすようなこわいろから一転して、オルドが深い声と共にアレクシスに視線をやった。

 たんに空気の変わったその様子に、誰もが手を止めて彼等に視線を向ける。

 しんけんな表情で向き合う二人は同じ深い茶色の瞳をしており、顔のつくりもさすが親族と言えるほどに似ている。アレクシスとオルドが親子だと言われてもなつとくしてしまいそうだ。

 だが不思議と纏うふんちがい、たがいに毛色の違うはくおくすまいとしているように見える。

 そうして互いの様子を窺うように視線をわし合い、オルドがわずかに眼光をするどくさせた。

「アレクシス、お前、玉座にく気はあるか?」

 そうたずねるオルドの声には一寸ちよつと前までの陽気さはなく、それどころか敵意に近いあつかんを感じさせる。

 アレクシスの返答によってはそのしゆんかんに敵と見なしたたき切りかねない、そう無言で警告しているように思える。その敵意にてられたのか、銀食器のナイフを持つ彼の片手がみようにモアネットの視線をうばう。ただの食器だ、なのに今のオルドが持つとなにより危険なものに思える。

 そんなオルドの問いに対し、アレクシスは応じるように見つめ返し……そして、

「無い」

 と、取りつくろうことも迷うこともなく答えた。

「おいなんだよ、随分とあっさり答えてくれたな」

「父さんから、王っていうのは国民を導くものだって教えられてきた。僕もそのかくで今までやってきた。でも、今の僕はもう彼等を導きたいとは思えない」

 たんたんと返すアレクシスの声にはよくようも無く、随分と落ち着きはらっている。

 オルドに問われて初めて決意したのではなく、きっと以前からすでに心に決めていたのだろう。

 王宮で家族に見限られると共に見切りをつけたのか、それとものろいによるかげぐちを聞いて彼の国民への愛情がだいに欠けていった果てか……。

 そのどちらかは分からない。もしかしたらもっと別の事で決意したのかもしれない。

 だが今それを確認する必要はないだろう。なにせアレクシスははっきりと王位けいしようの気はないと告げたのだ。真っすぐにオルドを見つめる瞳に、宣言をてつかいする気はないと分かる。

 そんな彼に対してどう声をけていいのか分からず、モアネットはだまったまま視線を向けた。

 今のアレクシスに悲痛そうな様子は無く、話し終えるやさすが王子と言わんばかりのゆうな所作でスープをすくい口をつけた。おのれの宣言を、まるでたいしたものではないと言いたげな仕草だ。

「そもそも、僕の王位継承権は既にはくだつされてるはずだ。だから僕は王にならないし、なることも出来ない……だけど」

「だけど?」

「ローデルに導かれてやる気もない」

 そう告げるアレクシスの声色はだん通りだ。それでいて冷ややかな鋭さを感じさせる。

 オルドの分かりやすい敵意をふくんだ威圧感とはまた違い、底冷えする冷気を足元から体中にり上がらせるような威圧感。

 こんな声も出せるのか……と、そんなことをモアネットが思うのは、この旅の最中に聞いた彼の声はいつだって穏やかで──時に情けないけれど──常に優しいものだったからだ。

 だからこそモアネットはジッと彼を見つめ、そして彼の瞳に以前のような情が映っていないことに己の胸が痛んだのを感じた。今まで彼は己のきようぐうなげくことはあっても、家族や国民に恨みを抱くことはなかった。どんな目に遭ってもどんな陰口をたたかれても、彼等への情を捨てきれずにいたのだ。

 だが今の彼の瞳には冷ややかな色しかなく、情の欠片かけらもない。

 魔女のせいだ。

 魔女の呪いが彼を変えてしまった。

 もっと早く自分がエミリアのことに気付いていれば、いや、そもそも自分が古城にこもらずにいれば、少しでも魔女の資料をアイディラ家に残していれば、魔女についてエミリアに話をしていれば……こんな事にはならなかったかもしれない。

 私だって魔女なのに、魔女のくせに。

 そんなおくれなことをモアネットが考えていると、アレクシスが気付いたのかふとこちらを向いた。

 モアネットの表情を見て、彼の深い茶色の瞳が僅かに丸くなる。だが己に注がれる視線の意味に気付いたのだろう、まゆじりを下げて困ったように笑った。

「モアネット、別にモアネットが責任を感じることじゃないよ」

「……ですが、全部アイディラ家のせいです」

「確かに今回は魔女がからんでいた。事のほつたんはアイディラ家かもしれない。……だけど、国っていうのはいつだって奪われたり奪ったりなんだよ」

 そう教わってきたと語るアレクシスの口調は普段通りの穏やかなものにもどっており、そして今は決意に似た色も宿している。

 皆の前で己の意志を語ることにより、更に決意を固くしたのだろうか。それを聞いたオルドが再び楽し気な笑みをかべた。

「アレクシスの言う通り、国なんてもんはいつ何時どうなるか分かったもんじゃない。えいきわめていたはずの国が一日で乗っ取られることもあるし、追いやられたおうていが玉座を奪い取る……なんてことも、じよが絡んでいようがいまいが有り得る話だよな」

「……そうだね。まぁ、ローデルよりは叔父おじさんの方がマシかな」

「言ってくれるな」

「叔父さんになら、導かれてあげてもいいかもしれない」

「アレクシス、俺は今お前のことを初めて可愛かわいいと思ったよ。なんだったらきしめて、ほおにキスでもしてやろうか」

 ごまんえつと言いたげな表情でりよううでを広げ「おいで」とまで言ってくるオルドに、アレクシスが今まで以上に冷ややかな視線を向け……そしてパンを手に取って千切りだした。

 完全無視である。

 むしろパンをオルドに見立てて引き千切っている可能性すら考えられる。それほどまでなのだ。パンがギチギチと悲鳴をあげている。

 そうしてあきれを込めて深く一度息をき、アレクシスがふと思いをはせるように視線を他所よそへと向けた。その表情はるぎない決意を感じさせ、やはりオルドに似ているように見えた。





