第四部 エピローグその2

「はあ……大丈夫そうッスね」


 まあ重傷は重傷ではあるが心配なさそうだ。

 緊張感のなくやいのやいのと騒ぐ三人を一瞥し、チョクは苦笑を浮かべる。

 そして再び寝返りを打つと、やはりこちらへ背を向けたままのエリコを見つめ、困ったように眉根を寄せた。


「姫、俺が悪かったのであれば謝るッス。ですから、そろそろ機嫌を直してくれませんか?」

「……」


 やはり反応はなし。

 取り付く島もないとはまさにこの事だ。

 やれやれと、本日何度目かもわからない溜息を吐き、彼は寂しそうに双眸を細める。


「はあ、身を挺して庇ったのに……これはあまりの仕打ちッス」

「…………アンタねぇ――」


 と、その呟きに反応しピクリと肩を動かすと、ようやくもってエリコは寝返りを打った。

 そして不快感を隠すことなくその顔に浮かべ、ギロリとチョクを睨みつける。

 その双眸は鮮明に紅を灯し、禍々しく輝いていた。

 紅の閃光レッドアイを使ったために未だ魔力が引かないようだ。

 おかげでいつもの五割増しになった迫力で睨まれ、思わずチョクはうっと顔に縦線を描く。

 だがようやくこちらを向いてくれた。怒ってはいるようだが――


「姫……」

「今の言葉、二度と言うんじゃない! いい迷惑なの。私のせいで誰かが傷つくなんて」

「す、すいません。ですが――」

「ほんとにさあ、どれだけ心配したと思ってんのよ――」


 と、そこまで言ってチョクから視線を反らし、エリコはバツが悪そうに鼻の頭を掻いた。

 早とちりして泣いてしまったなんて、恥ずかしすぎて言える訳ないのだ。

 だが、この想いに嘘偽りはない。

 結果的に彼が命を取り留めたとはいえ、自分のせいで誰かが傷つくなんて絶対にごめんなのだ――

 

「もう二度とあんな無茶しないで。アンタが死んだらマーヤもサクライも、カナコも悲しむから」

「しかし姫は管国の未来を担う御身……それを命を挺して護るのは臣下として――」

「そう思うなら私のために


 紅い瞳を真っ直ぐにチョクへ向け、エリコはきっぱりと断言していた。

 断言した途端、照れくさくなったのか、再び寝返りを打って向こうを向いてしまったが。

 そして腕を枕代わりに顔の下に挟むと話を続ける。


「それとさ、一度トランペットに戻りましょ」

「え……」

サイコあいつが来ちゃったらもう逃げられないでしょ。アンタの仕事も溜まってるようだしさ、それに――」

「……それに?」

「叔母上には私から報告しなきゃね……今回のことは」

「姫――」


 流石に色々あり過ぎて疲れた。

 それに今回の一件は、自分が直接赴いて叔母上ミドリ女王へ報告せねばならない。


 討伐隊とカデンツァの隊員達が如何に勇敢に戦い、そして如何に壮絶な最期を遂げたかだ。

 そしてヒロシの責を罷免してもらわねば、彼等も報われないだろう。

 それを果たすのは、王家に生まれた者としての義務だ――

 

