2章_2
カチャンと
少しくらい気持ちの整理をさせてくれても……と、そんなことを考えていると、アレクシスの膝の上にノソリとコンチェッタが乗ってきた。
どうしたのかと名を呼べば、コンチェッタがアレクシスの肩に前足を置いてグイと顔を寄せてくる。パンを
「コンチェッタ、どうしたの? パンが食べたいなら今準備するから」
ちょっと待ってて、とアレクシスがコンチェッタを制止しようとする。だがそれを聞いてもコンチェッタは引くことなく、それどころか
パンが目的でないのなら、いったい何をしたいのか。そう問おうとした瞬間、コンチェッタがベロリと
ザラリとした
「コンチェッタ……」
どうしたのかと、そう問いかけたアレクシスの言葉が
まるでコンチェッタのザラリとした舌が、張り詰めていた糸を切ってしまったかのようではないか。必死に保っていた
誰かに
自分は何を仕出かしてしまったのか、呪われるほどに誰かに恨まれているのかと
だというのに何もなかった。誰にも恨まれていなかった。
それでも自分は呪われ、
こんな
これならいっそ、誰かの恨みを買って呪われていたほうがまだ感情の向かう先がある。
そう
泣きじゃくる姿に
「ジーナ、僕はっ……なんのためにこんな……どうすれば……」
「安心なさい、アレクシス。
そう
それを横目で
「
と告げた。
ジーナの穏やかな低い声も、コンチェッタの
モアネットがメイドに通された客室は、この
大きなベッド、立派な調度品、
だが今は広い部屋に通されても何一つ感情は
テーブルの上にはモアネットとジーナの荷物がまとめて置かれている。屋敷の者達は馬車から運び入れた荷をどう分けていいのか分からず、ひとまず男・女と分けて部屋に運んだという。
「私とジーナさんの荷物、分けなきゃ……」
そうモアネットがポツリと
もっとも、分けなければならないと分かっていても気持ちを切り
そんな中、コンコンと軽いノックの音が室内に
ギシリと
意識も心も体も何もかもちぐはぐで、
それでも何とか扉へと向かい、ゆっくりと開ける。
「……パーシヴァルさん」
そこに居たのは別室に案内されたはずのパーシヴァルの姿。
まだ
「モアネット
「手当て……?」
「あぁ、王宮で魔術を使うときに手を傷つけただろ」
それを、と話すパーシヴァルに、モアネットが
確かに、王宮で魔術を使うために深く手を傷つけた。あの後は落ち着く
おかげでいまだにジワジワと痛みが響いている。もっとも、今はもう手の痛みなど気にかけるものではない。それ以上に胸が痛む。
だがそんなことを言えるわけがなく、モアネットは彼に礼を告げて救急用具の入った箱を受け取ろうとし、なかなか
「パーシヴァルさん、どうしたんですか?」
「俺が手当てをしたい。……
「駄目です」
「
「だって手当てをするなら、手っ甲を外さなきゃいけないじゃないですか」
呟くようにモアネットが視線を
いくら手だけとはいえ
だがそんなモアネットに対し、パーシヴァルは僅かに瞳を細め、次いでそっとモアネットの手っ甲に
女性の手を
それでも彼は碧色の瞳を細めて手っ甲を見つめ、鉄の指先を軽く
「部屋を暗くするし、極力見ないようにする」
「でも……」
「『
パーシヴァルの声は宥めるように深い。まるで鉄を
ジワジワと
そんな手っ甲を見つめ、モアネットが
「部屋も暗くして……外すのは手っ甲だけです……」
「あぁ、それで良い」
許可を得たからかパーシヴァルの声に僅かに
そうして彼を室内へと案内し、向かい合うように椅子に
……手っ甲のまま。
ちょこんと彼の手の上に乗せれば、「モアネット嬢」という一言と共にコンコンと指先で鉄の手を
「……わ、分かってますよ。でも心の準備が必要なんです」
「それなら待ってる」
そう告げてくるパーシヴァルの言葉に、モアネットが手っ甲を己の
鉄と鉄が触れるカチンという高い音は普段から聞いているはずなのに、今だけは心臓まで響いて
それでもそっと手っ甲を引けば、
顔でもない、体でもない、手だけだ。それなのに
「醜い」というかつてのアレクシスの言葉が
自分の手が、銀色ではない肌色の手が視界に映る。
……あぁ、マニキュアが
そんな
心音が体中を
その動きは緩慢と言えるほどに遅く、それどころか時には止まり、小刻みに
その手に、大きく男らしい彼の手に、モアネットの手がそっと触れた。
緊張と、手を晒すだけでこれほどに緊張する己への憐れみと、行き場の無いやるせなさが
「……あの、マニキュアが……剝がれて……」
「マニキュア?」
「いつもは、もっと
緊張のあまり何を話すべきか見失い、必要のないマニキュアの話をしてしまう。それも、
それでも何か話さずには居られないのは、こちらから話題を振らなければ彼の口から「醜い」という言葉が出かねないと恐れているからだ。モアネットの中で己への憐れみが増す。
そんなモアネットの胸の内を察してか、パーシヴァルが
「……ほ、本当ですか」
「あぁ、本当だ。