 新たに戦略を立てるのではなく、元々立てられていたオルドの計画に魔女二人と魔女殺しを戦力として加える……というのが、オルドが出した提案であった。そして提案とは言いつつ彼の口調は断定的で、かたくなにゆずるまいとする姿勢がうかがえる。

 指揮をるのはあくまでオルドであり、魔女も魔女殺しも、そして第一王子であるアレクシスでさえもかくしようあつかいというわけだ。たとえ魔女を味方にしようが変わらぬごうの深さに、モアネット達はかたすくめてなおうなずくことにした。

 オルドからしてみれば、今回の一件はあくまで王族ラウドル家の王位争い。己が玉座に座るための争い。そこに魔女と魔女殺しが割り込んできたに過ぎない。

 それは分かるし、魔女絡みだろうが己をメインにえるあたりがオルドらしいと言える。これは彼が玉座に座るためのたたかいで、そして闘いの中で己の強さをしなければならないのだ。

 かといって、すべて彼に任せるわけにはいかない。

 なにせ現王のそばにはローデルがおり、彼のとなりにはエミリアがいる。

 かつに近付けばオルドといえど魔女の魔術に中てられるだろう。彼は現王もローデルも引きずり下ろそうとしている、つまりエミリアの『キラキラしたおひめ様』の地位をも揺るがそうとしているのだ。彼女の魔術がオルドにきばかないわけがない。

 それにけいかいすべきは魔女の魔術だけではない。

 一国の玉座だけありそこを守る警備は国中で最も厚く、何かあればすぐさまけんく。とりわけオルドはいくも王のくびこうとした前科がある──それも山のようにある──。彼の姿を見ただけで王宮中が警戒態勢を取るだろう。

 そうオルドが地図と王宮内の見取り図を見比べながら話せば、パーシヴァルが落ち着き払った声で話しだした。

「騎士の動きならあくしています」

「どこまでだ?」

「全てです。きんきゆう時に取るべき行動も、配置も、伝達の流れも」

 パーシヴァルは元々国を守る騎士だった。

 ゆえに緊急時の、それこそたとえば『国を乗っ取ろうとする反逆者』がめ込んできた時に取るべき行動も全て頭に叩き込まれている。きっと数えきれぬほどの訓練を重ね、いざという時には己が剣となりたてとなり国を守ろうと仲間と話し合ったことだろう。

 だが今のパーシヴァルは国を揺るがす側にいる。そして彼は全てをオルドに話す決意をした。

 それはつまり、国に対しての、そしてかつての仲間である騎士達への裏切りだ。

 だがパーシヴァルに罪悪感をいだいている様子は無く、それどころか当時を思い出しながら見取り図を指さして話している。モアネットはそんな彼を見上げ……そしてクイと彼の服のそでを引っ張った。

 あお色のひとみが丸くなり、次いでこちらを向く。不思議そうな瞳に見つめられ、モアネットがずかしさからギシとかぶときしませてそっぽを向いた。

「モアネットじよう?」

「……別に、なんでもありません。話を続けてください」

「そうか、それなら良いんだが……。心配してくれてありがとう、俺はだいじようだ」

「だから別になんでもありません。パーシヴァルさんの袖に虫がついてたから取ってあげただけです」

「そうか。それならつかまえた虫はロバートソンにあげてくれ」

「彼は自らったものしか口にしない、生粋の狩蜘蛛ハンターです」

たくましい」

 この場の空気に似合わぬ会話に、パーシヴァルが一度小さく笑う。それを見てモアネットがゆうだったかと兜の中で小さく息を吐いた。

 彼もまた決意をしたのだ。いや、アレクシスを王宮から連れ出したときすでに決意していたのだから、だれより先になるかもしれない。少なくとも、自分よりは……。

 そこまで考えモアネットがはたと顔を上げた。ジーナが考えこむように見取り図に視線をやり、そしてオルドに彼がかかえる戦力についてたずねている。

「エミリアの魔術は私とモアネットがはじくけど、こうはんに広がられると難しいわ。極力バラけないように、出来るだけ少人数におさえた方が良いわね」

 どこかいつしよから全員でおじやしましょう、そう告げてジーナが抱きかかえていたコンチェッタをでる。その際の「持て成しは今回も期待出来そうにないわね」という言葉はなんとも長閑のどかだ。それにンニャと鳴いて返すコンチェッタもまた間が抜けており、場の空気をなごませる。

 事情を知らぬ第三者が居れば、国を乗っ取るための話し合いとはとうてい思うまい。

 だがジーナの言う通り、大人数で攻め込んでも魔術を弾けなければ意味がない。それどころか、連れて行った騎士達がエミリアの魔術にとらわれ、敵に回ってしまう可能性だってある。

 エミリアの魔術は知らぬうちにモアネットの意思さえもあやつろうとしていた。そのりよくは強大で、魔術にめんえきのない騎士の意思など容易にくつがえしてしまうだろう。

 だからこそ魔術を弾くために魔女の近くにいる必要がある。となれば、当然だが取れる行動は制限される。

「だがあまり固まってるといざって時にげられる可能性がある。王宮には臣下どころか俺さえも知らない逃げ道があるからな」

「逃げ道なら僕も父さんから教わってる。少なくとも十はある。……いや、たぶんその倍はあるはずだ」

 王宮に設けられた逃げ道はいざという時のためのものであり、ゆえに現王は息子むすこであるアレクシスにさえも全ては教えていないという。良き王子であり良き息子であった彼の反乱さえも視野に入れ、おのれの退路を確保しておく。きっと今際いまわきわにでも全て教えるつもりだったのだろう。

