最終話 今でもずっと。

あれから3年が経とうとしていた。私、宮瀬優愛は今年で28歳になります。


琥珀の家を出て行ったあの日以来、琥珀には会っていない。携帯を変えたから向こうから連絡が来る事も無い。


ただ、夏になる度に思い出す。私の自宅の窓からは琥珀と行った花火大会の花火が見えるのだ。


「みーやせさん。昼飯行こ? 」

「ああ、うん」


昼休憩になると、真正面の席に座る同僚の森川さんから声をかけられた。男性社員で唯一よく話す人で私より二つ上の人だ。彼は営業で、去年、中途で採用された。


「ずっとここのパスタ気になってたんだよね。でも、男子一人で入りづらいじゃん? なんかオシャレ感あって」

「森川さんなら違和感無いと思うけれど」

「ほら、早く行こ! 俺、ゴンボレが良いな」

「ゴンボレじゃなくてボンゴレね」

「あ、やべ。間違えたわ。インスタにゴンボレってタグつけるとこだった。危ない、危ない」

「インスタやってるんですか? 女子力高いじゃない、森川さん」

「女子扱いやめれ! 」


ゴンボレ、か。こういう時に琥珀を思い出す私は未練がましいな。


もう彼はとっくに私を忘れているに違いないのにね。


森川さんと入ったイタリアンレストランはピザを焼く大きな窯があり、棚には様々な国のワインが陳列されており、かなり本格的なお店だった。よく後輩女子と行くイタリアンよりも値段も高めらしい。


壁にはひまわり畑の絵画やベニスの運河の絵画やピサの斜塔の絵画が飾られている。


「あの絵画、素敵だなぁ。イタリアに行きたくなっちゃうよ」


私は席につくと、絵画を見ながら言う。


「宮瀬さん、絵画とか興味あるんだ? 」

「そこまで詳しくないけど、あの絵画は惹かれるなって」

「店長がお気に入りの画家さんが描いたものなんです」


いきなり水を置きに来た店員が話に入って来て私は驚く。


「お気に入りの画家さん? 」

「今、話題の若手イケメン画家の成瀬琥珀って方が描かれた絵画なんです。うちに飾られている絵画は全て」

「え……」


久しぶりに聞く名前に私は驚く。


「あ、知ってる! 俺が読んでる雑誌にも特集されてたわ。超美形なんだよな。まだ23なのにバンバン個展開いたり、海外行きまくったり。とにかくやり手な感じ」

「そんなに有名なんだ」

「テレビにもたまーに出てたな」


やっぱり琥珀はすごい。私と住む世界が違すぎる。


「来週から個展を開くそうですよ。ご興味がおありでしたらお客様も是非。確か上野だったかと」

「あ、ありがとうございます……」


どうして今でも彼を思い出すと、泣きたくなるんだろう。


「いやぁ、美味しかったな。ボンゴレ。宮瀬さんが食ってたボロネーゼも美味そうだった。今度はボロネーゼにしようかな。ん? 宮瀬さん? さっきから大人しいけど、大丈夫? 」

「だ、大丈夫です! 疲れてるのかも」

「あぁ、最近作る資料増えてるもんね。でも、休憩くらいは仕事忘れて息抜きしな? 」

「森川さんは元気ですね。営業のが大変なのに」

「今日は久しぶりに宮瀬さんとランチできたからかな」

「へ? 」

「そうだ! 今日は定時で帰れそうだし、飲みにも付き合ってよ」

「は、はい」


忘れるって決めたんだ、私。だって、あれからもう3年も経つんだよ?


「森川さん、全然酔わないですね。もう何杯目? 」

「俺、くっそつえーんだよな。お酒。宮瀬さんは早いね。二杯飲んだだけでもう辛そう」

「あまり強くなくて。宅飲みしないからかな」


仕事を終えるとすぐに私は森川さんと会社の近くの居酒屋へ。


「でも、すぐに酔う女の子って可愛いから俺はやばいなぁ」

「あはは。口説いてますー? 」

「うん」


うんって……。


「森川さん、チャラいですね」

「チャラくないよ。俺、好きな子には一途だし。宮瀬さんには本気なんだ」

「えっ? 」

「一緒にいて本当に楽しいし、落ち着く」


確かに森川さんとはよく個人的にも飲みに行くし、気も合う。好きかは分からないけど。


「宮瀬さんは好きな人いるの? 」


好きな人と聞かれ、私は琥珀を浮かべてしまった。もう3年も経つんだよ!?


