2章_2



 カチャンととびらが閉まり静まった空気の中、アレクシスはぼんやりと二人の去っていった扉を見つめていた。対してオルドとジーナは見送ることもせず、のんびりとワインを飲んでいる。先程の重苦しい空気もいんも何一つ感じさせない、なんとも彼等らしい態度だ。

 少しくらい気持ちの整理をさせてくれても……と、そんなことを考えていると、アレクシスの膝の上にノソリとコンチェッタが乗ってきた。

 どうしたのかと名を呼べば、コンチェッタがアレクシスの肩に前足を置いてグイと顔を寄せてくる。パンをかじる時の体勢だ。だが今は当然だがパンをくわえていない。

「コンチェッタ、どうしたの? パンが食べたいなら今準備するから」

 ちょっと待ってて、とアレクシスがコンチェッタを制止しようとする。だがそれを聞いてもコンチェッタは引くことなく、それどころかさらに顔を寄せてきた。

 パンが目的でないのなら、いったい何をしたいのか。そう問おうとした瞬間、コンチェッタがベロリとじりめてきた。

 ザラリとしたねこ独特の舌のかんしよくに、アレクシスが深い茶色の瞳を丸くさせる。

「コンチェッタ……」

 どうしたのかと、そう問いかけたアレクシスの言葉がまる。声が出ない、まるで声の代わりのようになみだあふれて頰を伝い、息を吸い込もうとしたのどふるえる。

 まるでコンチェッタのザラリとした舌が、張り詰めていた糸を切ってしまったかのようではないか。必死に保っていたきよせいが解かれれば、もう再び取り繕うことは出来ない。涙が止まらず、せめてと雑にぬぐっても溢れて頰を伝い落ちる。

 誰かにうらまれているのなら理由を知りたいと、許されなくても謝りたいと、そう思って王宮を出て旅を続けていた。

 自分は何を仕出かしてしまったのか、呪われるほどに誰かに恨まれているのかときよういだいていた。

 だというのに何もなかった。誰にも恨まれていなかった。

 それでも自分は呪われ、しんらいも居場所も家族も全てを失ったのだ。

 こんなひどい話があるものか。

 これならいっそ、誰かの恨みを買って呪われていたほうがまだ感情の向かう先がある。

 そううつたえるアレクシスの声は震え、だいえつが混ざる。

 泣きじゃくる姿にだんの彼らしいしさはなく、ジーナが取り出したハンカチを彼の震える手ににぎらせた。だが今のアレクシスには溢れる涙を拭う余裕もないのだろう、ハンカチをただ強く握りしめるだけだ。

「ジーナ、僕はっ……なんのためにこんな……どうすれば……」

「安心なさい、アレクシス。じよは気まぐれだけど、一度抱いた気まぐれはしようがい大事にするの。最後まで付き合うわ。たとえば、貴方あなたが世界をぎゆうるって言いだしてもね」

 そうおだやかなこわいろで話しながら、ジーナがそっとアレクシスの頭に手を置いた。細い指で宥めるように頭を撫で、時にかみすくう。コンチェッタもアレクシスの膝の上で、ハンカチを握りしめ震える手に額を押し付けている。

 それを横目でながめていたオルドが小さく息を吐き、

パーシヴァル《下》とアネッ《婚約》ト《者》の前で泣かなかったことは褒めてやる」

 と告げた。ずいぶんと素っ気ない声色と口調だが、それがこの男なりのひねくれたなぐさめであるのはアレクシスならば言われずとも分かるだろう。

 ジーナの穏やかな低い声も、コンチェッタのやわらかな感触も、オルドの素っ気ないながらもづかう声も、今はただアレクシスの視界をらめかせ涙を溢れさせた。





 モアネットがメイドに通された客室は、このしきの規模に見合ったごうなものだった。

 大きなベッド、立派な調度品、かざられている絵画、どれもが一目で高価と分かる。これが一人一部屋割りられているのだから、平時であればモアネットはこの豪華さを前にかんたんいきらしただろう。もしかしたら興奮してベッドの上でねていたかもしれない。