 もっとも現王がさいしんられているわけでもなく、アレクシスが反乱の気配をただよわせたわけでもない。これがラウドル家の、そして一国をべる王族の考え方なのだ。

「有事の際に備えて身内すら疑えってことだ。たぶん、ローデルもアレクシスとはちがう逃げ道を教わってるだろうな」

「うん。だから、何かあればローデルは僕の知らない道から逃げるはず」

 どこにあるかさえ分からない逃げ道、となればこちらは王宮を囲むしかない。むしろ王宮を囲むだけで事足りるのかもさだかではない。アレクシスいわく、逃げ道によっては地下に通路を設けており市街地にまでつながっているのだという。

 だがそこまで囲むとなれば必然的にモアネットやジーナときよの出る者達が現れ、仮にそちらにエミリアが現れたら……。

 それをしているのだろう、オルドがためいき交じりに「やつかいなもんだ」とつぶやいた。

 王宮内には把握しきれぬほど数多あまたの逃げ道があり、それでいて取り囲むことは出来ない。無理に数で押そうものなら逆に魔術にからられる。これほど厄介な話があるだろうか。

「厄介ついでに言えば、出来るなら生きたまま全員を捕らえたい」

叔父おじさん?」

「言っておくが、もちろん情なんて甘ったるいものじゃないからな。だが出来ることなら殺さずに捕らえたい。そっちの方が俺には都合が良いんだ。……ただ」

 言いかけ、チラとオルドが見取り図から視線を上げた。

 次いで彼の深い茶色の瞳が向かうのは、モアネットとアレクシス。

「ローデルもエミリアも生かしておくつもりだ。そうなった場合、お前達はどうする?」

 あまりに直球すぎるオルドらしい問いかけに、モアネットが兜の中で小さく息をんだ。

 事前に「情なんて甘ったるいものじゃない」と己の意思表示をするあたり、彼はモアネットとアレクシスがたんで家族への情に負けるかもしれないと危惧しているのだろう。

 モアネットは魔女だ、いざとなればオルドを押しのけてエミリアをかばうことが出来る。アレクシスは魔術も使えず戦力も無いが、彼の背後にはジーナとパーシヴァルがひかえている。

 仮にどちらかが情に負け、

『やっぱり家族にひどいことは出来ない。今まで通り王が国を治める、平和な国にもどしたい!』

 なんてことを言い出したが最後、オルドは手も足も出せなくなるのだ。

 それを危惧しているからこそ、オルドは警戒をかくすことなくあらわにし、そしてうそいつわりもしも許すまいとするどく見据えてくる。その鋭い視線を受け、モアネットは兜の中で小さく息をき……、

「私は……私の手で、エミリアを裁きます」

 そう、彼の瞳を見つめて返した。

 モアネットの返答を聞き、アレクシスがゆっくりと瞳を閉じて続く。

「僕は彼等を裁けない。……もしも父さんやローデルを生きて捕らえたら、その時はすべて叔父さんに任せるよ」

 片や己の手でけりをつけ、片や全てを叔父の手にたくす。りようきよくたんな二人の返答に、ジーナはあんを交えたようなしようかべてモアネットを見つめ、オルドはまゆひそめてかたすくめると共にアレクシスに視線をやった。

 これもまた両極端な反応ではないか。ただパーシヴァルだけは複雑な表情を浮かべ、物言いたげにモアネットとアレクシスの様子をこううかがっていた。





「良かった、モアネットはもう大丈夫ね。ちゃんと決心出来たみたい」

「アレクシスはだな、まだっ切れてねぇ」

 とは、モアネットとアレクシスが部屋を出ていった直後、話し終えて一段落といった空気でワインに口をつけたジーナとオルドの言葉である。──ちなみにモアネットはロバートソンのえさ探しに付き合い彼と共に外へと散歩にけ、アレクシスはコンチェッタにせがまれて浴室へと向かった──

 もちろん二人の言葉がさきほどの両極端な返事に対してなのは言うまでもない。

 モアネットは自らエミリアを裁くと告げ、対してアレクシスはそれが出来ないからオルドに託すと告げた。決意の度合いはモアネットの方が高く、アレクシスはまだ家族への情を捨てきれずにいる……と、そう考えてのことである。

 誰だって、あの時の二人の返答を聞けばそう判断するだろう。

 だがこれに対し、パーシヴァルだけが考えをめぐらせるように視線をらし、そしてポツリと、

「俺は、逆だと思います」

 と告げた。

 ジーナとオルドが不思議そうにパーシヴァルに視線をやる。

「逆って……アレクシスは自分で裁けないから俺に任せるって言ったんだぞ」

「はい」

「兄貴やローデルに対して情が残ってるんだろ。だから」

「……いえ、きっと、もう情も残っていないからこそ、オルド様に託すのかと思います」

 王位けいしようけんを失ったのだから王位争いには無関係だと、そして無関係だからこそ自ら裁くこともせず、かといって家族を救済する気も無い。きっとアレクシスはそう考えたのだろう。

 だからこそオルドに全てを託すと決めたのだ。

 なにせオルドは己が玉座に座るためならばじつけいくびをもこうとする男。生きて捕らえ必要とあらば生かし、不要とあらばすぐに処分する。そしてオルドが下すしよばつしよぐうは、きっと王族という温室で育ったアレクシスよりも非道なものに違いない。

 それをまえてのことならば、『自ら裁かず全てをオルドに託す』という彼の決断に情などいつさいあるわけが無い。

「なるほど。確かに俺に押し付けた方がやつらに救いは無いな。アレクシスのやつ、かんぺきに兄貴達を見限ったか……」

 パーシヴァルの話を聞き、オルドがなつとくすると共にクツクツと笑う。

 なんともうれしそうで、そして意地悪くゆがんだみではないか。きっとアレクシスの決断は彼が予想していた以上に彼好みだったのだろう。

 それに対して、先程まで安堵を浮かべていたジーナが表情をくもらせる。

 モアネットはエミリアやアイディラ家への未練をち切り、だからこそ魔女としてエミリアを裁こうと決めたはずでは……。そううつたえるジーナに、パーシヴァルが小さく首を横に振った。