「い、いないです! 」

「良かった」


久しぶりに告白されたから戸惑ってしまっている。森川さんなら気も合うし、すぐに好きになれるかもしれない。琥珀の事だってきっと忘れられるはずだ。


「もっと飲むー! 」

「宮瀬さん、飲み過ぎ。もうだめだから。ふらふらでしょ」

「はーい……あぁ、終電逃した」

「うち泊まってきなよ? 明日休みだし」

「で、でも……タクシーもありますし」

「タクシーで寝込んだら運転手さん困っちゃうから。ね? 行こ」

「は、はい……」


私はひどいのかな。琥珀を忘れたくて無理して新しい恋をしようとしている。


けど、本当に好きになれるかもしれないから。


「はい、お水」

「あ、ありがとうございます」

「大丈夫? 気持ち悪くない? 」

「はい……」


あぁ、この感じ懐かしいな。やけ酒して琥珀に拾われた夜みたいだ。でも、今はあの時より意識がしっかりしてる。


『家に来いよ? 帰れないんだろ? 』


優しい声でそう言った彼が今も忘れられない。どうして忘れられないの……?


「宮瀬さん」

「えっ? きゃっ……」


いきなり私は森川さんにベッドに押し倒される。


「好きだ、宮瀬さん」

「んっ……」


いきなり森川さんは私の唇を奪う。


だけど、身体は拒否反応を起こしている。嫌だという気持ちでいっぱいになる。私、何て馬鹿な事をしているんだろう。このまま森川さんと付き合ったってきっと私は……。


「ご、ごめんなさい! 」


私は森川さんを突き飛ばす。


「宮瀬さん……? 」

「やっぱり、森川さんのお気持ちにはお応えできません。本当にごめんなさい! 帰ります! 」

「宮瀬さんっ」


私は森川さんの家を飛び出した。


私はなんて自分勝手で最低な人間なんだろう。好きだと言ってくれた人を傷付ける真似をした。


ちゃんと、しなきゃ。もう子供じゃないんだから間違えちゃだめだ。


「人多い……」


翌週、私は美術館へ行った。琥珀の個展が開かれている美術館だ。


どうしても気になってしまった。今の彼が描く絵と今の彼の様子が。


きっとこれで安心したら気持ちを切り替えられるよね?


「よし」


私は勇気を出して美術館の中へ。


「23歳、若手実力派画家・成瀬琥珀ワールド……」


個展の入り口に書かれた文字を私は読み上げる。


もう、23歳なんだ。


1枚目の絵画は留学中に描いたというエッフェル塔の絵だった。やっぱり留学行ったんだ、琥珀。


相変わらず、その世界にいる気分になる絵を描くなぁ。近くにいて見上げていると感じさせる為にか、エッフェル塔は下からのアングルで描かれている。


琥珀は風景画を専門としているからか、世界各地の風景画が並んでいた。フランス以外にはイタリア、ドイツにも行ったようだ。イタリアンレストランに飾られていた絵画も飾られていた。


琥珀にはこういう風に見えているんだな、とかこういう場所に行ってきたんだな、とか見ていて色々想像してしまう。


私は琥珀が絵を描いている姿見るのが大好きだった。琥珀の描く絵が大好きだった。


今も、琥珀がくれた絵は捨てられないでいる。


私は今もずっと成瀬琥珀に惹かれているみたいだ。だけど、きっともうずっと伝えられないまま。


良かった。私無しでも大丈夫なんじゃない、琥珀。本当に良かった。


「ん? 」


世界各地の風景画が終わると、今度は日本の風景画のコーナーに入った。


「あ……」


どうして……?