「そ、それなら良かった……」
パーシヴァルの言葉に、モアネットが兜の中で安堵の息を漏らす。
そうしてモアネットが落ち着きを取り戻すのを見ると、パーシヴァルが
あれこれと必要な用具を選び出し、手早く準備をしていく。
それどころか「
「そ、そんなこと言って……パーシヴァルさんに魔術を使っても、き、効かないじゃないですか……」
「あぁ、そうだった。それなら
「そんなことしたら、レンガで
パーシヴァルの冗談に、モアネットが上擦った声ながらに返す。
包帯を締め付ける等と、なんて
言葉に反してその動きの、そして支えるように触れる手のなんと
まるで一級の細工品を扱うかのような彼の触れ方が
包まれているような感覚を覚えるのは、パーシヴァルの手が大きいからか。触れあった肌からほんの少し高い体温が伝わってくる。
……あぁそうだ、
そんなことを思い出す。
それと同時に
モアネットにとって、人の肌の
そうして手当てが終わり、パーシヴァルの手がそっと
丁寧に巻かれた包帯を
「夜になったら包帯を
「……はい」
ギシと兜を頷かせて返せば、パーシヴァルもまた頷き……次いで深く
僅かに彼の瞳が
「全て魔女の呪いか」
「……はい。全て、です」
「そうか」
どこまでかは口にしないパーシヴァルに、モアネットもまた明確なことは告げずに答えた。
全てがエミリアの、彼女の願いを
アレクシスの不運の呪いも、モアネットが古城に
そして、全身鎧を纏うようになったことも。
あの日の、アレクシスの言葉さえも……。
『お前みたいな
そうかつて聞いた、そして今日に至るまでモアネットを全身鎧に閉じ込めた言葉が
あれも全て魔術によるもの。
エミリアが『キラキラしたお
ならばこの全身鎧を纏った重装
そうモアネットが
鉄の指と手っ甲が
それを見つめていたモアネットが兜の中で
兜を上げて彼を見れば、
「全てが魔女の
「パーシヴァルさん、でも……私が
パーシヴァルがモアネットに
だがその『古城での平穏な暮らし』は、エミリアの魔術による飼い殺しと分かった。つまりパーシヴァルは巻き込んだどころか、実際にはモアネットを救い出したのだ。
彼がモアネットに呪われる理由は無くなった。むしろモアネットは感謝する立場にある。それを話せば、パーシヴァルが
「それでも俺の気持ちは変わらない。俺を呪ってくれ」
「そもそも、
「それじゃレンガに似たもので殴ってくれ」
「レンガに似たものって……」
いったい何で殴れというのか、そうモアネットが兜の中で
だがそれに対してパーシヴァルは返事も説明もすることなく、おもむろに身を寄せ、
「……パーシヴァルさん?」
「モアネット嬢、あ、貴女は……その、良い魔女だ」
「……え?」
「
しどろもどろなパーシヴァルの言葉を聞き、モアネットは彼の腕の中で身を
真っ赤な
まるで
「モアネット嬢、俺は今寝ぼけてる」
「……パーシヴァルさん」
「これは『寝ぼけた俺の
だから、どうしろと言うのか。
その一言を告げられたら、今この瞬間まで必死になって
人前で
「パーシヴァルさん、放して……」
「俺は寝ぼけてるんだ。十五分待ってくれ」
「そんな、本当は寝ぼけてなんか……」
「泣かないでくれなんて言わない。だけど一人で鎧の中では泣かないでくれ。モアネット嬢、どうか今泣いてくれ。寝ぼけた俺は、
そう
その言葉は胸の中で
あぁ、
そして、長く、それこそ全てが始まったあの日から、誰にも言えず己の中だけで
「
と。
その声は
だがきつく抱きしめるパーシヴァルには届いたのだろう。彼の腕に力が入るのが分かった。
それでも、鎧の中では抱きしめられる感覚は伝わってこない。彼の腕の力強さも、背を撫でてくれる手の動きも、熱も、何もかも、鉄
それがまた辛く、そして辛いと思っても鎧を
どうしてこんな事になってしまったのか。
どうすれば良かったのか。
パーシヴァルにしがみつき涙ながらに訴え、最後にモアネットが
「……私だって」
……と。
その後に続く言葉は酷く掠れ、それでも聞き取ったパーシヴァルが小さく「そうだな」と呟いて返す。
鉄の手っ
当然だが、モアネットは好きで全身鎧を
アレクシスに醜いと
『醜い』という言葉は顔だけに限らない。顔も、体も、肌も、
だからこそ全身を、体つきも動きさえも分からないように
自分だって……という本音。どうして自分だけが……という誰にも打ち明けられない
『キラキラしたお
可愛い服を着て、
今だって、市街地で華やかな服を見ると足を止めてしまう。綺麗に
だけどこんな鉄の鎧を飾って何になる。
そう自分に言い聞かせ、羨ましいという思いをひた隠しにして耐えてきた。
古城の中で可愛らしい部屋着を纏い、手っ甲で覆う指先に華やかな色を
だがそんな
それを思えば、更に涙が溢れてモアネットが呻くように泣いた。
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