「……モアネットじようが住んでいた古城に、一枚の絵がありました」

「絵?」

「はい。……エミリア嬢と幼いころえがいたという絵です」

 子供が描いた『キラキラしたおひめ様』の絵。線も真っすぐに引けず色もはみ出した、お世辞にも上手うまいとは言えないしろものだ。

 そんな絵を、モアネットはわざわざアイディラ家から古城に持ち込んだのだ。

 当時の彼女は王宮からも家族からもげるように住みを移したのだから、運べるものも僅かだったはず。いつしよに運んでくれる者がいたとも思えない。

 最低限の必要なものと、魔女と魔術に関する書物、それだけでいっぱいだったはずだ。だというのにその中に必要のない絵を入れ、かざるでもなく捨てるでもなく保管していた。

 見るたびに絵を描いた当時を思い出し、妹と共にいだいていた『キラキラしたお姫様』へのあこがれを思い出しただろう。そして全身よろいまとう今の己の姿をなげき、みじめさをつのらせていた。それどころか、アレクシスのあの言葉すらも思い出し胸を痛めていたに違いない。

 それでもモアネットは妹との思い出を手元に置き続けた。たった一枚の紙ならば破いて捨てることなど容易たやすいはずなのに、それが出来ずに居たのだ。

 これを未練と言わずに何と言う。

 そしてなにより、全てがエミリアの魔術のせいだと分かった今もなおモアネットは鎧を纏い、姿をさらせずにいる。

 全てを断ち切り身内の処分さえもオルドに託すと決めたアレクシスと違い、モアネットはまだかせとらわれている。

「……だからモアネット嬢は、自ら負うようにエミリア嬢を裁くと決めたのではないかと思います。同じアイディラ家の魔女として、そして姉として、彼女はまだ情を断てていない」

「なるほどな。吹っ切る必要があるのはモアネットの方だったか」

「そうね、ここで全て断ち切らせないと、あの子はずっと鎧の中から出られないわ」

 深刻な表情で話し終えるパーシヴァルに、オルドとジーナが顔を見合わせる。

 そうしてオルドが小さく「一度話をさせるか」とつぶやくのとほぼ同時に、室内にノックの音がひびいた。





「……何がどうなってるのか分からない」

 とは、ノックの後に部屋に戻ってきたアレクシス。

 さすがと言えるほど広い浴室でゆうに泳ぐコンチェッタを見守り、れた体をタオルで包みながら部屋に戻ってきた。……のだが、何故なぜかオルドのひざの上に座らされて今に至る。

 そのうえ、このやつかい叔父おじは先程からしきりにアレクシスの頭をでてくるのだ。これには思わずアレクシスも端整な顔を不快で歪め、声も低くうなり声に近い。

「叔父さん、何がしたいの」

「いやぁ、お前は俺が思ってる以上に成長した捻くれたなと思ってな。身内にこんなに情がいたのは俺の人生で初めてだ」

「……そりゃよかったね」

「なんだそっけない。昔みたいに『オルド叔父様』って呼んでくれても良いんだぞ。まぁお前が俺を呼んだ翌日に俺は王宮から追放されたけどな」

「やめろ、、放せ」

 けんあらわに、アレクシスが彼らしくない暴言をく。

 だがそんな暴言もオルドにとっては「良い子ちゃんで優等生だったアレクシスが!」と好意につながったのだろう、おっさんと呼ばれてもなお上機嫌である。それがまたアレクシスには不快でしかなく、彼のけんに寄ったしわがより深くなる。

 そんなアレクシスに対して、ほぼ時を同じくして部屋にもどってきたモアネットはと言えば……、

「モアネット嬢、俺は何があろうと貴女あなたのそばにいるからな」

 と、いつの間にかぼけてきしめてくるパーシヴァルと、

「ちょっと、私がモアネットを抱きしめていやすのよ! じよ殺しはさっさと寝なさいよ!」

 と、パーシヴァルを押しのけようとするジーナにはさまれてうんざりしていた。






 少人数で王宮に向かうならば、部隊を組み直す必要がある。

 そう話すオルドにだれもがうなずき、準備が整うまでの数日を彼のしきで過ごすことになった。

 モアネットはジーナを師に魔術の教えを受け、パーシヴァルとアレクシスはオルドと彼の達と共に作戦を練る。そうしてたがいのしんちよくかくにんがてら夕食を共に……という日々だ。

 決断の日を前にしているとはいえ、この旅が始まって以来ようやくの落ち着いた時間と言えるかもしれない。



 そんな僅かながらの長閑のどかな時間。

 モアネットは鎧を纏い、自室のソファーにこしけていた。向かいに座るジーナがうかがうようにこちらを見つめてくる。彼女を映す視界はだんのものとちがい、一部がさえぎられ全体的にも暗い。

 見えにくい……そうモアネットがかぶとの中でまゆひそめた。

 視界に映りこむ銀色は普段の色とは違い、手足を動かすたびに鳴る音にかんを覚える。それどころかみような息苦しさとへいそくかんすら感じてしまうのは、それほどまでにあの全身鎧に慣れてしまったからだろうか。