 だが今は広い部屋に通されても何一つ感情はかず、ぼんやりと部屋の中を見回すだけだ。

 テーブルの上にはモアネットとジーナの荷物がまとめて置かれている。屋敷の者達は馬車から運び入れた荷をどう分けていいのか分からず、ひとまず男・女と分けて部屋に運んだという。

「私とジーナさんの荷物、分けなきゃ……」

 そうモアネットがポツリとつぶやき、テーブルの上の荷物へと手を伸ばした。

 もっとも、分けなければならないと分かっていても気持ちを切りえられるわけがない。上の空で荷物を眺め、かんまんな動きで分けていく。

 そんな中、コンコンと軽いノックの音が室内にひびいた。

 ギシリとかぶとを上げ、かばんに向けていた視線を扉に向ける。ゆっくりとから立ち上がり扉へと向かう自分の動きは酷くおそく、まるで心を置き去りにして体だけ動いているようではないか。

 意識も心も体も何もかもちぐはぐで、よろいいだら全てがバラバラになってくずれ落ちてしまいそうだ。

 それでも何とか扉へと向かい、ゆっくりと開ける。

「……パーシヴァルさん」

 そこに居たのは別室に案内されたはずのパーシヴァルの姿。

 まださきほどの話を引きずっているのだろう、表情はどこかかたいが、それでも彼は穏やかなみを取りつくろい、片手に持っていた箱を軽く揺らして見せた。白一色の箱には『救急用具』の文字。

「モアネットじよう、手当てをさせてくれ」

「手当て……?」

「あぁ、王宮で魔術を使うときに手を傷つけただろ」

 それを、と話すパーシヴァルに、モアネットがおのれの手っこうに視線をやった。

 確かに、王宮で魔術を使うために深く手を傷つけた。あの後は落ち着くひまがなく応急処置しかしていない。それも、軽く拭ってハンカチで巻いて……という雑にも程がある処置だ。

 おかげでいまだにジワジワと痛みが響いている。もっとも、今はもう手の痛みなど気にかけるものではない。それ以上に胸が痛む。

 だがそんなことを言えるわけがなく、モアネットは彼に礼を告げて救急用具の入った箱を受け取ろうとし、なかなかわたしてこないことにギシと兜をかしげた。

「パーシヴァルさん、どうしたんですか?」

「俺が手当てをしたい。……か?」

「駄目です」

そくとうだな」

「だって手当てをするなら、手っ甲を外さなきゃいけないじゃないですか」

 呟くようにモアネットが視線をらす。

 いくら手だけとはいえはださらすことがこわい。すべてが魔女ののろいと知った今でさえこれなのだ。己にあわれみさえ抱いてしまう。

 だがそんなモアネットに対し、パーシヴァルは僅かに瞳を細め、次いでそっとモアネットの手っ甲にれてきた。

 女性の手をあつかうかのようにていねいすくい上げる。まるでさそうような動きだが、彼の手に収まるのは令嬢の白い手ではなく鉄の手だ。柔く握られたところで中にいるモアネットには届かない。

 それでも彼は碧色の瞳を細めて手っ甲を見つめ、鉄の指先を軽くでてきた。

「部屋を暗くするし、極力見ないようにする」

「でも……」

「『みにくい』なんて思わない、約束する」

 パーシヴァルの声は宥めるように深い。まるで鉄をけて耳元でささやかれているかのような感覚に、モアネットが己の手元に視線を落とした。

 ジワジワとにじむような痛みを訴えているのは手っ甲の中の手だ。鉄しでは傷の深さも分からず、パーシヴァルがいくら手っ甲を握ってきても肌の感触も熱もなにも伝わってこない。