日本の風景画のコーナーの中で一番大きな絵は花火を見上げる女性の後ろ姿の絵画だった。


タイトルは『もう一度、見たい』だった。


「忘れてって言ったのに……」


他の作品は風景のみで人は見当たらない。だけど、この作品だけは大きいし、人が描かれている。


「どう考えても私じゃない……」


涙が止まらない。だめじゃない、私。忘れる為に出て行ったんだよ? 琥珀の人生に私はいらない。だって、私は琥珀と違すぎる。


私は涙を拭うとすぐさま展示コーナーを出て行こうとした。


早く帰らないと。余計、私は琥珀が恋しくなる。君に会いたくて仕方なくなる。


だけど、いきなり近くにあったモニターから音声が流れてきた。


「何故、一作品だけ人物を描かれているんですか?」

「あの作品だけは特別、思い入れがあって。僕にとって大切な人を描いたものなんです。彼女がいなければ僕は留学に行けなかった。彼女がいなければ、僕は愛情を忘れたままだったかもしれない」

「成瀬さんにとって大事な人なんですね」

「はい。彼女は忘れてるかもしれないけど、僕は今もずっと彼女が忘れられないんです。だから、描きました。重いですよね」

「いやいや、素敵です! 」


モニターに映し出されていたのはアナウンサーと対談する23歳の琥珀だった。


忘れてって言ったのに。どうして君は……。


「帰らなきゃ……」


私は琥珀に相応しくない。こないだだって森川さんにひどい事をした。琥珀と一緒にいられる自信が私には無い。


私は美術館を出る。


「成瀬さん、待ってください! ファンなんです、私! 」

「ごめんなさい。また今度。カロリーフレンド食べたくなったんだ」


私は琥珀と一緒にいちゃいけない人間だ。だってすごくすごく弱いから。


「優愛……? 」


えっ? 聞き覚えのある声が聞こえて下を向いて歩いていた私は顔を上げる。


琥珀!?


「どうして……」

「さ、さっきまでトークショーやってて、今終わったとこ」

「そ、そう。偶然だね。じゃあ、私はあっちだから」

「待って! 」


琥珀は私の腕を掴む。


「は、離して。私、はっきり振ったでしょ? なのに、あんな絵描くとか意味分かんない……」

「見に行ったんだ? 」

「私は琥珀の事、好きじゃない! 早く忘れてよ! 重いの! 」


こんな事言いたくない。けど、琥珀と私は一緒には……。


「俺に忘れて欲しいならどうして個展、見に来るんだよ」

「それは……」

「どうして、そんな泣きそうな顔しながら言うんだ」

「琥珀、私は……」

「俺の為だったんだよね? 俺が留学行くのやめたって聞いたから」

「えっ……」

「確かに俺は留学行かないつもりだった。俺が留学行ったら優愛との関係が終わるって思ったら行こうだなんて思えなかった。確かに留学行って俺の人生は変わった。けど、俺はそれでも満たされはしないんだ。ずっとずっと辛いんだ。どんな国に行っても優愛と行きたかったって考える。3年経ってもずっと忘れられないんだ」