 それを思えばおのれへのあわれみが湧くが、今は嘆いている場合ではない。そう考えモアネットが目の前の鎧に手をばした。見慣れた、そして着慣れた全身鎧がそこにある。

 対して今モアネットが動かしているのは見慣れぬ手っこう。纏っているのは洗練されたデザインのれいみがかれた全身鎧。屋敷のろうに並べられているうちの一領である。

 普段とは違う不自由さの中でも意識を集中させれば、目の前の見慣れた全身鎧がギシリと動き出した。れてもいないのに鎧が動く、これはなんともおそろしい話ではないか。

「良いわモアネット、その調子。つらくはない?」

だいじようです。結構慣れてきました」

「物をあやつるのは熟練の魔女でも条件が合わないと出来ないことなの。それにひどく体力を使うでしょ。でもコツをつかめば多少は楽になるから」

 ジーナの説明を聞きつつ、モアネットが目の前の全身鎧に視線をやった。

 着慣れぬ鎧の中で命じれば、見慣れた鎧がギシギシと動く。ためしにとジーナの膝の上に乗っているコンチェッタを撫でるように命じれば、銀一色の指先がゆっくりと動きふかふかの毛を撫でた。人の動きとは言いがたいそのぎこちなさに違和感を覚えたのか、コンチェッタがスンスンと鉄の指先をぐ。

「指を動かせるなんて、ずいぶんと慣れてきたみたいね」

「ジーナさんのおかげです。ジーナさんが教えてくれなければ、こんなこと出来るなんて思いもしなかった」

 モアネットが兜の中で感謝の言葉を口にすれば、ジーナもまた微笑ほほえんで返してきた。「せんぱい魔女だもの」という彼女の言葉はどこかほこらしげだ。

 そんな中、コンコンと軽いノックの音が室内に響いた。

 モアネットが声を掛ければ、ゆっくりととびらが開かれる。

 姿を現したのはパーシヴァル。彼は部屋の中を見るやキョトンとあお色のひとみを丸くさせたが、室内にジーナと、そして鎧があればおどろくのも無理はない。

「……モアネットじよう?」

 二領の鎧をこうに見る彼の姿は間がけている。

 それがおもしろく、モアネットが兜の中でニヤリと口角を上げた。次いで「パーシヴァルさん、どうしました?」と声を掛ける。

 ……二領の鎧から。

 さらに二領同時にギシリと兜をかしげて見せれば、いよいよもってパーシヴァルの頭上にもんが飛びう。一領の鎧ならば見慣れたが、まさか増えるとは思ってもいなかったのだろう。そのうえ二領同時にしやべって動き出すのだから、彼の理解が追い付かないのも無理はない。

 それでも彼はおのれをからかうように動く二領の鎧をジッと見つめ……、

「こっちだ!」

 と、勢いよく一領を指差した。

 ていねいに磨かれた全身鎧。本来であれば廊下にかざられているはずの鎧である。

 だがその鎧はパーシヴァルに指差されたことで一度ギシリと動き「よく分かりましたね」とカシャンカシャンと鉄の手ではくしゆしだした。

 もちろん、こちらの鎧にモアネットが入っているからである。

すごいですね、パーシヴァルさん。どうして分かったんですか?」

「同じように動いても、わずかにこっちのよろいの方が動き出しが早かったからな」

「なるほど」

「それに、これはきっと愛のちか」

「さすがねパーシヴァル、やっぱり魔女殺しの力はあなどれないわ! ねぇモアネット、貴女もそう思うでしょ!」

 割って入るようにジーナが声をあげ、モアネットに抱き着く。

 そのしゆんかんにパーシヴァルがぐぬぬと唸ったような気がしたが、ジーナに撫でくりまわされてはモアネットも彼の様子を窺うことが出来ない。何かを言いかけていたような気もするが、それをたずねることも出来なそうだ。

「ねぇモアネット、さすが魔女殺しの力だと思わない?」

「魔女殺しの力というか、どちらかと言えば動体視力と観察眼じゃないですかね」

「確かにそうね。動体視力と観察眼、ほかの可能性はいつさい考えられないわ」

 ジーナの断言に、モアネットがそこまで言い切るものかと兜を傾げる。

 次いでパーシヴァルに視線をやれば、彼は一瞬だけ碧色の瞳を細めていたが、それでもこちらに近付くと空の鎧のとなりに腰掛けた。

「この鎧は通路に並んでいたものか」

「並んでいたものの中でも一番心地ごこちが良いのを選びました」

 じようだん交じりにモアネットが説明すれば、それを聞いたパーシヴァルが頷きつつ二領の全身鎧を交互に見やる。

 次いで彼は考えをめぐらせるかのように瞳を細め……、

「成長にともない、新しい鎧に……?」

 とつぶやいた。

「ヤドカリと同じ生態で考えないでください」

「分かってる、冗談だ。それでこの抜けがらはどうするんだ?」

だつでもありませんから!」

 モアネットがわめくようにうつたえれば、パーシヴァルがこれも冗談だと笑う。

 そうして改めるように「それで」と告げてくる表情は、十分にちやして楽しんだとでも言いたげではないか。モアネットが一度彼をにらみつけ、次いで目の前の全身鎧に視線をやった。

 普段まとっている鎧だ。意識を集中させて心の中で命じれば、ギシと反応してゆっくりと片手を上げる。

「魔術で鎧を動かしてるんです。短い時間ですが、操っている鎧の視界や聞こえてくる音も私に伝わってきます」

「驚いたな、じよっていうのはそんなことまで出来るのか」

「兜の中にロバートソンが入ってるんです。それでようやくってところですね。長い時間の操作は私の体力がもたないし、強いしようげきを受ければぐに解けてしまいます」

 まだ未熟だとモアネットが訴える。だがパーシヴァルは感心どころか感動したと言いたげな表情をかべ、隣に置かれた鎧をコンコンとノックした。

 それに対してモアネットが二領の鎧から「うるさい」と文句を発する。モアネットの耳には今鎧の中で聞いている音と、目の前の鎧の中にいるロバートソンを通じての音が二重に届いてくるのだ。

「鎧以外でも、ロバートソンが居れば他の物も動かせるのか?」

「いえ、この鎧だけ。むしろこの鎧だから動かせるんです」

 ねぇ、とモアネットがもう一領の全身鎧に話しかければ、ギシリと兜を頷かせて返してきた。一見すると鎧同士で意思のつうが出来ているように見えるが、実際にはモアネットが動かしているだけである。