 そんな手っ甲を見つめ、モアネットがわずかに迷い……小さく一度うなずいた。

「部屋も暗くして……外すのは手っ甲だけです……」

「あぁ、それで良い」

 許可を得たからかパーシヴァルの声に僅かにあんの色が混ざる。どこか嬉しそうで、モアネットがそんな彼を見て兜の中でしようかべた。たかが手当て、それも晒すのは手だけ。それだけでここまで喜ぶ彼を見ていると胸の痛みがやわらいでいく。

 そうして彼を室内へと案内し、向かい合うように椅子にこしける。さっそくと片手を差し出してくるパーシヴァルにうながされ、モアネットが手をばした。

 ……手っ甲のまま。

 ちょこんと彼の手の上に乗せれば、「モアネット嬢」という一言と共にコンコンと指先で鉄の手をたたかれた。

「……わ、分かってますよ。でも心の準備が必要なんです」

「それなら待ってる」

 そう告げてくるパーシヴァルの言葉に、モアネットが手っ甲を己のむなもとへともどした。

 鉄と鉄が触れるカチンという高い音は普段から聞いているはずなのに、今だけは心臓まで響いてどうを速めていく。落ち着かない、落ち着けるわけがない。

 それでもそっと手っ甲を引けば、すきから肌色がのぞいた。

 顔でもない、体でもない、手だけだ。それなのにきようとさえいえるきんちようが湧き上がり体中を支配していく。冷やあせが鎧の中の背中を伝い呼吸が浅くなり、このまま手っ甲をめ直してしまいたいしようどうられる。

「醜い」というかつてのアレクシスの言葉がのうぎる。だがあの言葉も……と、そうモアネットが己に言い聞かせ、ゆっくりと手っ甲を外した。

 自分の手が、銀色ではない肌色の手が視界に映る。

 ……あぁ、マニキュアががれている。

 そんなちがいなことを考えてしまうのは、緊張のあまりだろうか。

 心音が体中をめぐるように木霊こだまする中、それでもモアネットが己の手を、手っ甲に包まれていない己の手をおそる恐るパーシヴァルへと伸ばした。

 その動きは緩慢と言えるほどに遅く、それどころか時には止まり、小刻みにふるえる。待つ側にとっていらちを覚えかねない遅さだ。それでもパーシヴァルはかすことも無理に手を取ることもなく、先程と変わらず片手を差し出して待ってくれている。

 その手に、大きく男らしい彼の手に、モアネットの手がそっと触れた。

 緊張と、手を晒すだけでこれほどに緊張する己への憐れみと、行き場の無いやるせなさがい交ぜになる。

「……あの、マニキュアが……剝がれて……」

「マニキュア?」

「いつもは、もっとれいに……いえ、今そんな話をしてる場合じゃないんですが……」

 緊張のあまり何を話すべきか見失い、必要のないマニキュアの話をしてしまう。それも、だんはもっと綺麗にっている等と、今パーシヴァルに話す事ではない。そもそも、手当てをしてもらうのにおしやべりは不要だ。

 それでも何か話さずには居られないのは、こちらから話題を振らなければ彼の口から「醜い」という言葉が出かねないと恐れているからだ。モアネットの中で己への憐れみが増す。

