恋愛について

小説初心者

第1話恋愛について

人間という生き物は、生活の内に考えや、機能を発露せざる負えない生き物である。

食事の嗜み方、目覚ましを鳴らす時刻、果ては聞き間違いなどの錯覚に至るまで、

その全ては、行為の当人と、行為の当人の背景との成せる技である。

それ故に、当人の預かり知らぬ領域で、当人の無意識とも呼べる人間の機能が、

あらゆる他人と、風景とに感情を与えている。

この機能の為に、人間という生き物は、他の生物の内においても異例の速度、

「刹那」の内に、他人への恋愛と戦争とを用意してしまう。

無論、これは人間の機能であるから当人にはどうしようもない。

それゆえに、理屈家達はの中には、恋愛というものを「単なる、生理の錯覚」、

と唱える者も少なくはない。

なるほど、確かに、恋愛において、人間ほど手早く始められる生き物も珍しく、

生物競争の発展の一貫であり、生理の一種なのかもしれない。

しかし、私は、ここまで来て、「いや。それだけではない。」と言いたい。

なぜなら、確かに、

「人間ほど手早く恋愛を始められる生き物は珍しい」が、

しかしまた、

「人間ほど恋愛を長く続ける生き物も珍しい」からである。

この、事実は、仮に理屈家達の唱える理論が正であった場合、

「人間ほど恋愛を長く続ける生き物も珍しい」と言う事実に少し反するからである。

仮に、人間の生物競争の一貫としてだけ恋愛を行うのならば、競争に有利な、

「恋愛を手早く始められる」と言う性質に合わせて、

「恋愛を素早く終えられる」と言う性質を併せ持っているべきであるからだ。

しかし、事実として人間の恋愛は長い。

カップルが性交渉に至るまで、短くても3週間は有るだろう。

それ故に、私は、恋愛と云う事象は、単なる「生理」のみならず「宗教」

とも言うべき要素を含んでいるのだと言いたい。

人間の恋愛に限定すれば、理智に富む人間の理性が、

野生の強い恋愛の始めに対しての、疑念というものの為に、な人間的な恋愛を生んだのである。

つまり、人間の恋愛とは、生理をより確固たるものに形成し直すための行為である。

古来より伝わる身分婚や、真新しい恋愛婚に至るまで、その例外なく、合理に基づき行われている。

そして、それらの様式は、時代を登るごとに、恋愛に要する時間を長引かせている。

つまり、我々の恋愛に掛ける時間というものは、個人や時代の理性の成熟に一因せれている可能性も有るのだ。

私は、恋愛ほど、「生理的」で「理智的」な要素は無いと考えている。

思えば「宗教」の出発点も物事の「生理」を信じ疑うことであった。

恋愛と「生理」を信じ疑う絶妙な人間性の成せる技である。






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