 そもそも、この魔術はモアネットが長年鎧を纏い、そして今ロバートソンが中に入ってくれているからこそ使えている魔術だ。長年纏い続けていたことで鎧が魔術のいつたんにない、使い魔であるロバートソンが操るためのちゆうかいになっている。

 そしてジーナから効率的方法を教わり、ようやく保っているに過ぎない。

 それらが無ければ目の前の鎧はピクリともしなかっただろう。物を操るというのはそれほどまでに難しい魔術なのだ。

 もっとも、魔術を使えているからといって得意気になるゆうはない。二重の音声にうか、体力がきるか、強い衝撃を受けるか、どのみち長くは使えない魔術である。

 だけど、この中により強い魔術を込めればもう少し……。

 そう考え、モアネットが小さく息をいた。

 だが次の瞬間パーシヴァルに名を呼ばれ、はたとわれに返ってかぶとを上げて彼を見上げる。

「……モアネット嬢、どうした?」

 うかがうように声をけてくるパーシヴァルに、モアネットがギシリと磨かれた兜を傾げた。

 どうした、とはどういう意味か。パーシヴァルの瞳には茶化すような色はなく、それどころか心配しているかのようにさえ見える。

 そんな彼の瞳を見つめ、モアネットが「何か?」と尋ねた。

「どうしたって、何がですか?」

「いや、なんだか貴女あなたが辛そうに見えたから」

 だから心配になったとパーシヴァルがそつちよくに告げて案じてくる。それに対してモアネットは兜の中でキョトンと目を丸くさせた。

 辛そうとは自分の事か。だが変な話ではないか。辛そうも何も、纏っているのは物こそ変わったが全身鎧。当然だが顔もすべて鉄の兜でおおわれており、彼には何一つ見えないはず。

つらそうって、兜じゃ何も見えないじゃないですか」

「いや、そうなんだが……それでも何だか辛そうに見えたんだ」

 自分のことながら不思議に思っているのか、パーシヴァルの返答はずいぶんと歯切れが悪い。

 それでも碧色の瞳は真っすぐにモアネットを見つめてくる。兜をのぞき込み、その中を窺うように。まるで見つめ合っているようだ……と、そこまで考え、彼の瞳に驚きの色を見てモアネットが息をんだ。

 しまった、と己のかつさをやんであわてて顔をそむける。

 だん纏っている鎧はとくしゆな構造で目元をかくし、そのうえで魔術を掛けてだれにも覗けないようにしている。

 こちらからは見えるが向こうからは見えない。この鎧にも同じように魔術を掛けていた。

 だから安心しきっていた。

 この鎧でも誰にも目元は見られない、そう魔術を過信し油断しきっていたのだ。

 だがパーシヴァルは魔女殺し、魔女の魔術が効かないゆいいつの存在。もちろん、目元を隠すための魔術も例外ではない。

 つまり彼にとって今モアネットが纏っている鎧はただの鎧。そしてしきはくをつけるためだけに飾られていた鎧は、もちろんだが特殊なつくりなどしていない。

 兜を覗き込めば、当然だがすきからひとみが見える……。

「すまない……!」

 慌てて身を引き謝罪を口にするパーシヴァルの姿は、「見てしまった」と言っているようなものだ。

 それに対してモアネットは兜の中で視線を彷徨さまよわせ、「私も迂闊でした」とうわった声でフォローを入れた。

 不味まずい空気が流れる。

「……申し訳ない。少し、少しだけ見てしまった」

「そ、そうですか……。あの、出来れば何も言わずに……」

「あぁ、分かっている。でも、許されるなら一言だけ……。モアネットじようの瞳は、凄く……」

 パーシヴァルが何かを言いかける。だがすんでのところでその言葉はゆうな笑い声にき消されてしまった。このじようきよう、笑う余裕のある人物など一人しかいない。言わずもがなジーナである。

 彼女はパーシヴァルの言葉を搔き消すように笑い、次いでモアネットへと手をばすとぎゅうと強くきしめてきた。

「モアネット、こんな覗き魔の近くに居ちゃよぉ」

「の、覗き魔!? ジーナ嬢、覗き魔とは俺のことですか!?」

「そうよ、決まってるじゃない。魔女殺しの覗き魔よ。魔女の覗き見防止ですらも防げない、覗き魔の中の覗き魔よ」

 ジーナがようしやなく断言すれば、パーシヴァルが慌てて弁解する。それとほぼ同時にロバートソンがよろいからカサカサとい出てモアネットの兜に張り付くのは、きっとロバートソンも心配しているのだろう。そのうえコンチェッタまでもが鳴き出すのだから、さきほどまでの空気もどこへやら、いつしゆんにしてさわがしくなってしまった。

 ……だというのに、モアネットはしばらく落ち着きを取りもどせずにいた。

 どうはやがねを打つ。心音がれてしまいそうなほどに体の中でひびき、落ち着けと自分に言い聞かせても一向に落ち着かない。体の中が熱い。

 人に見られるのは苦手だった。

 視線を注がれていると思うだけで心臓がめ付けられ、向こうからは見えていないと分かっていても冷やあせが背を伝った。

 あつぱくかんきよう、そして見られているというだけでこれほどに苦しむおのれへのあわれみ。それらが体も意識も全てをめていたのだ。

 だけど不思議と、今胸を占める感覚はそういった不快感とはちがう。鼓動は速まっているが、以前のような不快感もしようそうかんもない。

 そんなことを考えつつ、覗き魔のらくいんを押されかけ必死に弁解するパーシヴァルの横顔を見つめた。





 休息の時間がおだやかであればあるほど、あっという間に過ぎてしまう。

 そうしてむかえた前夜、モアネットは屋敷の庭園で一人夜空をながめていた。

 屋敷の明かりがほどよく届き、それでいて屋敷内からも外からもどこかかくされた空気が流れる。落ち着くには最適の場所だ。そのうえこの一角は庭園の中でも随分と入り組んだところにあり、用も無く立ち寄る者はそう居ないのだという。