「琥珀……」

「俺、3年前よりは強くなったよ。優愛に甘えてばかりにはならない。俺は優愛じゃなきゃだめなんだ。優愛に側にいて欲しい。優愛がいない人生なんていらない」

「バカだよ。私よりずっと素敵な人はたくさんいるんだよ? 琥珀」

「今更忘れろって言われても無理。3年も忘れられないんだもん。優愛だって同じ、でしょ? 」

「うん……」


私が知らない間にこんなに変わったんだ、琥珀。昔よりずっと大人で男っぽい。


「優愛……ずっとずっと会いたかった」


琥珀は私を優しく抱きしめ、言う。


「わ、私も……」


本当は会いたくて会いたくてずっと苦しかった。私も琥珀も同じだった。


「髪、随分とさっぱりしたね」

「美容院頑張って克服したからさ」

「偉いね、琥珀。しかも、今日スーツだ」

「トークショーだったから」


もうあの頃の琥珀とは違うんだなぁ。


私と琥珀は手を繋いで歩く。


「ねぇ、私は? 雰囲気変わった? 」

「変わんないかな」

「えー? ひどーい! 」

「あ……」

「琥珀? 」


話しながら歩いていたら、ホテル街に迷い込んでしまっていた。


「俺、カロリーフレンドあるコンビニ探すんだった……」

「琥珀っ」

「優愛? 」

「良いよ……私」

「えっ? 」

「私は大丈夫だから……」

「うん……」


私達は側にあったホテルの中へ。


「二階だって」

「あ、ありがとう。琥珀」


琥珀、緊張した顔してる。初めて、なんだろうな。


エレベーターの中で私達は緊張した面持ちをする。


私自身もそういう事には3年以上縁が無かったから緊張感はかなりある。


「ここだね」

「うん」


中に入ると、私は安心する。部屋の中は意外とリゾートホテルと変わらないな。回転するベッドがあるイメージだったから。


「へ、へぇ。結構広いんだな」


気持ちに余裕出て来たかも、私。


「琥珀、一緒にシャワー浴びる? 」


私が聞くと、琥珀は飲んでいたお茶を吹き出す。


「じょ、冗談のつもりで言ったんだけど」

「そ、そういう冗談はやめて」


意地悪しすぎたな。


「ごめんね」

「じゃあ、優愛が先にシャワー使って。バスローブがあるみたいだし」

「う、うん」


私、琥珀とキスは一回あるけど……それ以上は初めてなんだよね。緊張する。


「夢みたい」


まさか琥珀とまた会って想いを伝え合う事になるなんて。


「上がったよ」

「あ、ああ! 」


バスローブ落ち着かないな。ブラつけないで着ちゃったから違和感があるし。


ベッドで琥珀を待つ時間がやたらと長く感じるのは緊張もあるだろう。


初めて会った時は弟みたいな感覚だったのにな。今はしっかり男として意識しているから不思議。


「ゆ、優愛っ」

「琥珀! あ、髪まだちゃんと乾いてないじゃない……きゃっ……」


琥珀は上がって来ると、突然私をベッドに押し倒した。


「だめだよ、琥珀。髪、乾かさないと……」

「やだ。今すぐしたいから」

「エッチ……」

「誘ったのは優愛。ごめん、優しくできないかもしんない」

「良いよ。琥珀になら何されても」


私が言うと、琥珀はにっこりと笑い、私の唇を奪う。


「んっ……」


舌が絡み合うキスを何度もしながら琥珀はバスローブを脱がしていく。


「琥珀……は、恥ずかしい……」

「だーめ。見せて? 」


露わになった胸を隠す私の手を琥珀は片手で掴み、もう片方の手で胸を愛撫し始めた。


「琥珀……やだぁ……」

「優愛、どうして嫌なの? そんなに気持ち良さそうなのに」

「は、恥ずかしいんだもん……」

「本当可愛いな、優愛は」

「こ、琥珀……そんなに吸っちゃ……やだぁ……」

「優愛、すげぇやらしい」

「だ、だめ……やっ…あっ……琥珀……」


私は必死に琥珀の背中にしがみつく。


初めてとは思えないほど、琥珀はどんどん私が感じやすいところばかり責めていく。


「琥珀っ……やっ……あっ……だめぇ……」


琥珀のこんな強引で男らしい部分知らなかった。


「ま、待って! 琥珀……」

「結構濡れてる」


琥珀は片手で私の胸を愛撫しながらもう片方の手でパンツの中に手を入れ、秘部をひたすら弄る。


「琥珀っ……あっ……やだっ……やっ……」


気持ち良すぎて身体がおかしくなりそうだ。


「優愛、良い……? 」

「うん……」

「好きだ、優愛」


やっぱり無理だった。琥珀から離れるのは。こんなにも好きで好きで仕方ないと思うから。


こんなにも愛しいと思えたのは琥珀だけだったんだ。


「優愛、ごめん。痛かった? 」

「大丈夫だよ」

「ずっとこうしたかった、優愛と。本当、夢じゃないんだ」

「うん。ねぇ、琥珀」

「ん? 」

「私、琥珀が本当に本当に大好きだよ。ずっと言えなくてごめんね」

「優愛……」

「ずっと一緒にいたい。私、琥珀と離れたくないよ……」

「大丈夫。俺は絶対優愛を離さないから」


昔より頼もしくなった彼に私は嬉しくなる。


「スーパー寄って行っても良い? 夕飯の材料買いたいから」

「やった。久々に琥珀の手料理。何作るの? 」

「ボロネーズだ」

「あははっ」

「ゆ、優愛!? 」

「やっぱり琥珀は琥珀だね」

「えっ! どういう意味? 優愛! 」

「ふふっ。なーいしょ」


3年前の私達は一人になるのが怖くて傷を舐め合うような関係だった。


でも、今は違う。だから、きっと大丈夫。


「あ、成瀬琥珀だ! 本物! 」

「優愛、ダッシュ! 」

「ちょっと! 琥珀ー!? 」


私達は琥珀ファンから逃げながらスーパーへと向かった。


(END)


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その温もりを感じていたくて。 胡桃澪 @miorisu

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