 そんなモアネットの胸の内を察してか、パーシヴァルがおだやかに笑い「暗くて見えない」と告げてきた。

「……ほ、本当ですか」

「あぁ、本当だ。貴女あなたの手も、つめも、俺には何も見えない」

「そ、それなら良かった……」

 パーシヴァルの言葉に、モアネットが兜の中で安堵の息を漏らす。

 そうしてモアネットが落ち着きを取り戻すのを見ると、パーシヴァルがかたわらに置いていた救急用具に手を伸ばした。

 あれこれと必要な用具を選び出し、手早く準備をしていく。として応急処置を学んでいたのか、その動きに迷いは無く、暗くても不自由はなさそうだ。

 それどころか「みたからってじゆつを発動させないでくれよ」とじようだんめかして言ってくる。もちろん、モアネットを落ち着かせるためなのは言うまでもない。

「そ、そんなこと言って……パーシヴァルさんに魔術を使っても、き、効かないじゃないですか……」

「あぁ、そうだった。それならえんりよなく包帯をめ付けられるな」

「そんなことしたら、レンガでなぐってやる……」

 パーシヴァルの冗談に、モアネットが上擦った声ながらに返す。

 包帯を締め付ける等と、なんてひどい手当てだろうか。だけど……とモアネットが己の手に視線をやった。彼の手が器用に傷を手当てしていく。

 言葉に反してその動きの、そして支えるように触れる手のなんとやさしいことか……。

 まるで一級の細工品を扱うかのような彼の触れ方がくすぐったく、モアネットがかぶとの中で瞳を細めた。

 包まれているような感覚を覚えるのは、パーシヴァルの手が大きいからか。触れあった肌からほんの少し高い体温が伝わってくる。

 ……あぁそうだ、だれかに触れるって温かかったんだ。

 そんなことを思い出す。

 それと同時にくのは、そんなことすら忘れてしまった自分への憐れみ。あの日から人前に出ることを恐れ、おのれの姿をかくし、果てには全身よろいまとった。人目に姿を晒すことなく生きてきたのだから、当然誰かと触れあうこともなかった。

 モアネットにとって、人の肌のかんしよくも温かさも遠い過去の思い出でしかない。みがあるのは冷たくかたい鉄の感触だけ……。

 ぎやくにすらしようできないいきどおりが胸の内でうずき、モアネットがこらえきれず瞳を閉じた。兜をかぶっていて良かった、そう今の己の表情を想像して思う。

 そうして手当てが終わり、パーシヴァルの手がそっとはなれていく。

 丁寧に巻かれた包帯をいちべつし礼と共に手っこうを嵌めれば、鉄らしい冷たさを感じた。当然だが人肌の温かさはない。馴染みのある感触のはずが、今だけはみように冷たく思えるのは何故なぜだろうか。

「夜になったら包帯をえよう」

「……はい」

 ギシと兜を頷かせて返せば、パーシヴァルもまた頷き……次いで深くためいきいた。

 僅かに彼の瞳がらぐ。きっと話し出そうとして言葉を選んでいるのだろう。それでも上手うまい言葉が浮かばなかったのか、ガシと雑に頭をいた。

「全て魔女の呪いか」

「……はい。、です」

「そうか」

 どこまでかは口にしないパーシヴァルに、モアネットもまた明確なことは告げずに答えた。

 すべて、だ。

 全てがエミリアの、彼女の願いをかなえるための魔術によるものだった。

 アレクシスの不運の呪いも、モアネットが古城にこもったことも……。

 そして、全身鎧を纏うようになったことも。

 あの日の、アレクシスの言葉さえも……。

『お前みたいなみにくい女とけつこんなんかするもんか!』

 そうかつて聞いた、そして今日に至るまでモアネットを全身鎧に閉じ込めた言葉がよみがえる。

 せんめいに、あの時の幼いアレクシスの姿も、けんを隠さぬ声も、なにもかもがまだモアネットのおくの中にこびりついている。

 あれも全て魔術によるもの。

 エミリアが『キラキラしたおひめ様』になるための第一歩。

 ならばこの全身鎧を纏った重装れいじようの人生はいったい何だというのか……。

 そうモアネットがつぶやき、そっと己の手っ甲をでた。

 鉄の指と手っ甲がこすれ、キシと高い音がする。硬いだけの銀一色の手っ甲。かざも無ければ女らしさもない。当然だがピンクのマニキュアを塗るための爪も無い。

 それを見つめていたモアネットが兜の中でひとみを丸くさせたのは、銀一色の手にはだいろかったからだ。

 さきほどまでモアネットの手を直接包んでいた大きな手が、今度は手っ甲をにぎっている。もちろん、パーシヴァルの手だ。大きくて温かかった手。

 兜を上げて彼を見れば、あお色の瞳がジッとこちらを見つめている。

「全てが魔女ののろいでも、俺の気持ちは変わらない。貴女に呪われたい」

「パーシヴァルさん、でも……私が貴方あなたを呪う理由はありません」

 パーシヴァルがモアネットにいだいていた罪悪感は、『へいおんに暮らしていたモアネットを巻き込み、古城から無理に連れ出した』というものだ。ゆえに彼は、全てが終わったあかつきには己を呪ってくれとうつたえてきた。