 夜間でも人の行き来が絶えないこの屋敷において、これほどまで静かに一人でいられる場所はほかに無い。

 そうオルドが教えてくれた。その時の彼の「考え事には最適な場所だ」という落ち着きはらった声を思い出す。いったい何を考えろというのか……聞くまでも無い。

 そんな場所で一人夜風にかれていると、

「モアネット嬢?」

 と名を呼ばれた。はたと我に返り、聞こえてきた声を追うように周囲を見回す。

 声の主は、二階のテラスから身を乗り出してこちらを見下ろすパーシヴァル。彼はモアネットが自分を見つけたことに気付き、軽く手をり……次いでわざとらしい素振りで躊躇ためらうように首をかしげた。

「……待てよ、もしかしたら鎧が勝手に動いてるだけかもしれない。中にはちゃんとモアネット嬢が入ってるのか?」

「入ってますよ。失礼ですね」

 ちやすようなパーシヴァルの言葉に、モアネットが不満をあらわにそっぽを向いた。

 その反応もまたおもしろかったのか、頭上からパーシヴァルがクツクツとみをみ殺す音が聞こえてくる。きっとさぞや楽しげな表情をしていることだろう。

「モアネット嬢、そっちに行っても?」

「どうぞご自由に。でも結構入り組んだ場所だから、辿たどり着くのは……」

 大変ですよ、と言いかけてモアネットが言葉を飲み込んだ。

 ザァと吹きけた風と共に視界にかげが掛かる。何かが背後に現れたのだ。慌てて兜を上げれば、夜のやみを背景にれる金のかみが映った。

 パーシヴァルの体が夜空を横切り、こちらに向かってくる。その身軽さは『降りる』というより『飛ぶ』に近い。

 そうして彼はモアネットの近くに降り立つと、軽く一息いて平然と上着を正した。その身のこなしは軽々といったもので、体を痛めた様子もなければ汗一つ搔いていない。

 とうてい建物一階分の高さを飛び降りたとは思えない。階段を一段下りた、その程度とでも言いたげなのだ。

 その様子にれるようにぜんとしていたモアネットだが、はたとわれに返ると、

「あ……危ないですよ!」

 と彼をとがめた。

「そうか? これぐらいの高さならどうってことないだろ」

明日あしたを前にをしたらどうするんですか。どんな大怪我したって、骨を折ったって引きって連れていきますからね!」

 そうモアネットがわめけば、分が悪いと感じたのかパーシヴァルが慌ててなだめ始めた。

 次いで分かりやすく「ところで」と話を変えてくる。喚くモアネットをさえぎるためのコホンというせきばらいのなんと白々しいことか。

「ところで、その……モアネット嬢はこんなところで何をしてたんだ?」

「私は月光浴です。、もちろん高いところから飛び降りるなんて無茶はせず」

「そ、そうか。安全が一番だな」

 モアネットの言葉から圧力でも感じたのだろう、パーシヴァルがかわいた笑いをかべる。

 そうして彼はゆっくりと息をき、改めるように「明日だもんな」とつぶやいた。その声は低く、先程まで浮かべていた笑みも消えてきんちようの色さえ見せる。モアネットもまた表情をなものに変え、キシとかぶとを揺らしてうなずいた。

 明日だ。

 明日、オルドの指揮のもと王宮へと向かう。

 早朝の日ものぼりきらぬうちをねらうのは、エミリアが朝が苦手だからだ。

 幼いころ、何度忠告してもエミリアのかしは直らなかった。おまじないだのおいのりだのとなかなかベッドに入らず、翌朝大きな欠伸あくびをしてねむたそうに目をこすっていたのだ。ぼけながらたくをするエミリアを見守り、け間違えたボタンを直してやるのはモアネットの役割だった。

 温かでかがやかしい思い出、それも今となってはモアネットの胸を締め付ける。

 だがそんな思い出に胸を痛めるのも今夜で最後だ。

 明日すべてが終わる。いや、終わらせる。

 そう考えてモアネットが深く息を吐き、次いでうかがうようにパーシヴァルを見上げた。

「パーシヴァルさんは、全て終わったらどうします?」

「レンガに似たものでなぐられる日々を過ごす」

「……そうでしたね」

 相変わらずな彼の返答に、モアネットが鎧の中でかたすくめた。

 この場においても『レンガに似たもの』なんて話をしてくるのだ、なんて緊張感の無い人だろうか、そうモアネットがあきれるようにためいきを吐きかけ……そして息をんだ。

 パーシヴァルのひとみが細められ、まるでいとしむかのようにジッとこちらを見つめている。その瞳はすずやかなあお色に反して情熱的で、モアネットがわずかに身じろいだ。

 それでも視線はうばわれたまま、彼から目がはなせない。

 だんなら他者に見つめられれば恐怖に似たあせりがき、鼓動が速まり冷や汗が伝う。相手からは見えないと分かっていてもげるように兜の中で視線をらしていた。

 だというのに、どうしてか今夜は寒気も恐怖も湧かず、それどころか不思議と胸の奥が熱くなっていく……。

「……パーシヴァルさん」

「毎日、レンガに似たもので殴られるんだ」

「そ、そうですね……」

「それなら、毎日モアネットじように会えるだろ」

 そう告げてくるパーシヴァルはやわらかくはにかんでおり、声もうれしそうな色合いをかくしきれていない。そんな彼の言葉と笑顔にてられ、モアネットがあわてて兜をそむけた。