 仰向けに寝返ると、エリコは診療所の天井をぼんやりと見つめ、悔しそうに唇を噛み締めた。

 きょとんとしながら彼女を見つめていたチョクは、やがて嬉しそうに満面の笑顔を浮かべ何度も何度も頷き返す。


「ご立派な考えッス! わかったッス! このナオト=ミヤノ、どこまでも姫について行く覚悟ッス!」

「うっるさいわねえ、声でかいっての!」

「す、すいません……」

「ったく、まあいいわ。そう言うワケ、怪我が治ったら城に帰るから」

「は、はいっ!」


 しばらくはお騒がせ王女は休業してあげる――

 いつも通りの勝気な笑みを浮かべて、エリコはチョクを向き直ったのだった。



♪♪♪♪



診療所前廊下――


「いつまで経っても子供と思っておりましたが、中々どうして……やはり可愛い子には旅をさせてみるものでございますね――」


 中から聞こえてきた二人の会話に、満足そうに笑みを浮かべ、サイコはノックしようと掲げていた手をゆっくりと降ろすと踵を返した。

 そして静かに元来た廊下を戻り始める。


「王女に用事があったのでは?」


 と、診療所前の壁に寄り掛かり警護をしていたヒロシは戻ってゆく彼女の背中へと尋ねた。


「私が言わずとも、もうお気づきのようでございますので――」


 大人しく城へお戻りいただき、今回の顛末を女王へ報告下さい。それが王女としての義務でございます――

 そうエリコを説得するため訪れていた彼女は、しかしゆっくりと首を振ってヒロシの問いに答えた。


「さようか」

「ヒロシ殿、私は一足先にトランペットへ戻ります故、王女の護衛をお願いできますか?」

「慌ただしい出発であるな、何か考えでも?」

「色々とを――」

「……なるほど、承知致した」


 彼女がその気になったのは嬉しい事だが、無断で外出した事実はお咎めなしとはいかないだろう。

 鷹の王家も決して一枚岩というわけではない。彼女が次期女王になることを、疎ましく思っている連中もいるのだ。

 そういった輩が、今回の一件と絡めエリコの非を追及してくる可能性もある。

 彼女が城に到着する前に、――つまり根回しとはそういう意味だ。

 そうなると二人に付き添う者がいなくなる。彼女はその役をヒロシにお願いしたのである。

 まあ本調子ではないといえ、英雄と呼ばれた二人だ。道中まず心配はないだろうが、万が一ということもある。

 目の前の生粋の武人であれば戦闘能力皆無の自分よりもなお適任だろう――

 はたして、サイコが目礼すると、ヒロシは二つ返事で了承する。


「教育係も大変ですな、サイコ殿」

「まあ、普段ならお断りでございますが、王女らしい振る舞いができるようになってきたようですので」


 及第点ぎりぎりではあるが。

 ならば教育係お守り役として後始末くらいは協力してやろう――

 サイコはニヤリと笑い、ヒロシを振り返るとピースマークを突き付ける。

 なんだかんだで仲の良い二人の関係を思い、ヒロシは珍しく苦笑を浮かべた。


「それと、カデンツァに至急調査を進めていただきたいことが――」


 と、そこで思い出したように、周囲を一瞥して誰もいないことを確認すると、サイコは静かにヒロシへと歩み寄る。

 佇まいを改めた彼女を見下ろし、ヒロシは首を傾げた。


「どのようなことで?」

「コル・レーニョ盗賊団の動きを調べていただきたいのでございます」

「コル・レーニョを?」


 意外な名前が彼女の口から飛び出したことに、ヒロシは双眸を細める。

 はたして、サイコは表情一つ変えず、いつもの眠そうな目のまま無言で頷いてみせた。


「ベルリオーズ……そう名乗った男を覚えておいでですか?」

「もちろん」


 忘れるわけがない。全身からまるで鋭い刃物のような闘気をあげていたあの男のことを。

 情けないがあの時、その凄まじい威圧に戦慄を覚えていたのだ。

 ヒロシは即座に頷き返していた。

 と、サイコは思い出すように額に指をあて話を続ける。

 