 だがその『古城での平穏な暮らし』は、エミリアの魔術による飼い殺しと分かった。つまりパーシヴァルは巻き込んだどころか、実際にはモアネットを救い出したのだ。

 彼がモアネットに呪われる理由は無くなった。むしろモアネットは感謝する立場にある。それを話せば、パーシヴァルがやわらかなしようかべた。

「それでも俺の気持ちは変わらない。俺を呪ってくれ」

「そもそも、パーシヴ《女》ァル《殺》さん《し》を呪うなんてどんな魔女にも出来ませんよ」

「それじゃレンガに似たもので殴ってくれ」

「レンガに似たものって……」

 いったい何で殴れというのか、そうモアネットが兜の中であきれを隠さぬ溜息を吐く。

 だがそれに対してパーシヴァルは返事も説明もすることなく、おもむろに身を寄せ、りよううでを広げると包むようにきしめてきた。とつぜんの、それでいてゆっくりとしたほうようにモアネットが兜の中で瞳を瞬かせる。

「……パーシヴァルさん?」

「モアネット嬢、あ、貴女は……その、良い魔女だ」

「……え?」

すごく、か、可愛かわいい魔女だ。俺は貴女に呪われたい。……叶うなら、ずっと」

 しどろもどろなパーシヴァルの言葉を聞き、モアネットは彼の腕の中で身をよじってその顔を見上げた。

 真っ赤なほおまどいを隠し切れない視線。言いよどんでは「良い魔女だ」と口にし、またムグとつぐんでは意を決して「てきだ」とめてくる。その落ち着きの無さと視線から無理をしているのが分かるが、それでも腕は放すまいと抱きしめ、鎧の背を優しく撫でてくる。

 まるでぼけている時のよう……そう考えてモアネットが彼の名前を呼ぼうとしたしゆんかん、それよりも先に「モアネット嬢」と名を呼ばれた。

「モアネット嬢、俺は今寝ぼけてる」

「……パーシヴァルさん」

「これは『寝ぼけた俺のめいわくこう』でしかないから、深く考えなくていい。……だから」

 なだめるような深いこわいろのパーシヴァルの言葉に、モアネットが兜の中で視線をらした。

 だから、どうしろと言うのか。

 その一言を告げられたら、今この瞬間まで必死になってえてきたものが一瞬にしてほうかいしてしまいそうな気がする。強がって平静を取りつくろって、冗談と軽口でひた隠しにしていた、胸の奥にある素直な感情。

 人前でさらせるはずがない、そうモアネットが自分に言い聞かせてパーシヴァルの腕の中で身じろぐも、け出すどころか彼の腕にさらにきつく抱きしめられた。

「パーシヴァルさん、放して……」

「俺は寝ぼけてるんだ。十五分待ってくれ」

「そんな、本当は寝ぼけてなんか……」

「泣かないでくれなんて言わない。だけど一人で鎧の中では泣かないでくれ。モアネット嬢、どうか今泣いてくれ。寝ぼけた俺は、貴女あなたを絶対に放さないから」

 そううながす言葉を聞き、モアネットが兜の中で瞳を見開かせた。泣いてくれ、と。彼の言葉が兜の中に、モアネットの胸の中にけ込んでいく。

 その言葉は胸の中でゆるやかに溶けて、鉄のように固めて鎧でおおった本音を溶かしていく。強く抱きしめてくる彼の腕は、そんな溶け落ちた本音を受け止めようとしているのか。