「ま、毎日なんて……じよいそがしいんですよ! パーシヴァルさんはえんかく操作したレンガに似たもので殴ります!」

「確かにあの魔術なら出来そうだ。それでだな、モアネット嬢……」

 これを……と何やらたんに歯切れが悪くなり、パーシヴァルが小さな箱を差し出してきた。

 彼の片手に収まってしまうほどの小さな箱。中にいったい何が入っているのか、それでも箱のつくりがずいぶんとしっかりしているあたり大事なものが入っているのだろう。ちょこんと赤いリボンがかざられており、小さいながらもはなやかさを感じさせる。

 それを差し出され、モアネットが小箱とパーシヴァルをこうに見やった。

「これは?」

「……レンガに似たものだ」

「レンガに似たもの!? まさか本当にあるんですか!」

 モアネットが慌てて小箱に視線をやる。

 まさか本当に『レンガに似たもの』を用意するなんて思わなかった、むしろ存在していたなんて……。そんなモアネットの反応に、対してパーシヴァルはどこか落ち着きがない。「あの」だの「その」だのとしどろもどろに呟き、ついには片手で雑に頭をいた。

 モアネットが中をたずねても答えず、ただ受け取るようにうながしてくる。

 自分で開けてかくにんしろということなのだろうか? これにはモアネットも兜を傾げつつ、促されるままに小箱を受け取った。

 赤いリボンがふわりと揺れる。片手に収まる小ささで手にすると意外に軽く『レンガに似たもの』が入っているとは到底思えない。

 もちろん、レンガそのものが入っているとも思えない。──もしも『レンガに似たもの』どころかレンガそのものが入っていたら、その場ですぐに殴ってやる……そうモアネットがじようだんめかして告げるも、パーシヴァルはしどろもどろに的を射ない言葉を返すだけだ──

 だが小箱をながめても重さを量っても中を知ることは出来ず、ならばとモアネットがリボンを解いてそっと箱のふたを開け……、

「これって……」

 と、小さく呟いた。

 箱の中にちょこんと収まるのは一輪の花。生花ではない、だがその細かな細工は生花にも負けぬ美しさと気高さをまとっている。

 銀色の花びらにはあわい色合いの石がちりばめられ、月の光を受けて輝く様のなんとりよく的なことか。モアネットがそっと箱から取り出せば軽い揺れでまた光の色合いが変わり、より一層輝きだしたように感じられる。

 見惚れてしまいそうな細かな細工。まるで本物の花のように軽く、髪に飾ってもあるじの負担にはならないだろう。

 この花を覚えている。

 国境の街で見かけ、そして自分には似合わないとあきらめた……あの時の髪飾りだ。

「パーシヴァルさん、これ……」

「……レンガに似てるだろ」

 ふいとパーシヴァルがそっぽを向く。

 それに対してモアネットは兜の中で目を丸くさせ、おのれの手の中にあるかみかざりに視線をやった。

 もちろんレンガになど似ていない。だというのに彼は念を押すように「レンガに似ている」と言い張ってくる。半ばごういんなその口調は、まるでモアネットの反論を許すまいとしているかのようだ。

 思わずモアネットがどうしたものかとこんわくの色を浮かべれば、兜しでもそれをさとったのかパーシヴァルがコホンと咳払いをした。ふわりと夜風が彼の金の髪をらす。その際にのぞいた耳は赤く、見れば彼のほおも夜の暗さの中でも分かるほどに赤く染まっている。

「それが『レンガに似たもの』だ。だから……」

「だから?」

「……だから、全てが終わったら俺を殴るためにそれを受け取ってくれ」

 そう告げてくるパーシヴァルの声はうわっており、彼がどれだけ緊張しているのかが分かる。

 だが生憎あいにくと今のモアネットにはそれを冷静に察するゆうも、ましてやちやす余裕もない。なにせ碧色の瞳がジッと自分をとらえている。その視線は熱く、兜を越えて『よろいの中にいるモアネット』の胸に直接届きかねないほどだ。

 しんけんで、熱っぽく、そして彼の余裕の無さがモアネットの胸をめ付ける。

 自分の余裕もけずられていく。

 頰が熱く、どうが痛いくらいにはやがねを打つ。

 気をけば心ごとけてしまいそうだ。

 今まで一人古城で暮らしていたモアネットは胸に湧くこの感情の名を知らず、それでも手の中の花へと視線を落とした。

 自分には似合わないと諦めた髪飾り。

 銀一色の兜に着けたところで可愛かわいさなど無く、かといって兜の中で着けたところでだれの目にも映らない。どちらにせよ宝の持ちぐされだ、そう考えて手放した。

 だけど、とモアネットの中で今まで考えもしなかったせんたくかぶ。

 兜をかぶらずに、己を隠さずに、この髪飾りを髪にせたら……。

 そんな事を考えモアネットが手の中の花を見つめ、次いではたと視線に気付いて顔を上げた。パーシヴァルが様子を窺うようにこちらを見つめている。

 照れくさそうに、それでいてどこか不安げな表情が「受け取ってくれるだろうか?」と返事を求めているように見えてならない。普段の表情とも、先程のはにかんだがおともちがい、見ていると不思議と彼を可愛らしいと思えてくる。

 思わずモアネットが兜の中で小さく笑みをこぼし、次いで髪飾りを箱にもどした。傷つかないようにそっと中に入れ、ゆっくりと蓋を閉めてリボンを巻き直す。

「そうですね、言われてみれば確かにレンガに似てるかもしれません」

「そうか……あぁ、そうだよな。似てるだろ」

「仕方ないから、全てが終わったらこれで毎日パーシヴァルさんをなぐってあげます」

 そうモアネットが答えれば、パーシヴァルが嬉しそうに笑ってうなずいた。





※カクヨム連載版はここまでです。お読みいただきありがとうございました。

続きは本編でお楽しみください。

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重装令嬢モアネット 鎧から抜け出した花嫁/さき 角川ビーンズ文庫 @beans

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