「彼が法衣ローブを捲り、双剣を抜いた際に見えたのです」

「見えた?」

「蜷局を巻いた蛇の紋章――」

「なんと。ではまさか――」

「さようで、蛇はコル・レーニョのシンボルでございます」


 彼女は確かに見ていた。

 仮面の男が法衣を靡かせたその一瞬、隙間から見えたあの男の首に、蜷局を巻いた蛇の刻まれたペンダントがかけられていたのを。

 見間違えではないはずだ――サイコはヒロシに向けてピースマークを突きつける。


「今回の一件、コル・レーニョが絡んでいると?」

「十中八九そうではないかと」


 コクンと頷き、サイコは肯定した。

 大陸各地で神器の使い手達を狙いだした件も含め、ここ最近あの盗賊団は活発な動きをみせ始めている。

 そして魔の眷属とも繋がりがある事も新たにわかった。

 いよいよもってきな臭くなってきたが――

 たちまちのうちに表情を険しくし、生粋の武人は喉奥で唸り声をあげる。


「奴等め、何を企んでいる」

「私もできる限り探ってみようと思うのでございます。ですのでカデンツァでもどうか――」

「承知した。第三小隊諜報員にも協力を要請してみる」

「よろしくお願いするのでございます。それでは――」

「うむ」


 コル・レーニョが関係しているとなれば、話は国家レベルの問題だ。

 一も二もなくサイコの頼みを承諾し、ヒロシは力強く頷いてみせた。

 サイコはそれを見届けると、深々と一礼し踵を返して歩き出す。

 廊下の奥を曲がり、そこにあった扉を開けて教会の外に出ると、サイコは西の空を彩る黄昏を眺め双眸を細めた。


「……何か良からぬ事が起きそうな気がするのでございます」


 珍しく妙な胸騒ぎがする。

 一人ぼそりと呟いて、彼女は静かに嘆息した。



♪♪♪♪



 同時刻。

 ホルン村、集会所前広場――


 黄昏のホルン村を一望し、少女は朽ちかけた木の柵に腰かけながら愛用のチェロを歌うように弾いてゆく。

 何かに請われるようにして彼女が奏ではじめた、別れを惜しむ物静かなその旋律は、風に乗り村中へと響き渡っていった。

 

 ジョン・ラター 作曲 『レクイエム』より Out of the deep――

 

 やにわに村のそこかしこから、ぼんやりと淡く光る小さな玉が浮かび上がり、次々と空へと昇ってゆく。

 大禍刻おうがまときの朱と夜の闇が混ざって染める空を、蛍のような淡い光が彩る幻想的なその光景は、まるで死者を弔い天へと流す灯篭流しのようだった。

 と、彼等を見送る様に曲を奏で続けていた少女は、ふと目の前に現れた新たな光に気づき、顔を上げた。

 見えたのは、単身古城に乗り込み死神を穿った、自分そっくりな聖女の姿――

 腰の後ろで手を組んで、淡い光が包み込む村の様子をぼんやりと眺めていたレナは、やがて少女――なっちゃんを振り返り、クスリと笑う。

 少女より少し大人びた、魅惑的な微笑――なっちゃんは彼女のそれを受け止めて、クスリと笑い返す。

 やがてチェロが最後の一音を奏で、レクイエムの終わりを告げると、レナの御霊は光の粉を散らしながら静かに天へと昇っていった。

 

 再び静寂が舞い戻った黄昏の下、村は先刻と変わりない寂しげな姿を湛えている。


 さよなら、そしてありがとう。もう一人の私――

 額に浮かび上がった汗を拭い、なっちゃんは空に消えてゆく御霊の群れを静かに見上げていた。

 

「なっちゃん……」

 

 と、背後から名前を呼ばれ、少女はゆっくり振り返る。

 そしてそこに立っていた親友二人を一瞥してにこりと笑って出迎えた。

 