 あぁ、だ……。そうモアネットが心の中で呟く。己の胸の内にいた感情があふれだすのを感じ、鉄の手でパーシヴァルの服をつかんだ。視界が揺らぐ、のどふるえて呼吸がままならない。頰をなみだが伝っていく。

 そして、長く、それこそ全てが始まったあの日から、誰にも言えず己の中だけでさけび続けていた言葉をするように口にした。

つらいよぉ……」

 と。

 その声はひどかすれて弱々しく情けなく、かぶとの中でか細くひびいて消える。

 だがきつく抱きしめるパーシヴァルには届いたのだろう。彼の腕に力が入るのが分かった。

 それでも、鎧の中では抱きしめられる感覚は伝わってこない。彼の腕の力強さも、背を撫でてくれる手の動きも、熱も、何もかも、鉄しでは一つとして分からない。彼のむなもとに身を寄せているのに、どれだけれてもどうすら聞こえてこないのだ。

 それがまた辛く、そして辛いと思っても鎧をげない自分がみじめで、モアネットが堪え切れず声をあげて泣き出した。

 どうしてこんな事になってしまったのか。

 どうすれば良かったのか。


 パーシヴァルにしがみつき涙ながらに訴え、最後にモアネットがうめくように呟いた。

「……私だって」

 ……と。

 その後に続く言葉は酷く掠れ、それでも聞き取ったパーシヴァルが小さく「そうだな」と呟いて返す。

 よろいの背をさすっていた彼の手がそっとモアネットの片手に触れる。鉄の指先を包み込んで撫でるのは、見えないと言っていたが本当はその下にある指先を見ていたからだろう。

 鉄の手っこうで覆ってもなおピンクのマニキュアをほどこした指先。だれにも見せられなくとも可愛くありたいと願う、そんなモアネットの押しかくした本音に彼は触れたのだ。

 じよでもなく重装令嬢でもなく、ただ一人の少女としてのモアネットの本音。

 当然だが、モアネットは好きで全身鎧をまとったわけではない。

 アレクシスに醜いとののしられ、おのれの何が醜いのか分からず、そして分からないがゆえに全身を隠すしかなかったのだ。

『醜い』という言葉は顔だけに限らない。顔も、体も、肌も、かみも、声も、それこそ手の形だって『醜い』と表現できる。それどころか、仕草だって醜いと言えるだろう。『心が醜い』という言葉だってある。

 だからこそ全身を、体つきも動きさえも分からないようにすべてを覆う必要があった。そうして本音すらも覆ってしまったのだ。

 自分だって……という本音。どうして自分だけが……という誰にも打ち明けられないかつとう

『キラキラしたおひめ様』になりたいと話していたのはエミリアだけではない。

 可愛い服を着て、れいなものを身に纏いたい。はなやかな場所で、夢物語のお姫様のように美しくありたい。としごろの少女であれば誰だって抱く願いだ。モアネットも例外ではなく、幼い頃はエミリアと共にいくとなくこの願いを口にしていた。

 今だって、市街地で華やかな服を見ると足を止めてしまう。綺麗にかざった女性を見ればうらやましいと思い、可愛い髪飾りを見ればつい手をばしたくなる。

 だけどこんな鉄の鎧を飾って何になる。こつけいなだけだ。

 そう自分に言い聞かせ、羨ましいという思いをひた隠しにして耐えてきた。

 古城の中で可愛らしい部屋着を纏い、手っ甲で覆う指先に華やかな色をえがくだけにとどめていたのだ。それも、見せるのはロバートソンだけ。

 だがそんなあわれな時間さえも、魔女の魔術によるものだった。惨めで泣いた夜も、己を見るのがこわいと姿見の前で震えた日も、何もかもエミリアが『キラキラしたお姫様』であるためのものに過ぎなかったのだ。

 それを思えば、更に涙が溢れてモアネットが呻くように泣いた。





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