「邪魔しちゃった?」

「ううん、もう終わった」


 そう、もう終わった。なにもかも――

 少女の下に歩み寄り、遠慮がちに尋ねた日笠さんに対し、だがなっちゃんは無言で首を振ってみせる。

 どことなく満足気な彼女の微笑みに気づき、日笠さんはそう――と応えた。


「髪の具合どう?」


 同じく少女の下を訪れていた東山さんが、やはり遠慮がちに尋ねる。

 はたして、胸まであった彼女の長く美しい黒髪は、綺麗に整えられ、まるで少年のようなベリーショートへと変容していた。

 ナイフで切っただけではあまりにも見栄えが悪かったために、村に到着して早々東山さんにお願いいて切り揃えてもらったのだ。


「とってもいいわ。ありがとう」

「でもいいの? もう少し長めに揃えることもできたのに――」


 勿体ない――そんな気持ちがありありと見て取れる顔だった。

 普段は凛としている親友が申し訳なさそうに眉尻を下げるその表情が意外だったのだろう。

 なっちゃんは一瞬きょとんとしていたが、やがてクスクスと笑いながらやはり首を振ってみせる。


「いいの、私が望んだことなんだから」


 これはけじめだ。あいつに怯え、微笑みの仮面で怯懦を隠してきた自分との決別だ。

 もう負けない。もう隠さない――

 そっと自分のうなじを撫でて、なっちゃんは双眸を細める。

 その表情があまりにも大人びていて、日笠さんは見惚れる様に思わず息を呑んだ。

 と、同じく彼女を見ていた東山さんは、思い出したように表情を曇らせる。


「一つだけ、聞いていい?」

「何?」

「あなたは……本当によね?」


 塔の上で彼女が見せた、ぞっとするほど妖艶な笑み。

 あれは本当に演技だったのだろうか。

 もしかして、あれは彼女ではなく。いやそんな事はないだろうが――

 剣呑な表情を浮かべながらじっと返答を待つ東山さんを見上げ、なっちゃんは驚いたように目を見開いた。

 だがすぐに、小悪魔的な微笑みを口の端に生み出すと彼女は目配せしてみせる。


「さてどうかしら」

「え……」

「冗談よ。ごめんね恵美。でもあれ、なかなかの名演技だったでしょう?^^」


 ――と。

 途端、音高無双の少女は憮然とした表情を顔に浮かべながら、バツが悪そうに眉間にシワを寄せた。


「ほんとに笑えなかったんだから! 今度あれやったら絶交だからね」

「あら怖い。でも私役得よね。だって鬼の風紀委員長様の貴重な泣き顔を見れたんだから」

「もう!」


 本当にもう会えないと思ったのだ。助けられなかったと思ったのだ。

 演技だったなんてまったくもって酷い話だ。

 恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にして、東山さんは子供のように口を尖らせる。

 そんな彼女の反応を見て一頻り笑った後、なっちゃんは立ち上がると大分暗くなってきた空を見上げた。

 

 もうそこに御霊の群れは見えない。

 代わりに見えたのは輝きだした一番星の仄かな光だ。


 髪もいずれ元に戻る。

 頬の傷も明日には楽器の力で消えるだろう。

 でももし、あそこで仮面を捨てて対峙しなければきっと今頃、私は私でなかったはずだ。

 そしてそれを後押ししてくれたのは、他でもない。

 決して諦めずに足掻いて、藻掻いて、私を救ってくれた仲間だった。

 

「みんな、助けてくれて本当にありがとう」

「なっちゃん……」


 やっと気持ちの整理がついた。

 だから。

 


 



「私は私……これからも私――変わらないわ」



 そう言って振り返った彼女が二人に向かって見せたその笑みは――

 茅原夏実という少女が久々に見せた、心の底からの笑顔だった。




 第四部 完

 第五部 コントラバスの魔女へ続く




※あとがき


  以上をもって第四部は終幕です。

 ここまでお読みいただいた皆さま、本当にありがとうございました。

 この長い物語を読んで下さっている方が、はたしてどれほどいるかわかりませんが、日々感謝の念にたえません。

 重ねてお礼申し上げます。


 そしてこの四部完結をもって、物語の前編は終了となります。

 これまではカッシー達個々にスポットを当て部毎に物語を展開してきましたが、次の第五部後編からは、オラトリオ大陸全体に迫る危機を主軸に物語が展開していくこととなります。

 弦管両国を巻き込む大騒動が起こる中、運命に翻弄されつつも奮闘するカッシー達の活躍にご期待下さい。

 今後ともどうぞよろしくお願い致します。


 ヅラじゃありません。

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只今異世界捜索中!~Capriccio Continente de Oratorio~ 第四部 コルネット古城の死神 ヅラじゃありません @silverbullet

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